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夏休み
夕方になり、だあれもいなくなった学校
だだっ広い運動場に、カラスが1羽
涼しくなってきた風が私の頬に心地よく当たる
そんな学校に、一つだけ人影が見える建物
児童育成クラブだ
もうすぐ午後6時
運動場の片隅にあるその建物には
お母さんを待ちわびている小さい子どもたちが二、三人
すると、いつもの時間にいつものお母さん
お仕事が終わってお迎えにやって来た。
「○○ちゃん、お迎えよ〜。」
ドタドタドタ
「センセイ、サヨウナラ」
「どうもありがとうございました。」
お母さんと子どもと先生に一通りのご挨拶
「あのね、明日お水が止まるんだって。」
「あら。それは大変。トイレも流れないの?」
「うん。でもね、学校でするから困らないんだって。」
「そう。」
そんな会話をしながら娘さんとお母さんは家路につく。
手をつなぎながら、一緒に歩く姿は何ともいい。
お母さんと一緒
そのときの二人の笑顔は最高に幸せそう。
私が子どもの頃、父の帰宅を今か今かと待っていた。
遠くにその姿を見つけたとき、思わず走り出していた。
「お帰り」
そう言って父に飛びつくと、父は抱き上げて高い高いをしてくれた。
あのときも笑顔だった。
親子そろっての笑顔、本当にいい。
それを見ている私は最高に幸せ。
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前回は大まかな話でしたから、今回はもう少し具体的に・・・。
小学生も低学年から高学年まで幅広い年齢の子どもたちがいます。
1年生と6年生を思い浮かべていただくと分かりますが、その程度の差はかなりあります。
高校1年と3年では感じられないほどの差です。
ところが、いたずらをして叱られるのは一緒です。
意地悪をして指導を受けるのもそうです。
つまり、7歳も12歳もその点では変わらないということです。
私は、子どもたちを叱るとき、次のことに留意します。
まず、事実を確かめること。
喧嘩だったら両方の言い分を聞き、周りの子どもたちの証言を聞きます。
そして、指導に入ります。
次に、何が悪かったのかそれぞれに尋ねます。
分かっていればよし、分からなければ次の指導に移ります。
最後が周りの人のことを想像させます。
これが「相手意識」とつながるところです。
「いいか、君。君が○○君にひどいことをしたね。」
「・・・。」
「もし、ここに君のお家の方がいたらどう思うかなあ。嬉しい顔してる?悲しい顔してる?」
「・・・・。」
「どう?」
「悲しい顔してる。」
「そうだろうね。それじゃ、○○君の後ろにお父さんやお母さんがいるとするよね。どんな顔してる。」
「怒っている。」
「それじゃ、君のお父さんやお母さんは○○君のお父さんやお母さんにどんな顔してるだろう?」
とまあ、話しながらそれぞれのご家族のことを想像させるのです。
効果覿面です。
今までぷんぷん怒っていた子が涙を流し始めます。
この時点で私の思惑はうまくいき、指導もほぼ終了です。
後は、励ましの言葉をかけるだけ。
このように、子どもたちは目の前の事象にばかり目がいき、そこにいない家族などのことを思いつきません。
それに気がついたときにひどい行いを止めるか、または悔いるのです。
相手にも大切に思ってくれる人がいること。自分にもそう言う人がいること。
その人たちのことを考えきるようになれば、一歩前に進んだということでしょう。
電車の中で足を伸ばして座っている高校生たちも、
周りの人の思いや(そこにはいない)自分の家族の思いを想像できるようになれば、
マナーも向上するでしょうね。
それができればかっこいいのですけどね。。。
子どもたちが気づかない
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都市部に転勤して分かってきたことがあります。
それは、相手の存在を意識できない子どもたちが多いことです。
挨拶を初め、いろいろな行動パターンを観てみると、子どもたちの意識の中に相手が存在しません。
いいかえれば、自分しかいないのです。
もちろん、教師等が相手を意識するような設定をしてあげれば、それはできます。
しかし、自ら常に意識できるかといえばそうではないのです。
原因を考えると、どうも大人の行動や意識にありそうです。
大人自体がそうあれば、子どもも自然とそうなります。
保護者の言動からは相手を思いやるどころか自己中心的な考えをお持ちの方が多いことが分かります。
個人の問題というよりも、社会全体がそのような状況になってしまっていると感じます。
最近求められているコミュニケーション力。
まさに相手を意識する力です。
それが足らないのが今の日本。
教師も気がつき始めています。
とっても大きい問題です。
学力以上の問題です。
