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北朝鮮による拉致被害者の家族を支援しよう

石高 健次氏の講演の要約

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石高 健次氏 十勝大集会講演要約(3) 傑作(4)
2007/11/21(水) 午後 4:15石高健次氏講演要約アジア情勢 Yahoo!ブックマークに登録

95年にその番組を放送しましたが、まったく誰も振り向かなかったです。

まぁ、黙殺されたといいますか。他のメディアも政府も、警察にも取り上げられなかった。


ただ、そこに一本の電話があった。これがなかったら、その電話がなかったら、

私はめぐみさんの取材・拉致の取材をやめていたと思います。


それは、そのテレビを見た朝日新聞の東京本社の出版局の人間の電話でした。

「石高さん、あの拉致の話しは本当なのですか」と言うのです。

「本当です。有本さんや原ただあきさんなど、13人はやられている。間違いありません。」

そう答えました。

「それでは、それを本にしてください。」

記録としても残したい。本としても訴えていきたい。


それで、細々と拉致の取材をつづけていきました。

それで、横田めぐみさんにつながる13歳当時の、一番最初に掴んだことを取っ掛かりの

情報にしていました。

当時おそらく横田めぐみさんと世間話をした。

あるいはその世間話をした人から聞いたのだと思うのですが。


後に脱北して韓国に脱出した工作員の情報を続けて取材していました。

その人は安明進ではないのですが、もっと前の工作員の情報で、当時は13歳の中学1年生が

拉致されピョンヤンで暮らしている。

その女の子は双子の姉妹の妹さんで、当時はバドミントンの練習をして家に帰る途中で拉致された

というものです。


その2年前に、済州島で金キルウクのした拉致をきっかけに初めてそういう活動をつかみ、

拉致事件を客観的に証拠でいい当てました。

今回もまず原さんが騙されて連れていかれた宮崎・青島海岸に行くことにした。

まず探したのは宮崎県。

県立図書館で日南地方紙に何か載っていないか、当時76年が77年、実際は77年で双子の弟、

拓也くんと哲也くん。

伝聞情報、捜査官が調べた記録などを捜しました。

ところが、何処の誰だかわからない。


有力情報が皆無の中、横田めぐみさんの新潟の情報が入ってきた。

みなさん、その時、何故横田めぐみさんと言わなかったのかと思うでしょう。

ある脱北者の情報があったのです。(安明進より以前の情報だった。)

この人は、まだ表に出てきていないのです。

身の安全を確保するためです。

どうも、横田めぐみさんの情報を出した男だと特定されていないようです。

特定された瞬間に処刑されるでしょうけれど。




拉致の手口
拉致の実行については、以下のような手口が報じられている。

◆新潟県や北陸地方などの日本海沿岸や鹿児島県などの太平洋岸に工作員を密かに上陸させ、付近を偶然通りがかった若者を暴力も辞さない方法を用いて拉致する。

◆日本国内に潜入している工作員が目ぼしいターゲットを決めて接近し、言葉巧みに誘い出し、誘拐する。

◆海外に在留、居留する日本人に「仕事の紹介をする」として、北朝鮮に誘拐する。ただし入国までは本人の同意を取り付けていると考えられる。

◆工作員が日本沿岸での工作活動中に目撃されたと思い、目撃者を強引に拉致する。



拉致実行の指令
平壌放送(AM657KHz)内の乱数放送で指令があったとの説が有力。(音声による乱数放送(A-3放送)は2000年に廃止)
また、平壌放送以外でも北朝鮮の国営放送、朝鮮中央放送内で、選曲の順番などで工作員に指令を送ったりもしていたと考えられる。
(参考として、日本側への重要な工作指令は万景峰号船内にて直接、口頭にて指令が伝達される)
西五反田の駅前、貿易会社を偽装していたのが、この会社とわかった。
実際に20人くらいの偽装社員がいて、
かたわら10人位の秘密工作員を組織していて北朝鮮の工作組織だった。
そこを調べていくと初代リーダーだったコ・ダイキで、72年6月頃に
当時キム・ヘイシュク総連副議長が「ユニバーサル・トレーディング」を創ったとされている。


