☆福chanのSL写真(関東以西編)☆

九州から関東まで、1972〜1974年を主体とした蒸気機関車の写真と撮影記です。

関西本線のSL

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柘植で休むC58。
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柘植機関支区は、正式には亀山機関区柘植支区といい、柘植構内の草津側に2本の待機線と角形の給水塔と転車台があった。
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亀山区のC58は、集煙装置と角形の重油併燃装置(重油タンクは角形)を装着した重装備。
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夏休みに入った時期なのに、ファンの姿は他になく、ゆっくり撮影することが出来た。SLの要、一番SLらしい部分。
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この位置で見ると力強さを感じ好きな角度だ。
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そして、最も好きなパーツであるクロスヘッド。
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油と汚れで刻印されているはずの機番は読めなかったのが残念。



当時の亀山区C58の運用は、加太-柘植間の後補機と信楽線の貨物列車一往復のみであった。

亀山区C58の運用。
1.亀山操車場から柘植を経て草津へ直通する本務機DD51の貨783レの後方にぶら下がって出発する(08:23発)。
2.そして加太(08:46発)からは25パーミル勾配後補機として運用され、柘植で切り離される(09:16着)。3.支区では70分ほど休み、転車台で方向転換して逆行(単771レ)にて貴生川へ向かう(柘植10:26発)。
4.貴生川到着は11:00。
5.信楽線の貴生川は11:10発で貨591レ。信楽線は14.8kmと短い路線であるが途中33パーミルの急勾配があった。信楽には11:44着。
6.信楽には転車台がないため逆行で戻る。信楽発12:06、貨592レ。貴生川12:36着。
7.梅小路から草津を経て亀山操車場へ向かう本務機DD51の貨1792レの後方にぶら下がって亀山へ下る。貴生川12:59発、亀山操14:29着。



撮影日は、1973年(S.48年)7月24日。
カメラは、2枚目と3枚目が、ミノルタSR-3。その他は、マミヤC330。フィルムは、共にKodak TriX。



C58 312 は、1942年(S.17年)に汽車製造で誕生。新製配置は竜華区。1972年(S.47年)10月に紀伊田辺区に移動。翌1973年(S.48年)3月31日付で亀山区に移籍。翌1974年(S.49年)3月8日付で廃車。 

その後、愛媛県五十崎農協組合長某氏個人がオハ61客車2輛と共に8000万円で購入。1978年頃に愛媛県喜多郡五十崎町(現:内子町)に「神南幸福駅SLビューホテル」として営業開始する。1990年(H.2年)7月頃にSLホテルを廃業し、敷地は吉田ホテルという一般ホテルに転業したが、さらにラブホテル「ホテルWHEEL」を開業。C58と客車2両は敷地内に静態保存された。2001年(H.13年)頃には営業が怪しくなり荒廃が進む。そして2007年(H.19年)5月に施設共々解体されてしまった。
1973年4月改正により、湊町-亀山間に運行されていた9000番代の季節臨時運用は、当時としては唯一のSL牽引客レだった。

写真は、笠置を出発し加茂へ向かう臨客9337レである。
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カマは奈良区の463号機。午前中の上り9336レの戻りとなる。
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牽引する客車は8輌、満載のお客で結構重そうであった。
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電力線がちょうど横切ってはいるが、架線のない線路は開放的である。
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SLと合うのはやはり腕木信号機。笠置駅は進入信号機だけではなく、通過信号機もある。さすが関西本線。
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旧型客車ではないが、重装備のD51と腕木信号。絵になる〜!
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列車は、加茂へ向けダッシュして行った。
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撮影日は、1973年(S.48)7月24日。カメラは、1〜3枚目と7枚目がミノルタSR−3。4〜6枚目がマミヤC330。フィルムは、ともにKodak-TriX。
1973年4月改正により、湊町-亀山間に9000番代の季節臨時客車運用が設定されていた。客レとしての運用は、主に休日運転で天王寺-柘植または亀山間に運転され、D51がその任にあたった。

カマは奈良区のD51で、奈良を06:03に発車する臨単9225レとして竜華(操)まで行き、ここから客車を連結。臨時回送客9233レとして逆行運転で湊町へ。湊町でカマを付け替え臨時回送客9336レとして天王寺まで運転された。

天王寺からは臨時客9336レとして08:52に発車。各駅停車で柘植または亀山まで運転された。

写真は、島ヶ原で下りの333Dと交換する9336レの姿である。
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下りは亀山を15:35に発車する臨時客9337レ(柘植始発の場合の発車時刻は16:12)で天王寺着が18:27。

天王寺からは19:12発で臨時回送客9234レとして逆行運転で竜華(操)へ行き、客車を切り離して、定期貨物1591レの前補機として発車。王子に20:58に到着。ここからは臨時単機9244レで奈良に21:21に帰着していた。


撮影日は、1973年(S.48)7月24日。カメラは、ミノルタSR−3。フィルムは、Kodak-TriX。
--- 前の記事内に書き込んだ「見つからなかった」という中判のフィルムが見つかったので、再度、同じ列車を掲載します。---


画像は拡大して見ることが出来ます
列車番号は、貨2268レ。当時既にこの区間では本務機はDD51になっていたのが残念だったが、懸命に後押しをするD51やC58の姿は、中々の迫力があっていい写真になった。
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他の撮影者との関係で、引きが取れる場所を確保できなかったので、広角レンズを使ったが、逆に迫力のある絵になったと思う。
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撮影日は、1973年(S.48)7月24日。カメラは、マミヤC330。フィルムは、Kodak-PlusX だった。
貨2268レは、竜華操車場から亀山操車場を経て稲沢へ直通する貨物列車である。関西本線の竜華(操)から亀山(操)まではD51が牽引し、木津-亀山(操)間には後補機としてD51がつく運用だったが、1973年の夏では本務機はDD51に変更されていた。

柘植到着が08:16で、給水、入換作業をしたのちの08:50に発車する。

画像は拡大して見ることができます
この日の後補機はデフに「月と鹿」のプレートの付いたD51 882だった。
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D51 882は、他の関西本線配属のカマと同様に後藤式集煙装置と重油併燃装置を装備していた。煙室扉には書かれていた文字を掻き取ったような跡が汚く付いていて、この角度からの写真では興ざめであった。
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後補機なので正面がちに撮ってもつまらないと思い、横撮りに近い形に撮影する場所を探し出したときには先客が居て、他の場所を探しているうちに姿が見えてきてしまった。仕方が無くこの場所で撮影。
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望遠レンズに付け替える時間が無く、広角レンズで撮影したので凄く小さくしか写っていなかった。右のファンのさらに右側には複数の三脚の姿あり。この撮影の後に中判で撮影したのだが現在のところ行方不明である。

これはおまけに撮ったコマ。
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撮影日は、1973年(S.48)7月24日。カメラは、ミノルタSR−3。フィルムは、PlusXだった。


※最初使用カメラをミノルタSR−Tsuperと記載しましたが、このカメラの購入は1976年であったことが最近判明しました。コメントを記入していただいた方には申し訳ありません。

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