☆福chanのSL写真(関東以西編)☆

九州から関東まで、1972〜1974年を主体とした蒸気機関車の写真と撮影記です。

上山田線のSL

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上山田線の一番列車は、飯塚から発車する客821レである。

終着の上山田には転車台がないため、下り列車は逆行運転となる。テンダー型のカマで逆行運転に適したカマとしてはC56が有名で、テンダーを加工して後方視界をアップさせたカマとしては、C50や8620があったが、筑豊地区では、本来逆行運転に適さないD51、D60、D50、9600などが多くの逆行運転をしていた。

横位置の画像は大きくして見ることができます

一番列車は、ホームのない留置線に置かれた客車を引き出すところから始まる。この日のカマは、ナメクジのD5142であった。
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5月初めで気温が低いこともあり、空の客車を引き出すだけでも結構迫力があった。
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引上げ線から推進で留置線の反対側のホームへ入線。こちら側の留置線には、後に出発する筑豊本線の客726レ用の編成( カマはD51206だった )が待機していた。
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総じて九州のカマは綺麗に磨いてあるものが多く、若松区などの筑豊各機関区の他、延岡区、宮崎区、吉松区、熊本区などが特に綺麗だった。
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いよいよ出発である。ナメクジの逆行運転は特にカマが大きく見えて迫力があった。
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隣の線路は枕木の間がすべて埋まっていて、いかにカマの運用が多いかを物語っていた。
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お客はあまり乗ってはいないのだが、旧型の客車が重いのか、ずーっと力行してゆき、煙の迫力がすごかった。
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客車は5両だった。
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飯塚の下り側はしばらく緩い右カーブが続き、5両の客車の長さより遙かに長く煙を残して上山田へ向かっていった。
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ボタ山と残煙はいい絵になっていた。
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撮影日は、1973年(S.48)5月1日。カメラは、ミノルタSR-Tsuper。フィルムは、Kodak-TriX。
前夜飯塚で宿泊し、定刻07:36発の上山田線客823レで下山田へ行く。ここで上山田で折り返してくる客822レと1本後の客825レを撮影。

上山田線の朝の客レは飯塚-上山田間を折り返す形で計3往復がSL牽引だった。上山田での折り返しは、上山田に転車台がないため下り列車(飯塚から上山田)は逆行牽引である。

この日、下山田で撮影したはずの823レと822レのフィルムはどこを探しても見つからないため、ここでは下山田から飯塚に戻るときに撮影し、すぐ乗車して飯塚に戻ったときの写真を紹介する。列車番号は824レである。


画像は、2〜3枚目を除き、拡大して見ることができます
下山田は、かって石炭の積み出し駅だったため広い構内があったが、すでにその役目を終えていて、1面だけのホームと1本の線路のみとなっていた。
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上り列車であるため前向きであるが、この写真は駅に停まる寸前なので、煙は全く見えない。

乗車してからしばらくは、朝からの活動で疲れて休んでいたが、臼井まで進んだところでボタ山が見えてきたので窓から撮影したのがこの写真。
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ちょうど、4.5kpがあったので臼井と平恒の中間地点と思われる。

こちらは平恒を出て、筑豊本線が近づいてきた辺りと思われる。
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飯塚に着くと、この列車でこの日の上山田線の客レは終了なので、客を降ろした後は、留置線へ客車を移動させる。
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カマは直方へ回送運転されるので、発車時間まで待機する。
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飯塚には、有楽町(東京)のように小便小僧が居た。古豪D60と対峙しているようでおもしろかった。
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撮影日は、1972年(S.47)8月16日。カメラは、ミノルタSR-Tsuper。フィルムはKodak-PlusX。
上山田線の朝のSL牽引列車は、終着の上山田に転車台がないため、下りの列車は逆行運転で上山田に向かう。

