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息子を亡くして1年半…
いろんな出来事がありました。
皆さんに支えられている、助けられていると実感することも多々ありました。
その反面、これでもかと打ちのめされることも…
今思えば、心ない言動に傷ついた事等まだましな方でした。
最近やっと顔をあげ、本当の自分を取り戻そうと決意いしたのに…
またもや辛い出来事が私を襲います。
数年前肺がんの手術を受け、1〜2年前脳腫瘍が見つかったお友だちがいます。
とっても気丈な人で、肺がん手術後にはご主人が持病が悪化し他界。
それでも3人のお子さんのために、計画的に仕事をしていました。
決して良い報告ができない時も、泣き言等言わない強い人です。
私の息子を亡くした頃より、抗がん剤の副作用により食事が取れない状態が、
ちょくちょくあることは聞いていました。
若い頃砲丸投げで国体まで行った、
がっちりした彼女が薄っぺらな体系になっていたのも見ていました。
それでもいつも前向きでした。
その彼女の声が聞き取れないほど、声が出ない状況にビックリ。
「ごめん、よく聞き取れない。
声が出ないのは分るから、聞き取れなかったところを聞き直すから、
イエス、ノーで答えて」と、そんな会話でした。
脳腫瘍はほかには転移はしておらず、ただ食べていないから、
体力がいちじるしく低下しているとのこと。
相変わらず何も愚痴らないけれど、その弱々しい声に…
この人も私の前から消えてしまうのではないかと、凄く怖くなった。
大切な人がいなくなることへの不安には、どうしても過敏な私。
彼女が弱音を吐いていないだから、彼女を信じようと無理に思い込むことにした。
そして、翌日実家の母から、聞かされたこと。
中学からの仲良しのお友だちが、
飲み会の帰りに自転車で転倒し入院しているって?!
ずう〜〜〜〜っと仲良くしていたが、息子を亡くしてからは、
一緒に子育てを楽しんでいたことから、会うのが辛く距離を置いてもらっていた。
それでも折り鶴の協力等はしてくれていて〜
お礼のメールに返信がなかったが、忙しいんだろうとそのままになっていた。
あ〜ぁ、あの子らしいな。
自転車でも飲酒運転は飲酒運転なんだよって、何時も言ったいたのに!!って。
そしたら母が、よく分らないけれど頭をぶつけたようで大変らしいよって…
ビックリして、まずはほかのお友だちに連絡し、母と同じ程度しか分らなかったら、
その子の家に電話をしたら〜
1/30に転倒し、頭がい骨骨折で脳内に大量出血、
それが脳を圧迫して手術を受け、とりあえず成功。
しかし、未だに意識が戻らず、今は山梨のリハビリの病院に入院中。
ようは植物人間状態って。
彼女とはいっぱいケンカもしたし、楽しいことも嬉しいこともいっぱい!!
お互いに良い所も悪い所をみんな知っている。
いっぱい心配もしてもらったし、気づかってももらった。
私の大切な大切なかけがえのないお友だち。
だから余計に心が折れそう…
息子の死、災害、原発事故、お友だちの病気に事故…
いつも通りに朝を迎え、明日が来ると言う補償などどこにもないと言うこと。
いつも通りの今があると言うのは奇跡なのかと思うほど、いろいろありすぎ。
神様なんてどこにもいない!!と確信。
もっともっと今を大切にしなくてはと思う。
今、私は何ができるのだろう?
何をすべきなのか?
本当に考えさせられてしまう出来事です。
飲んだら乗るな!!
乗るなら飲むな!!
自転車もね!!
