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明るいチベット医学

大工原彌太郎

P21
チベット医学では、各臓器、個々の働きより、からだの生命力(ツァ)がどうであるかを診るのです。数値のように範囲を固定したものではなく、からだを生かしている”ツァ”が、どう働いているかを診て全体の流れの中で、異常をとらえようとするのです。

P88
チベット医学では、人間のからだには生き物そのものがもっている命の時間というのがあると考えます。それはボールを投げて落ちてくるまでに描かれるところの、ゆるやかな放物線のような流れで、チベット語で「ツェ・ツェ」といいます。たとえば草なら草の芽が出て、伸びて、枯れていくまでの、静かな命の始まりから終わりまでの時間(ライフスパン)です。

P89
病んでいることは忌むべきものでなく、他人より劣るものではない。

P90
成長期にある子どもの場合は、からだがいったん調子を崩すことによって、その子の個体に合った生命規律(バイオリズム)を崩しているということがあります。すこしづつ病気しつつ、元に戻っていくことで、振幅の中心を探している。右に揺れたり左に揺れたりして、復元しつつ中心線に戻ることにより、その子の固有な慣性がついていくのです。からだはそういう経験を経て、自分なりの勢いと、それに見合ったリズムをつくり、生命力をつけていくのです。このときに過剰な対応をすると、中心線を見失うことになります。


P132
犯罪心理学上、凶悪犯は、痛い痒いの感覚の鈍いケースが多い。
それは、私たちは場の雰囲気を、目とか耳とかだけでなく、よくいう第六感でとらえていることがありますが、それは皮膚感覚、つまり(乳頭体)でとらえているのです。ところがその人たちは皮膚感覚が鈍いため、場の状況がつかみにくい。したがって、自分のからだがその状況になじめない。ー疎外を意識するー不快を感じるーその解消をはかる(凶行に及ぶ)−というプロセスです。

P154
食べ物を分解摂取する消化酵素の向きは、二歳から五歳くらいの間に決まるのです。
癌になった人にどんな食生活をしていたか聞いてみると、郷里では米や野菜を食べていたが、都会に出てきて肉や加工食品が中心になったというようなケースが多い。途中で食べ物を変えると、消化酵素を分泌するリズムが狂い、からだを形成する質に異常が出てくるのです。

P172
インドでは昔から、姿勢というものは、「背筋をまっすぐに伸ばす。足元は見ない。目は立っては身長の四倍、座しては二倍の前下方を半眼で見据える…」のが正しいあり方とされています。

P214
痛みとか苦しみ、それをその場だけに限定して、早くこの苦しみをどうにかしたいと考えている間は、からだの質が乱れている。葛藤している中ではほんとうの生きる勢いというのは出てこないのです。
病に至った経緯をよく観察し、改めるべきものは改めて、体を尊いものとして扱う。そしてやはり、苦しみはあるけれど自分はそれとは関係なく生きていく(からだに生きつづけてもらう)という姿勢をとったときに、病気というのは治りやすいものなのです。
 他力本願で、痛みも命も人まかせというのでは、どんなにすぐれた医術を施してもプラスの方向に向くとは思えません。

P222
インドでは、外科手術よりも、自分自身でからだの様子を探っていくという方法をとります。
自分のことは自分で片付ける。自分の範囲で考える。他人からも奪わない。たとえ死が迫ってきても、自分の範囲で起きる死であって、それは他人よりも優先させられるべき死ではない、と考える。

P229
チベットの古派仏教の考え方は死んだらあの世も極楽もないという現実的な考え方です。
 彼らにとって、死は、満ち足りた、そして余力を残したものでありたいのです。苦しんでのたうちまわってなにがなんだかわからなくなっての死というのではなく、最終的に、自分の生を見つめて死にたいのです。だから延命医療とはまったく逆で、死にかかっている人を元気づけることで、改めてスッキリと死なせるのです。
 命を長らえるのが医療だとすればまったく反対の行為ですが、チベット医学のもとになる仏教では、お釈迦様がいっているのです。「坊さんは生き死にのことにかかわるな。生き死にがどうにかできると思うな」と。苦しみを救うのは坊主として医者として当然ですが、命をどうこうしようというのは僭越といっているのです。
 実際、命はいつまでも長らえるわけではありません。今長らえたとしてもせいぜい苦しみがあとに持ち越されるだけのことですし、だからチベット医学では、助けようと必死になるよりも、むしろその人が体力をもったまま、心残りのないように死なせようとするのです。

P232
 インドやチベットのように、死に臨んでジタバタしない、キチンと終わりを見届けることが大事です。
だれもが己の生涯をふり返って、反芻し、うなずき、心安らかに死んでいきます。私はそういう死こそ人間らしい、尊厳ある死だと思うのです。
 日本のように、命を長らえさせることが優先して、あらゆる延命治療を施し、器具にからだを繋がれ、無抵抗なまま死んでいくというのは、個人の主体性を無視した死であり、それこそ生命の尊厳を無視しているのではないか、死んでいく本人にとっても、これほど悔しいことはないのではないかと思うのです。
 家族や医師は、「できるだけのことをした」といいますが、それは本人のためというより、まわりが安心したいがためにそうしているのではないでしょうか。死は、本人が納得し希望するかたちで迎えさせてあげることこそ最良の方法だと思うのです。

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