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関東以西で、初めて撮影したカマ(SL列車)の写真となったのが、この列車だった。
前日11時過ぎに自宅を出発。横浜、小田原を経て新幹線で米原へ。
米原17:00発の急客6203レ「屋久島2号」に乗車。当時、東海道本線には、EF58、EF60、EF65の他、EH10の姿も見られた。
撮影はしていないが、メモを見ると、米原では、EH10-21、EF60-11、EF65-91,-18に、守山では、EF60-105、草津では、EF58-171とD51 703, 940、大津までの間では、EF60-85,-100、京都では、EF60-14、EF58-9,-93,-140,-147、梅小路機関区では、EF65-95、EH10-18,-53、高槻までの間では、EF60-17.-83,-90,-124、EF65-55,-115とDF50-541の牽引する上り客レと交換した。
日が変わって広島00:49発車。構内にEF59-3,-17の姿を見た。
防府の先、448キロポスト付近で急ブレーキがかけられ、448.5キロポスト付近で約30分停車。その後、大道に臨時停車。小郡には34分遅れで到着。
遅れはそのまま引きずって小倉の発車時刻で27分遅れ(05:23)だった。
折尾で下車。降りたものの、なにせ初めての土地と駅でウロウロ。それでも筑豊本線のホームに降りてゆくと、空が広い!といった印象で気持ちよかった。
画像は拡大して見ることができます
ホームの端までゆくと線路に降りられ、遠慮がちに場所を確保していると複々線の先の方から黒い物体が見えてきた。客722レである。客車は6両で、ほどよい長さと感じた。架線のない4線区間の雰囲気と列車全体像が入る位置でシャッターを切った。(まだ、目覚めていなかったためか、連写はしていなかった)
停車時間は5分なのでホーム上を若松側に移動しながらキャブのみ撮影。窓に置かれた軍手がおもしろかった。 乗務員は一旦ホームに降り、休憩をしていた。
筑豊本線の若松側は鹿児島本線が上を通るため立体交差になっている。
たぶん「えい〜やっ!」と下り線の線路上を通ってアンダークロスを抜けて若松側の方へ行ったのだと思うが、ここの記憶がない。(この頃はおとがめはなかった)夏場だったのでPlusXを使っていたためと、アンダークロスを走ってきたためか、カメラブレはないが被写体ブレしてしまった。
線路は平坦で牽引両数も少ないためか、以外とD51の足が速く1/125のシャッター速度では止めることができなかった。
煙の色を見る識別プレートも見え(このカマは1971年4月時点では鳥栖区に所属していた)、戦時形の特徴である角形ドームや炭水車の形状はよくわかる。 カマの左上方の築堤は、鹿児島本線と筑豊本線を結ぶ連絡線で主に室木線用の客車回送に使われていた。現在は、室木線廃線とともに撤去され、築堤がそれとわかるだけになってしまった。
---追記---
航空写真を見ますと、現在では駅から200mほどの区間の築堤はレベルまで削り取られ、駐車場になっているようです。また最後の写真にある踏切の左側辺りには予備校(築堤があったところ)が開校しています。
撮影日は、1972年(S.47)8月11日。カメラは、ミノルタSR−Tsuper。フィルムは、Kodak-PlusXだった。
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このアンダークロス付近は、現在もあまり変わりはありません。D51が駆け抜けたところを今はキハ47が走ってます。最後の写真の踏み切りは、自動になっていて警手小屋もありません。
この風景も駅前再開発で、もう少ししたら見れなくなります。
今のうちに記録として付近を撮影したいと思ってます。
2010/1/10(日) 午後 1:20 [ 黒ウサギ ]
ありがとうございます。調べて追記しました。
2010/1/10(日) 午後 2:20
数年前に仕事の関係で、折尾に降り立ちました。私の住んでいる名古屋からは、当時は夜行列車で夜21時ごと出ると、朝の6時-7時ごろに戸畑に着きましたが、今は新幹線で朝7時で12時には小倉に到着です。このアンダークロスの部分も、折尾の地下道も今も全く変わらずです。この地に、降り立つと昔が思い出され、胸がしめつけられます。
2010/10/17(日) 午後 4:18