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ひさしぶりにバカネタ更新しました。

海外生活

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Rejects

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ほんとくたびれる一週間だった。


特に忙しかったわけじゃないけれど、ホント精神的にくたびれる一週間だった。



それはともかく、帰ってきて、テレビをつけると、これまた、一段と疲れる番組がやっていた。
(にもかかわらず、見てしまった。)


金曜プレステージ 「居場所をください…2〜傷だらけの子供達〜」

“生きててもいい?”ホームレスの父と再会過酷な少女に広末が涙▽“殺そうと思った…”虐待母の壮絶な告白に鶴瓶・東国原ガク然…▽“愛されたことない”表情も言葉もない少女優香が見た感動再出発

7月6日(金) 21:00〜22:52

金曜プレステージ居場所をください…2〜傷だらけの子供達〜◇心に傷を負った子供たちと向き合う大人たちに迫るドキュメンタリーの第2弾。広末涼子は自身の出身地、高知市の藤本晴子さんの家を訪れた。そこは、虐待や育児放棄など、さまざまな事情を抱える子供たちを里子として預かっている家。そこへ、3年ぶりに元里子のユカリが戻ってきた。広末はユカリの勤務先である保育園を訪問。さまざまな試練を乗り越えてきたユカリが、ホームレスになってしまった父親への思いを語る。優香は、愛知県にある悩みや問題を抱えた子供たちが集まる駆け込み寺へ。そこでは、それぞれに悩みを抱える子供たちが共同生活をしている。優香は型破りな住職、廣中邦充さんの教育現場の現実を知る。





この番組。


ひでぇなあって。。 両親にも色々事情があるとしても、、、だ。


こういった番組を見る度に、誰の本かは覚えていないけれど、こういった親についての記述を思い出す。


車運転するには免許は必要だし、酒のむには20歳にならないとだめだとか、なんやかんやと規制があるんだけれど、子供産むことだけは、学歴も、歳も、経済的なしばりも、、何にもいらない。 きっと人生で一番責任を負わなければいけない行為に限って、何の規制もない。。。



もちろん、別に子供を授かるには、年収X百万以上なければ、、なんて、僕は思わない。

だけど、こんな番組をみると、ちょっと考えさせられることは否定できない。



しかしながら、こういった子供たちの里親となっている人たちは偉いよ。 ほんと偉いよ。 こんな人たちのためにちゃんと、自治体とか政府は支援してあげてるんだろうな。。





ところで、僕が美国健滝州にある高校に通学していた頃、、、

通学はバス(あの黄色のやつね)だったんだけれど、そのバスの通学路のなかで、SpringMeadows(訳せば、「春の草原」って感じかな)って所があった。


ここは、10件くらいのお家が固まっている、住宅の区画地なんだけれど、いずれの家も、この番組で紹介されていたような子供を預かっているお家だった。


まあ、若かったせいか、あまり毒された生活を送っていなかったことなのか、そういった子達に対して、何かいやなことを感じたこともなければ、心に傷をおっていることをうかがわす子達でもなかったと思う。


ある事が起こるまでは。。。



そのこととは、

ある日、バスがこの住宅の区画に入ったとたん、

一人の男の子が、

「Now, We go pick up the Rejects!」

って叫んだ。

直訳するのは難しいけれど、「これから、俺らは不良品を拾いにいくんだ!」みたいな感じだ。



バスの中は爆笑の渦となった。




その時、急にバスが止まり、運転手が大声を上げて、

「だれが、今言ったんだ!」


って、バスの運転を放り出し、席のあるほうに歩いてきた。


身長がきっと180cmは越えてる大きな黒人のおばさんドライバーだった。



そして、さっきの発言者をみつけて、


「なんて酷いこと言うんだ。 人の心もわからずそんなこと言うもんじゃない。」、、、見たいな事を言ってたかどうかは、記憶が定かじゃないんだけれど、


僕が覚えているのは、

「もし、自分が今いったことを、取り下げて、謝ることができなければ、すぐにこのバスを降りて、もう二度と私のバスに乗る必要はない。どうなんだ?」

って、すっごい剣幕で、南部の黒人なまりの言葉で怒鳴ったことだ。


バスは静まりかえり、そして、その子は謝った。


運転手は、

「みんな、相手が嫌な気持ちになることを軽々しく言うもんじゃないし、そんなことを言う人に賛同する必要もない。自分が逆の立場にいた時、どう思うか考えればいい」 (黒人のおばさんの南部なまりの英語で、、、って何度も強調するんだけれど、僕はこのなまりに何故か凄く魅かれる。なんか、大阪のおばはんがしゃべる大阪弁に通じるものがあるというか、何故か凄い「愛情」を感じるのだ)

