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山口線では1973年(S.48年)9月末まで、D51による貨物列車が走っていた。 貨物列車は、小郡-益田の全区間を走るのが上下とも3本と、小郡-津和野間の下りが2本と津和野-益田間の下り1本の区間列車が走っていた。その中で益田を早朝発車する貨1690レだけが津和野までD51の重連運用だった。 益田から青野山-津和野間の小川トンネルまでの区間では、最大13.2パーミルで、ほぼ全区間一方的に上り勾配であった。貨物列車は単線区間のための行き違い待機があり、益田からだと途中、石見横田、青原、日原と停車して津和野に至る。 重連運用の貨1690レは、益田の発車が06:02、石見横田が06:59で約40分停車、青原が07:16、日原が07:54で約30分停車と待機時間が長い。津和野到着は08:10である。 しかし山間の春先、なるべく遅い時間でないと光が十分でない。しかもロケハンのない、ぶっつけ本番だったので、一番遅い時間帯となる青野山-津和野間の小川トンネル手前の築堤で撮影することに決めた。列車がくる前に撮影したロケーション。 この撮影ポイントへは、後輩と一緒に宿泊していた津和野の宿を朝食前に出発し自転車で移動した。(撮影後、朝食に間に合った) いよいよ列車の姿が見える。白煙を長く引いて雰囲気は抜群だった。 当時使っていたレンズでは解像度が低く、これが限界で重連かどうか確認が出来なかった。 川の脇だが、この日は風がなく、気温も低かったのが幸いして白煙がいつまでも残っていた。 牽引している貨車の輛数は思っていたほど多くなかったが、間違いなく2輛のカマからドレインが吹き出していた。 この辺りの築堤は草もなく実に綺麗。 茂みで一端隠れた後、また顔を出したところ。近づくと意外に速く、しっかり被写体ブレ! 2輛のカマが確認できるも、カマ番号確認には至らず。 長工式の集煙装置が確認できた。 もう間もなく小川トンネルに突入する。すばらしいドラフト音が通り過ぎていった。 この時は、後輩3人との若狭・山陰観光旅行であり、主要各地でSLの撮影とカセットテープによって録音、またシングル8での映像撮影を行ったが、その意味で本格的な撮影旅行ではなく、機材やフィルムに制約があった。しかも山口線はこの年の9月末には無煙化されてしまったので、山口線重連の撮影は、これが最後だった。 撮影日は、1973年(S.48年)3月12日。カメラは、ミノルタSR-3。フィルムは、Sakura Konipan-SS。
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山口線のSL
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山口線の前の記事 (2008.08 徳佐-船平山間)の続き 徳佐を発車した、9521レ「SLやまぐちDC号」は、船平山の先にある白井トンネルへ向け全速で進んで行った。 その様は、前日の白井トンネルの手前、津和野側の長い勾配を上がってきた上り9522レからは想像も付かない、力強い煙と驀進であった。 撮影日は、2008年8月6日。 やはり一脚(模擬三脚)の効果は、結構良く感じられた。横撮りではシャッター速度がやや遅いようにも思われるが、正面気味に撮ったものでは、800 x 600 ピクセル位だと手持ちとそんなに変化はないが、オリジナルの画像では6000 x 4500ピクセル位まで引き伸ばしてもびくともしない。 <鉄ちゃんの装備> チェックしてみた今回の山口線撮影の機材。 90%以上の方が三脚使用。三脚はハスキー3段が一番多く、ジッツオとスリックのカーボン系(ハスキーと同じくらいの大きさのもの)やベルボン製など。ひとりで2本使っている人は10%位で、他は1本の三脚にヘッドだけ2個ないし3個取り付けている人が大半。以前(例えば1972〜1975年の北海道)多く見られたジッツオの機関銃台座タイプ(頑丈だが重いタイプ)は見られなかった。スチールカメラが1,2台と小型のビデオカメラを付けている人も目立った。 カメラはフィルムを使うアナログタイプが大半で、デジカメをメインに使っている人は珍しいくらい。中型のフィルムカメラで目立ったのはペンタ67。レンズは35mm換算で300mmクラス。35mm判ではニコン、キャノンが多く、レンズは鏡筒が白色系の300mmクラスの高額レンズも多く見受けられた。