法話・からだの話

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天上天下唯我独尊

4月8日は花まつりです。
お釈迦様は甘露の雨の中で生まれ、『天上天下唯我独尊』と言われたと言い伝えられています。
この意味は、決して自分が偉いという意味でも、人間は孤独だと言う意味でもありません。
最後の言葉“尊”というところに大事な意味が隠れています。
“尊”というのは尊敬すること。敬意を示すこと。認めること。
誰を尊ずるか。それはまず自分自身ではないでしょうか。
現代は、自分自身を認められづらい世の中です。
少年の凶悪犯罪であっても、暴走族などであっても、誰かに自分を認めてもらいたい強烈な衝動から起きるものだと思います。
誰かに認めてもらいたいということは、自分を認めていないから。自分を認めるためには、無条件の愛情が降りかかっている事が必要ではないかと思います。
しかし、親であっても人間が人間である限り、お互いを認める事ができない時があります。
いつでも、どこでも、どの状態であっても見守ってくれている存在。それが“仏さま”の役割ではないでしょうか。
“仏さま”を思い、大事にすることは、自分自身を認めることにつながります。
その意味で、自分を認めることは、仏さまのみならず、他人や自然に感謝する気持ちを自然に持つことにもつながります。

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 私は現在38歳ですが、小学生の頃からパソコンを使っています。とはいってもその頃はインターネットなど存在せず、仕事でパソコンを使う人も少数で、パソコンが出来る人は”暗い”などと揶揄されていました(まだオタクという言葉さえありませんでした)。
その頃のパソコンの楽しみ方は、もっぱらゲームや音楽、グラフィックを楽しんだり、自分でBASICという言語などでプログラムを組んでそれらを製作したりしていました。 まだ、自分”が”動かさなければパソコンはそれこそただの箱でした。

 時代は変わり、現在のパソコンとの向かい合い方はその頃とは存分違い、インターネットで検索すれば、わからないものがない程の情報が手に入り、自分が手を施さなくても様々な予測やマッチングなどをしてくれるようになりました。私自身も少々その便利さ、楽しさに侵されているようで、パソコンに向かうと別段用事がなくてもすぐに数時間経ってしまいます。

ティク・ナット・ハンはそのような状態を”蔵”(store)と表現しています。
パソコンを使うときの瞑想の唱えごと(偈文)として


パソコンの電源を入れるとき

私の心は「蔵」に向き合います

習慣の力が愛と智慧を育むことに

生まれ変わらせられますように


と言っています。
”蔵”とは仏教で言う”アラヤ識”のことです。
アラヤ識とは、過去及び記憶を司っている意識であり、記憶とは、意識しているもの、していないもの全てを含めた記憶で、すなわち自分の過去全てと言ってもよいもの。
その過去も、生まれてからの過去でなく、生まれる前、先祖から脈々と続いている過去。それが繋がって現在の自分を形作っている意識となっているともいえます。

ですので、
蓄積される過去は、自分が意識している以外にも奥底で勝手にパソコン、ネットとリンクしており、無意識下で勝手に次の自分を形作られている可能性もあります。
TVなどの強制的に流れてくる他の媒体でもそのようなことは起きますが、その他の媒体とネットとの違いとして、その他の媒体では不必要な情報は見たり感じたりしなくてもただ流れているだけであり、自らが情報の選択が出来やすい。不必要な情報から逃げることができやすい。
しかしながらネットは、自らが選択した情報の中に、本来は不必要だが興味のひく情報も”勝手に”入っている可能性が高い。
 だからこそネットサーフィンがやめられず、すぐに時間も過ぎてしまいます。
 さらに一番問題なのは、能動的に選択したと思っているものの中に、能動的でない情報まで自分の”蔵”に入ってしまうことです。この”蔵”の入り方は、元々が能動的であるからこそ他の媒体より強く入っていく可能性が高い。そして”蔵”に入った情報は、抜けることはありません。そして時には現実意識とのバランスが取れなくなったときに、それのみが自分の中で”勝手に”パンクしてしまうこともあるのではないかと思います。

 まずはネットをする前に、目的や向かい合う気持ちを持つ必要があるということを、常に意識しなければいけないなと感じます。

平和であるということ

平和であるためには、まず、日常が平和であるということ。そして、平静自分が平和な心を保つ努力をすることが大事なことです。

 日本は平和ボケしているとよく言われます。
 平和ボケは、平和”だから”ボケているのではなく、常に自分の内外の平和を考え、行動していない事で、平和がわからなくなっているだけではないでしょうか。
 そこでは、外面的には平和であるようにみえて、実際には平和とは言えません。
 だからといって戦場というわけでなく、”生きる意味”に対してぼやけているだけなのかもしれません。
 ”意味”を知る身心を育てないと、本当の意味の”平和”は育ちません。
逆に、”仕掛けられた”戦争に、いつの間にか流されてしまうとも限りません。
それこそ戦争が起きて”戦争ボケ”になってしまいます。

