mathichenの酔いどれ日記

〜midnight dribbler〜(ウサギ畑でつかまえて)

歌の翼に

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クラシックの歌曲・オペラ・歌手etc.についての雑記
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築半世紀以上を超す汚宅内で何の気無く手を伸ばすと、思わぬ骨董品が現れ出る




今日現れ出たもの↓

イメージ 1

上の英字版読売新聞よ
2005年9月1日付の音楽欄に、指揮者・大植英次のインタヴューが載っていた

2005年7月には東洋人指揮者として初めてワーグナー作品の上演で知られるバイロイト音楽祭の本公演に出演、「トリスタンとイゾルデ」を指揮し、100年を超える同音楽祭の歴史に足跡を残した。同楽劇は新演出がさんざんに酷評され、指揮も評判芳しからず結果的に1年限りの登板に止まった。

( Wikipedia:大植英次より引用 )

バイロイト音楽祭後の抱負を語っていた
画像下に、左側:DATの機械、右側:DATテープね
テープの中に2005年トリスタンあるから、居眠りしながらでも聴き直してみるかいな
指揮がそう悪かった記憶無い
悪かったのは、イゾルデの性格という噂は記憶している
写真持って来るのメンドクサイから↓に共通する歌手の顔で確認して
美人なのに、年を追う毎に怖くなるぞなもし




そのイゾルデが

イメージ 2

1994年、バイロイト音楽祭♪ラインの黄金に美の女神フライア役でデビューした経歴を
今や何人が知ってるんだろ

イメージ 3

バイロイト音楽祭で1988〜1992年に上演された、ハリー・クプファー演出の♪ニーベルングの指環
1993年は指環上演行われず、1994年、アルフレート・キルヒナー新演出が始まった

画像からおわかりと思うけど、バイロイト祝祭劇場の建物って骨董品級
日本なら170%消防法に引っかかり、ドィツに於いても特別な許可貰って使用続行中のはず
観客席も、ちょっとやそっとじゃ退席難しい、敢行すれば顰蹙物の構造で成り立つ
冷房設備改善によりマシになったながら、猛暑の年には、客がバタバタ倒れ医務室大忙しとなりやすい
1994年が正しく、医務室悲鳴状態であった
指環の指揮を担当したのがジェームズ・レヴァイン、これも元凶の一つ?
テンポ遅いの何の…年末恒例のNHK-FM放送中、mathichenさんが気絶しかけたよ
客も大変だが、歌手はもっと大変だったと推察される
クプファー演出に続き、神々の長ヴォータン歌った、ジョン・トムリンソン
彼の音域には高過ぎる♪ラインの黄金なんざ、幕切れ近くで息切れしてしまい、思わず合掌しかけた

バイロイトを何度も訪れ、昨夏にはオケピット内見学もされたgrunerwaldさんによれば
祝祭劇場の構造上、指揮者とオケの周辺だけは涼しいってよ
通常は灼熱地獄もどきを、スウェーデン人が耐えられるって、やっぱ悪魔のような女かw
(2005年のイゾルデと指揮者が喧嘩となったのは事実)




尚、1994年のライン黄金DATが、ウチに現存する最古のバイロイトDATである
バイロイトDAT全体は、2007年まで現存する
1994年〜1996年分は室内アンテナ使用→簡易アンテナを物干し台にのため、雑音だらけだけど
1997年以降は、録音してない現在も、TVの共聴アンテナ→CATVケーブルのおかげ様でクリアな音質よ




バイロイトを毎年聴いてるとね、歌手の変遷などが面白い




DATテープは現存しない1996年新演出ニュルンベルクのマイスタージンガー
これはヴォルフガング・ワーグナー第三次演出で、4年目の1999年に映像化された
主要な役ではエーファ役のソプラノが、初年度と替わっている
1996年に歌ったのはルネ・フレミングで、翌年から最終年まではエミリー・マギーが歌った
マギーが現在ドラマティック・ソプラノに対し、フレミングはエーファが唯一のワーグナーとなったので
ブリっ子歌唱に好悪分かれるものの貴重な記録には違いない




