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まずは下記の字を読んでみて下さい(^^)
漢字には平仮名もついているので、読みやすいですね?
身近な鳥さんについて書かれています。
ちなみに、これは下記の江戸時代の図鑑、椋鳥(むくどり)さんについての解説。
椋鳥さんには、大きいのと小さいのがいて、そのうち小さい方について、書いてあるのが上の文です。さぁ、わかるかな?
椋鳥(むくとり)は 小(こ)むくという。 大(おおい)
こんな江戸時代の文字、読めなくて「当たり前」ですね!
ところが、当時は寺小屋の子供でさえ読めた文字ですから、教養あふれる現代人が読めなくては、江戸時代の人にバカにされるでしょう?
例えば、「椋鳥(むくとり)は」の「は」の字は「八」の略字。
「大(おおい)」の「お」は「於」の略字。
「ひよどりより」の「り」は「里」の略字。
「かしら」の「か」は「可」の略字
江戸時代までは一つの平仮名に対して、いくつかの漢字の略字がありました。発音記号と同じで意味の違いはありませんが、昔の日本人は美しく書き分けていました。これを、現代人は変体仮名と言って、変体扱い?していますが、
文明開化の名の下、前時代の文化を徹底的に否定した明治政府は、1900年(明治33年)の小学校令施行規則改正にて、この仮名を教えるのをストップ。それから100年後の私たちは、江戸時代の子供たちが読めた字さえ読めず、「読めないのが当たり前」なことに何の疑問も持たないようになりました。 浮世絵を持っても、書いてある事が読めない。←それって当たり前?
詞書きが伝わらない。笑えない。←それって当たり前?
それは、やっぱり、オカシイ事だと、今、僕は思います。
100年前に仕組まれた江戸文化との断絶が大成功だとしたら悔しいのです。
今年から、少し勉強を始めました。
例えば、西田知己「江戸のくずし字学習図鑑」という本では、江戸のベストセラー図鑑『訓蒙図彙』の中から、48文字の基本の平仮名を取り上げています。
たった48字で読めるかな? と思いましたが、私たちが使っている平仮名や漢字の知識もありますので、意外と読めます。
今まで読めなかった、自分の浮世絵の文字が読めた時は、まさに感動ものでした!
ちなみに、最初にあげた椋鳥の解説は、この本の続編となる(巻の二 基本漢字編)から掲載しています。
今はまだ、パズルのようだけれど、
少しづつ、江戸に近づこう。
そんな日々です。 |
歴史
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2010年10月3日、ドイツは第一次大戦終結後のベルサイユ条約(1919)で、ドイツに科された賠償金の支払いを完了しました。 最後まで残っていたのは7000万ユーロ(約80億円)。
第一次世界大戦終結から92年後の今年のドイツ統一20年の記念日に支払われました。
ってな事がニュースになっていますが・・・ じゃあ、どこに支払われたの?って疑問がまず起きる訳で(^^ゞ
アメリカ向け債務でした。
他国への債務は2020年まで残っています! ドイツの第一次世界大戦敗戦は、まだ終わっていません。 この感覚は、1945年8月15日からわずか11年後の1956年(昭和31年)に「もはや戦後ではない」と経済白書が宣言し、平成の世となって戦前のことなど関係が無いように暮らしている日本人にとって、驚きであると思います。
<更に興味のある方に>
当初の賠償金の総額は1320億金マルク(金本位制なので金マルク)。
ドイツの支払い能力をはるかに超えたこの金額は、特にフランスの報復的的な意味合いが強いものでしたが、欧州連合国がアメリカとイギリス、特にアメリカに対し、多額の戦争債務を抱え込んだ背景も指摘されています。
ベルサイユ条約調印時には、まだ賠償額は決定されていませんでしたが、1921年に総額が決定。その58%をフランスが受け取る事になっていました。
当時のドイツのGNPの20年分に相当した言われています!
1923年、フランスはドイツの支払い不履行を理由に1922年から23年にルール工業地帯を占領。「ルール闘争」はドイツ経済をさらに悪化させてゆきます。
この占領は1924年にドイツが「ドーズプラン」を受け入れ終了。年間支払い額が5年間だけは25億金マルクから10億金マルクに減額。ただし、支払い総額は変わらず。
1925年には「ロカルノ条約」が締結され、ドイツは国際連盟に加盟。「ロカルノ精神」という言葉が生まれ、独仏は友好状態に進みます。
1929年、「ヤングプラン」によって賠償総額は約358億金マルクに軽減、さらに59年間払いに緩和されました。
ところが!