みたいなことを、みんなに言ってから、運転席に戻り、バスは動き出した。



そんな出来事を思い出してしまった。

芝刈り

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昨夜、何故か芝刈ってる夢みました。


何故か、切っても、切った直後から、芝がどんどん芝が伸びてくる。。。


そんなことはともかく。




アメリカの家って、みんな広い庭があっていいなあって思われる方が多いかもしれません。


だけど、あれって手入れ、結構大変なんですよ。



僕は、高校時代アメリカ人の家族と一緒に住ませてもらったことがあるのですが、向こうの家では、色々な家事を子供が手伝う(というよりやるってこと)のは、当たり前で、何の不思議なことでもないのですが、この庭の芝刈りも、、そこの家族の男の子2人+僕との交替でやってました。


もちろん、日本では僕もこんなことやったことなかったんで、始めは「オモシレー」みたいな感じだったのですが、すぐに飽きてきて、、、


とにかく。


まあ、地域にもよりますが、僕の住んでた健滝州では、だいたい、週に2回くらい芝刈ってた記憶があります。交替でやっていたんで、二週間に一度くらいの割合で、順番が回ってきました。


この芝刈り。 芝刈り機で刈るだけじゃだめなんですよね。 芝刈り機の横に網の袋つけて刈った草を集めるんですが、すぐに一杯になって、そのたびに芝刈り機とめて、ゴミ袋の中に刈った草をすてにいくんですよ。


庭が平らで何にもなければ楽なんだけれど、庭のところどころに木が植えてあったり、花壇があったり、傾きがあったりすると、、、結構大変。


それに草刈って、草捨てるだけで終わりかというと。。


芝の上に生えてくる雑草を抜く(たんぽぽ)仕事。(これは、おばさんがやってくれてたな。。)


芝刈り機では刈りきれない木の周りや花壇の周りにの、芝の手入れ。(これには別の機械を使う)


車止めるドライブウエーとかに飛び散った刈り草の掃除。


水まき。


それに洗車させられたりしてね。



炎天下の中、汗と、刈り草まみれになってね。 




だけど、もっと大変なのは、芝生が伸び始める3、4月と、落ち葉が始まる10月、11月。


春は、まず、Lakingっていって熊手みたいな道具で、冬の間枯れた芝を、芝生から掃きだす作業。


そして、


秋。落ち葉を集めて捨てる作業。
庭に、数本、木があるだけでも、凄い量の落ち葉になります。これも熊手みたいな道具で集めて、ゴミ袋に入れていくんですよね。この作業が結構大変。パンパンに落ち葉をつめこまないないと、いくら袋があっても足らなくなるのですが、この詰め込むのがキモイんですよ。季節がら、落ち葉が濡れてたりするんで。それに、葉っぱには、色んな虫がついていますからね。体全体、ヌルヌルになるし。。。。



それでもね。


その後に、プラスティックの容器の中にアイスクリーム詰め込んで、そこに牛乳まぜて、ガシャガシャってやって、これぞほんとのミルクシェークをつくるんですね。

HERSHEY’sのチョコシロップとか垂らしこむと、はい、チョコシェークのできあがり。



今から考えたら、あれって何カロリー?って心配になるんだけれど、これがまたうまいんだな。



と、ずるずると過去の記憶が、、

バレンタインデー

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今日はバレンタインデーだったですね。

僕は?個頂きました。 本当にありがとうございました。


いくらそれが義理であっても、
どこかの店に出向いていってくれて、何かしら選んでくれたということを思うだけでも、
もらえる方からしたら嬉しいですよね。

それに、この頃のチョコは、チョコブームやなんとかで、全体的にレベルが上がってるのか、おやじの私が食べても美味しいですよ。 ほんと。

あまくもないし、一粒どころか、カロリーのこと無視してもいいんだったら、3−4粒簡単に食べれちゃう。

それに、この頃のチョコは、単にコーヒーと一緒だけじゃなく、ワインと一緒に食べてもおいしいのもありますよね。

(もちろん私はこんなおしゃれな生活はしてません。。)



