咆月狼日乗

かんじんなことは、目には見えない/サン・テグジュペリ

格言

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一言メッセージに取り上げた格言を忘れないように
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これは、「戦う操縦士」という手記の最後の一節である。サン・テクジュベリは第二次大戦中にフランスの偵察機部隊に所属していた。敗戦がほぼ確定している状況で「敵の存在を確かめる」為だけに飛ぶ偵察機部隊である。撃墜されに飛ぶようなものである。サンテックス曰くそれは「敗戦を成立させるために必要な行為」である。敗戦の事実を刻み、それを乗り越える人たちに望みを託す戦いだというのである。

同じ表現を日本の多くの特攻隊の兵士の言葉に見ることができる。

「こんなことをやったって戦局は変わらない。俺達は無駄に死ぬのか。」
「そうだ。だが俺達は日本が負けたことを決定付けるために死ぬのだ。敗戦を乗り越える未来の子供たちの為に。」
「そうか、未来を信じて俺達は死のう。」

そんな論旨である。

これは極限だろうか。

例えばビジネスマンで「絶対に上手くいかないビジネス」を証明するために身を投じる人間はこのような考え方をしないだろうか。企業会計法が変わった。多くの人間が証券取引法違反その他で逮捕される。「今までのビジネススタイルが許されない」ことの実績を作っているのではないだろうか。皆、馬鹿ではない。皆、強欲なわけではない。

ニュースで脱税や虚偽会計の事例を聞くたび、そんなことを思う。

全てのヒトに等しく与えられるもの。それは死である。自分の死と他者の死を同じように考えることができるか、というのが宗教の問いの一つである。

死を認めず享楽を謳歌するものにそれを思い出させることが本来の意味のテロリズムである。文芸の世界においてテロリズムは多い。甘いが。

全てのYahooブロガーにとってのある種のテロリズムがカリビアンBOMのトラックバックである。最近ないけど。

「世界の中心で愛を叫んだけもの」を書いたSF作家である。彼の言葉で奮っているのは、次のもの。

  LOVEなんてのはSEXのスペルミスだ。

彼は暴力至上主義者といわれることもある。「世界・・・けもの」は以下のようなアイデアである。

ある星に着陸した人間が奇妙な彫像を見つける。それは人間で、不思議な至福の表情をしていた。実は、その人間は遠い過去、ガス室で死刑になったビルという男である。ビルは、配達される牛乳への毒の混入による無差別大量殺人、自分の母親を使った旅客機爆破、スタジアムでの銃乱射による無差別大量虐殺を行ったのである。ガス室での彼は、至福の表情を輝かせ、以下のように叫ぶ。

「おれは世界中のみんなを愛している。ほんとうだ、神様に誓ってもいい。おれはみんなを愛している、おまえたちみんなを!」

例を出そう。

世の中には不可解な人間による狂気としか思えない犯罪がある。例えば宅間である。遠い未来、どこかの星にたどり着いた人間がその星で宅間の彫像を見つけたとしたら?例えばそんなニュースを聞いたとしたら、人はどう思うか?

ハーラン・エリスンが言おうとしたのは、「地獄は間違いなく身近に存在する」しかしそれは「予定された地獄」あるいは「固定することのできる地獄」かもしれない、という暴力主義者なりの人類愛である。ハーラン・エリスンの作品はどれも複雑で用語も難しく極端な視点で書かれているが、SFの自由な枠組みを利用して、恐ろしい発想力で人間に問いかけるものである。

さて、

片山某は「ベタな恋愛小説がどれくらい売れるのか」という半分は悪戯心であの本を書いたということらしい。できるだけ大仰なタイトルをつけよう、ということでエヴァンゲリオンのある回が「世界の中心でアイを叫んだけもの」というタイトルであったことを記憶していた編集者が決めたらしい。

ふざけるな、である。表現者として、あるいは、それを作品として世に送り出す立場の人間として、最悪のパロディをやって見せた、というわけである。繰り返す、ハーラン・エリスンは以下のように言う。

  LOVEなんてのはSEXのスペルミスだ。

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杉浦日向子(すぎうら・ひなこ) 22日午前4時32分、下咽頭癌のため千葉県柏市の病院で死去。46歳。

この言葉は厭世的のようだが死期を予感していた人間の言葉として読み返すと、力強く、切ない。

友人の久住昌之氏によると彼女は「Music From Big Pink/The Band」を擦り切れるまで聴いていた、ということである。一曲目は「Tear of Rage」で最後は「I shall be released」である。

私はこのアルバムを下北沢の某老舗ロック居酒屋(これだけでもわかる人はわかるだろう)で覚えた。毎日のようにあの汚い二階で酩酊し、わけもなく泣いていた気がする。

ポール・ヴァレリーが自著「テスト氏」で言わせた言葉である。ヴァレリーというのはあまり有名な本はなくて、普通の人は知らないかもしれないが、ちょっと文学、哲学に興味を持った人間にとって、彼は巨人である。

ヴァレリーは世の中の仕組みよりもその世の中を理解する人間の精神の仕組み、をなるべく正確に捕らえようとした。彼が作り出した「テスト氏」というのは実験人格で、自分の思考を厳密に客観視し組み立てる人間である。しかしながら「テスト氏」の妻が友人に宛てた手紙が挿入されておりそのような人格がある種の愛の対象であることが示されている。

「わたしが知っている範囲内で、わたしが知っている限り、わたしは無知だ」という言葉に関連して、似たような言葉を挙げておく。

「道が人を欺く」である。

これはサン・テクジュベリの言葉だったと思う。道を歩いている限り、そこには人々の生活があり、秩序があり、一定の時間がある。そこには世の中があるのである。しかしながら、飛行家であるサン・テクジュベリは、道の通っていない荒野の姿を知っている。その荒野の中に生きる人々を知っている。そこには道を歩いているだけでは判らない人間の姿がある。

サン・テクジュベリの「人間の土地」にはその荒野の人々は「乾杯するために生きている」という視点の逸話がある。荒涼とした世界に住む人間が客人と酒を分け合って飲むことの峻烈な喜びである。それは道をたどってたどり着ける喜びではない。

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