☆福chanのSL写真(関東以西編)☆

九州から関東まで、1972〜1974年を主体とした蒸気機関車の写真と撮影記です。

筑豊の機関区のSL

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直方機関区の全景。北側から南方向。
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重厚でどっしりとしたD60の姿。
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大きいキャブとD60の特徴でもある2軸の従台車。
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この従台車のおかげで乗務員は乗り心地が良かったと聞き及ぶ。



撮影日は、1972年(S.47年)8月16日。カメラは、ミノルタSR-3。フィルムは、Kodak TriX。
 --- ★ 撮影日と掲載日が同日のシリーズ ★ ---

直方区で給炭を待つナメクジのD51 10。
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現在給炭中なのは29692。

待っている間に、隣の線に入ってきて一旦停止した39620と並ぶ。
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煙突回りの違いがよくわかる。

どのカマの機関士もどういう訳か、後方を気にしていた。
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(少々手ぶれしている)

こちらも手ぶれしていて良い画像ではないが、ナメクジの独特な煙突から一体型のドームの雰囲気がわかる。
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給炭を終え、転車台まで進んだ姿。煙突の前に給水暖め器がないのですっきりしているし、ボイラー正面は曲面になっている様子がよくわかる。
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さらに上から見たところ。
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九州のカマは、東北や北海道のカマのようにクルクルパーがないので、横から見ても上から見てもとてもすっきりしている。


撮影日は、1972年(S.47年)8月16日。カメラは、ミノルタSR-3。フィルムは、Kodak PlusX。
若松機関区の車庫で休んでいたD60 46。
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D60 46は、撮影した日のわずか6日前に直方区から、ここ若松区に移籍したばかりで、整備のためなのか、当日は無火で休んでいた。このあと、僚機D60 61と共に翌年まで活躍、1974年(S.49年)6月24日付で廃車、同時に保管扱いとなった。現在は、飯塚市片島の勝盛公園に静態保存されている。同機は、1927年製(S.2年)のD50 157を1954年(S.29年)浜松工場で改造したカマであった。

撮影日は、1973年(S.48年)8月2日。カメラは、マミヤC330。フィルムは、Kodak PlusX。
 一昨日、久しぶりに本州中央付近に上陸した台風9号。南関東には恵みの雨だった。写真は、その雨つながりで、大雨の行橋機関区・・・

だいたい当時の撮影行では、機材と着替え等を全て担いで行っていたので、雨具と云えば、精々折りたたみ傘程度であった。ビニール製の雨合羽を持っていったこともあるが、リュック=当時は横に広いキスリング=なので蟹族と呼ばれた=か、背負子を使用していたためカッパは意外と使いにくく、後始末も大変だったので1回持っていっただけだったと記憶している。

カメラはクッションを兼ねた厚手のタオル製の袋をかぶせ、雨がひどいときはその上にビニールを巻いていたように思う。三脚等はむき出し=ずぶ濡れ=であった。

さて、この日は前日からぐずついた天候で、午前中はどうにか持ったが結局本格的に降り出してしまった。そのため通常の撮影を諦めて、機関区を訪問することにした。

事務所で許可を貰うものの、雨足がひどくて一時はバケツをひっくり返したような強い雨に、雨宿りした場所からほとんど出られなかった。同時に照度も下がり、撮影には不向きなコンディションで参った。

9600が休んでいる奥の方にカマが並んでいるのが見え、雨宿りできる場所もあったので、そちらへ向かった。
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休車状態かと思ったがナンバープレートも付いているし、ロッドも通常状態だった。石炭は満載ではないが積んでいた。しかし無火であった。2両目は門デフ装備の257号機だった。
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すぐにも走れるような雰囲気だったが、やはり蒸気の上がっていないカマは寂しく感じた。
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この頃、雨が一番ひどかった。

少し小降りになってきたので、外へ出て撮影。
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手前は、なにかの建物の跡らしかった。

びしょびしょの草をかき分けて9600の休んでいる庫の方へカメラを向けてみた。
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257号機の後ろは260号機だった。

先頭は、191号機だった。さらに向こう側(奥)にもC11の姿が見えた。
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正面気味に庫を入れてみた。この辺りでまた雨足が強くなってきたので、慌てて屋根のあるところへ退去した。
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実のところ、行橋区になぜ多くのC11がいたのか、当時は不思議に思っていた。9600の運用は筑豊地区にまだ多くあったが、C11の運用線区は「ない!」と記憶していたからであった。それが最近になって、田川線のみならず筑豊のあちらこちらの線区でC11が活躍していたことを知った。

この行橋区のC11も、実は9600の全検切れによって、約3ヶ月間だけのピンチヒッターとして熊本区から移籍してきたカマ達である。熊本区からは48、191、257、260の4両が移籍して1974年(S.49)4月末から約3ヶ月間田川線の客レを運用したということだった。

この写真の時はその運用が終了していて、でも予備機扱いになっていたのではないかと推察した。道理でいつでも走れる状態になっていたわけである。


田川線では1971年(S.46)3月まで行橋区のC11が牽いていた、ということで当時活躍していた162号機が武雄市に保存される予定で、ここ行橋区に保管されていたという話もある。(ただし保管中に部品等が30点以上盗まれたと云うことで、実際は代わりに259号機が保存された)

応援にきた4両のC11は48号機を除き、191号機は、宮崎市原町の福祉総合センターに、また257号機は、福岡県粕屋郡須恵町皿山公園歴史民俗博物館に、260号機は、福岡県中間市柿生公園にそれぞれ静態保存されている。


撮影日は、1974年(S.49)7月27日。カメラは、ミノルタSR-3。フィルムは、Kodak-TriX。
 --- ★ 撮影日と掲載日が同日のシリーズ ★ ---

当時、北海道を除く各地でのD51のラストナンバーが、1155号機だった。

終戦記念日であるこの日、裏盆にもあたり、貨物列車はウヤの他、単機回送など少々寂しい編成だったので、筑豊地区の拠点機関区で門鉄一の歴史のある若松機関区を訪ねた。

しかし若松機関区では、木曜日の13〜16時のみ見学可ということで入れないことが分かったので、若松駅ホームからの撮影となった。それでもこの日、8620、9600、D51、D60の姿を見ることが出来た。

それらの中でひときわ目立っていたのが、ピカピカの黒塗りだったこの1155号機だった。
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もちろん有火で、一次型の42号機(ナメクジ)の後部に繋がっていた。そのため単独の形式写真は撮れなかったが、割と近くでゆっくりと見ることが出来た。
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外板は相当痛んでいる様子だったが特にキャブのプレート回りはよく磨き上げられていて格好良かった。
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どういう訳か動輪のアップは撮影していなく、代わりにテンダーの台車のアップ写真があった。これはキャブに近い側の台車。
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こちらは後方の台車である。
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両台車とも後付けの給油装置が面白いが、この給油パイプは何に給油するためのものなのかナ。

後方(テンダー側)から見た写真。やはりテンダーの外板は相当痛んでいる様子だった。
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撮影日は、1972年(S.47)8月15日。カメラは、ミノルタSR-3。フィルムは、Kodak-PlusXだった。

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