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旭川から乗車してきた客321レを和寒で下車。 すぐさまホームのベンチに荷物を置き、ホーム先端に走る。和寒では、上りの338Dと行き違うため停車時間が2分あるので少し気持ちの余裕があった。 到着前のデッキで三脚に二眼レフをセットしてあったのでこれと一眼レフを持ってカマの停車位置に向かった。 和寒からはきつい勾配はないが、スノープラウでの除雪をしながらの走行になるためか、大量に石炭がくべられ、猛烈な真っ黒の煙を吐いていた。 40年も前で駅の確認もままならないが、たまたま向かいのホームの駅舎・改札口付近に駅名板があり、狙っていなかったのだが、幸いなことに間違いなく和寒と確認が出来た。 降雪も多めで北からの風も強かったが煙は車両にまとわりつくことなく流れていった。 意外と停車している時間は長く感じ、その間どんどん石炭がくべられているようだった。。 対向の上り列車が少し遅れている様子で、ややのんびりした雰囲気になっていた。キャブは密閉式であったが、窓は開いていた。ボイラーの熱のこないところはすべて着雪し、凍っている様子だった。 上り列車が到着したので、カマの前の線路を渡って隣のホームへ移り、ホームの端までいって三脚を据え発車を待った。ややして発車の汽笛。相変わらず真っ黒な煙を吐きながら静かに力強く進んできた。 しばらく停車していたためか、ドレインを切ったときの蒸気の吹き出しはすさまじく、ものすごい迫力で、カマを隠してしまうのではないかとハラハラしたが、強い北風のお陰で先頭部はしっかり見えたままで助かった。 撮影日は、1973年(S.48年)1月4日。
カメラは、1〜6枚目までがミノルタSR-3、7,8枚目はマミヤC330。フィルムは、共にKodak TriX。 |
宗谷本線のSL
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--- ★ 撮影日と掲載日が同日のシリーズ ★ --- 相変わらず曇よりとした天気。 浜頓別の満月旅館を朝7時過ぎに出発。途中中頓別で天北線の貨1791レを撮影して音威子府に移動。 音威子府機関支区を訪問し、上りの客324レと天北線の貨1793レの発車を撮って、340Dで南下。下りの客321レを迎え撃つため恩根内で下車。 音威子府-名寄間は、大した勾配もないため天塩川に絡めるのがポイントだが、夏場はブッシュも背が高く足場確保が難しい。 恩根内での340D発車から321レの到着までは約40分。ゆっくりは出来ない。 この区間、煙は期待できないが、とにかく紋穂内に向かって線路端を歩いて行った。約2km行った110.8キロポスト付近で通過予定まで5分となったので、線路脇が少し広い場所を見つけてカメラセット。あまり時間がなかったので6x9判カメラだけで撮ることにした。 姿が見えたのはC5550。絶気でかすかに蒸気が見えるだけだった。 標準レンズなので小さくしか写らなかったが、そこは解像度の高いフジノン。トリミングをしても結構見られる画像になった。 このあと恩根内からの上り列車は2時間半ほどない。宿泊は名寄本線の興部を予約してあったので、のんびりと待っては居られない。幸いにも平行する国道40号線には恩根内から名寄までのバスの便があり、このバスで名寄駅前まで移動した。料金は390円。所要時間は1時間と、当時のメモに記入してあった。 このバス車内からロケハンすると、ちょうど恩根内と紋穂内の中間付近だと天塩川のすぐ脇を線路が通っていて、山も接近しているため、崖をよじ登れば川を入れたシーンが撮れそうだった。また、あとで地図を見ると崖の上は河岸段丘のようになっていて道もあり、少し丁寧に探せば川と線路をまとめて俯瞰出来る場所もありそうだったが、後の祭り! 撮影日は、1974年(S.49年)8月19日。カメラは、フジカG690BL。フィルムは、Kodak-TriX。
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--- ★ 撮影日と掲載日が同日のシリーズ ★ --- 土砂降りの雨! それでも力強く発車して行く姿はバッチリ捉えられた。 到着から撮影していたので、牽引機はC55の30号機と判っていたが、それでも、この悪天候の中でスポーク動輪を真横からブレずに撮れたのは幸いだった。 牽いている客車も狭窓で抜群に格好いい! この区間、音威子府川を渡りきるまでは足回りがバッチリ見え、特にスポーク動輪は映える撮影ポイントだった。 川の土手に上がると手塩川に沿ってS字に抜けて行くところまでずーっと見られるが、道路からはこの辺が限度となる。 撮影日は、1973年(S.48年)8月18日。カメラは、マミヤC330。フィルムは、Kodak-TriX。 