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大崎上島にいた時の 子どもの頃の記憶
意外と覚えている
生まれた町から 大崎上島へ引越し 再び戻るまではそう長くは無かった
それは 私にとっては とても大切な記憶となっている
私の自我をつくったからなのか
1年生の1学期までは 中野小学校へ通った
夏休みは バタバタと過ぎ 家族で生まれ故郷へ引越し
お別れに クラスのみんなに鉛筆を渡した
鉛筆を入れた 紙袋には「うんどうかいには くるからね」と 全てに手書きした
でも 行けることは無かったけど
戻った町は 島とは違った
色々なものが違った
毎夜
パトカーのサイレンの音と 暴走族のバイクの排気音がけたたましく聞こえた
毎日寝れなかった
ちょうど80年代後半頃
暴走族など 絶頂期だったのかな
学校も違った
2学期からの引越し
すでに 友達やグループが出来上がった中には
いくら1年生と言えども 入るには気が引けたし 勇気が無かった
クラスには小児麻痺の男の子 A君がいた
でも 島とはまったく違った雰囲気だった
まず 彼A君を取り巻く皆が 無関心だった
身長の大きな女の子Sさんと 優等生の男の子N君が
世話役としていつも左右に「立たされていた」
特にSさんは A君と一緒にいるのが嫌だったようで
いつも機嫌悪そうな顔をして A君の横にいた
衝撃だった
島では 障碍のある子も変わりなく過ごせていたのに
この学校では 厄介者扱いをされている
あとA君は いつも担任のKに
「だめです!」と語気強く 注意ばかりされていた
おかげで 彼の口からは「だめです だめです だめです」と
その言葉ばかりが出てくるようになっていた
今思えば
もし自分の子どもが 学校に言ってから「だめです」ばかりを口癖とすれば
きっと先生から
「ダメダメ」ばかり言われているのだろうと予測ができる
なんて切ないんだろうか・・・
朝の会などが終わると
A君は 養護学級へと移動していく
そうするとSさんは 明るい顔に変わる
そんな状況を見て なんともいえない気持ちになった
そうさせている 先生も嫌だった
A君に 皆と同じように接しない先生
一番 先生が厄介がっていた
何であんな人が 教師をやっていたのだろうか
今思っても 本当に疑問だ
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