★福chanのSL写真(北海道・東北編)★

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夕張線のSL

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SL最後の夏、道内最終撮影日。最終日に選んだのは、この撮影旅行で3回目の夕張線。

常宿、岩見沢から夕鉄バスで若菜へ向かう。若菜で3本撮影して清水沢へ移動し、三菱石炭(元大夕張鉄道)を絡めて撮影。そして最終撮影地の紅葉山で4本撮影。苫小牧に移動し、「おおぞら3号」で日付変わって函館に着き。津軽丸に乗船し、青森から「はつかり1号」で上野というコース。

さて清水沢から紅葉山へ移動する734Dの車内から撮影したのが、このカマ。単5785レである。
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最後の夏では、スノープラウを装着したままのカマも多く見られた。
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夕方の17時前だがちょうど良い斜光で、しかも乗車列車の東側に停車していたので、サイドがばっちり撮影できた。
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ただし、画角の関係でテンダーまで全部は入らなかった。

まだ発車までには時間があいているので煙は上がっていなかったが乗務員は乗車した状態だった。
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当時、沼ノ沢駅構内はとても広く、後方には北炭夕張新炭鉱の最新選炭施設があった。また写真の左奥には、北海道炭礦汽船真谷地炭鉱専用鉄道(北端真谷地専用線)が乗り入れていた。
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このカマは、1976年3月10日に追分区で廃車され、現在、東京上野の国立科学博物館にて静態保存されている。


撮影日は、1975年(S.50年)7月31日。カメラは、ミノルタSR-1s。フィルムは、Kodak TriX。
 --- ★ 撮影日と掲載日が同日のシリーズ ★ ---

1975年、最後の夏は、後輩と二人で Recordingと撮影を兼務。今と違いテープ全盛でアマチュアとしてはカセットテープによるもので、機関士のサービスでマイク近くで汽笛を鳴らそうものなら音が飽和して情けない音になってしまうのが寂しいことでもあった。

しかも録音時にはシャッター音が混じると興ざめするため、録音中は撮影をするわけには行かなかった。

後輩には録音機材の移動を手伝ってもらっていて、彼は基本的に撮影をしていたので、その彼のポジションも避けながらマイクを設置することが必要だった。同時に、録音を早めにスタートしておき、私が彼のポジション近くに行って、撮影もするというような行動をしていた。

それも彼が9日間で先に帰郷し、残りの2日間はワンポイントステレオマイク1本とカセットデンスケを持ち一人二役をこなして、撮影と録音を行なった。

その最後の日程に選んだのが夕張線だった。

この日は、常宿の岩見沢、越中屋旅館で録音機材の荷造りをして、宿の方にチッキの発送を依頼、昼前の夕鉄バスで若菜(夕鉄若菜駅前)へ。

ここから清水沢に向いながら撮影&録音。

3列車目の撮影が、この貨5797レだった。
イメージ 1


望遠レンズを覗いているとカマに平行するように自転車が走ってくる。一瞬「ウ〜ン」と思ったが、最後の夏だ、仕方がない・・・

トンネルのないこの区間では通常ライトは点灯しないのだが、多分ここまでの区間でも多くのファンが撮影しているみたいで、機関士のサービスで点灯してくれていたようだった。
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この辺りから、カマが2ケタナンバーでなめくじタイプであることが確認できた。またこの撮影後、撮影ポイントを線路の左側から右側に移動。線路を渡ったがカマの速度が遅く、十分離れていたので、あまり良いことではなかったが、問題になることはなかった。

そして直線区間に入ってきた頃から上り20パーミルの勾配になるため、煙の量が徐々に増えてきた。
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自転車はサイクリストで明らかにカマと併走していた。
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煙はどんどん増えて、迫力が増してきた
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手前、線路の上の鉄橋は、夕鉄の線路である。
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この区間は谷間のようになっていて、しかも風がカマに向かって吹いていたので、終始煙でカマが隠されることが無くラッキーだった。
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煙室上部がすっきりしているナメクジ独特の姿が美しい。
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夕鉄の鉄橋と交差し、抜けたところ。すごい黒煙だ。
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通過した直後。機関士は涼しい雰囲気で終始白い手袋が見えていた。
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走り抜けたあとは煙に包まれてしまい、しばらくは動けなかった。
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撮影日は、1975年(S.50年)7月31日。カメラは、ミノルタSR-1s。フィルムは、Kodak-TriX。



なお、D51 70の履歴、および現在の保存場所等については、当ブログの以下の記事を参照下さい。

国鉄時代、最後の蒸気機関車牽引旅客列車が運用される前夜、追分ではあまり知られていない、もう一つのイベントがひっそりと行われた。

翌日の最終旅客列車を運用するC57 135を先頭とする、室蘭行、客228レが走り去った後、一旦宿(岩手屋旅館)に戻り、休憩と夕食を摂って、再度追分構内に戻った。

夕張線の貨5787レを撮るためであった。

5787レの追分発車時刻は16:22。既に真っ暗で構内の照明灯により、見た目には明るく感じたがASA400のTriXでもF4.5(開放)で1/60がやっとだった。