しかし、しばらくするとキム・ヘイシュクがいろんな内部対立などから北朝鮮に召還されてしまう。
在日朝鮮人の朝鮮総連は海外での公民団体で、その親玉のキム・ヘイシュクの懐刀の
コ・ダイキも消えた。
最後の訪問が昭和48年の夏となった。
渡辺秀子さんは、お金も渡されて親御さんと帯広で暮らせといわれたが、
埼玉に帰って夫を待とうと思った。

具体的に細かいことは分かっていないが、翌昭和49年、何らかのトラブルがあって、
渡辺秀子さんが殺害され、当時6歳と3歳のお姉ちゃんと弟が拉致された。

このことは、2000年の暮れ、文芸春秋に書くことになっていたから、
私は98年位から帯広を訪問している。
秀子さんのお母さんのユキヲさんにお会いしました。
私はジャーナリストではなく、当事者になってしまっていた。
最初に申しましたように、ジャーナリストは事実を述べているものなのに、
ここまで踏み込んでしまったからだ。

文芸春秋に書く時に7年前の10月に何度目かの面会で、秀子さんのお母さんに
「いろいろ調べた。あなたの娘さんは、殺害された可能性が高い。お孫さんは、
北朝鮮に連れ去られたようだ。」
と告げた。
「93年頃から拉致とか、訳わからなくなった。94年からは、こうです。」
そのことをお母さんに直接告げた。
翌月発売の文芸春秋に書きますと告げる。

面と向かって、こういう話をすると、普通は怒り出す。
怒り出すのが普通だ。

しかしお母さんは、「そうですか。」と言って溜め息をついた。

その時の態度、顔つきが目に焼き付いて離れません。
ずーっと自分の娘がどうしているか、何処でどうしているか。。。

昭和48年の暮れ、お母さんに電話したのを最後に、秀子さんからの連絡はぴったり止んでしまう。
それまでは、夫が家にいないこともあって、2・3日に一度は電話があったのだ。
長いこと経って、やがて来た情報はそれだった。
私を責めないお母さんの態度が、拉致被害者家族と同じように、本当に私にこたえました。

つまり、本当に生きているのか死んでいるのか分からない。
何とかせなならん。
生殺し状態。
どこかで、心の折り合いをつけないと生きていけない。

そういう様を目の当たりにして、本当にこたえました。
なんとかせなあかんと。 

「みるくさん、有難う御座いました。快く転載に応じていただき感謝致します。」

拉致問題の進まない現状を打開する方法はやはりPRするしかないのでしょうか。国、警察、外務省、

あたりに圧力が必要ですね。

 
石高 健次氏 十勝大集会講演要約(6) 傑作(3)
2007/12/14(金) 午前 11:45石高健次氏講演要約アジア情勢 Yahoo!ブックマークに登録

渡辺秀子さんの話に行きますと、ここにいる「とりうみけいこ」さん、そういう状態。
高きよみちゃんとつよしくん。
当時6歳と3歳、今なら40歳と37歳になります。
拉致の問題というのは、家族からすれば生殺しの状態のようなもの。
本当に残酷な問題です。

横田めぐみさんの拉致の取材を通じて、その当時から疑問に思っていたことがあって、学校から家に帰る途中で県警の捜査では警察犬がパジャマなどの臭いを覚えて、その臭いを辿って行くと必ず止まる場所がある。車が行き交う歩道の所です。
これは車で連れ去られた可能性がある。北朝鮮の拉致工作員では車を用意できたとは考えられない。
誰か免許のある人なら運転できただろうが。
こうしたことから考えて、警察に見られたら監禁するアジトがあるに違いないと思った。
どこかに日本人拉致を助ける支援の共犯組織があるはず。
と、思いながら取材を続けていると引っ掛かってきたのが

「ユニバーサル・トレーディング」

という貿易会社だった。
まさに、めぐみさん拉致という状況から取材していく中で辿り着いたものだった。


※東京都品川区の貿易会社「ユニバーストレイディング株式会社」に、渡辺秀子さんの夫である在日朝鮮人の高大基が勤務していた。
「ユニバーサルトレーディング」は、表向きは日本人経営者が運営しているように見せかけていたが、その内情は北朝鮮の組織が作った会社だった。資本金4000万円で昭和46年6月に設立。