皆さんもいつも通りの明日を迎えるために、お願いですからどうぞ守ってください。
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平和
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今日f主人夏休み最終日。
予定では、休みの間に日光の方へ山登りに行く予定でしたが、
私の夏風邪がどうもすっきりしなくて、今回は見送り。
でもせっかくお休み、どこかへ行きたくて〜
今年2月に霞ヶ浦近くにオープンした予科練平和祈念館へ。
私のイメージしていた建物とは程遠い感じ。。。
館内は残念ながら全て撮影禁止。
(撮影OKでもメモリーカードを入れ忘れていました。
予科練とは海軍飛行予科練習生。
世界大戦以降、航空機の需要が世界的に高まり、欧米に遅れまいと旧海軍が、より若いうちから基礎訓練を行い、熟練した搭乗員をより多く育てるために作られた。
昭和5年、14〜17歳の少年たちが、終戦までの15年間に約24万人が入隊。
うち約2万4千人が戦地へ赴いた。
死者は8割りの1万9千人にのぼった。
館内は予科練制服の7つボタンから、7つの部屋で構成され展示されていた。
1つの目の部屋は入隊。
「募集」と「志願」
少年たちが、大空への憧れや不況による生活苦のために入隊を希望。
この部屋には、募集チラシや試験の様子が展示されていた。
試験はかなり厳しく、突破した者たちは英知体力に勝れる超エリートたちばかり。
その者たちの顔立ちには夢と希望にあふれている様子。
まだまだ幼さが残る者も少なくなかった。
流されている映像で、訓練を受ける幼い少年たちを先輩である搭乗員が慰問激励。
その中でとても印象深いシーンが。。。
予科練訓練生 「実際に大空を飛んだ感じとはいかなるものでしようか?」
搭乗員 「空から見える物はとてもきれいで素晴らしい!!
中略
君たちも一日も早く私たちの後を継いで、優秀な海鷲となる事を切に希望する!!」
(記憶をもとに記したので、言葉の表現に違いがあるかもしれません。)
訓練生一同誰ひとり乱れることなく、希望に満ち満ちた真直ぐな瞳で、元気よく
「はいっ。」
思わず、なみだ 涙
2つ目の部屋は訓練。
予科練での厳しい生活や訓練の様子の展示。
生活そのものが全て訓練であり、訓練生同士良きライバルで常に競争。
3つ目の部屋は心情
手紙や日記、手記など。
数多くの手紙は、両親へ無事に入隊した報告や日々の生活の様子を記したり、
夢や希望に満ち溢れたものでした。
4つ目の部屋は飛翔
卒業後飛練や実用機教程を経て戦地へと旅立って行い、活躍した事。(パールハーバー)
一方で思いを遂げられず、様々な悲劇も。
戦死通知や天皇や海軍からの追弔金の不祝儀袋。(←表現が正しいのか不明)
戦死通知は、名前や戦死場所や日付欄等が空白で、主文は印刷されたもの。
空白は書き込みされ、漢字のカタカナが入り混じった文章。
海軍からの追弔金は225円だか255円くらいだったと思う。
今の価値にするといくらになるか不明だが、特攻で落とした若い命に値するとは到底思えない!!!
予科練出身は特攻にも多く起用された。
当初3年と言う訓練期間も戦況の悪化に伴い期間もどんどん短縮され、当然技術も未熟。
敵の攻撃をかわしながら飛行できず、思いを果たせぬまま空や海に散った命も多い。(黙祷)
数多くの遺書も展示され、どれを読んでも両親への感謝や謝罪、兄弟へ謝罪そして自分の分までの親孝行を。
天皇のためお国のためにと投げ出す命を誇りに思う。
どれもこれも見上げた絵に描いたような立派な日本男子ばかり。
このような人たちがもし生き残っていたならば、
今の日本はどうなっていたのか?!
ふと、そんな事を考えてしまった。
私が十代の時にそんな立派な思想など何処にもなく、いかに楽して成績を上げるか?
何処へ遊びに行くか? どこぞの何が美味しいとか? こんな服やあんな物が欲しいと…
戦後生まれの私たちは誰もがそんなものではなかっただろうか?!
