教育と仏教

心豊かな生活・健康維持・病気予防・皆の教育を考えたい

「禅について」の学習

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全21ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

 日本は鎌倉期より江戸時代にかけて、中国独自の禅思想・禅宗を栄西、道元、隠元等が導入した。そして鎌倉や京都を中心に根付いた禅思想は、中国同様に学問、建築、芸術、

茶道などにも大きな影響を与え、日本独自の禅文化の発達を促した。栄西、道元、隠元等が移植した禅思想は、それぞれ臨済宗、曹洞宗、黄檗宗として根付いている。

本ブログ2月1日で鈴木大拙博士が『禅学入門』書いた経緯と博士の活動を若干紹介したが、博士の功績を追加紹介する。

1933・昭和8年インド大乗仏教の如来蔵思想の真髄を表わす楞伽経の研究で、同氏は文学博士号を取得した。1936・昭和11年外務省嘱託の日英交換教授として渡英し、

オックスフォード、ケンブリッジ等の大学で「禅と日本文化」について講義している。
1945・昭和20年、実業家の安宅弥吉氏の援助で、鎌倉東慶寺(江戸時代まで女性のための縁切り寺として

有名)に禅書の保存や出版を目的にした財団法人・松ヶ岡文庫を設立した。
博士の業績は、「鈴木大拙全集」全30巻・別巻2巻(岩波書店)に収められている。

「本書について」の節で

本ブログでも紹介した要点が幾つか紹介されているが、それ以外で現代の大問題でもある要点を一つだけ示し、この学習を一時終結します。

本ブログ4月17日参照、

「仏教では、所有欲は人間が陥りやすい誘惑の中で最悪の情欲とされている。事実、この世で不幸を誘発するものは、所有欲に対する衝動であると考えて差し支えない。

勢力を望むとき、強者は常に弱者に暴威を揮い、富を望むとき、富者と貧者は仇敵となって争う。この所有把握と維持の欲が・根絶或いは充分に調節されない限り、現代では国際戦争は激しくなり、

社会の不安は増大一方となる。この社会は、人類の歴史の初めより見せ付けられてきたようなものとは異なる基礎の上に改築できないものであろうか。

この個人的及び国家的膨張に対する・単に欲望に動かされる勢力の増大と富の蓄積を、抑制することは出来ないのであろうか。

仏教の僧侶達はこの人生の不合理に失望し、そして別の極端に走ったのである。そして人生の自然であり同時に無邪気である快楽さえ、振り捨ててしまった。

非常に小さなこと(影響力の小さなこと)だが、このような僧侶の所有物を一個の小さな箱に収める禅の理想は、現代社会組織に対する、僧侶達の沈黙の抗議・抗争と見たい。」

次回から暫らく、本ブログ視点での鎌倉紀行を試みます。

「禅について」の学習を一時修了する前に、『禅学入門』の田上太秀駒澤大学教授の解説より「仏教思想と実践の歴史」を概略紹介したい。現代でも役立つ情報と思うからです。

《禅思想の歴史》

仏教の歴史は、禅の思想とその実践の歴史である。釈尊(以後ブッダと表現します)が菩提樹の下で悟りを開いたときには、坐禅をしていた。

坐禅をして自分と自分を取り巻く自然とのかかわりを観察し、ものの存在は相依相関しているという縁起のダルマ(真理)を発見したのであった。

6年間種々の修行を実践したなかで、ブッダ独自の禅修行を通じて、このダルマを発見されたのである。

 このダルマに基づく教えが後世に継承され、伝承され様々な仏教思想が生まれた。この思想の基本は、禅修行を通じて悟りを得ることにあった。

紀元前1世紀頃に興ったインドの大乗仏教では、

1) 現象界は空であると観察した空観思想、

2)心理的作用の深奥には阿頼耶識(あらやしき)があり、阿頼耶識があらゆる行動を起動
 し世間が展開していると観察した唯識(ゆいしき)思想、

3)あらゆる生類にはブッダになると可能性があると観察した仏性思想
などの代表的な思想が展開されたが、これらは皆禅修行によって説かれた。

更に密教思想も禅修行を通して説かれた。仏教思想は禅修行抜きでは説かれていない。

禅修行とは坐禅だけではなく、原始仏教・仏典には、行住坐臥に禅修行すると説かれていて、長時間、安定した状態で実践できる坐禅が修行の中心となっていた。

禅思想は、後漢(AD25〜220年)時代に中国へ伝来し、禅思想関係の経典が盛んに翻訳され、そこに書かれている禅修行を実践する者が増えた。

東晋前期(317〜368年)には禅修行を行う仏教僧が輩出し、東晋後期(369〜420年)時代では偉大な翻訳者の鳩摩羅汁が多くの修行法を記述した仏典を漢訳したので、