ところで、高校時代の頃のバレンタインの話を一つ。

僕は美国で高校時代で過ごしたのですが、

もう、日本でも知ってらっしゃる人が多いと思うんですが、

バレンタインって別に女性から男性にチョコを贈るなんて決まりはないわけです。

よって、男性からも女性に贈ったりできるわけです。


日本でもそーですが、チョコばかりそんなにもらっても、、、

実際の話、業者ばかりおいしくて、もらった人も気持ちはうれしいとして、そんなにたくさんのチョコどう処理するねん。。。

ってことになりますよね。

特にこの頃のチョコは生チョコも多いんで、日持ちもあまりしないし。。。



まあ、そんな話があったからかなのかどうかは知りませんが、



高校生のときのバレンタインのプレゼントは、

生徒会みたいなのが仕切っていて、

基本プレゼントは3種類。


赤いカーネーション

白いカーネーション

ピンク色のカーネーション


赤いのは好きです。

白いのは友達から。

ピンク色は秘密です。


みたいな意味があったと思います。


ようは、プレゼントは全てカーネーションだったんですよね。


カーネーションは一本、2ドルくらいで、メッセージをつけることができます。

たとえば、Aさんが、白いカーネーションをBさんに送る。

そして、その収益金のうちの1ドルは、AさんかBさんかどちらの名義かは忘れましたが、チャリティーに寄付されるって仕組みです。


そして、チャリティー団体から、沢山寄付してくれた人に、礼状が送られてくる。。



まあ、僕がいた頃の美国(それも25年前の中南部の州)なんて、そもそも、美味しいチョコがなかったんで、もらっても困るだけ(これは言いすぎか、、)だったのかもしれませんが、この仕組みって、、

僕は良くできてると思い、いまだに覚えているんですけれどね。



日本じゃこんなのは、、、、、 ありえないですかね。

英語力

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久々の海外生活編


海外で生活をした事がある人間が、日本に帰ってきて一番たくさん聞かれる質問というと

「どれくらいでしゃべれるようになりましたか?」

だと思う。



僕は、小学校6年生から、美国に計10年近く住んでいたんだけれど、行った時点では、


ローマ字で自分の名前が書けるくらいの英語力しかなかった。


しかし小学校6年生である。


相手方もそれほどの語学力もあるわけでもないし、、、


それに、僕が編入した美国の小学校6年生というと、その頃の日本の6年生に比べると、生徒も幼稚に見え、日本の小学校低学年に戻ってしまった、、、って感じがしてた。


ってなわけで、相手方がまともな会話ができて、こちらが全くできない、、という状態ではなかったこと、

ようは、相手方もさほどのレベルじゃなく、双方が身振り手振りで会話する行為があまり苦じゃなかったことが功を奏したのか、


どうだろう、、、 実際、会話だけでいうと、美国に行って3、4ヶ月くらいでどーにかなっていた感じがする。



だけど、それは、友達と遊びの会話をするのが関の山(小学生レベルのね)で、中学生とかに入り、普通の美国人と何らギャップのない語学能力を宿題とか日々の授業で求められるようになると、かなりつらい日々が訪れることになった。


文法も習ったことがないし、読書(英文)をしたこともなければ、書くこともほとんどない。テレビも、画面の展開と、わかる単語を元に、きっと、こういうストーリーなんだろう、、と自分で推測しながら見てるだけ。 きびしく言えば、その当時の友達と、どれだけ意志が通じているのかわからないぐらいの会話力しかないわけだ。



まあ、それでも、右往左往しながらも、中学校、高校、大学時代を美国で過ごすことになるんだけれど、

いつの時も、その時点で過去を振り返ると、、、


よく、「こんなへたくそな英語で、恥ずかし気もなく、学校に通っていた。。」ってな感じだ。


それって、どういうことかというと、


高校生の時に、中学時代に書いたものをみると、「なに、これ?! 俺ってこんなものを書いて先生とかに出してたん?」


大学生の時に、高校生時代に書いたものをみると、「うわっ! だれも言われなかったけれど、みんな俺のこと、超バカだと思ってたんだろうな。。。」


ようは、その時点、時点では、もう俺は(ほとんど)大丈夫だ、、と思いながらも、後から振り返ると、全然できてへんやん。。 みたいな感じだった。





しかし、今週末ちょっと用事があって、大学時代に書いたものを見る機会があったんだけれど、


「おおっ、これって、ほんとに、自分が書いたもの??」って、驚いてしまった。


まあ、日本に帰ってきて20年近くなるし、実際仕事で英語を使ってるのは、この5−6年だけだから、かなりサビついているんだけれど、それでも自分の英語力のピークはやっぱり大学の時だったなって。



