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雪晴れの網走構内に到着した石北本線の貨577レ。 当時、駅の北西部には小さな保線の小屋が7〜8軒並んでいた。その建物と南中央通(国道39号線)の間(=新町)に、食堂や宿が並んでいて、そこの「やよい旅館」を常宿としていた。駅から近かったこともさることながら、宿の路地を行くと、駅構内との間に柵もなく、簡単に線路に出ることが出来たのが理由で、特に夜間撮影の時にはとても便利だったのである。 列車は、その小さな小屋を左手に見ながら1番線ホームに滑り込んでいった。 隣の2番線には、釧網本線用の貨物列車が待機。 さらに山側の待機1番線には上り貨物用のC58が待機していた。 撮影日は、1973年(S.48年)1月7日。
カメラは、1枚目がマミヤC330。2枚目以降がミノルタSR-3。フィルムは、すべてKodak TriX。 |
石北本線のSL
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--- ★ 撮影日と掲載日が同日のシリーズ ★ --- 1971年の夏、自力で行った初めての北海道旅行をした。特に函館周辺以外では初めての道内だったので、主力は観光旅行であり、SL撮影を兼ねる、という感じだった。 SL撮影では情報としては、まだ、雑誌「鉄道ダイヤ情報」が発売される前であったため、キネ旬の月刊誌「蒸気機関車」や「鉄道ピクトリアル」などの月刊誌だけが頼りで、かつSL撮影は素人だったので、どちらかというと移動のついでに撮るという撮影方法だった。 その意味でも、せめてこの時からでも本格的に撮影していれば・・・と悔やまれる思いも残る。 写真は、道東の定番観光である、川湯、硫黄山、摩周湖、屈斜路湖、美幌峠と巡った後、旭川に向かう604D「大雪3号」を待つ美幌構内に停まっていた貨598レを撮影したものである。 当時のメモには「切取デフ」と記入されていたが、今から思うと、このカマ(33号機)は、晩年、門デフを装備していたことで人気があったということから、逆に道内の標準型である切取デフを装備していて、珍しい姿ともいえる。 最終配置は北見区であるが、当時はまだ釧路区に所属していた。 撮影日は、1971年(S.46)8月19日。カメラは、ミノルタSR-3。フィルムは、Konipan-SS。 C58 33は、1938年(S.13)11月、川崎車輌で誕生。C58としては最初に製造されたグループである。製造は汽車会社と川崎車輌の2社のみで行われた。 新製配置は不明だが、1941年には熊本、のち九州内を転属し、1961年には四国の松山、1964年に小松島を経て、1967年に釧路、のち五稜郭を経て1971年(S.46)7月17日に再び釧路区へ転属。1974年(S.49)5月17日には北見へ転属した。翌1975年6月25日付にて廃車、同時に保存扱いとなった。現在は斜里郡清里町の羽衣児童公園内に屋根付で静態保存されている。 なお、デフは、道内に転属したときに切取デフに変更され、1971年7月に釧路区にて僚機C58 385から後藤式門デフを移設したということになっている。 また385号機は1973年(S.48)10月に廃車(釧路区)されている。(1972年7月30日に撮影したときには切取デフを装備していた=後日up予定) 上記事実から、385号機から門デフを移設した時期は1971年7月ではなく、撮影日以降である1971年8月21日以降(運用から)〜翌1972年7月以前と思われる。
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--- ★ 撮影日と掲載日が同日のシリーズ ★ --- この日は、後輩3名を連れて前日の午後からの観光(硫黄山、屈斜路湖、和琴半島および美幌峠)を済ませて、美幌から遠軽を経て名寄本線の常宿としていた興部の宿を目指していた。 美幌からは、8514D「大雪51号」に乗車し、留辺蘂下車。後輩達は一旦分かれて、このまま旭川方面に観光に行き、翌日午後、名寄で合流する事になっていた。 自分は留辺蘂から、普通列車に乗換、ロケハンを兼ねて遠軽へ向かった。その途中、金華で遅れている1031D「オホーツク」の交換のためしばらく停車することになった。ふと前方を見ると側線にD51が1輌止まっていた。 近づいて見ると、無火でナンバープレートもメインロッドもそのままであったが、明らかに長い期間走っていない様子だった。 しかしカマの状態は良く、今にも走り出しそうな雰囲気があった。 カマは、全体の様子から一休もしくは二休と思われたが、ナンバープレートが付いたままなので、保存扱いと推測した。 キャブのドア取っ手は針金で止めてあり、車内も稼働状態と全く同じだった。この角度からだと寒冷地仕様の密閉式キャブがよくわかる。 側線の短いホームは全く使われて居なく草が生え放題だった。 特急がまだ到着していないのを確認して全体像を撮影。ただし金華駅は北西-南東方向を向いているためお昼前後ではほぼ逆光だった。 乗ってきた、特急待ちの558Dは、1両のみの列車で、車輌は、キハ12の1号車だった。ちょうど向かえのところにあった趣のある給水塔。17tの文字が見えるが、当時では実際に使用されていたかどうかは、その姿を一度も見られなかったので未確認である。 撮影日は、1973年(S.48)8月17日。カメラは、ミノルタSR-3。フィルムは、Kodak-PlusX。
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--- ★ 撮影日と掲載日が同日のシリーズ ★ --- 斜里を05:46に発車する釧網本線内のSL牽引一番列車である貨5672レ、北見行である。5672レの始発は釧路操なので、斜里まではDL牽引と思われる。積荷は主に石油製品で割と綺麗な列車編成となる。 この区間はほぼ平坦線で、美幌川を渡る美幌川橋梁に向かうところにわずかな勾配があるのみで、淡々と走ってくる。 カマのナンバーは写真からは確認が出来なかったが、給水ポンプの位置やパイピングの形、テンダー形式などから119号と判定した。 美幌川橋梁は珍しくコンクリート橋で、しかし全く遮るものがなく、足回りが綺麗に撮影できる橋梁だった。ワフのストーブ用煙突がいかにも北海道の車輌らしくて好ましい。 川を渡りきると、ほぼ90度左に大きく曲がりながら下り込み美幌構内へ滑り込む。列車は、対向の611D「しれとこ2号」の交換待ちで14分停車する。 撮影日は、1973年(S.48)8月15日。カメラは、マミヤC330で、フィルムは、Kodak-PlusX。
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--- ★ 撮影日と掲載日が同日のシリーズ ★--- 端野では、上下線の列車が交換する姿が多く見られた。 この時は上り列車が先発だったが、貨物列車では、入換作業を伴う列車もあり、駅務員はポイントの切り替えやタブレット交換のため自転車でホーム上を走り回る姿が見られた。 遠方から見ていると弱番であること以外は分からなかった。 近づいて見たら門デフ搭載機だった。 当時は、端野の次は北見で、端野−北見間はほぼ直線だった。 撮影日は、1972年(S.47)7月26日。カメラは、ミノルタSR-3。フィルムは、Kodak-PlusXだった。
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