これらの漢訳仏典を中心にした禅思想が中国仏教界に広く伝播した。

470年頃インド僧のボダイ達磨が渡来し、新たな禅思想を中国へ伝えた。この思想を受け継いだ弟子達はボダイ達磨を第一祖と仰ぎ、六祖の慧能までは直系であったが、慧能以後は禅の流れは二派に分かれる。

唐や宋の時代に禅宗が成立・隆盛となり、学問や芸術に大きな影響を及ぼし、独特な禅文化を生み、中国に仏教本家のインドとは異なる独自の禅思想が生まれた。

『禅学入門』(82)

 徹底的に踏み殺してしまわなければ煩悩が再び首を擡げてくると、幻想の上に建てられた道徳的教養の全建築はもろくも一日にして崩壊してしまうのである。

(本ブログ疑問と推定:六祖慧能や臨済などの偉大な禅師でも、禅堂教育修了の後煩悩撲滅には長い年月を必要としたのであろうか? 或いは単にこの期間は世に出るための準備期間だったのだろうか? 

若し徹底的な煩悩克服のためであったなら、年令も関係していると思われる。何故なら壮年時代までの人間は、多種多様の望み・欲望が湧き出でては消える連続であり、

経験する前に望み・欲望の全てを知ることも・克服する術も知ることは至難だから、人生の意味を悟れる年令まで不断の精進が必要なのかもしれない)。

 禅堂で行われる僧院教育がある点では時代遅れであるかもしれないが、生活の単純化や制欲や、瞬時も怠惰に過ごさぬことや、自己独立や、いわゆる陰徳なるものや、こうした指導原理は、どの地方でも、

何時の時代でも、健全なものである。陰徳概念の真理は、禅の訓練の紛れ無き特徴である。それは物を取り扱う上で、その物の特性を徹底的に利用し、経済的に利用することである。

宗教的言葉で言うならば、自分自身と周囲の世界に対し、最も感謝的で最も敬虔的な心構えを持つことである。‐‐‐‐ ‐‐‐‐ ‐‐‐‐ ‐‐‐‐ 報酬や我慢の考えを捨てて、

善を善のために行うことを意味する。例えて言うならば、小児が水に溺れていると、私(禅堂教育履修者)は水中に飛び込み、小児は救われる。ただそれだけのことであり、‐‐‐‐ ‐‐‐‐ 

私は歩み去り後を向かない。そのことは最早意識から消え去る。丁度雲が飛び去って、空は元通り青く広くなる。

禅はこれを「報酬無き行為」(無功用または無功徳)と呼ぶ。そして雪で井戸を埋めようとそる人の仕事に例えるのである。

 キリストも同様のことを説いている、‐‐‐‐ ‐‐‐‐ ‐‐‐‐ ‐‐‐‐ 
‐‐‐‐ ‐‐‐‐ 禅では、善事を行っても自惚れや自己賛美の意識が残っていてはならない。まして報酬等は、例えそれが神からの授かり物であっても、考えてはならないのである。

この行為についての中国の哲人列子やドイツの神秘主義者タウラーの考えは、本文を参照して下さい。‐‐‐‐ ‐‐‐‐ ‐‐‐‐ ‐‐‐‐ 
書物を読むことも、教えることも、瞑想することも、それだけでは禅者になることは出来ない。

生命そのものを流れの中に真中に置き、捉えなければならない。研究や分析のため流れを止めることは、生命を殺すことである。そこには抱擁すべき冷たい死骸だけが残る。

従って禅堂における色々の事件や弟子の教育の全ての細目は、その思想を最も役立たせるように定められている。‐‐‐‐ ‐‐‐‐ 仏教史の中の禅宗の位置は、この禅堂制度に負うことは明らかと思われる。

『禅学入門』(81)

 禅堂生活には学校教育のような定まった卒業時期などは無く、或る者は早く、また他の人は遅く卒業する。普通の能力と実行力に富んだ人なら、10年以内に禅の全ての教訓の深所に到達出来るはずである。

しかし卒業したからといって、人生の時々刻々に禅の原理を実行すること、即ち禅の精神に没入することは別問題である。

人の一生はあまりに短すぎると思われる、何故なら釈尊や弥勒でさえも未だ自己訓練の半ばに達していないと言われているからである。

 円満具足の禅師となるには、単に禅の真理を理解したというのは不十分で、元来道教から出た言葉の「聖胎長蔵」の期間‐‐‐禅では悟りと調和した生活期間を経験する必要がある。