笑かすのは
1998年、さまよえるオランダ人再演に登場したチェリル・ステューダー
家が一回転するみたいな1990年初演のディーター・ドルン演出だ
ステューダーいうたら
ヴォルフガング演出タンホイザーの映像は見つからないため代用したと説明して
1980年代後半で既に巨体化していた
1998年となると?
バイロイトで聴いた日本ワーグナー協会員曰く、「舞台に登場した瞬間、客席がワロタ」
姿だけで笑い取れるってなかなか出来へんでと、1998年のNHK-FMを聴きながらオモタ




上段のオランダ人には、ゼンタに振られる猟師エリック役として、ローラント・ワーゲンフューラーが出演した
彼は翌年の1999年、キース・ウォーナー新演出ローエングリンの題名役に決まっていて
「エリック役で、試運転成功ね」とのたまったNHK-FM解説者の言葉に、アタシゃコケタ
だって
ローラント・ワーゲンフューラーのWagenführer、『クルマの運転手』『運転免許証』っちゅう意味だぜw
それはさておき、ワーゲンフューラー、今何処に?
検索したら2000年代までしかわからない
どっかでエンスト起こし、修理空しく炎上したのやら




ワーゲンフューラーが歌ったのは最初の2年くらいで、熟練ペーター・ザイフェルトに交替した
ザイフェルトと同時か少し遅れて、エルザ役のメラニー・ディーナーも降板した
ディーナーから引き継いだのは、ペトラ=マリア・シュニッツァー
ザイフェルトの一回り下の後妻なんだけど、そこまでして夫婦イチャコラしたいのやら
ザイフェルトには前歴あるしな
15個上の前妻ルチア・ポップともローエングリンでの共演したのさ
ペーター&ペトラによるバイロイト録音を聴きながらアタシゃ呆れたもんだ
亭主がバツ1でなく姉さん女房看取った寡夫だから許してある




…挙げ出したらキリが無く止まらないが、もお一つだけ


イメージ 4
John Tomlinson sings 'Die Frist ist um' from Richard Wagner's 'Der fliegende Holländer'
Adrienne Dugger, Senta
Endrik Wottrich, Erik
Jaakko Ryhänen, Daland
Uta Priew, Mary
Norbert Ernst, Steuermann
以上、共演歌手陣。以下が、指揮者とオケと合唱団
Marc Albrecht (c)
Chor und Orchester der Bayreuther Festspiele
Bayreuther Festspiele, 25 July 2006

2003年演出のオランダ人も久々に聴こかいな




というより、金色のDAT機械が心配よ
1994年に買った黒い機械が、何年目かいな、トレイの開閉がおかしくなった
徐々に不具合が増えて長年が経った
1998年頃に、中古完動品である金色を買った
その金色も、たま〜にトレイの開閉がおかしくなる
日本代表がド厚かましくも初出場したフランス大会から後のW杯を全部経験してるし
ジダンはとっくの昔に現役引退して白組マドリー監督二度目だし
そもそもDATなんて知らない世代が大勢成人式を迎えてるし
金色が動いてるだけで聖金曜日以上の奇跡ってか