これは今回目立った正面撮りを主にしている人が多いことにも繋がる。 単独露出計を使っている人も30%ほどいた。私もそうであったが、カメラに組み込まれた露出計を使うと、わずかなシーンの移動でも露出が変化してしまい、後で合わせるのが大変な作業になってしまったが、入射式の単独露出計で合わせてしまえば、細かい微調整は行わなくても良くなる。その意味でも単独露出計は多いに役立つはずである。(私も持って行くべきだった=反省点)メーカーはセコニック系がほとんど。ミノルタ製のものは見られなかった。(以前ミノルタで販売されていた露出計は、最近ではケンコーブランドで発売されている) なお三脚を使用している人では、水準器を使用している人が多く見られたのも、以前(1970年代など)にはあまり見られないことで、興味深いアイテムだった。 ビデオカメラではプロ用の大型ハイビジョンカメラを装備してマイクも集音性能の良いものを使われている人も見られたが、一般の小型ビデオカメラでは回りのシャッター音がうるさいのではないかと思えた。 なお、ライカ判ではモードラで連写している人も見受けられた。ちなみに私は手動の連続撮影をしていたが。 <My Data>
カメラ:Olympus E-3(デジタルカメラ) レンズ:Olympus ED 12-60mm、ED 40-150mm(初期型) 一脚:ジッツオ Carbon 6X 雲台:マンフロット 234RL |
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この区間の記事は、画像容量の関係で2つの記事に分けて掲載します。 長門峡の撮影を終えた後、撤収は結構早かったが、Naviの設定と尾道へ向かう時間との関係などをチェックしたりしていたので、実際に車を出発させたのは回りの追いかけ族からみると、かなり後になってしまった。そのため、やはり既にそれらしき車は居なくなっていて、道は空いていた。 列車が阿武川鉄橋を通過して行ったのが11:48頃で、私の車が走り出したのが11:55頃。時刻表を見ると、長門峡の先は、渡川、三谷、名草は通過で地福発車が12:08。これはどう考えても無理なので、その先は、鍋倉発車が12:13。その先の徳佐が12:20発。そして徳佐で上りの2546Dと交換する。従って鍋倉か徳佐を狙おうと考えて国道9号線を下って行った。 ちょうど昼頃ということもあって道はどこまでも空いていて、どんどん進めた。地福駅は9号線がバイパスのようになっていて駅からかなり離れたところを走っていて、列車が居るかどうか確認は取れなかったが、その先で国道と線路が平行し始めたところの踏切にカメラを構えている人たちが居たので、まだ列車が来ていないと確信できた。 駅方向を見るとまだ駅には上下とも列車は入っていなかったので、カメラを持ってロケーションをチェック。 そこでレンズは今回の旅行では初めて使う望遠系のズームレンズを使うことにした。35mm換算で80〜300mmのレンズである。撮影場所に対し一番接近した時でも、最短の80mmを使えば機関車の長さで1.5台分の横撮りが可能なことも確かめた。 機関車の速度はそれほど速くないが、通常感度のISO100ではシャッター速度が下がってしまう可能性もあったので、十分晴れてはいたがISO感度は少しアップさせ、シャッター優先モードを採用。同時に長玉使用を考慮して一脚(三脚は持ってきていないので)を使い、水田の中にあった電柱(あぜに立っていたので田んぼの中には進入していない)を支えにして自分の足と併せて三脚のように使うことにした。 2546Dが通過した頃には2台の車が到着し、それぞれの場所で構える姿が見られた。この手の被写体では珍しいと思うのだが、2台の車とも女性の方々であった。 今回の2日間の撮影では純粋の出発シーンは、ここ徳佐が初めてであった。しかし、たった2両の12系客車を牽いている割には、猛烈な煙だった。私的(ファン)には嬉しい限りであったが、列車が見えなくなってしまったとき、考えてみた。 このSL列車は、次の船平山は通過する。そして程なく長〜い白井トンネルへ突入する。多分このトンネルは中でサミットがあるか、またはトンネルの出口付近にサミットがある可能性がある。と、するならば白井トンネルまでに勢いを十分付けておく必要があるハズ。だから徳佐の出発は勢いを付けるため、あのような力強い姿になるらしい。 撮影日は、2008年8月6日。カメラは、オリンパスE-3、ズイコーデジタルED 12-60mm F2.8-4。
