|
4 漢陵の実測
漢の田畝の制は周制に等しく、
一歩は六尺 一畝は広さ一歩、長さ百歩 一頃は百畝
‐‐‐‐‐ ‐‐‐‐‐‐‐ ‐‐‐‐‐ ‐‐‐‐‐ ‐‐‐‐‐‐‐ ‐‐‐‐‐ ‐‐‐‐‐ ‐‐‐‐‐‐‐ ‐‐‐‐‐
従って前項に掲げた漢陵の制を、日本の曲尺に換算すると、
塋域、方中、墳高、明中について換算値が示されている、換算値の表は原著をご覧ください
灞陵は自然の山で陵の各部を明確に区別して測量すること難しい、長陵と渭陵は周垣及び四門の遺跡が存在しないから、塋域が実測できない。
この三稜以外の八陵の塋域、方中及び陵高の実測値、および長陵と渭陵の方中と陵高が示され・平均値が計算されている。
表を検討すると、長陵・安陵・陽陵のような初期の陵は、制度で定めた大きさからそれほど離れてはいないが、後世になると奢侈にながれ営陵は過大となり、
武帝の茂陵、宣帝の杜陵、元帝の渭陵、成帝の延陵の塋域と方中ははなはだしく定制を超過している、しかし陵高だけは、平均より三尺二寸も低い値を示している。
その原因は、長安の様な少雨の地方でも二千有余年の水蝕作用を受けたり、数回発掘の難にあっていることが原因と思われるが、
陵上の実況を観察すると、寝殿の遺址がそのまま現存しているので、水蝕或いは発掘の影響とは断定しがたいのである。
営陵の方法が後世になると塋域・方中の増加に比べ陵高は
増やさなかった・その分だけ寝殿を広壮なものとした可能性もある。 続く
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用



