☆福chanのSL写真(関東以西編)☆

九州から関東まで、1972〜1974年を主体とした蒸気機関車の写真と撮影記です。

香月線のSL

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香月を06:33に発車する2番列車の客122レは、通勤客の利便を図り、中間から筑豊本線に乗り入れ折尾まで直通してきていた。
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前日、小田原から新幹線に乗り米原で東海道本線・山陽本線・鹿児島本線を直通する西鹿児島行の客6203レ「屋久島2号」に乗り継いだ。(6203レは通常は大阪始発だが、この時は東京始発で大阪までは8103レだったが交通公社の時刻表には6203レと記入されていた)

翌丑三つ頃、山陽本線の448.5km付近で約30分停まった影響で小倉発車が27分遅れ。そのため折尾到着も6時前後と定刻より30分ほど遅れた。

この時が九州入りの初日で、ロケーションも判らなかったが、ともかくアンダークロスしている筑豊本線のホームへ行って撮影の準備をした。

この時間、ラッシュというほどではないが、それでも1時間の間に5本の列車があり、D51のナメクジや4次形、そして重厚なD60と多彩。そして5本目が122レだった。

Dクラスの大型機に比べ、遠目で何となく軽快に感じられちょっぴりワクワク。近づいて見ると形式ナンバーの86だった。
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夏場ということで、フィルムはPlusXを使用していたため、さすがに近づいてきた時はブレてしまったのが、今思うと惜しい気がする。

122レは終着なので、もっとゆっくり出来れば良かったのだが、122レ到着7分後に発車する2725Dで垣生へ行く予定だったので、ともかく急いで撮影したのがこの2枚。
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キャブは、D60と同じように広く、また下方の曲線が印象的であった。
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撮影日は、1972年(S.47年)8月11日。カメラは、ミノルタSR-3。フィルムは、Kodak PlusXだった。
香月線には朝の通勤・通学時間帯に上下各3本ずつのカマが牽く客レがあった。

カマは若松区の8620で、1両の折り返しの運用だった。香月には転車台がないため、下りの列車は全て逆行運転で、このうち、1番列車は若松から香月まで直通の回送客121レで、香月到着は05:30であった。

実際に客扱いをするのは香月を05:49に発車する2番列車(客120レ)からで、本来の香月線区間である中間までの3.5kmの運用だった。これの折り返しは中間発が06:09、客123レである。

次の列車は客122レで、香月から折尾まで直通した。これの折り返しは、折尾発07:16の客125レで香月着が07:33。そして最後は、香月発07:46の客124レで若松着が08:42、そしてその日の香月線のSL運用は終了であった。

写真は中間発の客123レで、岩崎駅を発車した直後である。
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この画像は、拡大して見ることが出来ます
香月線は中間から香月まで一方的な上り勾配となっているが、勾配は2パーミル台とわずかなため、やはり発車シーンしか煙は望めない。
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岩崎駅を出ると線路は直ぐ小さな川を渡り、道路は川に沿って線路から離れるが、川は深沢バス停の前でほぼ直角に線路に向かって曲がり、再度線路に近づいてゆく。ちょうど線路は三角形に短絡してゆくような形になっていて、バス停付近からだと、少々距離があるが、両方向を撮影できる場所だった。
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ここからの3枚の画像は、拡大して見ることができます
客車は4両編成であったが、流石にこの時間帯では香月方向に乗車する人は少なく、がら空きの状態だった。
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 <6x6判>
 
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 <6x6判>
 
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 <6x6判>

ちなみに当時の深沢バス停付近は、現在は変則5差路となっていて、角にはローソンがあるということだ。

撮影日は、1973年(S.48)4月30日。
カメラは、5枚目、13枚目〜15枚目の4枚が、マミヤC330。その他は、ミノルタSR-T super。
フィルムは、ブローニー判がKodak-TriX。ライカ判がNeopan-SSS。

当時、ライカ判で使用していたレンズ性能が良くなかったこともあって、ブローニー判との画質の差が極端に大きいことが、このように並べてみると歴然と判っておもしろい。
香月線は筑豊本線の中間と香月を結ぶ、全長わずか3.5Kmの路線である。

石炭輸送のための貨物線として開業したが周辺炭鉱の閉山により輸送量が激減して、貨物営業の廃止は1974年の秋であるが、1970年のはじめではすでに貨物列車のスジは設定されていなかった。

旅客列車も昼間〜夜間はDCの1〜2両により運行されていたが、朝の通勤時間帯には若松区の8620により香月-中間に1往復、香月-折尾に1往復、およびカマの回送を兼ねた香月-若松の運用が1本設定されていた。これらSL牽引列車は4両の客車を牽いていて様になる列車だった。

画像は拡大して見ることができます
写真は、折尾行の客122レで、中間駅にて筑豊本線の原田行、客723レの接続待ちをしているところである。
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乗務員は、ホームに降りて数分間しばし休憩をする。
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いよいよ、折尾向けに発車!
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火床をきっちり作っておけば、隣駅の折尾まででは機関助手さんもゆっくりできるらしい。
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デフの拭きムラは、なんざんしょ。
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まだ朝の7時前だが、さすがに夏休みなので、他の撮影者も数名・・・。
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撮影日は、1973年(S.48)8月2日。カメラは、ミノルタSR−Tsuper。フィルムは、Kodak-TriX。
香月線は、筑豊本線の中間駅から分かれて南東の方向に行く全長わずか3.5kmの盲腸線である。

画像は拡大して見ることが出来ます

元々は石炭輸送のための貨物線として1908年(M.41)7月1日に開業し、一時は一部区間が3線化されるなどにぎわったらしいが、周辺炭鉱の閉山により輸送量は激減し、最終的には全線が単線化された。
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駅は起終点を含めて4駅で、1973年当時では、貨物輸送はなく、またSL牽引列車は、朝の客レ2往復のみになっていた。勾配も終点香月に向けわずかに2パーミル程度しかなく、煙を期待出る路線ではなかったが、五能線の8620が無くなった事により、室木線、湯前線とともに貴重な8620牽引列車ではあった。
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写真の深沢バス停付近は、現在川が直角に曲がるあたりで、ローソンがあるところだと思う。

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当時、川はΩカーブの様になっていて、中間地点に陣をとると両側が撮れる場所だった。
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画面の左側が終点香月側で、右側の鉄橋のすぐ右隣が岩崎駅だった。

1968年(S.43)には、中間市が「路線が中間市街を分断しているため、廃止を検討して欲しい」旨の要望書を出していた、といわれていて、結局1985年(S.60)3月31日をもって廃止された。


撮影日は、1973年(S.48)4月30日。列車番号は、客122レ。牽引機は若松区の38629である。
カメラは、3枚目と6枚目がマミヤC330。フィルムは、TriX。その他がミノルタSR−Tsuperでフィルムは、コニパンSSSである。

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