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会社の健康診断で、甲状腺が肥大しているのが見つかった。
機能低下症か亢進症か。エコーをとって、血液検査をして、とりあえず、深刻な状況ではない、ということが判明。経過を観察しようということになった。
原因不明の眩暈がある。階段を降りるのが怖い。朝起きると不整脈がひどく、心臓が止まるのではないか、と思うことがある。甲状腺異常は眩暈や不整脈の原因か、と思ったが、どうもそうでもないらしい。いろいろ原因不明の不調である。
歳をとると、なにかと不都合が顕れる。このままひどい状態になるのではないか、死んでいくのか、という恐怖もあるが、諦めもある。
まあ、そんなもんかもしれない。
歳をとると、自分の人生のことよりも、自分を頼っている、自分を好きでいてくれる人が自分の不調をどのように思うか、の方が心配である。
例えば私の娘。3歳半。一緒に出かけ、帰り際になると愚図り、抱っこをせがむ。抱っこして歩く。しかし私が「おとうさん、ちょっと辛いから降りて自分であんよして?」と頼むと彼女は素直に従う。彼女は言う。「おと−さん、かなちゃんが抱っこしてあげるから、大丈夫だよ」と私の足にしがみつく。家に帰ると、折り紙を折って、「お薬」を作ってくれる。「ちゃんと飲んでください」と私に渡す。
娘は私の不調をどこまで理解しているかわからない。でも彼女なりに懸命に私をいたわってくれる。万一のことがあったとしても、私が望むべくは彼女が「自分が至らなかったから」と自分を責めないようにしてほしい。あたりまえだ。
生き物としてそれ相応の年月を生きてきたのだから、それなりのことがあるのは仕方がない。「生き物としての覚悟」はあるさ。自棄になるわけでもないし、執着するわけでもない。なぜなら、自分の今までの人生を認めているから。
「生き物としての覚悟」を持っているのは人間だけではない、と私は思う。それこそ尊敬すべきものなのだ。
自分の不調は棚に上げて、自分を気にかけていたわってくれる存在をいとおしく思う、ということなのだ。
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