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【思考力】
思考力、表現力、判断力の向上が新学習指導要領の大きな方針ですが、
その中の思考力について考えていることを述べます。
新学習指導要領では思考力、表現力等を高めるために、言語活動を取り入れることとなっています。
これは大変重要なことです。
言語活動を行うことで、自分の考えをまとめ、他者の考えを知ることになるからです。
他者の考えを知るとはどういうことか。
それは、自分の考えを確かなものにすることに他なりません。
まったく同じであるならば、自分の考えは正しかったと確信します。
修正意見、反対意見ならば、新たな視点で物事を見つめることができます。
この新たな視点で物事を見つめることが思考力の向上に結びつくのです。
作文では、古来から推敲の重要性が述べられてきました。
古代中国の名文を書くと言われていた人は推敲に70%の能力を使いなさいと言っているほどです。
推敲は自分自身がするのではないかとお考えでしょうが、少し違います。
書き上げた自分と、頭の中で別にいる自分とが文や文章について比べ、よりよい方を選んでいるのです。
つまり、頭の中にいる自分というのが前段で述べた他者に当たります。
新たな視点で考えるという作業を自分の中でやってしまっているのです。
ですから推敲は思考力を高める、文章を書くと思考力が高まるのです。
これまで述べたことは「比べる」「比較」ということでくくれます。
最近、「比較」を意図的に取り入れることで思考力は向上すると思っています。
またまた国語のことで恐縮ですが、物語文を読むときに「比較」を活用すると読解力が高まります。
どういうことかというと、登場人物(特に主人公)が最初と最後ではどう違っているのかを比べるのです。
わかりやすいのが「モチモチの木」でしょう。
最初臆病だった豆太が臆病じゃなくなる。
それはどうしてか。
臆病じゃなくなるときはどの場面か。
最初に登場人物の変化を理解させ、その原因を考えながら読む。
そうすれば読解力が高まります。
もっとマクロな例を挙げれば、光村図書の新しい教科書です。
これは違いを比較ではなく、読解を確かなものにするという比較です。
新しい教科書(H23年度版)では、説明的文章の教材がセット教材となります。
簡単な教材を学んだ後、本来学びたかった教材に取り組むといった構成です。
これも比較の応用だと考えます。
国語教育に関するだけでも「比較」の大切さは明らかです。
でも、「比較」は国語だけではないのです。
算数の例です。
2×3=6というかけ算があります。
2+2+2=6でも求められます。
これを比べてみて、答えは同じであるが2×3が便利であると見いだします。
ここに「比較」という思考が入り、子どもたちは思考力が伸びるのです。
図工です。
背景がしっかり描かれた絵とそうでない絵を比べます。
前者がよりいいと考えます。
これも比較です。
教科だけではありません。
二つの班があり、一つのグループは作業がどんどんはかどり、他方はうまくいかないとします。
当然、どうしてそうなるのだろうかと考えさせます。
そうすると、うまくいかない方の課題が明らかになり解決方法が考えられます。
つまり、すべての面で比較することにより思考力が高まるのです。
実は比較することは経験上、教師はよく知っていて指導にも活用しています。
ただ意識していないだけです。
意識することはとても大切だと思います。
比較をキーワードに思考力を高める。
有効な一つの方法だと考えます。
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いや、勉強不足でした。
私の職場は海のすぐ側にあり、いつでも海岸に行くことができます。
昼休みなど、すぐ見に行けるのです。
干潮の時には砂浜が現れますし、潮だまりには面白い生き物がいます。
ウニが岩に張り付いているのも見ることができるのです。
先日のことです。
そのウニを獲りに行こうとしました。
ところがウニがいるところは海面から60㎝ほどもあり、獲れなかったのです。
島の人教えてくれました。
「先生、昼はだめ。夜じゃないと。」
どうしてかなあと潮見表を見てみると、確かに夜の方が引くのです。
その日は昼の干潮時、海面は60㎝でしたが、夜の干潮時は5㎝でした。
よくよく考えると、昼間は太陽が出ているからそこまで海は引かないのです。
なるほどと思い、夜中の3時に行くことにしました。
すると、ウニがとれ放題の状態でした。くるぶしまでしか波は来ませんでした。
(実際には3個ほどとっただけです。乱獲してませんし、売ってません。観察用です。)
昼間と違って、相当海が引いていたのです。
離島3年目にして初めて知りました。
昼と夜では海の引き方が違うことを。
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