1929年10月、アメリカ発の世界恐慌が勃発。ドイツ経済は壊滅的となり、ヒトラーの台頭を招きます。
1932年「ローザンヌ会議」によって賠償金は30億金マルクに減額されましたが、
33年に政権の座についたナチス総統ヒトラーは支払いを拒否していました。
この状況は第二次世界大戦後の冷戦下でも続き、ドイツは東西統一後、再び支払いを再開します。
ドイツの歴史に興味のある方は、下記の本もオススメです。
加藤 雅彦 (著) 『ライン河―ヨーロッパ史の動脈― 』(岩波新書)
因みに、第二次世界大戦では、ドイツは主にソ連へ賠償金200億ドルと生産設備や動産を支払うこととされ、1953年に賠償金の支払いは停止されました。
【その他、日本】
第二次世界大戦後の日本は、ドイツと違って、キチンと戦争賠償をしていないはず・・・
と思われる在留邦人の方は、日本の戦争賠償と戦後補償をご一読下さい。
アジア諸国との個別の合意により、各国に対して1兆300億円の賠償金を支払っています。
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今年の正月に日本に帰った時に求めた一冊。
昭和14年以来、日本全国をくまなく歩き、各地の民間伝承を克明に調査した著者(1907‐81)が、文化を築き支えてきた伝承者=老人達がどのような環境に生きてきたかを、古老たち自身の語るライフヒストリーをまじ だが、ここに出てくる日本人は、随分と違う。
『逝きし世の面影』渡辺京二著、平凡社ライブラリー 2005年9月9日初版
に出てくる、良く笑う幸せそうな日本人と随分と違う。
まさに、明治、大正、昭和と時代が下り、江戸は失われた。米本位から金の社会へ。富国強兵の政策のもと、明治政府の税金徴収は過酷を極め、農民が自主開墾して租税を免れていた田畑まで厳しく課税された。
その事を思い出し、少々ツライ気持ちで読んだ。
驚いたのは農地解放について。農地解放(改革)について。
Bontakaが学校で習ったのはこんな話だった。
農地解放(改革)について そう。アメリカのお陰様という感じで認識していた。
ところが、この本を読むとどうも、そんな単純な話ではなかったらしい。
「文字を持つ伝承者(2)」
本を読み、何か一つでも驚きがあると、嬉しく思う。
<追記>
サポパパのルーマニアライフ!のサポパパのコメントに刺激され、追記いたします。
偉大な民俗学者であった宮本常一が死の3年前に著わした自叙伝の言葉。
時は1978年(昭和53年)。
はるかな昔のような気もするが、
そんな年であった。
降る雪や 明治は遠く なりにけり 中村草田男(昭和11年)
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『逝きし世の面影』渡辺京二著、平凡社ライブラリー 2005年9月9日初版
いつまでも読んでいたい本に時々出会う。
読み終わるのが惜しい。 そういう本に出会うのは幸せであると思う。
この本は、幕末から明治にかけ、最後の残光を放っていた江戸文明を当時日本を訪れた西欧人が記録した膨大な手記をまとめ、整理したもの。
有名な本であるが、今回初めて読み、衝撃を受けた。
当時の日本を訪れた西洋人が体験し、予見したように、その文明は刻々と失われ、滅亡する運命にあった。だからこそ、彼らは書き残したのかも知れない。西洋の、東洋のどこの国も到達できなかった、いや進もうとさえしなかった、独自の一つの高みに行き着いた文明の様態を。
<目次> その失われた文明では、我々が教科書や学校で習うのとはまるで異なって、当時の日本の下層民は、幸せだった。そして、驚くほど好奇心旺盛で、親切で、良く笑う。清潔で、田畑や家に手入れが行き届いている。
そう記録される。
富の集積が西洋とはまるで異なり、貴族や王侯が贅沢な家に住み、宝石で飾り立てる事は無く(むしろそれは品性が卑しいことである)、質素である。上に行けばいくほど自由度が減り、将軍こそは規則に縛られ、自らの自由意志は限られ、下々の奴隷、公僕と思われている。
庶民の美意識が高く、子供(西洋では人権さえ認められていなかった)や女性の地位も高い。そして、田舎の畦道でさえ雑草の一つも無く手入れされ、景色が夢のように美しい。中国や他のアジア地域とは全く違う(彼らはそう記する)。
「江戸」という失われた世界の人間の精神の反映、具象化。
美化されていると思う方もいるかもしれない。もちろん、日本びいきの西洋人はいただろう。
ただ、渡辺京二氏も述べるように、記録者の数はあまりにも膨大であり、そして共通点が多い。
我々現代日本人こそが、軍事と経済で列強に立ち向かっていかなければならなかったがため、明治を正当化し、前王朝である江戸文明を否定し、色眼鏡をかけているのではないか、と今は思う。
たとえて言えば、丁度、ゴッホが浮世絵から江戸の美意識を学んだように、
すでに江戸が分からなくなってしまった我々は、ゴッホを通して浮世絵から江戸を学ぶ。
そして文として、この西洋社会の当時の記録者達から、更に江戸を学び始める事ができる。
江戸を学ぶとは、心のありようを学ぶ事であるのかも知れない。
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