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D50 140は、既に退陣(さよなら運転が1971年4月30日。展示のため1971年11月17日に梅小路に移動、正式転属は1972年1月1日)したものと思っていたので、まさか、この場所で会えるとは思ってもいなかった。 この日、香月線の客125レ(折尾07:16発)を撮影した後、しばらくSL牽引列車はないので折尾発07:34の724Dに乗車するべく、撮影機材を片付けて折尾へ向けて歩き始めていた・・・。そこへ、静かなドラフト音が聞こえはじめ、見慣れないカマが近づいてくるのが見えた。 なにか〜、と思っていたらD50というプレートがかすかに見えて、まさか〜・・・心臓バクバク状態になり、カメラバックを投げ出すような格好で慌ててカメラを取りだして撮影したのが、上の写真とこの次の写真。 1枚目の写真は露出も滅茶苦茶で画像が汚いものの、どうにか見られるが、2枚目は焦りがモロ出しで、TriXを使っているのにも係わらずブレ写真となってしまった(これはシャッターダイヤルが回ってしまっていて1/60位になっていたため猛烈に露光オーバーの黒々としたネガになってしまったことが原因)。 帰宅してから、調べると1972年5月16日 〜9月20日の短期間、直方区が梅小路区から借り出したものであることが判った。同年10月1日には梅小路に返されたが、1979年3月28日付で廃車(車籍抹消し静態保存になった)。 D50は技術発達史上においては、国鉄制式蒸機のうちでもっとも大きな、比類なき影響力を持った機関車とされ、380両製造されたが、現在残っているのはこの140号と北見市三治公園に静態保存されている25号の2機のみである。なお、1951年から1956年にかけて、78両は2軸従台車に振り替えて、D60形に改造された。 D60は、山口県に1機と北九州に3機が静態保存されており、その意味でD50は、早い時期に廃車になった事もあって、保存熱の隙間に埋もれてしまった不幸な形式でもあった。 撮影日は、1972年(S.47)8月15日。カメラは、ミノルタSR−3。フィルムは、Kodak-TriX。
列車番号は、貨1691レであった。 |
鹿児島本線のSL
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季節はちょうど春闘の頃で、このカマの正面にも石灰で書かれた文字があるが、幸い文字は正面だけだったので、余り気にならなかった。 中間から折尾の区間はほぼ平坦線で、煙は期待できない。 カマのナンバーを読み取ろうとしたのだが、手前に電線があったことと、当時使用していたレンズの性能が良くなくて、とうとう確認が出来なかった。 しかし、門デフの比較的後期型と思われる。 この辺りから少し煙が多くなってきた。 風のイタズラか、煙が巻いてしまいカマが隠れてしまった。 撮影日は、1973年(S.48)4月29日。場所は、中間-折尾間にあったオーバークロスの手前(現在の東水巻駅の手前)で、現住所では岩瀬西町付近と思われる。 なお戸畑西部操車場は、枝光と戸畑の中間にあった操車場で、現在では廃止されてしまった。 カメラは、ミノルタSR-Tsuper。フィルムは、Neopan SSS。
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