で、今のレベルがどれくらいかというと、、、

まあ、書くことでいうと、、、高校生くらいのレベルに戻ってしまってるかな。



話すことでいうと、、、、英語はともかく、この頃おっくうになってきて、日本語もしゃべるのもめんどくさくなってきた。


あっ!? これは、、、 まあ、英語云々とはまた別の問題か。

新聞配達 2

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始めは手伝いだけだった新聞配達も、LYLEが近くの集合住宅(よって配達がもっと効率が上がる)分の配達ルートを獲得することができたので、いままで、彼がやっていた配達ルートをぼくにやらないかと言い出した。


僕が美国にきて、半年くらいったっての頃だと思う。


正直、どうやって、こんな会話が成立したのかよくわからないけれど、
所詮、12,13才のガキである。 実をいうと、美国に来て半年くらいたってからは、もう自分は英語がペラペラだと思っていた。


ってなこともあって、ほとんど迷うことなく、新聞配達を引き受けた。



で、今日は、その新聞配達の仕組みについて書いてみることにした。
(あくまでも、僕の荒外州碇町での経験談であり、これが全部の新聞配達に通じてるわけではありません)


どういう風に、この商売が成り立っているかというと、配達する新聞は、顧客が新聞会社から購入するのではなくて、僕等、配達する人間が新聞会社から購入するのである。 よって、自分が配達するお客さんの管理は、新聞会社がやるのではなくて、全部、ぼくら、配達人が管理しなければいけない。 

収入を増やしたければ、配達部数を増やすことなんだけれど、
ルートはあらかじめ決められているし、他に競争相手(たとえば、日本みたいに読売VS毎日とかね)もないんで、増えることは、よほど前任者がスカタンでもなければ、あまり期待できない。

よって、お客が減るってことだけは避けないといけない。
ようは、きちんと時間通りに、間違いなく配達し、お客さんの満足度を下げないことである。(小6、中一のガキである、これがなかなか簡単にできない)

そして、それと同様に大事なのは、配達する新聞は、自分が新聞会社から購入しているので、この部数をきちんと管理しないといけない。余った新聞は全部自腹で払うことになる。  

これが結構高いのだ。
きちんとした配分は、もうおぼえていないけれど、たとえば、40件配達しても、8枚くらい新聞を余らせてしまうと、報酬はゼロみたいな感じになってしまう。

よって、顧客の増減をきちんと把握し、すぐに、それを新聞会社に伝える必要がある。


ここは、美国なので、1週間ほどの「ショート」バーケーションストップや、時には1ヶ月から2ヶ月のロングバケーションストップがよく入る。 特に碇町では、冬の2月くらいに、ハワイなどあったかいところに休暇をとる家族が集中してた記憶がある。 まあ、その状況を、遅延なく、間違いなく、新聞会社に連絡し、僕等が購入する部数を調整することが、成功の第一歩となる。

まあ、読んでいただいてる人からは、「そんなこと、どうってことないじゃない?」って言われかねないと思うけれど、その当時、小・中学生だった僕等には、そんなには単純なことがじゃなかった。 


よーく思い出そうってしてるんだけれど、一応顧客から休暇期間とか聞いてた行為は覚えているんだけれど、それを、どうやって、管理していたのかは、思い出せない。 きっと、ほとんど、自分の記憶だけに頼るとか、かなり出鱈目なことやってたと思う。 

次の日、新聞配達した時に、前日の新聞が残っていたら、「あっ、そうそう、ここは、昨日から配達しちゃだめだったんだ」
ぐらいの管理しかしなかったと思う。

また、金銭感覚にもうとく、顧客の休暇期間中も、新聞数を調整したこともほとんどなかったと思う。 



次の新聞配達のポイントは顧客からの集金だ。 

お客さんに配達した分の新聞料金は、自分が回収しなければいけないのだ。

よって、毎月、一人一人の顧客宅を伺い、料金を回収するのだ。


想像してほしい。

僕は、美国にきて、確か半年過ぎくらいで新聞配達をはじめたのである。

一番はじめのランチカウントhttp://blogs.yahoo.co.jp/bonzofire/1597835.html の話も悲惨だったのだが、
これは、もっと悲惨だった。