北海道出身の主婦、渡辺秀子さん(当時32歳)の子供2人が北朝鮮に拉致されたとみられる事件で、
実行にかかわった北朝鮮工作員は少なくとも男女5人で、うち女1人は日本国内で生存していることが
警察当局の調べで分かった。この女は、工作船で子供を北朝鮮に連れ去った後、日本に再入国したという。
5人はいずれも東京都品川区の貿易会社を拠点とし、組織的に工作活動を続けていた。警察当局は
他のメンバーの所在確認も進めている。

拉致されたとみられているのは、渡辺さんの長女、高敬美(こうきよ(み)ちゃん(当時6歳)と、
長男の高剛(こうつよし)ちゃん(同3歳)で、73年12月ごろ、渡辺さんとともに失跡した。
母子3人は東京都目黒区のマンションに監禁され、秀子さんは殺害された可能性が高いとされる。

警察当局の調べでは、事件への関与が疑われているのは品川区西五反田にあった貿易会社
「ユニバース・トレイディング」(78年に解散)を拠点とする工作グループの女2人と男3人。
同社の役員だった女(59)がリーダー格で、もう1人の女は監禁や拉致の過程で子供2人に
付き添っていた「世話役」だった。世話役の女は工作船に同乗して2人を北朝鮮へ連れ去ったと
みられるが、その後、再入国して生存していることが分かった。

警察当局はこれまでに、「『自分が子供2人を北朝鮮に連れ去った』との告白を世話役の女から聞いた」
とする貿易会社関係者らの証言を得ている。

登記簿によるとユニバース社の主な事業は金属、機械などの輸出入や販売で、人材派遣会社などから
募った社員約20人が通常の営業活動をしていた。一方、同社では役員の女を含む約10人の
北朝鮮工作員が活動。日常的に自衛隊や在日米軍の情報収集などをしていた。工作員グループは
共同で生活し、他の社員と区別して「ドミトルグループ」と呼ばれていた。

渡辺さんは、消息を絶った夫を捜している最中に失跡したが、夫は「高大基」と名乗る在日朝鮮人で、
ユニバーサル社の役員だった。夫も工作員グループのリーダー格で、消息を絶ったのは北朝鮮に
渡ったためだとされる。夫の後を継ぐ形で工作員グループを率いたのが、役員の女だという。

警察当局の事情聴取にユニバース社の一般社員は「得体の知れない人たち」と
ドミトルグループについて証言。「会社がどうやってもうかっているのか、分からなかった」と話しているという。 (毎日新聞より)

’あと一回で終了です、長い間有難う御座いました。なぜ?こんな事が(拉致が)行われていたのか。'

 しかもそのほとんどが、人災に近い経過を経ている。この国を救うのは若者しかいない。
石高 健次氏 十勝大集会講演要約(5) 傑作(1)
2007/12/3(月) 午後 9:16石高健次氏講演要約練習用 Yahoo!ブックマークに登録

それで、新聞広告にも出たことから、現代コリアというところから声がかかった。
私に自分の書いた本の紹介の記事を書いてくれというものだった。

私は本の宣伝にもなるので、「私が『金正日の拉致指令』を書いた理由」というのを書きました。
横田めぐみさんのことを書いたりした。
海へ連れ去られた13歳の双子の妹のこと。


それで現代コリアの佐藤さんの口から、あらかじめ予定されていた12月の講演で、こんなことがあると話された。そこから横田めぐみさんに繋がっていくのです。

これが拉致が世に出たいきさつなんですけれども、その時は、子供までやるのかと。
本当に日本のメディアは関心をもって取材して大きく報道した。
それ以前の88年のさっきのリ・ウネの時には、当時はほとんど関心を示さなかったのに。

当時、共産党の橋本篤参議院議員の兵本まつきち秘書が、家族がそれぞれ孤立していては駄目だ。
石高さん、家族を集めて「家族会」をつくりませんか。と、持ちかけてきた。
それではやりましょう、となった。