平恒のすぐ近くには穂波東という中学校があり、朝のSL牽引列車では平日ならば多くの生徒さんが乗降する。また飯塚や小倉方面への通勤客や通学客も乗降するため、片面ホームの小さな駅も多いに賑わう。ただし、この日は、7月の終わりで夏休み期間であったため、乗降客は上り列車のみ多かったが下り列車は、数名以下だった。

画像は、拡大して見ることができます
出発の汽笛が鳴り走り始めたところへ、脇の踏切から駆け込んできた男性がいた。
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車掌が気がついたのか、機関士が気がついたのか、どちらだったかはこちらからは判らなかったが、列車は数メートル走ったところで止まった。御陰で間一髪! 間に合った。
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この列車は客825レで、このあとの下り列車は臨時の9825Dが運転されるときで、2時間後。もし9825Dが無かったら、次の列車は5時間以上こない。きっとそのせいもあって待ってくれたのだと思う。

そして何事もなかったように、発車。ただしこの間、踏切は閉まりっぱなしだったが、誰も無理することなく、静かに列車が通り過ぎるのを待っていた。
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そして重厚な大正生まれの古老はボタ山を背にして、上山田に向かって走り去っていった。
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撮影日は、1973年(S.48)7月27日。

カメラは、1〜2枚目まではミノルタSR−Tsuper。3枚目以降は、マミヤC330。フィルムはともに、Kodak-PlusX。
上山田線の2番列車の客824レ。
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通常期だとこの列車の前に客822レ、客823レ(共にD60の運用)があるのだが、夏休み期間は、この2本(1往復)は運休となる。現地で撮影しているときは、この情報を把握していなかったため、懸命にこれらの列車を撮影しようとずっーと待機していた。

右後方に見えるボタ山が筑豊の象徴のようだ。
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また、線路の左側の広い空き地は、採炭が盛んだった頃を彷彿させてくれる。
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<大きな画像にしてありますので拡大してみてください>
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<大きな画像にしてありますので拡大してみてください>


平恒駅のすぐ近くには中学校があり、通常期だと多くの生徒達で賑わうが、夏休みの期間ではさびしいローカル駅である。
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列車は終点飯塚を目指して出発していった。


撮影日は、1973年(S.48)7月27日。

カメラは、4〜6枚目がマミヤC330で専用望遠レンズを使用。その他は、ミノルタSR-Tsuper。レンズはコムラー715ズームに2倍のテレコンバーターを使用。フィルムは、Kodak-PlusX。
上山田線、朝のD60牽引の上り一番列車820レである。

実のところ、SLによる旅客列車はD51牽引の上山田5:25発、門司港行きの客4722レが本当の一番列車である。このD51は、単4721レとして新飯塚から回送されている。

客4722レは上山田発が05:28なので、この付近では無理かも知れないが、飯塚着は5:55なので、夏場だったら早起きすれば撮影できるかも知れない。


飯塚を06:13に出たD61牽引の下り一番列車は上山田に06:44に着く。そして10分停車した後すぐ折り返してくる。10分の停車時間は乗客の乗り降りの時間と共に、機関車の付け替えの時間でもある。

飯塚で下り一番列車を見送った後、まだ早朝のため移動できる手段がなかったので徒歩で平恒へ向かった。上山田線の線路は筑豊本線と平行に別線となっているが、平恒の500m手前ほどで筑豊本線と分かれて左方向へそれてゆく。

最初のD60による上り列車は、この筑豊本線から分かれて直ぐの地点、忠栄三区と呼ばれている地名の小高い山(丘というべきか)の手前で待ち受けた。ややして平恒発車の汽笛が聞こえ、そして黒い姿が見えてきた。
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ドラフト音は聞こえるが、そこは真夏の時期、D60にとって平坦線の客車5両など軽い負荷でしかないから、煙はほとんど無かった。
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機関士ものんびりムードで運転していたが、撮影者を見つけ(私)て、少し煙を出してくれたような感じで通り過ぎていった。
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撮影日は、1973年7月27日。カメラは、マミヤC330。フィルムは、Kodak-TriX (6x6)。

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