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C55は、1973年の時点では、南九州の日豊本線と吉都線および北海道の宗谷本線でのみ活躍の姿が見られたカマだった。
北海道では、旭川機関区に30号、47号、50号の3両のみが在籍し、もっぱら宗谷本線内の客レを牽引していた。晩年にはC55の全検切れに伴いC57が短期間導入されたが、宗谷本線の完全無煙化まで2両のC55が活躍した。
そのわずか3両のカマの内、昼間の名寄では2本の客レが交換するためC55の競演が毎日見られた。
この2本の列車は、いずれも宗谷本線内を全線走破する客321レと客324レで、名寄には、324レが先に到着し、321レの到着、発車を見送った後に、旭川に向け324レが発車するという順番だった。
画像は、6枚目を除き、拡大して見ることができます
写真は、後から到着し先に発車する客321レが名寄駅の1番ホームに到着するシーンである。場内信号で停められていたため、ホーム中頃まで猛烈な煙を噴き上げながら進入してきた。
正月明けの5日だったため両方向のホームとも乗車を待つ客があふれていた。
駅構内はラッセルやジョルダンにより除雪されているためスムースであるが、線路と線路の間には小さな山が出来ていた。カマは当然ながら雪が付いていないがデフの外側とかテンダー、客車の外板は白ずくめだった。
水切りの付いた大きなスポーク動輪は雪がこびり付いていてもその特徴は良くわかる。先輪は同じくスポークタイプだが径が小さいので雪によってプレート車輪のように見える。
元流線型の名残である特徴のある丸い屋根は、長年の酷使でかなり歪んでいた。カマの熱が届いているところと、そうではないところが如実にわかる。 プレートは、雪と鉄路による汚れが付くのか煤けて砲金の光りが全くなかった。
到着したカマは、客扱いをしている間に、一旦客車を切り離し、給水のため前進するための準備を行う。
カマ圧は十分らしく、時折加減弁が開いて近くにいるとうるさかった。
この角度からだと、特徴のある丸屋根が良くわかる。こちら=機関助手側=には旋回窓がない。
向かう先は、停止位置から数両分前方のホームが切れる辺りの給水設備の所である。
この次のシーンは「その2」につづく・・・。
撮影日は、1973年(S.48)1月5日。カメラは、ミノルタSR−3。フィルムは、Kodak-TriX。
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すばらしい!! 感激しました。
私は今年で52歳になります。
C62がニセコを引退したのが中学1年の時でした。
最高の年でしたが、そこで燃え尽きてしまいました。
2010/3/30(火) 午後 9:42
C53 43と、C55 20から40は、流線型ですが、C55は、整備の都合より、元の姿へと戻されましたね。
蒸気機関車の角度の、C55流線改は、安全弁座が、かさ上げしたまま、戻されており、独特の形態を、しておりますね。
水かきスポーク動輪も、C55の最大の特徴ですね。
小樽、手宮にも、C12と、共にC55が、展示されてます。
以前は、C62 3号機も、そこに居りました。
2010/3/30(火) 午後 10:29 [ - ]
良いですねC55!
スポーク動輪も相まって貴婦人C57より美しいと思うのですけど…。30号機は手違いで解体されちゃいましたけど、丸屋根よりは通常キャブの方が端整な容姿だと感じられますので、個人的にはこれで良かったかな。なんて思っています。でも、せっかく保存されている50号機も潮風のせいか、劣化が進んでいますよね…(;_;)。どうにかならないかしら…?
2017/3/14(火) 午後 6:46 [ けにちろ〜 ]
> けにちろ〜さん
保存機はもちろんですが、現役時代では、北海道のカマはあまりきれいではなかったですね。その点では九州、特に南九州のカマは本当に綺麗でした。綺麗といっても新規に塗ったっていうのではなく、ムギワラ等で懸命に磨き上げたって感じでした。おかげで写真写りも良かったです。
2017/3/21(火) 午後 2:02