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笑って水に流す
生命の源としての水 日本人と水のかかわり
(『歴史読本』日本人シリーズ「事典日本人と水」)
西日本には、「お笑い講」という、村人に笑ってもらうことで許しをえるやり方がある。
共同体の長などが、罪をおかした者を連れて村中を歩き回って、次のようにいって拍子木を打つ。
「東西東西、この男は、村の共同で刈るしばを無断でひとり占めした不届千万な奴です。本人は深く反省してお詫びを申して
おりますから、どうぞ皆さんこの男を笑ってやってくだされ」
そうすると村人たちは、集まってきてアッハハハハと笑ってやるのである。これは嘲りの笑いではなく、許してやるぞという笑いである。
日本には、笑いによって相手の罪を清め、魂が再生産されるという信仰があった。だから、罰が解かれることへの祝福の笑
いの意味になるのである。
有名な天岩戸神話は、須佐之男命の悪業に怒った天照大御神が天岩戸に隠れて戸を閉ざしてしまったので、世界は闇につつ
まれてしまったという話である。困った八百万の神々は天安河に集って対策を講じ、考え出されたのが、アメノウズメノミコトの踊りに合わせて、高天原が揺れ動くほど皆で笑うことであった.天照大御神は、いったい何事かと思って顔を出したところを天手力男神が運れ出して、世の中は再び明るさを取り戻す。
ここには、笑いは魂の力をふるい起こさせるカがあるという思想がある。笑うことによって、相手に取り懸いている悪霊をふり落とし、本人がもっている本来の良い魂を揺さぶり起こそうとしたものであった。
余談だが、日本には笑うことで厄落としをする遊びがある。羽根つきもそのひとつ。失敗した者は顔に墨を塗られるが、そ
の墨のついたおかしな顔を笑うことで、悪霊をふるい落とすのである。また、墨を洗い流すのは禊の行為となる。このほかに
も、顔に煤をぬり合って笑い合う行事なども見られる。
村八分の許され方というのは、村によっていろいろなやり方があったようである。その昔のやり方を見ると、罪を犯した者をただ制裁するのではなく、禊的な意味合いがあったことがわかってくる。
しかし、近年まで残っている村八分は、禊の意味は消えていき、単なるこらしめの措置として行なわれるようになってきた。
火事や葬式のときの助け合いも絶たれ、完全な仲間はずれとなってしまう。陰湿ないじめである。こうなると、村八分された
者は居たたまれなくなって、夜逃げも同然の格好でほかの土地へ移り住むしかなくなるのである。江戸時代に村八分された者が許される背景には、信仰や、江戸幕府が農民たちが勝手に土地を離れることを禁止していたためもあるが、根本に水に流せる思考があったための救済措置だったのではないだろうか。
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