最後に、バイロイト以外のDATより

イメージ 5

ファルク・シュトルックマン
1999年ウィーン国立歌劇場公演を、翌年夏にNHK-FMで聴いた

この世で最も美しい歌劇、影のない女、そのDAT画像ペタリしとくわ
首相演説に野次飛ばしたおっさんがポリ公に取り押さえられたそうね
アベちゃんの演説する権利、聴いてあげる国民の権利を妨害したわけじゃなく、行き過ぎの指摘アリ
ところで、アベちゃん支持者の中に、「自分が生きていられるから」の声が聞かれる
30何歳にもなってコンビニ弁当が最高のゼータクというド底辺層など大変はわかるが
アベちゃんや同類をこのままのさばらせば、消費税が10%→15%以上となり
コンビニ弁当すら食えんような暗黒時代を招く以前に
「おまいさんが餓死したって、アベちゃんは東京一高い天ぷら屋をファミレス代わりにアハハハ♪だよ」
はよ気づけ
じゃないと、ボンビー両親をボンビー息子が孤立無援に追い込まれてシングル介護の末路だぜ
「自分が生きていられるから」=「自分ガー」の一種
高学歴であろうと知的水準も生活水準現状並みのド底辺と思うがな




【占拠活動中(*´▽`)y-。o○】
『白票も清き一票が積もれば威力はトラフ級(地震はNoThankYou)』
何処に投票するか悩むんだったら、そーいう事です
御清聴有難う御座いました<m(__)m>




気分転換に、131分の長尺映画を4分弱で観た↓


カッコいい、脚が長い、なんか笑う、そして寂しげ。
走る姿がまるで漫画のように絵になる男。
声が魅力的で惹き付けて止まない。
鋭い眼光の先に見える孤独。
自由でありながら、どうしようもなく孤独。
常に違った自分をファンに提供し、退屈を最も嫌い、新たな道を切り開くことを厭わず、何かと闘っているようで、実は自分相手に勝つ見込みのない闘いを続ける孤高のひと。
ずっとずっと、出会ってからそれこそずっと、松田優作という人が私の中に存在している。
おそらく、死ぬまで存在し続けるのだろう。
昭和の頃は男っぽい男がカッコよかった。 平成に入ってジャニーズ一色になり、日本は衰退気に入った。
70歳の優作の演技を観たかった‼‼‼‼‼‼存在だけで絵に成った‼‼‼‼‼

もしも優作が今も生きてたら、かなり生きにくい世の中になってしまったと思うだろうな
小綺麗で小賢しい平成や令和では成立しない自分を予知して世を去ったと、アタシゃ信じている

目元カワイイ、それは韓国系男子の特徴として
180cm超えの長身なのに痩身が、ウドの大木とならず、俊敏さを印象付ける
牛さんと豚さん食わんから?眼が情けない真木蔵人は、親父と一緒にバラが咲いた♪、お花畑しとけ
マヨラーの忍者ハットリくん、そお日テレ版香取慎吾では、ギャグとしか映らん




「前野曜子も松田優作も亡くなりましたが残してくれた記憶に感謝します。」
青春は屍を越えて、それは、野獣死すべしのキャッチコピーと備忘録して




前野曜子って、映画関連に記憶多いね




・前野曜子 - 愛のテーマ 東宝映画‘獄門島’
・前野曜子 " 汚れた英雄 Dirty Hero"
・前野曜子 「野獣死すべしーついに見つけた”もう一人”」




他に




・前野曜子 ユー・アー・ラヴ(”復活の日”のテーマ)
・「ユー・アー・ラブ You Are Love 〜復活の日テーマ〜」ジャニス・イアンJanis Ian




御本家と遜色が無い




一番笑かしたのは




・前野曜子(Yoko Maeno) ある愛の詩 Love Story
・ある愛の詩 / ペドロ&カプリシャス (高橋まり) 現・高橋真梨子




ペドロ&カプリシャスのヴォーカル、初代と二代目の競演だ




前野曜子はタカラジェンヌ出身で、歌下手なわけ無いけど
ペドロ当時20何歳を考えると、今の20何歳と比較すると、「何食ったら、こんなに上手くなるんだ???」




当記事題名のドイツ語?
直訳すると、「あなたに伝えたいこと」
↓の目的で意訳して使用した





上手下手の話なら専門家的には序列をつけられるでしょうが、我々素人にはよくわかりません。あくまでも素直に聞いた印象、それぞれの個性がどうかということだと思います。つまり聴く人によって好みが分かれるでしょうね。それを前提にすれば、私は前野曜子さんの歌唱が好きです。彼女の個性は何を歌っても際立っていたと思います。