当時の家族の気持ちは、95年の拉致取材を始めた頃は、
新潟の蓮池さんや、元気な浜本雄幸さんも取材拒否だったのです。

なぜだと思いますか。

蓮池さんは、もう今更マスコミが動いて報道してもどうにもならない。もう、あきらめの境地だった。
息子のことを考えるだけでもしんどい。
また、思い続けるのはしんどい。
母親のハツイさんは病気で通院していた。
国は動いてくれない、駄目やろと思っていた。
それが取材拒否の理由だった。


97年2月3日に、横田めぐみさんの話がマスコミに出た。
それまで一人だけで動いている家族で。。。積極的に動いていた有本あきひろさんに、私は説いた。
その方の娘さんの手紙がピョンヤンから88年に来て、彼は生存は間違いないと思っていた。


97年の正月の取材の時に、他の方の電話の一覧表を渡して
有本さんから、一緒にやろうと電話して貰って。。。
ああいう人ですから、一生懸命に電話して、3月25日に東京都内の一番安い会場を借りて
家族会が結成するわけです。



それから色んなことがあって、家族の想い、絶望した想いが、それが希望になって、
橋本総理、小渕総理、森総理の時代。
政府は全然動かない。
間にコメ支援が出てくる。

ニュースに出た、自民党本部の前での
馬鹿野郎と怒鳴ったコメ支援反対の抗議活動がありました。


コメ支援するのは、また絶望の時代が来る。
それで、小泉訪朝は何人かが帰ってくるとまた、希望が出てくる。
あの時、2002年9月17日の増元さんは、議員会館からバスで外務省の「いいくら会館」に
行く時など、Vサインしていました。
有本さんも娘が帰ってくるので、ニコニコしていた。
私はそんな家族を見送っていました。


当時の福田康雄官房長官から、あとで聞いたら冷たい言い方で、

あなたは生存している。
あなたは死亡している。

またそこで絶望のどん底へ落ちた。

また、数日後、死亡を確認することを何もしていないのが分かり、あれ嘘やって。
また希望が湧いてくる。
別々のところで死んだというのに、死亡の確認書に同じ病院のはんこが押してあった。




5年経って、拉致を政策の最優先で一生懸命やることになっている。
安倍総理が、9月26日に就任して、家族は物凄い希望に溢れた。

それが、まる一年後の今年の9月11日に退陣表明。

えっ。

どうなるのかいな。


いろいろ伝わってくるが、私の取材では、来年の春頃には北朝鮮と国交を樹立するのではないか。



そうなった場合、福田総理はどうするのか。
今、家族会は、希望と絶望の間で揺れています。

これまでも揺れてきた、ずっとそういう状態です。
石高 健次氏 十勝大集会講演要約(4) 傑作(2)
2007/11/23(金) 午後 11:02石高健次氏講演要約アジア情勢 Yahoo!ブックマークに登録

金賢姫(キム・ヒョンヒ、1961年1月27日 - )は、大韓航空機爆破事件(1987年)を実行した朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の元工作員。
この事件を実行する為「李恩恵」と呼ばれる女性(日本から拉致された田口八重子とみられている)に教育を受け、「蜂谷真由美」という名の日本人になりすました。

日本語が堪能。この事件では北朝鮮で李恩恵という日本人と共に一緒に暮らし日本の文化や習慣、料理などを習得した。ちなみに、好きな歌手は山口百恵で日本の民謡だけでなく山口百恵の曲も多く歌える。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E8%B3%A2%E5%A7%AB