、、と思うかもしれないけれど、実際は、結構楽しかった。



ほとんどの美国の人たちはとても優しく、
多くの人たちが新聞配達料金 + TIP をくれた。 このTIPは時折、新聞の料金よりも多かった。
特にクリスマスとかになると、プレゼントをくれたり、いつもくれなかった人もTIPをくれたり、いつもTIPをくれる人たちのTIPはいつもの倍になったりした。

だけど、確かに初めのころは、凄い勇気がいった。
というより、料金の回収だけは、LYLEにやってもらうみたいな条件を付けていたと思うのだが、TIPがもらえるってわかってからは、自分で率先していくようになった。


ところで、料金回収に行きはじめる際に、一緒に住んでた人からは、目上の人と話するときは、必ず

「男男の人と話すときは、必ず、文章の終わりに”SIR”をつけること」
「女性の人と話すときは、必ず、文章の終わりに”MOM”をつけること」

ってことを教えられた。


確かに、日本でも「G.I.Joe」の流れからか、「アイ・アイ・サー」みたいな文言だけは、覚えていたので、「SIR」については、あまり抵抗がなく、僕も会話の中に取り込むことができた。


しかし、問題は「Mom」である。

その頃の僕の知識で「Mom」というと、母ちゃんしかない。

日本でも、自分の母さんのことを、「ママ」って呼んだこともないのに、どう転んでも、見ず知らずの外人の女性、全てに、「Mom」なんて恥ずかしくていえない。

よって、いっそのこと、「Sir」も丁寧語なんだから、顧客が男性であろうが、女性であろうが、全てに「Sir」ってつけても大丈夫だろう、、、て僕なりのアサハカな思いつきで、それをそのまま実践した。


しかも、新聞の代金を払ってくれるのは、ほとんどの場合、女性であるのにもかかわらずである。

まあ、だけど、英語もろくにしゃべれない、オリエンタル小僧が新聞の代金を回収にくるのである。 
相手も「しょうがないわな」と思ったのが、僕のこののアホな行為について、深く追求されたこともないけれど、何度か笑われているような感じがしたこともあり、あの幼い頃の僕でも、自分のやっていることはやはり、間違っていると感じ始めた。


それから、その部分だけを、テレビ番組とかで、注意してみるようになると、

あはーん。 なるほど。

「Mom」 = 「おかあちゃん」 じゃないことがわかってきた。

そして、次の月から、女性の客には、「Thank you、Mom」って言うようにした。


ちょっと笑えるのは、前月の僕の間違いを覚えていた女性から、
「Yes, Mom is correct ; You've learnednow」
(そう、Momが正しいのよ。 貴方もちゃんと習ったわね)みたいなことを言って、Tipを奮発してくれたのを覚えている。



本当に毎度のことであるが、またまた、本当に話したいことから、そうとう逸脱してしまった。

話を原点(新聞配達の仕組みについて)に戻すとだ、、、

1 自分が配達する新聞は一括して、配達する人間が新聞会社から購入する。(月一度の支払がある)

2 自分が配達した新聞の代金は、自分で顧客より徴収する。(これは、配達人にまかされているので、実をいうと、どれだけちゃんと回収する、しないは、新聞会社の気にすることではない)

よって、儲け分は、 2 − 1 になる。


で。どれだけ儲かったというか、きちんとやるとどれだけ儲かって、それに対して、自分の儲けはどうだったのかというと、、、、残念ながら記憶にない。

そんなこと、中一のガキに求めても、きっと無理なんじゃないかな。(もちろん、もう少し大きくなると、自分なりに管理し始めたよ)


というより、実際の話、この新聞配達って、儲かる、儲からないってことは、あまりポイントではなくて、

こういう経験を踏まえて、

単純な商売はどうなってるのか、どう、お客さんと接するのか、どうすれば、利益を最大化することができるのだろう、、、など、商売の基本中の基本を教えてくれる一番身近な仕事だったと思う。

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