前野曜子が、御本家にすら勝ってるやんけと、女尊男卑に走るわ




田嶋YOKOをガチで泣かせるくらい男尊女卑を許すのは↓

イメージ 1
2016-07-16(16:51)
【mathichen Days】が【mathichenの止まり木】時代の記事の修正が
FC2仕様の都合で面倒なため
本館と旧本館でやるわ






概要
1967年当時、ゲンスブールは女優のブリジット・バルドーと不倫の関係にあり、バルドーのために「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」を書いた。この曲はゲンスブールとバルドーによるデュエットで、バルドーによるあえぎ声の演技とともに録音された。しかし、バルドーは当時の夫であるギュンター・ザックスの怒りを恐れ、この曲のリリースを拒否し、それがきっかけでゲンスブールとバルドーの関係は終わった。

1969年、ゲンスブールとジェーン・バーキンのデュエットでシングル「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」がリリースされた。バルドーとのデュエットが未公開だったため、この曲が世に出たのはこれが最初である。また、映画女優として活動していたバーキンにとって、「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」は歌手としてのデビュー曲になった。この録音もやはりバーキンによるあえぎ声の演技を含んでいる。過激な性描写によって一部の人から反感を買いながらも「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」は、イギリス、オーストリア、ノルウェー、スイスなどにおいてチャート1位を獲得しヨーロッパ全土でヒットした。バーキンとの録音はアルバム『ジェーン&セルジュ』(1969年)にも収録されたが、再発盤では同曲は外され、やはりゲンスブールとバーキンとのデュエットによる「スローガンの歌」(映画『スローガン』主題歌)に差し替えられた。

1986年、バルドーが1967年に録音されたまま未発表だった「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」のリリースに同意した。このとき「売り上げは動物保護団体に寄付する」という条件がつけられた。
日本ではバーキンとマーガレット・スー歌唱のバージョンが要注意歌謡曲指定制度において旋律は使用可能なBランク指定を1988年に制度が失効するまで受け続けた。

( Wikipedia:ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュより引用 )





ブリジット・バルドー盤を、最初に聴いて
その後、ジェーン・バーキン盤を聴き比べた
けだるいBBの声も、高めのジェーンの声も、卑猥だった




不倫だろうと、夫婦だろうと
ホントに惚れ合わなけりゃ歌えない曲は確かである





イメージ 1

ジョー・ダレッサンドロ、男女どっちもOKらしい




神様アメーバ様で記事に出来ない理由わかるよね
後期高齢者が若年性ボケ起こしたみたいな備忘録をば


ドイツのザクセン地方のカールブルク公国(架空の国、実際にあるのはコーブルク公国)の王子、カール・ハインリッヒは、両親が早く亡くなったため、後見となった叔父の大公に育てられてきた。学齢に達した王子は、晴れて学生生活を過ごすべく家庭教師の哲学博士とともにハイデルベルクにやってきた。王子の住まいはネッカー川そばのリューダーという下宿屋で、1階は居酒屋兼食堂になっていていつも学生たちで溢れかえっていた。リューダーの遠縁で、ここで女給として働いていたケーティは、たちまち王子に夢中になった。そして、4か月がたち、いっしょにパリに連れていってあげるから、とびきり上等のドレスでおめかしして待っているように言われた直後に、王子の国元から使者がやってきて、大公の容態が悪く、直ちに帰国して欲しいとの知らせを伝えた。王子は1年の予定だった遊学を早々に切り上げて帰国を余儀なくされた。

それから2年後、カール・ハインリッヒはカールブルク大公となった。2週間後に不本意な結婚を迎える予定の彼のもとに、ハイデルベルクでの短い学生時代「いつか自分が大公になったら給仕長に取り立ててやるぞ」と約束した相手のケラーマンが訪ねてきて、ハイデルベルクの人々の消息を語った。そこで大公は青春の思い出のハイデルベルクが懐かしくてたまらなくなり、ケラーマンを伴って再びハイデルベルクを訪ねることにした。