相当な師匠の下で修行すれば、最後には僧侶は禅の秘密について完全な知識を獲得するはずである。‐‐‐‐ ‐‐‐‐ ‐‐‐‐ ‐‐‐‐ 
僧侶の生命は、内外共に知識と完全に一致しなければならない。このためには更なる一段の訓練が必要で

ある。彼が禅堂で得たものは未だ僅かであり、その後に彼の最高の努力を何処に向けなければならないかを指示しているに過ぎないからである。彼は禅堂に留まるのではなく、実際の世の中と接触し自分の知的

造詣を試練に曝さなければならない。
‐‐‐‐ ‐‐‐‐ ‐‐‐‐ ‐‐‐‐ 
各自は人生に偶発する諸々の事項に対し、自分の所見で行動しなければならない。山中に退き世捨て人の生活を営むこともあるだろうし、或いは市中に出て社会の諸事件と活発に取り組むこともあるであろう。

 最初世捨て人的生活を選び、後に大成した禅の大師達は数多い。六祖慧能(本ブログ3月15 & 2月16日参照)は山中生活15年の後世に出たと伝えられるし、中国師は40年間、偽山(本ブログ3月30日参照)

は数年間荒野をさ迷っているし、日本の京都妙心寺の開山、関山(慧玄)は美濃地方で隠遁生活を送り・村人達のため日雇い仕事をしていた、‐‐‐‐ ‐‐‐‐ 

白隠(本ブログ4月22、23日参照)は最初駿河の古寺・全ての所属物が借金の抵当に入っていた貧乏寺の住職であった。

禅の歴史は、隠遁生活の後、再び世に出て働いた大師匠達の歴史でもある。その隠遁生活は禁欲主義の実行ではなく、人の「道徳的品性を成熟させる」ためである。多くの絵巻で語られているように、

多くの蛇と毒蛇(煩悩)が入り口で待っているのである。

『禅学入門』(80)

ところが老師はこれを眺めて、愉快そうに笑うのであった。その声で白隠は意識を取り戻し、汗みどろになって師匠の許にやってきた。

しかし老師はまだ仮借が無く、再び罵った、「穴倉住まいの禅坊主め!」と。

 白隠は絶望状態となった。老師を捨ててそこを去ろうかとも考えた。しかしある日村を托鉢していると、不図した事件が起こり、その事件は突如禅の真理に対する彼の心眼を開いた。

それまで隠れていた禅の真理を完全に掴んだのである。白隠はその喜びを制し難く、得意な心持ちで老師の許に帰ってきた。

白隠が門を入る前に、何が彼に起こったかを師匠は知っていた。そして師匠は手招きして言った、「今日は何か目出度いことでもあったのかい、さあお入り、早く早く」と。

白隠が途上で起こったことを一部始終報告すると、禅師は彼の背中を撫でながら言った。「今度こそお前は解ったのだ。とうとう解ったのだ」と。この時以後老師は、白隠に対してそれまでの悪口は言わなくなった。

現代日本の禅の父祖も、実にこのような訓練を経験したのであった。白隠を石垣の下に投げつけた正受、なんという苛酷な老人であったのだろうか。

しかし弟子がひどい仕打ちを受けた後、意気揚々と帰ってきた時の老師は、またなんという優しい人であったのであろうか。この事実が示すことは、禅には微温的なものはないことだ。

禅は、人が真理の深底に達することを期待する。そして真理は、人が知的或いはその他のあらゆる外観的粉飾を脱ぎ捨てて、本来の赤裸に帰ることで、初めて掴むことが出来るのだ。

正受に依って行われた一撃は、白隠の幻覚と不誠意を剥いでいったのだった。

そして我々の最奥の自我とは、真理に関係の無い幻覚や、不誠意の箱に・幾つもの箱に住んでいるのだ。従って弟子達がこの最奥の自我に到達して、真に禅の知識を獲得するために、

禅の師匠達はしばしばこのような一見不人情な方法に訴えるのであった。その方法は、贔屓目にみても親切があるとは見えないのである。

(本ブログ私見:禅堂での教育方法は、禅に真理を究めることを目指す僧侶に、或いは禅の真理を求める心身が強い人にのみ適用されるべき方法であり、禅を知らない人が一般人に、

特に子供や年少者に適用する方法では無いはずである。近年広がる一方の社会的弱者に対する教育と称する退職強要・イジメは、禅堂での厳しい教育方法とは無関係のはずである。禅の精神を知らない人は、

禅の師匠の上辺だけを真似してはならない。)

全21ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.
bos*t*uyo*de*o
bos*t*uyo*de*o
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最新の画像つき記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事