平和ボケの私利私欲ばかりと、今さらながら反省。
私は見落としたみたいだけれど、主人が何処で見たのか1通の遺書の最後の方にこんな文が…
「借金 無し」 「異性関係 無し」
笑えてしまうけれど、とても悲しいです!!! 子どもたちにもぜひ読ませたいと思い、お土産に下の2冊を購入してきた。
5つ目の部屋は交流
予科練生を陰から支えた阿見の人々との交流。
休日の外出は楽しみにしている様子は、今の若者となんら変わらないように思う。
町の食堂では、赤字覚悟で育ち盛りのお腹を満たすため、丼物を提供。
写真屋さんでは写真を撮るのに、いつも長蛇の列ができたり〜
食堂も写真屋さんも面会に来る家族との面会所として場所を提供したり、
物資のないのに自前でお茶やお茶菓子まで。。。
若者らしく、淡い恋の話も。
6つ目の部屋は窮迫
映像と空襲にちなんだ資料と証言
とても生々しい映像と証言。
ハンカチは必須 。
元予科練生の体験を聞く会
8/22(日)am11:00〜 pm2:00〜 2回それぞれそ45分
『等身大の予科練−戦時下の青春と、戦後』が紹介されています。
7つ目の部屋は特攻
多くの予科練習生が犠牲となった「特攻」作戦を映像で紹介。
私が知っていたのは飛行機や人間魚雷くらい。
だけど戦況悪化に必死だった日本は、モーターボートや潜水服での特攻まで…
二度と会えないかもしれない別れのときなどに、
互いに杯に水を入れて飲み交わす水杯の光景が心に残りました。
悲しくも数多くの人々の命の犠牲のもと、
私たちの今の生活がある事を改めてかみしめる事ができたお出かけでした。
これからじっくり、買って来た冊子を読みたいと思います。
これより追記
たった今主人が帰宅。
そして、「今の若い者は予科練を知らないんたなぁ〜」と唐突に一言。
主人は予科練クッキーを会社にお土産として買って行った。
私はただのクッキーに、パッケージに予科練の絵の文字が印字されているだけ物と、受け止めていました。
しかし、それを持って行く事で、知らない人は「これっなんですか?」と興味を持ってもらえる。
今度からそんな風にお土産を選ぶの良いと思いました。
参考まで若い人と言うのは30歳前後の人だそうです。
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先週末の「ゆいの花公園で遊ぶ夏休み」で、中平先生の紙芝居上演がありました。 (先に野菜のお化けちょうちんはアップしました) 今年で2回目になりますが、毎年同じような時期で、 昨年とは違うものを数本上演しました。 しかし。今年も最後に原爆を取り上げた「二度と」を上演しました。 作者は松エイコさん。 今年たまたまお会いする機会があり、私と同世代で戦争は知ない世代でした。 お会いするまでは、てっきり体験された方と思っていました。 そんな方がなぜ?って… エイコさんは子どもの頃から戦争のTVを見る度、 気分が悪くなるほど恐怖に怯え、夜も眠れなくなっていたそうです。 大切な使命を背おられて生を受けたのでは?と、私は感じました。 「二度と」 前半は写真で戦争の恐ろしさ惨さを伝え、 後半はやさしいタッチで原爆を〜 原爆ドームとなった広島ドームの声。 学校に生えていた大きな木の声。 広島でたった一人生き残った8歳のアヤ子ちゃんの辛く悲しく恐ろしい体験。 最後にやさしい色ではっきりした絵で、全世界に向けて平和を願う思いを〜
小さなお子さんには難しい話ですが、でもみんな静かにしっかり見ていました。 戦争は絶対にしてはいけないことを、小さな心に刻み込んでくれたら嬉しいです!! 8日(日)エイコさんは長崎でこの「二度と」を上演され、 お話に出ていらしたアヤ子ちゃん(アヤ子さん)もご健在でお話をされたそうです。 NHKで放映されたといそうですが、私たちは松戸にいたため見られませんでした。 どなたかご覧になった方はいらっしゃいませんか?! そして中平先生から、思わぬプレゼントをいただきました。 届いたばかりで、まだ書店にも並んでいないかも知れない新作だそうです。 「ちいさな へいたい」 パウル・ウェルレプト作 野坂悦子訳 (先生は訳された野坂悦子さんと親しくしていらっしゃいます) とってもシンプルな絵に、お話もシンプル。 ぬいぐるみを持った男の子。 ある時その子の国が戦争をすることになり、兵隊に行くことになった。 絵では、軍服を着た兵士の横にぬいぐるみがいるんですよ!! 生きるために銃をもち、敵を打つ。 目の前で死んでいく仲間も何人もいる。 やがて戦争は終わり、勝利を喜ぶ人たちが祝っているが、 死んでいった仲間はかえってこないし、家を失った人たちもいる。 その子の家もなくなった… 家族は別のところに家を建て、温かく迎えてくれ日常生活に戻っていたが、 時々亡くなった仲間を思い出し、戦争をした意味が理解できなかった。 こんな内容を子ども目線で書かれている。 良い絵本ってみんなそうですが、読む人の心で読む本です。 小さなお子さんにもぜひ読み聞かせてあげてほしい!! 、
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お友達に誘われ平和と文化と子ども展にちょっと行ってきました。 そこに展示されていた「子どもは詩人」を紹介します。
ドキッとしたり、身につまされたり、笑えたり、ウルウルしたり 子どもの感性って素晴らしい。
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