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2008年8月。 大山路踏切の撮影を終えた後、大方の人たちより大幅に遅れて、長門峡(「ながときょう」とは読まず「ちょうもんきょう」と読む。最初は私も間違っていた)へ向かう。 また、撮影ガイドによれば俯瞰撮影などの好ポイントらしいが、36℃を越えるような暑さでは、山登りなどもっての外で自分としては初めから対象外だった。 国道376号から分かれた国道9号線は、山道に入り随分高いところまで登ってゆく。サミット(峠)付近で萩へ向かう国道262号線と分かれ、国道木戸山トンネルを抜けてほぼ直線的に長門峡へ降りてゆく。 前日は反対方向からこの道を利用したのではあるが、初めての道でもあったし、ただひたすら湯田温泉めがけて走っていた(広島から走ってきて、炎天下で撮影したりしていたので結構疲れていて、あまり回りを見渡すこともなく、ナビの指示だけで走っていた)ので、結構新鮮に感じた。下りに入った頃は、道路は空いていてほとんど車がいない状態だった。 ところで、他の撮影者らしき車は全く見えず、その意味でこちらは相当出遅れているとも思ったが、時間的には長門峡での発車時間には十分間に合うと分かっていたので、エコランのまま走っていった。 国道側からロケハンしながら、線路の下を潜り川の土手に上がると“居た居た”かなり多くのファンが既に構えていた。川側の土手を少し降りた場所にも三脚が何本か設置してあり、ここもいいなーと思ったりしたが、カット数が限られるので諦めた。 土手上で回りを見渡すと、先ほどの大山路踏切に居た方々が目に入り、そのロケハンを瞬間判断して、その人達の場所に入れて貰うことにした。「こんにちは、早いですねー...」チョットした会話が雰囲気を良くする。 常識!っていうかマナーと思う。 いい場所で撮りたかったら早く来ること。 後から行った場合は、先に来ている方のカメラライン上に入らないよう、そしてちょろちょろ動かないこと。特に広い範囲で撮影できるロケーションの場合は、自分の目の前から列車が通過しても、しばらくは動かないこと。 一発撮りっていうか固定撮りしている人(そうでない場合でも常識を知っている人)は、まず問題ないが、追い撮りしている人は、かなり危ない。 もちろん常識なんて!と思っていたり、全く知らない人は完全無視するので、イライラすることが多い。そして最近は、そのような方が非常に多くて、だからイベント的なものには参加しない、というのが私の基本的な信条。 今回は、昨日の白井トンネルでは常識が生きていて気持ち良かったが、ここはダメそうだった。 しかし、お隣(左端)の方が、常識を守らせようと声をかけているのを聞いて、少し安堵したりした。 そして駅方向から黒い煙が上がり、ややして強力な汽笛が聞こえた。当然皆、臨戦態勢に入る。 私は、三脚なしのデジカメ使用。手ぶれ防止を入れているので、露出だけ気をつけてあとはカメラ任せ。モードラではないが、余すことなく撮れるだけシャッターを切った。列車は9521レ。 真横シーンの撮影は、先に陣取っている方(右隣)に譲る=被ってしまうので。 今回の山口線撮影では、多くの方が正面撮りをされているのが目立ったが、私は出来る限り横撮りを狙った。近くの方か、ずーっと山口線を追いかけている方では、きっと色々な撮り方が出来ると思うが、一応私は、きっと、なかなか来られないだろうことを覚悟しているのでこんな撮り方しかできない。 それにしても12系2両の牽引で夏場では煙が少ないのは仕方がないが、やっぱりさびしいナ。聞くところによると、ギャラリー=撮影者を含む=が多いとか、運転手の知り合いが居るときとか、JRのお偉いさんが居るときは特に煙が多くなるのだとか・・・。 撮影日は、2008年8月6日。カメラは、オリンパスE-3、ズイコーデジタルED 12-60mm F2.8-4。
