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上山田線の一番列車は、飯塚から発車する客821レである。 終着の上山田には転車台がないため、下り列車は逆行運転となる。テンダー型のカマで逆行運転に適したカマとしてはC56が有名で、テンダーを加工して後方視界をアップさせたカマとしては、C50や8620があったが、筑豊地区では、本来逆行運転に適さないD51、D60、D50、9600などが多くの逆行運転をしていた。 一番列車は、ホームのない留置線に置かれた客車を引き出すところから始まる。この日のカマは、ナメクジのD5142であった。 5月初めで気温が低いこともあり、空の客車を引き出すだけでも結構迫力があった。 引上げ線から推進で留置線の反対側のホームへ入線。こちら側の留置線には、後に出発する筑豊本線の客726レ用の編成( カマはD51206だった )が待機していた。 総じて九州のカマは綺麗に磨いてあるものが多く、若松区などの筑豊各機関区の他、延岡区、宮崎区、吉松区、熊本区などが特に綺麗だった。 いよいよ出発である。ナメクジの逆行運転は特にカマが大きく見えて迫力があった。 隣の線路は枕木の間がすべて埋まっていて、いかにカマの運用が多いかを物語っていた。 お客はあまり乗ってはいないのだが、旧型の客車が重いのか、ずーっと力行してゆき、煙の迫力がすごかった。 客車は5両だった。 飯塚の下り側はしばらく緩い右カーブが続き、5両の客車の長さより遙かに長く煙を残して上山田へ向かっていった。 ボタ山と残煙はいい絵になっていた。 撮影日は、1973年(S.48)5月1日。カメラは、ミノルタSR-Tsuper。フィルムは、Kodak-TriX。
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上山田線のSL
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上山田線の2番列車の客824レ。 通常期だとこの列車の前に客822レ、客823レ(共にD60の運用)があるのだが、夏休み期間は、この2本(1往復)は運休となる。現地で撮影しているときは、この情報を把握していなかったため、懸命にこれらの列車を撮影しようとずっーと待機していた。 右後方に見えるボタ山が筑豊の象徴のようだ。 また、線路の左側の広い空き地は、採炭が盛んだった頃を彷彿させてくれる。 平恒駅のすぐ近くには中学校があり、通常期だと多くの生徒達で賑わうが、夏休みの期間ではさびしいローカル駅である。 撮影日は、1973年(S.48)7月27日。 カメラは、4〜6枚目がマミヤC330で専用望遠レンズを使用。その他は、ミノルタSR-Tsuper。レンズはコムラー715ズームに2倍のテレコンバーターを使用。フィルムは、Kodak-PlusX。
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上山田線、朝のD60牽引の上り一番列車820レである。 実のところ、SLによる旅客列車はD51牽引の上山田5:25発、門司港行きの客4722レが本当の一番列車である。このD51は、単4721レとして新飯塚から回送されている。 客4722レは上山田発が05:28なので、この付近では無理かも知れないが、飯塚着は5:55なので、夏場だったら早起きすれば撮影できるかも知れない。 飯塚を06:13に出たD61牽引の下り一番列車は上山田に06:44に着く。そして10分停車した後すぐ折り返してくる。10分の停車時間は乗客の乗り降りの時間と共に、機関車の付け替えの時間でもある。 飯塚で下り一番列車を見送った後、まだ早朝のため移動できる手段がなかったので徒歩で平恒へ向かった。上山田線の線路は筑豊本線と平行に別線となっているが、平恒の500m手前ほどで筑豊本線と分かれて左方向へそれてゆく。 最初のD60による上り列車は、この筑豊本線から分かれて直ぐの地点、忠栄三区と呼ばれている地名の小高い山(丘というべきか)の手前で待ち受けた。ややして平恒発車の汽笛が聞こえ、そして黒い姿が見えてきた。 ドラフト音は聞こえるが、そこは真夏の時期、D60にとって平坦線の客車5両など軽い負荷でしかないから、煙はほとんど無かった。 機関士ものんびりムードで運転していたが、撮影者を見つけ(私)て、少し煙を出してくれたような感じで通り過ぎていった。 撮影日は、1973年7月27日。カメラは、マミヤC330。フィルムは、Kodak-TriX (6x6)。
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