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SL最後の夏、道内最終撮影日。最終日に選んだのは、この撮影旅行で3回目の夕張線。 常宿、岩見沢から夕鉄バスで若菜へ向かう。若菜で3本撮影して清水沢へ移動し、三菱石炭(元大夕張鉄道)を絡めて撮影。そして最終撮影地の紅葉山で4本撮影。苫小牧に移動し、「おおぞら3号」で日付変わって函館に着き。津軽丸に乗船し、青森から「はつかり1号」で上野というコース。 さて清水沢から紅葉山へ移動する734Dの車内から撮影したのが、このカマ。単5785レである。 最後の夏では、スノープラウを装着したままのカマも多く見られた。 夕方の17時前だがちょうど良い斜光で、しかも乗車列車の東側に停車していたので、サイドがばっちり撮影できた。 まだ発車までには時間があいているので煙は上がっていなかったが乗務員は乗車した状態だった。 当時、沼ノ沢駅構内はとても広く、後方には北炭夕張新炭鉱の最新選炭施設があった。また写真の左奥には、北海道炭礦汽船真谷地炭鉱専用鉄道(北端真谷地専用線)が乗り入れていた。 このカマは、1976年3月10日に追分区で廃車され、現在、東京上野の国立科学博物館にて静態保存されている。 撮影日は、1975年(S.50年)7月31日。カメラは、ミノルタSR-1s。フィルムは、Kodak TriX。
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SL最後の夏、道内3日目。岩見沢の常宿、越中屋をゆっくりめの出発。 この日最初は、客224レに乗車して追分に向かう。224レの牽引機は東京に保存が決まっていたC57 135!。 荷物を先頭の客車オハフ62-18に置いて早速カマの撮影。 九州のカマのようにすばらしく綺麗ではないが動輪などの下回りは程良く磨かれてていて好ましい。 発車まで、だいぶ時間があるので煙はまだ余り見えていない。ボイラー径の割に大きな前照灯と回転式火の粉止め装着のため煙突が長く見える。 しばしすると車内から何人かのファンが降りてきて撮影。 煙が少しずつ濃くなってきて発車時間が迫ってくるも、まだねばるファン。 他のファンが居なくなったところで、手早く近寄って撮影。煙の量も相当多くなってきた。 先輪付近はピカピカ。 キャブ回りは素っ気ない。暑い季節なので窓は全開! 発車1分前。まだ機関士は乗車していない。密閉式のキャブの様子がよくわかる。手すりは使用頻度の高さを物語っていた。 ここまで撮影して、客車に戻り乗車した。 撮影日は、1975年(S.50年)7月22日。
カメラは、ミノルタSR-1s。フィルムは、Kodak TriX。 |
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1975年秋、国鉄SL時代最後の秋である。この時点では、室蘭本線と夕張線だけになっていた。 9月、今回の撮影は、今まで行ったことのない場所に行くことを決め、2日目の日程では室蘭本線が室蘭からほぼ北東方向に進んできて北へ方向転換する早来の駅から約1.5km安平側へ進んだ小高い丘を目指した。 この丘はTopが標高55mと決して高くは無いが、周囲に高い山などない平原のようなところを走るので、このわずかな高さの丘でも十分俯瞰の雰囲気が出せる。駅まで距離があるので200mmの望遠レンズをセット。 丘からは上り列車が近づいてくるのは見渡せないため、基本的には下り列車が狙い目となる。しかも貨物列車は早来には止まらないので煙はあまり期待できない。 早来へのアクセスは室蘭本線の列車のみなので苫小牧から221レで行き2本後の225レで移動するとすると、撮影は約3時間。この間には、上り列車は5本あるが、下り列車は乗ってきた221レを含めて4本(丘からの撮影では3本)しかない。しかも上りの1本は、DD51だった。続いてきた上りの単機回送もDD51。従って本命、煙の期待できる列車は、C57牽引の223レのみ。 その客223レが早来に近づいてくるところから見え始めたが、ここでは割愛。 そして早来に停車して発車寸前の姿から。 発車直後。 すさまじい煙。もし窓が開いていたらひとたまりもないだろう。 SLダイヤ情報のダイヤグラムには記載がないが早来構内を出るとわずかに上り勾配がある。それも強力な煙の原因らしい。 ここから先はレベル(平坦)。 一番良い雰囲気なのだが、電線が邪魔をしている。 ズームレンズではなく固定焦点の200mmだったのでカマ全体を画面に入れるのが難しくなってきたが、交換している暇はないので諦めてシャッターを切る。 ほとんど横並びになる頃は、動輪を全部入れるのが精一杯だった。 もう動輪も2つしか入らなくなった。 撮影日は、1975年(S.50年)9月18日。 カメラは、ミノルタSR-1s。 フィルムは、Kodak TriX。
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旭川から乗車してきた客321レを和寒で下車。 すぐさまホームのベンチに荷物を置き、ホーム先端に走る。和寒では、上りの338Dと行き違うため停車時間が2分あるので少し気持ちの余裕があった。 到着前のデッキで三脚に二眼レフをセットしてあったのでこれと一眼レフを持ってカマの停車位置に向かった。 和寒からはきつい勾配はないが、スノープラウでの除雪をしながらの走行になるためか、大量に石炭がくべられ、猛烈な真っ黒の煙を吐いていた。 40年も前で駅の確認もままならないが、たまたま向かいのホームの駅舎・改札口付近に駅名板があり、狙っていなかったのだが、幸いなことに間違いなく和寒と確認が出来た。 降雪も多めで北からの風も強かったが煙は車両にまとわりつくことなく流れていった。 意外と停車している時間は長く感じ、その間どんどん石炭がくべられているようだった。。 対向の上り列車が少し遅れている様子で、ややのんびりした雰囲気になっていた。キャブは密閉式であったが、窓は開いていた。ボイラーの熱のこないところはすべて着雪し、凍っている様子だった。 上り列車が到着したので、カマの前の線路を渡って隣のホームへ移り、ホームの端までいって三脚を据え発車を待った。ややして発車の汽笛。相変わらず真っ黒な煙を吐きながら静かに力強く進んできた。 しばらく停車していたためか、ドレインを切ったときの蒸気の吹き出しはすさまじく、ものすごい迫力で、カマを隠してしまうのではないかとハラハラしたが、強い北風のお陰で先頭部はしっかり見えたままで助かった。 撮影日は、1973年(S.48年)1月4日。
カメラは、1〜6枚目までがミノルタSR-3、7,8枚目はマミヤC330。フィルムは、共にKodak TriX。 |
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雪晴れの網走構内に到着した石北本線の貨577レ。 当時、駅の北西部には小さな保線の小屋が7〜8軒並んでいた。その建物と南中央通(国道39号線)の間(=新町)に、食堂や宿が並んでいて、そこの「やよい旅館」を常宿としていた。駅から近かったこともさることながら、宿の路地を行くと、駅構内との間に柵もなく、簡単に線路に出ることが出来たのが理由で、特に夜間撮影の時にはとても便利だったのである。 列車は、その小さな小屋を左手に見ながら1番線ホームに滑り込んでいった。 隣の2番線には、釧網本線用の貨物列車が待機。 さらに山側の待機1番線には上り貨物用のC58が待機していた。 撮影日は、1973年(S.48年)1月7日。
カメラは、1枚目がマミヤC330。2枚目以降がミノルタSR-3。フィルムは、すべてKodak TriX。 |