撮影後・・・ 気持ちよく駅に戻り、駅で待っていた後輩達と駅前の予約しておいた宿に行くと、なんとオーバーブッキング(水害があり前日の客が足止めになっていたことなどが重なったらしいが)で、宿泊不可能ということになってしまった。私からの予約は、後輩を連れて行くことから1ヶ月以上前にTELで予約していたのだが、そのような客は稀!ということで忘れられてしまったらしい。 もう1軒、民宿に近い宿もあったが、そこも満員で、とにかく何とかしてくれと頼み込んで探して貰ったところ、1時間くらい掛かって、なんとか幌延の宿が受け入れてくれると云うことになった。 ただ雨がすごくて列車がなかなか来ず、ヤキモキ。結局2時間遅れで到着した345Dに乗り幌延に向かった。宿には21時前に着いたが、当然夕食はなく、音威子府で列車を待っているときに食べたラーメンのみというみじめな宿泊となってしまった。 時期的な問題もあると思うが、どうも私と道北との相性が悪いらしく、SLを追っていた約5年間を通算してみると雨が一番多く、晴れ渡った好天気が少なかったように思う。
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--- ★ 撮影日と掲載日が同日のシリーズ ★ ---宗谷本線の客レ、最後の夏。 岩見沢の常宿を出発し、岩見沢構内で3本撮影した後、801M「かむい1号」で旭川。乗り継ぎは313D「なよろ1号」でロケハンを兼ねて名寄まで乗車。 撮影ポイントを士別と名寄の間、現在、士別市の多寄駅と名寄市の風連駅の中間付近にある瑞穂乗降場(瑞穂は、1956年(S.31年)9月1日に仮乗降場として開設され、1987年(S.62年)4月1日に駅に昇格)付近と決めた。 今となっては、なぜこの場所を選んだのか定かではないが、多分、他の撮影者が居ない、かつ平凡な日常生活的な絵を狙ったように思われる。 この瑞穂で客321レ、客324レ、貨1394レ、貨1397レの4本を撮影すると決めた。この間約2時間半。ただし、最初の321レに間に合う1本前の列車338Dからは1時間半空いていた。時刻表で調べると、宗谷本線と平行して国道40号線があり、そこにバス路線が見つかった。 それで名寄から乗車した338Dを一旦風連で下車、風連で昼食を摂ってバスで瑞穂の近くまで行った。バスを降りてから気がついたのだが、バス停は実際に降りた「30線」よりも「31線」の方が乗降場に近かった。 瑞穂付近の線路は、多寄側に緩い勾配があって、下り列車は坂を下ってレベルになったところに瑞穂の短いホームがあり、この先、風連側は平坦な牧草地の中を進んで行く。 また線路の東側の少し離れたところに小高い丘があり、そこに陣取って撮影をした。 ただし、この場所には店というものが全く無い。もちろん乗降場には上屋が無く、水もトイレもない。また回りに建物といったら民家だけ、もし雨が降ってきたら退避できるところもないという場所でもあった。(頼んで民家の軒先を借りるのが精々) バスを降りてから321レが来るまでの時間は25分ほど。結構急いで丘を駆け上ってカメラをセット。 写真では分かりにくいが、牽引機は間違いなくC55。キャブの形から50号機と判断。 それから2時間半の間、人を見たのは、丘の上から下ってきて線路をまたいでバス停に向かっていった、写真の女性ただ一人。 店も自販機も水も無く、影になる場所も無かったので炎天下で辛かった。どうせ誰も来ないし、と、早くも秋空!の雲を見ながら、飛び跳ねていました。 撮影日は、1974年(S.49年)8月16日。カメラは、ミノルタSR-1s。フィルムは、Kodak PlusX。
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台風9号の接近で久しぶりの雨も、豪雨となった本日の記念大雨の音威子府。 名寄でC55牽引の客321レと客324レの交換を撮影した後、下りの急行「天北」で先回りして音威子府で再び321レを撮影する。 しかし、この日は朝から大雨。名寄からの急行303Dは、日進の先から蛇行しながら流れる天塩川に沿って北上する。この大雨で天塩川はものすごい水量で、場所によっては氾濫状態だった。 音威子府には321レの到着の約30分ほど前に着いたが、一向に雨足は衰えなかった。 それでも6x6判と35mmのカメラを持って駅構内を咲来側へ向かった。 321レは音威子府で16分停車するので、その間に筬島側に行けば、発車シーンも撮影できる。それを考慮して、移動可能な範囲の場所に三脚を据えた。 少々遅れて321レの姿が見えた。真夏の15:00だというのに、もう夕方の雰囲気だった。 止めて撮るには限界という位置でシャッターを切る。 巻き上げセットの早いマミヤのお陰でもう1枚。 撮影日は、1973年(S.48)8月18日。カメラは、マミヤC330。フィルムは、Kodak-TriX。
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