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納棺夫日記

青木新門 文春文庫

P72
生きている間に、どのような悪や善を行ったか知らないし、信仰が篤いとか薄いとか、宗教が何派だとか、宗教そのものに関心があるとか無いとか、そんなことにも関係なく、死者の顔が安らかな顔をしているように思えてならない。

P102
生への執着がなくなり、死への恐怖がなくなるということは、煩悩が消滅し生死を超越したということであり、安らかな清らかな気持ちになるということは,寂滅〈涅槃〉を得たということであり、すべてを許す心になったということは、善悪を超越したということであり、あらゆるものへの感謝の気持ちがあふれ出るということは、回向のことにほかならない。

P103
親鸞以前までの回向は、自分の積んだ善根を仏のほうへさしむけることであったが、親鸞は逆に、仏の方から衆生の方へ向かうのが回向であるとした。そして、仏への感謝が往相回向で、その仏からの慈悲が観相回向であるとし、この二種の回向がおのずから同時にはたらく現象を、光如来の本願ととらえたのである。

P105
〈仲間〉
死という
絶対平等の身にたてば、
誰でも
許せるような気がします
いとおしく
行き交う人も
なにか温かい思いが
あふれでます

P107
他力とは、如来が成仏させるのであって、人間が沙汰することではない。

P109
 釈迦の説いた仏教の教理は、すべて実践との関係においてのみ意義が認められているのであって、実践に関係の無い形而上学の問題には、釈迦は答えられていない。

P134
 本来、原生生物には死がないといわれている。単純な分裂によって増殖し、その過程で一切の死骸に相当するものを残さないそうである。
 このほうが自然の摂理に叶っているのであって、高等生物の自然死は、有機体が複雑に進化し、不完全な統合しかできなくなって引き起こされる付帯現象であるという。
 要するに、死ぬということは、有機体が複雑になったがゆえに生じた不完全さの結果であるというわけである。

P137
 末期患者には、激励は酷で、善意は悲しい、説法も言葉もいらない。
 きれいな青空のような瞳をした、すきとおった風のような人が、側にいるだけでいい。

P200
 「根源的現象に出会うと、感覚的な人たちは驚嘆の中へ逃げ込むし、知性的な人たちはもっとも高貴なものを最も卑俗なものと結びつけて分かったと思おうとする」ゲーテ〈蔵言と省察〉


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