しかし、ハイデルベルクの街はすっかり変わってしまっており、学生気質も変わり、リューダーの居酒屋も学生たちが寄り付かなくなっていた。ケーティもまもなく結婚を控えていたが、彼女だけは大公のことを忘れずに思ってくれていた。再びハイデルベルクを後にする大公の胸には青春のハイデルベルクの思い出だけが残っていた。

( Wikipedia:アルト・ハイデルベルクより引用 )









映画と原作に細かい違いあるが、男女逆転版ローマの休日ではある
物語の背景は、王子と姫の組み合わせ、一般市民の組み合わせにも見られよう
「自由恋愛など、ごく一握りを除いて、無責任で、青春は遠く過ぎ去ってから懐かしく想ふもの」




『王子』を「王の座に至るまでの中途半端やのぉな地位」と見做せば

評価
没後50年を超える今でも数多くの研究やアーカイブの発掘が進められ、また活発なファンクラブや関連サイトでの交流が行われていることから、アメリカ音楽界における存在の意味は大きい。また、3大テノール(パヴァロッティ・ドミンゴ・カレーラス)がランツァの功績を讃え、度々その旨をメディアに向け発言し、ランツァに対しての再評価がなされている。
しかし、生前から正統派テノール歌手としてのランツァには厳しい評価が下されていたことも事実であり、1951年の8月6日号のタイム誌ではカバーを飾ったが、誌中の匿名記事は、必ずしも好意的とは受け取りにくく、ランツァの歌唱スタイル上の欠陥を指摘し、「このままではその美声も失うのではないかとの懸念」や、「オペラ歌手として要求される知性に欠けるのではないか」と冷ややかに評している。
同時代の共演者、リチア・アルバネーゼは、「ランツァは素晴らしいリリコスピントの歌手であり、カルーソーに次ぐテノール歌手であり、ステファーノの上に位置する」と語っているが、きちんとしたコーチが必要であったことも指摘しており、同様のことはベルカント・トリオを組んだジョージ・ロンドンからも指摘されている。 日本では『歌劇王カルーソ』以外の映画が今日にまでテレビ放送等を含めて正式に公開されることが無く、またLPレコードの時代からも国内盤があまりリリースされなかったため、正しく評価される機会が無かった。

( Wikipedia:マリオ・ランツァより引用 )

歌の吹き替えした彼もかね




今日は再び、FC2のコメント欄閉鎖してある
Yahoo!では、自前TBね

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FC2への夜逃げ以来、Yahoo!と同じ記事を投稿するのが手間暇食うわ
一日に三本立てとかやってみろ、計6回の投稿だぜ
ヤホーのAhoo!




そお、本日は17分・34分・51分の17分置き三本立てよ




まずはお茶請けに





身長180cm超えの大女レナータ・テバルディ
全日本プロレスが女装みたいなのよりゃ目に優しいかしらん
1950年代に、1歳下のマリア・カラスと火花を散らす歌姫であった
1973年当時51歳で、全盛期はとっくの昔に過ぎていたけど
お世辞にも美声と言えないカラスが逆立ちしたって勝てない歌声は健在だね
カラスが、本来メゾ・ソプラノの野太い声質でハイ・ソプラノの装飾歌唱披露する超人ぶりに対し
テバルディはぶっちゃけ、不器用な歌手と言えた
それでもイタリアの太陽の如く明るく澄んだ声は、可憐な蝶々さんに相応しい




絶不調なりに聴かせるシルヴィア・シャシュおねえさんもねと主張して
(卓越した演技力で誤魔化し?それは言うな!)




