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今回の撮影行の目的は、
茅葺と花火を写すことでした。
暗くなる前に場所取りです。
私の周りに八名の人が陣取りました。打上げ一時間前の写真です(笑)そんなに寒くなくてよかったのかもです。
ただ、問題は花火の打上げはおよそ5分間だけです。その間に撮影条件を変更している時間は無いので、あらかじめアングルを決めておきます。
どの高さまで上がるのかわからないので、後でトリミングできるように広い目に設定しました。
打上げ30分前で屋根にピントを合わせ、試撮りです。シャッターはバルブで写します。
S 30秒 F 8.0 ISO 200
暗くなれば何秒がいいのか一か八かの一発勝負でした。
最初の花火、いきなり連続3発です。→
S 19秒 F 7.1 ISO 200
30秒は開ける予定だったが、焦って早く閉じてしまった。屋根がほんのり、それにやや
左に打ち上がったので急いで方向を修正。
← S 40秒 F 7.1 ISO200
花火周辺の光り方は何だろう?
ピントが∞のほうがよかったのか?
通常の花火大会なら∞ですが、今回は茅葺屋根まで取り込もうと欲張った作戦ですが、
S 13秒 F 7.1 ISO200 →
うっかりレリーズを離してしまった。
← S 6秒
F 7.1
ISO 200
またも早や離し
S 26秒 F 7.1 ISO200 →
花火の明るさで屋根のシルエットがでた。
って偶然だけど(笑)
← S 7秒
F 7.1
ISO200
バランスはいいのだけど、偶然の産物。
S 22秒 →
F 7.1
ISO200
← S 47秒
F 7.1
ISO200
クライマックスですが、連発して上がることは想定していて、このときは絞りをF 16位に変更しようと思っていたが、どこが最終なのかわからない状態で迎えたクライマックスでした。
上がってる間シャッターを開け続けていたので花火が白飛び状態になった。
絞り込んでいれば何とかなったのかもです。
来年はきれいに写したいと再挑戦です。
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旅行
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2月1日土曜日
土日は基本出かけないが、この日は花火も上げるので期待してきました。
30数年ぶり?もっとかも(笑)
運送会社のコマーシャルでおなじみの風景です。
一か所で沢山の茅葺屋根が写せる数少ないポイントです
夜の花火撮影はこの傍のあぜ道と決めました。
さっさと周辺を撮って場所取りをしないといけません。
だからあまりのんびりと撮影している場合じゃなく、急ぎ足で周辺散策です。
目的が夜だから、
のんびりできませんでした。
見事な苔の屋根ですね。申し訳程度に雪が(笑)
屋根の重なりのいいバランスを探したが、なかなか難しいですね。
この外灯は何をかいわんやです。
昭和の香りですね
このショットはお気に入りです。
柿の木ですが、そのまま干し柿になっていた。
秋ならいい構図かもですね。
左の写真は昼間のもので、上のが同じ場所で夜に撮ったものです。
ろうそくの明かりなので暗くて写し辛いですが
ほんのりと柔らかく幻想的でした。
これは電灯です。
やはり光が強くて暗い目に写してみました。
この方がよかったです。
手前の明かりは
雪灯籠です。
観光客親子連れが雪をバケツに詰めて作っていました。
おかげでいい写真が撮れました。
次回に花火の失敗作(笑)をアップします。
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2月1日土曜日
予定していた撮影行きですが、この日までの天候が良すぎて、雪も氷も期待できなくなりました。
ここは京都は園部町にある桧尾の集落、るり渓の入り口です。
とにかく水の姿でも写してみようと渓谷へ降りました。
冬なので緑もくすんでいたが、水の流れを練習してみました。
全体じゃなく部分を切取れば面白い構図や流れの模様を捉えることができます。
左と下の写真は比較です。
ISO 200
1/160秒
F 4.5
これで飛沫を捉えられるが、普通の絵になってしまいます
少し撮影条件を変えてみると。
ISO 200
1/2秒
F 22.0
こうすれば流れが止まらずに写せます。飛沫も弧を描いています。
今回はほとんどが
低い位置からのアングルで撮影しました。
最後に違ったお遊びです。
ISO 50
5.0秒
F 22.0
