--- ★ 撮影日と掲載日が同日のシリーズ ★ --- 1971年夏、自力で行った初めての北海道観光&撮影旅行の最終日。 小樽から急客104レ「ニセコ」に乗車。牽引機はゴールドコンビのC62 2+3号機。指定席を取ってあったが、結局ほとんど席にはつかず、もっぱら使われていない車掌室に居座って、そこで乗車列車を車内撮りして行った。 掲載1記事の画像容量の関係で、小樽からの記事は以下のように分散してあります。 小樽駅 http://blogs.yahoo.co.jp/br1020er/8115276.html 小樽-余市間 http://blogs.yahoo.co.jp/br1020er/8263034.html 余市-然別間 http://blogs.yahoo.co.jp/br1020er/20613598.html 然別-銀山間 http://blogs.yahoo.co.jp/br1020er/21000580.html 小沢駅 http://blogs.yahoo.co.jp/br1020er/25767419.html 小沢-倶知安間 http://blogs.yahoo.co.jp/br1020er/folder/234449.html 104レは倶知安に到着し、行き違え列車待ち合わせのため、しばし休憩。 乗車ファンも、非乗車ファンもカマの前後に集まって撮影を開始。 乗務員はチェックに余念がない。太いボイラーが威圧する。 本務のC62 3と連結されている郵便客車。客車の所属は、盛アオなので、青函連絡船に載って行く車輌らしい。 2号機の回りにはファンがたくさん集まっていたが、本務機の近くからはすぐ人がいなくなったのでパチリ。 そして乗車組は早々と車内に戻ったらしく、誰も居なくなった。 こうして見るとスワローがはっきりと見えるのだが、走行中は角度的に見えにくいらしい。 発車寸前。既に乗車組は誰もいない。でも私も乗車組。 指定席の客で、小樽から車内で撮影しているのを車掌さんも知っていたらしく、私と他の何人かが完全に乗車するまで発車を待っていてくれた。 撮影日は、1971年(S.46年)8月23日。カメラは、ミノルタSR-3。フィルムは、Neopan-SS。 このネガフィルムは保存状態があまり良くなく、一部にカビが生えてしまった。修正を試みましたが、その量がとても多くて修正が完全にはできていません。見苦しいのはお許し下さい。 |
函館本線のSL
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--- ★ 撮影日と掲載日が同日のシリーズ ★ --- 1971年夏、自力で行った初めての北海道観光&撮影旅行の最終日。 小樽から急客104レ「ニセコ」に乗車。牽引機はゴールドコンビのC62 2+3号機。指定席を取ってあったが、結局ほとんど席にはつかず、もっぱら使われていない車掌室に居座って、そこで乗車列車を車内撮りして行った。 掲載1記事の画像容量の関係で、小樽からの記事は以下のように分散してあります。 小樽駅 http://blogs.yahoo.co.jp/br1020er/8115276.html 小樽-余市間 http://blogs.yahoo.co.jp/br1020er/8263034.html 余市-然別間 http://blogs.yahoo.co.jp/br1020er/20613598.html 然別-銀山間 http://blogs.yahoo.co.jp/br1020er/21000580.html 小沢駅 http://blogs.yahoo.co.jp/br1020er/25767419.html ここ小沢からは、倶知安峠を越え、羊蹄山を見ながら倶知安駅へ向かいます。 倶知安峠までは約8km(レベル=水平=になるのは倶知安トンネル=長さ約1km=を出た直後あたり)で、そこに至るまで、20パーミルの急勾配と、R300、R250という急曲線が連続し、しかもこの小沢-倶知安間の10.3kmを15分で走るようにダイヤの設定がされている=すなわち時速41.2kmで走り抜く必要があるということ。元々高速度で走るように設計されているC62。当然急勾配、急曲線を走るには無理が生じる形式です。パワーが災いして空転しやすいという欠点もありました。 しかも助走区間は小沢構内の数百メートルのみ。構内を飛び出す頃には60〜70km/hにしておかないと、サミットまで持たない。(実際、運転が終了した1995年までには数回空転があって、最大の1991年11月には3回退行を繰り返し、最後は2km近く退行をしてやっと通過して行ったそうです。) 従って、他の地点では見られない程の猛烈な加速をして小沢構内を走り行く。 急カーブと急勾配が続くが、車中からの撮影では、2号機のスワローがかろうじてしか、確認できません。場所は、たぶん堀株川を渡りきったあとの左カーブだろうと思います。 ブッシュがほとんど無く、足回りが良く見えるカーブ。ワイズ温泉に通ずる小さな踏切付近。 その先の左カーブ。 国道5号線がオーバークロスする少し手前付近。スワローがかすかに見える。 国道のオーバークロスを通過した後の今度は右カーブ。光線の関係でボイラーが光って格好良い。 次は、倶知安駅でのシーンとなります。 撮影日は、1971年(S.46年)8月23日。カメラは、ミノルタSR-3。フィルムは、Neopan-SS。 このネガフィルムは保存状態があまり良くなく、一部にカビが生えてしまった。修正を試みましたが、その量がとても多くて修正が完全にはできていません。見苦しいのはお許し下さい。
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--- ★ 撮影日と掲載日が同日のシリーズ ★ --- 1973年(S.48年)夏の北海道。2日目の行程は、小沢駅前の武田旅館からスタート。 早朝は国道を走るバスの便がないことから、宿の好意により車で峠下まで連れて行って貰った。 最初にD51が牽引する客130レが来たが、これは準備が間に合わず見送り。その次のC62 3の牽く客137レが本命であったが、これもギリギリで、しかも逆光気味であまり綺麗な写真は撮れなかった。(すでに記事upしてあります) そしてその次に来たのが、貨1192レで、この写真。倶登山川橋梁。(峠下-倶知安間) 撮影日は、1973年(S.48年)8月14日。カメラは、マミヤC330。フィルムは、Kodak TriX。
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噴火湾に沿って北上、乗車中の客229レからのスナップ。 当時の時刻表が見つからないので、正確には判らないが、最近入手した1969年(S.44年)4月25日改訂のダイヤグラムによると229レは、3D「北斗1号」に石谷で追い越されるとある。 次はD51 1153の牽く貨物列車との交換だが駅名が判らない。 次の写真は、線形から野田生ではないだろうか。 そして複線区間を走る。 草を啄む乳牛の姿。 線路と海の高さに差が少なく車窓から見える景色としては抜群だが、大きな波が来たらひとたまりも無いだろうと思ってしまう。 こちらは、当229レの駅到着前に、先に到着して待機している貨物列車。 カマはD51 710。正面プレートがよく光っていて格好良い。 撮影日は、1971年(S.46年)8月14日。カメラは、ミノルタSR-3。フィルムは、Kodak PlusX。
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D51 1017が牽引する長距離普通客車列車229レは、森から噴火湾に沿って北上してゆく。 森に着いたときに上り線に停まっていた貨8282レ。 森からは噴火湾に沿って北上するが、特に森-黒岩間は、落部、野田生、八雲駅付近を除いて海岸線に近いところを走っていた。 一部の区間では複線化工事は始まっていたが、当時まだ単線区間だった桂川-石倉間は、特に防波堤のすぐ横を通るようなロケーションであり、最後尾の客車(7両編成)から海を入れての撮影ができた。 正確な場所は判らないが、これらの区間では複線化する際に、もう少し山側に移設したり、トンネルで通過するようになってしまったので、今ではこの風景は見られないらしい。 撮影日は、1971年(S.46年)8月14日。カメラは、ミノルタSR-3。フィルムは、Kodak PlusX。
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