なぜ名前を言わなかったのでしょうか。これはひとつ思い出してほしいのですが、

大韓機を爆破して生き残ったキムヒョンヒは、1978年8月28日に逮捕されました。

韓国に引っ張ってこられた。自殺を願い、けれど生き残った。

私に日本人化教育をしたのは、日本から船で引っ張って来られた「リ・ウネ」先生だと言った。

88年1月の記者会見でその事を話したキムヒョンヒは、1年8ヶ月間、リ・ウネと過ごした。

実名がどこから出るか、そういう事を言うと自分の身が危ない。


日本人は知らない。日本人の酒の席での接待とか教えられるが、日本名は聞いていない。

それをいうと自分の身が危ないから。ある程度大人になると分かってくる。


ちなみに、リ・ウネが埼玉県出身の田口八重子さんと分かったのは3年後のことだった。

そのきっかけは当時、札幌冬季アジア大会があって、そのテレビ放送を、キム・ヒョンヒは

ソウルで見ていた。韓国の選手団が札幌に到着する。

千歳空港の「ちとせ」という言葉が出る。その時彼女は、あることを思い出す。

お互いに呼び合う名前を決める時に、リ・ウネがノートに鉛筆で「ちとせ」とひらがなで

書いたことを。


そのことが韓国の安企部から日本の警察庁に伝わったとのことですが、

1997年に失踪女性を調べていくと、その中に田口八重子さんの名前はあって、当時、

田口八重子さんのご兄弟の家族は3歳と1歳の八重子さんの子を養子として育てていた。

子供たちが思春期だったこともあって正直に言わなかった。

ところが3年経って改めて警察が行くと、確かにうちの兄弟に田口八重子がいますと話した。


田口八重子さんは、池袋のキャバレー「ハリウッド」で、源氏名「ちとせ」として働いていた。

そこから拉致されて北朝鮮に連れて行かれたのだろう。

つまり、横田めぐみさんと身の上話しをしたのだろう。

おそらく病院で身の上話しをしたのだろう。

発表までに調べたが、2回心を病んで入院している。そこで、その病院で喋っているのは確かだ。

これが工作員が韓国にもたらした情報です。


1年半たった頃の1996年10月に朝日新聞から1冊の本として出た。

「金正日の拉致指令」という本です。その中では、13歳の双子の妹という情報のことは書くのを

やめました。その理由は、あまりにも想像を絶することである。

それを書けば他の13人の消えた方。日本海側の失踪カップルについても疑われてしまう。

もっと確証をつかんでから、と思ってその本には書きませんでしたけれども。




「金賢姫、逮捕後2回自殺図った」 元米大使が回顧録で明かす 1987年発生した大韓空港(KAL)機爆破事件の犯人である金賢姫(キム・ヒョンヒ)はバーレーン空港で逮捕された直後、2回に渡って自殺を図っていたとジェームス・リリー元駐韓米国大使が最近発行された回顧録で明らかにした。
 リリー大使の回顧録『アジア備忘録』によると、爆破事件直後の12月1日、金賢姫はバーレーン空港で偽造パスポートが発覚し逮捕されたが、青酸カリが含まれたタバコを噛み、1回目の自殺を図ったという。
 同僚の男性工作員はこの手法で現場で死亡した。
 しかし、金賢姫については、バーレーンのイアン・ヘンダーソン警察署長がタバコを素早く奪い取り自殺するのを防いだ。
 リリー大使は、「最初、その若い女性(金賢姫)は、自分は日本で育った中国人孤児で、飛行機爆破とは何ら関係がないと話した」とし、「(金賢姫の発言が)すぐ嘘だということは彼女の行動で証明された。自分の性的経験に対する捜査官の執ような質問に憤り、女性通訳を蹴り倒し、ハンマーのようなこぶしでヘンダーソン氏を殴りつけ、彼の拳銃を持って自殺を図ったが、電気ショッカーに当たって倒れた」と述べた。
 リリー大使は「呆れたヘンダーソン氏が(韓国政府に)『この女性を連れて行き、韓国の方で扱ってください』と話した」とし、ヘンダーソン氏が、今でも金賢姫の逮捕当時の状況を知りたがっている人には、生産カリが含まれたタバコを奪い取る際に噛まれてできた指の傷を見せていると述べた。
 また、リリー大使は87年6月、民主化デモが激しくなると、当時の全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領が戒厳令を発令しようとしたが、6月19日レーガン大統領の親書を持って全元大統領に直接面会し、これを防いだと回顧した。

朝鮮日報/朝鮮日報JNS

追記・講演録音テープをおこしておりますが、時系列についても講演内容にそって記載しました。

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