泡立ちの流れを長時間露光で試してみました。
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「華、散りゆけど」(海道龍一郎作)の真田幸村連戦記を読んでいる。
定期診察のために病院へ行ったついでに周辺を散策してみた。書庫を旅行にしたのは、まさに400年前にタイムスリップした思いであった。
写真は真田山公園です。大阪環状線の玉造駅横の東西に走る長堀通りが昔の大阪城の堀跡である。そこから南へ歩き始めての高台が真田丸の跡ですが、ここだと言うピンポイントの確定はされていません。夏の陣で家康にすべて破壊されたからである。地形だけでおよその判断しかできません。
真田山に徳川軍が陣取ったとの説があるので、
真田軍が徳川軍へ夜に鉄砲を撃ち掛けた小橋の篠山は他の高台かも。
そこで小橋町へ歩く、真田山から250〜300mほど南へくると写真のようにまた小高く高台がある
小橋町である。この階段を上って見ると、
まだ上があった。こんもりした所が一番高い場所のようである。もしこれが篠山なら真田山周辺に陣取った徳川軍に鉄砲を撃ち懸けてさっさと引き上げることも可能でしょう。
その高台にあったのがこの石碑です
「桃山跡」
「この産湯稲荷のあたりの丘陵は
桃山と呼ばれた 明治の頃まで広大な桃の林があり 大正八年(1919)に埋め立てられた味原池とともに景勝の地として知られていた」と記しています。
産湯稲荷や隣にある比賣許曽神社が伝記に書かれていないのも不思議である。だからここではないのかも知れない。
小橋町から直線で2.5キロほどが茶臼山の本陣である。冬の陣で家康が本陣を構えたところで、夏の陣では幸村が陣を構えました。そこから少し手前五〇〇mほど北の別の高台にある安居神社です。幸村終焉の地です。
元和元年五月六日に奈良から大和川沿いに攻めてくる徳川軍を、河内の道明寺で後藤又兵衛等と共に戦った。そこで又兵衛は戦死した。
翌七日は天王寺付近で兵を整えて、すでに豊臣方の敗色は濃厚のなか、茶臼山に陣取った幸村は、攻防の隙を突き、徳川家康本陣を激しい突撃で混乱に陥れ、あと一歩まで追いつめる。しかし奮戦むなしく、この安居神社の一本松の麓までたどり着いた。
そして安居神社で腰を下ろして休息しているところを、徳川方の越前兵、西尾仁左衛門に討ち取られた。
幸村像と碑の奥にあるのがその一本松ですが、
当時の松は枯れて、今は二代目である。
子供の頃より親しんだ真田幸村は大阪人には太閤さんより尊敬している武将かもしれない。少なくとも私はそうである。
「幸村公はこの境内で無念の死を遂げました その生き方は生きる人間の本義を貫いた人として多くの人に愛されています この地から幸村公ははるか故郷 信州上田を偲び また父昌幸公を慕い また大阪城に思いを馳せていたのかも知れません
幸村公の遺徳を偲びここに銅像を建立しました」と記されていました。
来年が四〇〇年記念でイベントがあるようです。楽しみにしながら現実世界へ戻りましょう。
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緑の樹木が蓄えた
浅間山の地下水が
白糸の滝となって
この景観をつくり
休むことなく千曲川に流れて、信濃の国を潤しています。
(説明板から引用)
旧軽井沢銀座通り
ここは旧中山道の
軽井沢宿として栄えたところ。
早い時間だたので
そんなに混んでいなくて歩きやすかった
元は軽井沢宿の
旅籠で小林一茶も泊ったらしいです。
写真館は明治39年に創業らしく展示の写真も歴史がありました。
古い写真ですぐに目についたのがこれです。
誰だかわかりますよね(笑)
ドレスを着て、記念写真を撮ってくれるのですが、お客が入っているので少し見ていましたが、
御年配の方が見事なドレスで撮影をされていました。
少しかな?ミスマッチで笑いをこらえて店先を離れました。
軽井沢旧駅舎
草軽電鉄の旧駅舎
昔からの建物かどうかは資料不足で定かではありません。
かっこいいから写しました(笑)
もう人一つかっこいいのを見つけました
電話ボックスです。
旧三笠ホテルをモチーフにしたデザインらしいです。
軽井沢を後にして、
霧ヶ峰ビーナスラインを経て帰路へ。
白樺湖と八小ヶ峰
晴れていればい綺麗でしょうね。
ビーナスラインからの眺め。
八ヶ岳の山並みが良く見えたのだが与っていたのが残念でした。霧ヶ峰からの展望もこれと変わりませんでした。
長くのお付き合い ありがとう〜
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