”平和”とは、自分の”身心”が作り出すもの。そして内外に”育てていくもの”です。
決して与えられるものではありません。

日常が平和でありますように。

供養・ほとけさまとは

たまにはお坊さんらしく法話でもさせていただきます。



供養・ほとけさまとは

 今年はやった曲で『千の風になって』という歌があります。
 私は、この曲を初めて聞いたときに、初めの“私のお墓の前で泣かないで下さい”というところでまずびっくりしてしまいました。
 よく歌詞を解釈してみると、これは般若心経の考え方と同じだなと気づきました。
 般若心経というのは、日本の仏教の中で一番ポピュラーなお経です。
 実は、この『千の風になって』という歌の英語歌詞を訳した新井満さんという方は、以前、般若心経の解説本も出されています。だからなのか、私にとってもすごくしっくりきました。
 歌詞の中で、秋には光になって 畑にふりそそぐ。冬はダイヤのように きらめく雪になる。朝は鳥になって あなたを目覚めさせる。夜は星になって あなたを見守る。
 などと、故人の魂は様々なものに形を変え、残されたものに恵みを与え、見守っています。
 般若心経の中には“空”や“無”という文字がたくさん出てきます。
 これは、様々な解釈がありますが、私は“そら”であり、“宇宙そのもの”ではないかと考えています。
 そして自分自身は、全てを含む“そら”や“宇宙”のなかの一つであり、また、もしかしたら“一つ”という概念さえないのかもしれません。私自身が全ての宇宙であるかもしれません。
 言いたいことは、本当は、この世の中に、分かれているものなんて実は存在していないということです。
 分けているのは自分自身の心ではないかと感じます。
 そして、その上で大事なことは、“全てのものが仲良く”というのが般若心経の真髄であり、そのために私達ができることは、家族や関わりのあるもの、そして動物や植物、さらにはご先祖様、子孫も含め、自分自身に壁を作らないということです。
 壁を作らないというのは、存在を認め、尊重し、見捨てないということです。
 しかしながら人間は、いつでもそのような気持ちを持ち続けることはできません。
でも、ほとけさまからは、その、壁を作らないという気持ちでどの瞬間においても皆様を見守っています。
 そして見守ってもらっているという気持ちを忘れず日々を生き、皆様自身ができるだけ壁を作らない実践をすることが、ご先祖様、ほとけさまに対しての供養にほかなりません。
 『千の風になって』というのは、見守っていただきながら、共に良く“生きて”いきましょうという歌なのではないかと思います。
 仏教というのは幸福を目指すものでなく安心(あんじんと読みます)を目指すものであります。
 究極の安心は“平和”です。平和は自分だけではなれません。しかし、まず自分の中に安心がないと相手も平和になれません。
 そして自分だけで安心を目指すのではなく、ほとけさまとともに、大きく言えば空や風や宇宙と共に安心を目指すのが仏教の目標です。
 故人はほとけさまとなり、安心の中で、皆様を見守っています。皆様は、そのほとけさまの安心の気持ちを、自分の安心とするよう、日々振り返り、実践していくことが、すなわち供養であります。その心・実践がほとけさまに届く時、ほとけさまから全てに恵みをもたらし、廻り廻って必ず自分に安心の縁となって返ってきます。

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原子力発電所

今回の地震の話で1つだけ。
今回の地震で柏崎原子力発電所が停止し、この夏の電力供給が不安視されたが、メドがたったそうです。
私はどんな理由があろうとも原子力発電は反対です。
何故何万年と人体や生物を犯しつづけるものを新たに生み出す装置が立派に”発電所”という名前として機能しているのだろうか。素朴な疑問。
福井の原発に”もんじゅ””ふげん”と名づけたのは何を隠そうその当時の永平寺貫主であります。
それを知ったとき、本当にショックで、恥ずかしくて曹洞宗をやめようかと思ったほどでした。
でも、今は社会が変わってきていると感じます。

それはそうと原子力発電所がストップしても電力供給が大丈夫なのは実は当たり前の話なのです。
原子力発電というのは、出力が 0か最大 しかなく、調整機能がないのです。それを調整するために、火力など他の発電所でカバーできるようにしているのです。
数年前にも関東で夏同じように原子力がストップしたために電力供給が不安視されていましたが、それは不安だけで終わりました。
不安を煽ることによって原子力が必要だということを認識してもらうための一種の思想誘導とも言えます。
 実際限りある火力に頼りすぎるのもどうかと思いますが、原子力は、デメリットも大きすぎる。
 プルサーマル計画にしても、循環したとしても、低レベル放射性廃棄物は出つづけるのだから同じです。
 平和的な原子力利用なんて考え方自体が私はおかしいと思います。
 今、イラクでは戦争のときに発射された劣化ウラン弾で苦しんでいる人がたくさんいます。
 見えないからこそ怖いです。

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