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WindowsXPの終了にともない、Bontakaもパソコンの更新などをしようと思っているわけですが、Office2013の日本語化をどうすれば良いか? どうも良くわからない。
Microsoft Store日本のサポートににドイツから電話しようと思っても、フリーの電話番号しか掲載されていない。
0120等のフリーの電話番号は海外からは掛けられない。メールで問い合わせようにも、下記のようにメールアドレスも書かれていない。これは困った! なかなか、お気軽に相談できないのだ(^_^;)
http://www.microsoftstore.com/store/msjp/ja_JP/DisplayHelpContactUsPage/
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デュッセルドルフ
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1月6日、デュッセルドルフ商工会議所主催、新年会での中国大使の挨拶が、日本への場違いな攻撃で あった、と伝える記事です。
ドイツ、デュッセルドルフの新聞、「ライニッシェ・ポスト誌」 (翻訳:鷲尾)
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Frohes Neues Jahr !
新年あけましておめでとう御座います。 元旦のデュッセルドルフは9度。 気持ち良く晴れました。 今年も宜しくお願い致します。 【お知らせ】
パブコメで未来を変えよう |
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Bontakaは日本に一時帰国するタイミングを逸し、今年は珍しくデュッセルドルフで寂しく大人しくしています。
12月23日、本来は強制年休なのですが、仕事が終わらず出社。
この日出社した間抜けは、ドイツ人同僚というか友人のPと私の二人だけ。
Pとはもう8年来の付き合いだ。色々なことがあった。彼の結婚式にも出たし、お父さんのお葬式にも出た。勿論、家族とは顔見知りだし、家にも行った事がある。
二人とも午前中で帰るはずだったけれど、結局、仕事が終わらず午後も居残る事になり、一緒に近くのスーパーにランチをとりに行った。
「TAKA、クリスマス・イブはどうするんだ?」
「何も予定ないよ。今年はロンリークリスマスさ。」
「え!?」 Pは、早速に奥さんに電話をかけ、そして、こう言ってくれた。
「TAKA、あしたの晩ウチに来い。オイル・フォンディーユ・パーティをする事になっていて全部で12名来るから一人増えたって全然問題ない。とにかくクリスマス・イブに一人でいちゃダメだ。」
「来るのは弟とガールフレンド、その連れ子、Takaも知ってる友人とその妻、知っているとおもうが、その妻っていうのは、僕の妻の姉だ。」
(妻は名前で言うけれど、個人情報なので妻とする)
「あぁ、知ってる。前にも会ったね。」
「あと、ママと」
「あ、2階に住んでるお母さんね。」
彼の家はお父さんが無くなってから、2世代住宅に引っ越した。
「それと妻の両親と、子供」
「うん。有り難う。凄くうれしいよ。是非、行かせてもらうよ。」
そう行った、突然の経緯でドイツ人家族のクリスマス・パーティにたった一人の日本人が行く事になった。
当日は大変な突風で、バスも欠航があったりして、通常1時間くらいでつくはずが2時間かかった。
バス停で寒さに震えながらこまめに連絡を入れ「先に始めててね!」と言って彼らも、「あと1時間も待ってられないから食べてるよ〜」と言っていたのに、着いてみると、全員が食べ始めないで待っていてくれた・・・
こういう時、日本人との違いを感じる。ドイツ人は自分勝手と言う人がいるけれど、
個人ベースの付き合いでは決してそんな事は無い。むしろ日本人の方が淡白で礼儀知らずだと感じる事も多い。
「良く来たな〜。」
「2時間もかかったんだって。大変だったな。」
「まずは乾杯だ。」
「何を飲む?ビールか?ゼクトか?ワインか?あ、ビールだな。何ビールがいい?」
「日本ではグァンペーイって言うんだっけ?」
「いやいや、それは中国。日本はカンパイだよ。」
などといいながら、かじかんだ体と心が暖かくなる。
P家ではオイル・フォンディーユがクリスマス・イブのディナーで、毎年行っているそうだ。
「毎年」ということについてお婆ちゃんが語りだす。
「終戦当時、物も食べものもなかったのよ。」
「必死に蓄えたの。それでクリスマス・パーティにオイル・フォンディーユが出来たの。」
「当時、クリスマ・スパーティ来てくれた人達はみんなビックリしたわ。どこから お肉が調達出来たのかって。」
「これがP家のオイル・フォンディーユのはじまりよ。」
「みんなが来てくれてとっても嬉しいわ」
見れば、お婆ちゃんの世代、その次の世代、その次の子供たちの世代の3世代が
みな、静かにお婆ちゃんの話を聞いています。受け継がれていく物語。
僕は、日本の昔の、核家族になる前の、お正月の集まりを思い出し、そして、感動していました。
今日のお話はここで終りです。
僕自身が書いていて、泣きそうですから。
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