昼間と同じ、北側の踏切から少し駅よりの場所に構えて待っていた。

発車は定刻だったが、いつもよりは煙の量が多く感じた。
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照明灯を越えて夕張線へ亘って来た頃から、カマ正面がいつもと違う雰囲気を感じたが、他のファンにも特段の動きはなく、そのまま構えてシャッターを切っていた。
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なんと、フロントには「ゆく年 ←75 76→ くる年」の大きな看板が掛けられていた。
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目の前に近づくと白枠に黒文字黄色背景でとても大きな文字、看板を載せていた。
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まだ12月13日なのにと、やや呆気にとられながら、シャッターを押し、過ぎ去って行くのを見送った、覚えがある・・・

後で、周りの人から聞いた話では、NHK-TVの取材のための施行だったそうである。どこで撮影が行われるかの情報は結局聞かれなかったが、SL自体の運行が大晦日までは行われない、ということもあって、天候予想からこの日に行われることになったらしい・・・

TVの撮影は、周りが広く(山が接近していない)て、原野っぽく、直線部が長い東追分-川端付近で行われたのではないかと、予想したが、実際の放映を見なかったので、本当に使われたかどうかは確認しようがなかった。


撮影日は、1975年12月13日。カメラは、ミノルタSR-1s。フィルムは、Kodak-TriX(ASA1600増感)。

写真の画面には、長尺フィルムを扱ったときの縦方向の薄いキズが出てしまっているが、基本的に空の部分の白ポチは、キズではなく星である。この日の天候は快晴。気温は16:00の時点で-15℃だった。
 --- ★ 撮影日と掲載日が同日のシリーズ ★ ---

かって夕張鉄道の若菜-鉱業所前間にあった夕張線とのオーバークロスからの撮影である。

夕張線の上り列車は石炭を満載するものの、ほとんどが下り勾配であるため、力行するのは、滝ノ上-川端間の夕張川を渡ったあと、川端までの上り勾配と停車駅からの発車シーンのみであった。

写真の貨5784レも下り勾配をのんびり走っていった。
イメージ 1

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貨車は9両と少なかった。
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この踏切は列車の進行方向の左上に出来た「ゆうばりユーパロの湯」という日帰り温泉施設へ国道38号線から出入する踏切として現在も使用されている。
イメージ 5


現在では右側に国道38号線が線路と並んで通っているが、ここからは当時はさびしい谷間(?)だった。
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左へ曲がる轍のところが、現在は温泉施設への入り口だが、当時はなにがあったのだろうか。
イメージ 7


列車は淡々と滑るように走っていった。
イメージ 8
当時は興味がなかったので気がつかなかったが、進行方向の高台には、立派なアンテナ(多分アマチュア無線)が建っている。

折しも左からトラックが出てきたが、なんかすごく年代物という感じで面白い。
イメージ 9


乗用車も現れたが、知り合いらしく、しばらく、この状態で停まっていた(話をしていた)。アンテナが立っているあたりは「日吉」という地名の場所である。
イメージ 10



撮影日は、1975年(S.50)7月31日。カメラは、ミノルタSR-1s。フィルムは、Kodak-TriX。
1975年夏の北海道行きは、撮影を犠牲にしても、SL終焉のその勇姿を音で捉えることにしていた。

アマチュアの録音畑としては毛が生えた程度のものだったが、ステレオマイクを含め計5本のマイクと総延長70m弱のケーブルにミキサーを装備したマルチマイクでの録音だった。今ならPCM録音でも小さなマシンで簡単に録れるが、当時はアマチュアのカセットデンスケでさえ、大きく重かった。

さて、その最終日。岩見沢の常宿でチッキで送り出す、マルチ録音の装備を梱包し、ステレオマイクとカセットデンスケに何本かのテープ、バッテリー類とカメラ装備一式を持って出発。(マルチの装備一式は宿に発送を頼んでいた)

梱包やら手続きに時間が掛かり、宿を出たのは11:00前になっていた。最終日に向かうのは夕張線。

岩見沢駅前から夕鉄バスで若菜下車。夕鉄の若菜駅は鹿ノ谷と清水沢の間、中間地点よりは鹿ノ谷寄りの地点にあった。

カメラは、若菜バス停から若菜駅へ向かう夕張線の踏切の近く、38キロポスト付近に構えた。

見えてきたカマはわずかな勾配にもかかわらず夏場としては結構煙を上げていた。
イメージ 1
踏切警報が鳴り出した頃、踏切近くにファンが現れてしまったが、夏休みでもあるし、終焉の年でもあるのでしかたがないか、と諦めた・・・。

貨5792レである。遠目には単機のように思えた。
イメージ 2
飛び込むようにして来たファンは踏切付近をカマが通る頃には引き上げていったので、ヤレヤレという感じだった。

近づいて見れば、単機ではなく、ワフ1両を牽いていた。
イメージ 3


それにしてもプレート回りが汚いカマだった。
イメージ 4


この先、線路は左にカーブし、夕鉄の跨線橋をくぐると一気に下って行く。
イメージ 5


ちなみにこの列車もワンポイントステレオマイクで収録した。(録音はシャッター音が入らないで、音の良さそうな場所を探す必要があり、結構準備に時間が掛かった。)


撮影日は、1975年(S.50)7月31日。カメラは、ミノルタSR-1s。フィルムは、Kodak-TriX。

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