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1974年10月、後藤寺線はまだ元気だった。 天候は、時たま陽が差すものの曇天。しかしそのお陰でSL全体に光が回ってカマのディティールがよく見た。 このときは、現地が2日間と日程も短かったので効率を考えて、後藤寺付近と由須原だけで撮影をした。 色々お世話になった起行貨物駅で捉えたのがこの列車。列車番号は594レ。 近づいてきて、次位が逆行の重連とわかる。しかも次位のカマの方が黒い猛烈な煙を揚げていた。 次位機の機関助手さんは、石炭くべ作業が終わっているらしく、のんびりしている様子が見られた。 撮影日は、1974年(S.49年)10月10日。カメラは、フジカG690BL。フィルムは、Kodak TriX。
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後藤寺線のSL
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投稿は初めてですが、この一連の写真は、つい先日まで撮影場所の特定が出来ず、悩んでいるものでした。逆行単機であり、直線の勾配を登る姿は、船尾から起行貨物駅に至る、中元寺川の土手を上る姿のように思えたからでした。しかし撮影したネガを見ると、前後の撮影地から中元寺川の土手とすると、時間経過に無理が発生。それがつい最近、色々な資料を揃えて精査した結果、この日撮影した16本の列車全てについて、確実に特定できたので、投稿することにしたものです。 後藤寺線の船尾以西(〜新飯塚)を運用する貨物は、昼過ぎに船尾を発車する貨582レとその戻りの貨583レの1往復のみで、この撮影当日では、582レはセフ1輌のみであった。 この戻りの貨583レを撮影するべく、max32.7パーミルの急勾配のある筑前庄内に降り立った。 筑前庄内駅は木造のしっかりした作りではあったが、既に無人化されていて、しかも駅前には店もなく、列車が到着するまでの1時間は、とても長く感じた。 線路は筑前庄内の構内を抜けると、人工池の伊山池(嘉穂GC)の北側護岸に向かって一気に登って行く。そして嘉穂GCが終わる頃にはゆるい左カーブで船尾山の峠を越える入水トンネルに吸い込まれてしまう。そのため、伊山池の堰付近に狙いを定めていた。 写真上の赤色印が筑前庄内駅、黄色印が撮影地点。 折しも、到着の30分前くらいから激しく雨が降り、半ば諦めていたところ10分前くらいに小雨になったので中型カメラは諦めて、ライカ判カメラだけ持って、堰に急いだ。 列車は、貨物のない単機運用だった。もちろんカマは49675である。 大正15年に開業した筑前庄内駅は、かって民営の九州産業鉄道の駅で麻生産業(現:麻生ラファージュセメント)の一部門で、船尾山の石灰石や沿線で産出する石炭の輸送をしていた。その名残りの廃構造物(写真の左端)や遠方のボタ山の姿が、筑豊の象徴的な姿を醸し出している。 後方はだいぶ明るくなっていたが、目の前はまだ黒い雲があって、カマが溶け込んでしまっているのが残念。 照度が低く、またフィルムの特性から車体番号が上手く読み取れなかった。 車体番号は、このあと伊山池を挟んで真横を撮影した時に確認できた。 撮影日は、1973年(S.48年)7月26日。カメラはミノルタSR−3。フィルムは、Neopan-SSSだった。
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後藤寺線の後藤寺-船尾間には中元寺川の後藤寺側、河岸段丘の縁に起行という貨物駅があった。貨物駅なので市販の時刻表などには記載されていない。 この貨物駅は、通常の貨物駅のように本線上に信号所のような形で存在していたが、後藤寺側から大きな左カーブで下ってきて直線になる部分の延長上に何本かの行き止まりの引き込み線があった。本線は貨物駅を出発するとやや左にカーブして、のち直進で中元寺川橋梁を渡って船尾に向かっていた。 写真は、その起行を発車して後藤寺に向かう変591レである。後藤寺線の下り列車(後藤寺向け)は、逆行運転が常で、この列車も逆行運転だった。カマは29670でテンダーのナンバープレートは形式入りだった。 デフなしの29670は、9600の原形に近く実に好ましいスタイル。 セラの2両目には信号手らしき姿が見える。すぐ隣(たぶん2分くらい)は後藤寺なので、このまま乗って行って、入換作業をするらしい。 9月下旬といえど、まだ気温は高かったが起行から後藤寺までは急勾配なので、元気に加速してゆく。 撮影日は、1974年(S.49年)9月20日。カメラは、ミノルタSR-1s。フィルムは、Kodak-TriX。 29670は、1945年(S.20年)11月17日付で若松に転属してきた。1974年(S.49年)1月28日付で後藤寺に転属、そのまま一旦は用途廃止と成っていたが、何らかの理由により復活。この撮影後の同年10月には一休扱いとなり、同10月28日付で廃車となった。 |
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船尾山中腹にある船尾から一端平地に下り、中元寺川を渡って後藤寺に至る上り勾配の区間では、光の当たり方から、通常は線路の南側から撮影することが多かった。 この日は曇り空だったが、列車がくる頃に船尾山の方から明るくなってきたのと、逆行運転であることが分かっていたので、めずらしく北側から撮影した。 貨車は9輌と短かったが、それでもこの勾配では力強く登ってきた。 少し陽が当たりだしてきた。 このあとの、中元寺川鉄橋を渡っているシーンはカラーリバーサルで撮影したが、コンクールに出品したらしく、ポジが見つからなかった。 わずかに残っていたのがこの写真。退色が激しく色補正をして何とか見られるようになった。 列車番号は、6394レ。 撮影日は、1974年(S.49年)9月20日。カメラは、モノクロが、ミノルタSR-1s。カラーがマミヤC330。フィルムは、モノクロが、Kodak-TriX。カラーがKodak-エクタクロームプロフェッショナル(EP)。
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--- ★ 撮影日と掲載日が同日のシリーズ ★ --- 終焉間近の九州地区でも後藤寺周辺の筑豊では、まだまだ多くのカマの姿が見られた。 写真は、後藤寺の中線で発車待ちをする重連の単機回送列車である。朝の通学、通勤時間帯だったため、0番線には後藤寺線のDC列車が、2番線には日田彦山線のDC列車、3番線には田川線のDC列車が入線し、乗り換え客などが慌ただしく通り過ぎていた。 DCには興味が余りなかったので、撮影をしていなかったが、特に後藤寺線の列車は旧型の混合であり、カマだけでなく撮影しておけば良かったと今は思う。 カマは前位が四角いデフの79605で、全部の旅客列車が発車してからの出発のため、機関士、機関助手とものんびりと時間待ちをする姿が見られた。 行橋区のこのカマは正面とキャブのナンバープレートはピカピカに磨かれていた。 後位は、デフなしの29695だったが、コンプレッサー付近が荒れていたのが印象的だった。 後藤寺線では逆行運転も多くあるため、テンダーのライトは綺麗に磨いてあったが、その割にはナンバープレートは読めないほど煤けていた。 撮影日は、1974年(S.49)9月21日。カメラは、ミノルタSR-1s。フィルムは、Kodak-TriX。
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