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2008年8月。朝から青空が広がり暑い。 この日の予定は、20時までに尾道の宿にたどり着けばよいので、上り9522レまでは無理だが、昼過ぎまでは撮影可能だった。 宿は湯田温泉に取っていたので、最初のポイントは宮野-仁保間の勾配区間に定めた。 前日と同じ撮影ガイドに従って、宮野駅前を通り宮野小の前で右折、線路を渡るとどんどん線路から離れてしまったので、Uターンし、勘で曲がって農道に出、そのままたどってゆくと小さな踏切を発見。あまりに道幅が狭く感じられたので渡ることを諦めたが、他にぬける道が無くて、とうとう農家の駐車場らしき場所に出てしまった。そっと切り返して戻ろうとしたとき、ちょうど農家の耕耘機とハチ合わせしてしまい、焦って平謝りしながら切り返しさせてもらって、来るときの途中にあった畑脇の空き地に車を駐めて、先ほどの踏切まで歩いて行った。 後で気がついたのだが、この踏切がガイドにあった大山路踏切で17.4kpの場所だった。 踏切の向こうがわには既に陣取りしているファンが1名いた。そのポイントは、正面がちでやや日陰側を撮影する場所だった。自分は日の当たる側を撮影しようと思い、踏切のこちら側で最適ポイントを探した。 ポイントを探していると、踏切が鳴りだした。時刻表を見ると上りの特急「スーパーおき1号」らしい。 自分の撮影ポイントと決めた場所は、風はあるものの、全く遮るものがなく強力な太陽が照りつけていた。車を降りたときで34℃あったので、多分その時分では36℃くらいになっていたと思う。車を降りるとき水分は持たず、タオル1本だけしか持ってこなかった。車までは5〜6分掛かるから往復すると15分弱であるが、他の方のように三脚を持ってきていないので、場所確保ができない。仕方がないので、足場だけ決めて踏切機器箱の日陰側に行って小さくなっていた。 この間にあの細い踏切渡って1台の車が到着、一旦は自分と同じ場所に駐めたようだが、先に来ていた方の情報で、また線路のむこうがわのどこかに駐めに行った。 やはり、斜め前撮りの方が良い様に感じて、最初の場所を本撮りの場所と決める。しかし、暑い! 直ぐ脇には防風林らしき木立があったが、その入口に「私道につき立ち入り禁止」という看板があって、どうも入りにくかったが、遠慮がちにぎりぎりの日陰のところに身を寄せて涼んでいた。 10時半過ぎ、農家のおじさんがこちらへ向かって歩いてきた。内心ハラハラしながら挨拶すると、しばらく色々立ち話をしてくれて、立ち去っていった。 その方の話によると、今年は特に暑いということ、先日の8/1〜3はこの場所にものすごい数の撮影者が来て、日曜日にはパトカーまでもがやってきたとのこと。この人出は今までの最高だったという。私は、特に知識(情報)を持っていなかったので、きっと重連だったからでないでしょうか、と話をしたのだが、後から調べたら、この3日間は「サロンカーなにわ」を重連で牽いたんだそうだ。しかもこの客車を山口線のSLが牽くのは初めてということで、そりゃあ、凄い人出にもなろうもんだ、と納得したりした。 ついでに、前日津和野でヘッドマークを見たときに「SLやまぐちDC号」とあったのを、なんでSLなのにDCなの?と思った疑問も、DCがディゼルカーでなく「山口デスティネーション」の略と知って、変に納得したりした。また、これ用のヘッドマーク(9月末まで)を付けているということから、正面がちに撮影している人たちが多かった理由も分かったような気がした。 自分としては年間129日運行されるSLのうちC56が牽引するのが24日間と少ないので希少価値があるのだと思いこんでいたが、そうではなかったらしい。ただ、どちらにしろ私の日程ではC56しか撮影できないので、大きな違和感はなかった。 そうこうしているうちに、宮野駅を発車する汽笛(停まらないはずだが)が聞こえ、ファン間に緊張が走る。 やはり客車2両では短すぎで『絵にならない』と感じてしまった。 先に農家の方と話をしたときに「汽車は各駅に停まってゆくから、追いかけるとまた別の場所で撮影できるから、ほとんどの人は追い撮りをするらしいよ」と言っていたのを思い出した。私はカメラ1台だけなので、すぐその場を離れることは出来たが、車まで距離があるし、国道に出るにはだいぶ遠回りをしなければならないので、追い撮りは無理と、はじめから考えなかった。 しかし、車に戻ってダイヤを見ると、長門峡位まで行ければ、追いつくことが分かったので早速ナビをセットして国道へ向かった。 撮影日は、2008年8月6日。カメラは、オリンパスE-3、ズイコーデジタルED 12-60mm F2.8-4。
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