【桜の枝から揺さぶられ、可愛がって下さいねとばかり蝶よ花よと舞うには…】


欧米各国での活躍

1913年に柴田家の養子で医師の三浦政太郎と結婚した後、夫とともに1914年にドイツに留学する。しかし第一次世界大戦の戦火を逃れてイギリスに移動。

1915年のイギリス・デビューの成功を受けて1916年に渡米し、ボストンで初めて蝶々さんを演じる。好意的な批評によって、その後『蝶々夫人』やマスカーニの『あやめ』をニューヨークやサンフランシスコ、シカゴで演ずることができた(三浦環はメトロポリタン歌劇場に迎えられた最初の日本人歌手である)。その後ヨーロッパに戻りロンドンでビーチャム歌劇団と共演した。1918年にアメリカ合衆国に戻り、『蝶々夫人』とメサジェの『お菊さん』を上演するが、後者は「蝶々さん」の焼き直しに過ぎないとして不評であった。1920年にモンテカルロ、バルセロナ、フィレンツェ、ローマ、ミラノ、ナポリの歌劇場に客演する。1922年に帰国すると長崎に留まり、『蝶々夫人』とゆかりの土地を訪ね歩き、演奏会を開いた。またレコードも大ヒットし、同年11月時点で東京市だけで8万枚を売り上げた。

1924年に再び渡米し、サン・カルロ・オペラ団に出演する。1925年にシカゴに行き、アルド・フランケッティから献呈された『浪子さん』を初演する。その後はイタリアで歌手活動を続け、1935年にはシチリア島のパレルモで『蝶々夫人』出演2000回の記録を達成した。

評価


作曲者自身から激賞されたように「蝶々さん」が当たり役であり、その正統的で模範的な演技で評価された。少女時代に日舞を学んでいたこともあり、美しく自然な所作によって成功を掴むことができたといわれている。その名声ゆえに、エンリコ・カルーソーやヤン・パデレフスキといったスター芸術家とも共演する。

三浦環が蝶々さんに扮した姿の銅像は、プッチーニの銅像とともに長崎市のグラバー園に建っている。

( Wikipedia:三浦環より引用 )

『蝶々夫人』出演2000回の記録を達成というけど、一説には、アリア歌唱回数もカウントされるらしい
功成り名を成した活動期間、海路と陸路が主体の時代の移動方法を考えてみて
仮に蝶々さん専門としても、2000回なんて舞台で歌える数字じゃない
また、2000回も歌ったら、確実に声を壊すわよ

トゥーランドット、リューと並んで、登場人物の出身地が東洋と指定される
日本人は無論、中国人、韓国人、とにかく亜細亜系ソプラノにとってウマーと有難い役柄である
とはいうものの、求められる力量はワルキューレ級、戦艦みたいなワーグナー歌手級のもの
そんじょそこらの歌手が問答無用のバタフライ歌いとして成功収めるのは至難の業
オランダのリート歌手エリー・アメリンクによると、日本人は特に厳しい
感情表現面に於いて、内向的なため、外へ向かう中国人や韓国人と比較して不利も指摘出来るが
高音域はいくらでも出るが、中低音域が弱い、それが声楽面の課題という
「中音域の支えがあってこそ、安定して輝かしい高音域が生まれるんですけどね」




見るに耐えない妙ちくりんな舞台でなけりゃ、長崎に富士山見えたってイイの
西洋人の求める異国情緒が作品のツボなの
ミラノ・スカラ座初演版では、「子供寄越せと」態度デカ過ぎて聴衆から顰蹙買ったケイト・ピンカートンが
改訂版では、蝶々さんに直談判せず木の陰で待ってるのが可愛げあるとか
それだってどーでもイイの
日本を舞台にしていようと、日本歌劇じゃなくイタリア歌劇なの
御託並べおった浅利慶太と岡村喬生の両名、長野五輪閉会式と歌唱力の拙さを反省しとけ〜




ホント、三浦環の曲りなりの成功が良かったのか悪かったのか




プッチーニ作品が後世に貢献したのは


良く言えば、インスパイア
悪く言えば、パクリ
この歌曲じゃね

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