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日田彦山線は香春駅を出ると(上り側)鏡山神社のある丘を迂回するように大きくオメガ形の線形で採銅所へ向かって登ってゆく。そのオメガカーブの終点付近に高さが60尺(約18m)という高い橋梁がある。これが1915年(大正4年)に開業した小倉鉄道 東小倉駅〜上添田駅(現 添田駅)が建設した第2金辺川(きべがわ)橋梁である。 この日は、河原から2本撮影した後、この高い築堤をよじ登って、線路際からさらに2本撮影した。写真はその2本目、貨1894レである。 第2金辺川橋梁は、将来の複線化を想定して橋台・橋脚は最初から複線の幅で造られたということから、狭いながらも安全に三脚を立てる余裕はあった。 勾配はきついが、17輌の混載貨物列車であまり重くなく、しかも真夏の時期なので煙はあまり期待できない。 しかし速度が遅い分、カット数は稼げた。 あまり遮るものもなく、オメガカーブであることからドラフト音は香春を発車したあと、ややして聞こえてきたが姿がなかなか見えなかった。近くに国道が走っているが、車の数は多くなく、録音するには良い場所と感じた。 現在のデジカメなら全く気にならないカット数であるが、速度がゆっくりで余裕を持って撮影できる反面、逆にフィルムの残りを気にしてしまうほどだった。 最接近時、九州のものとは思えないほど煤汚れたカマでちょっとがっかり・・・ この場所、川の上で少し風があるが、陽を遮るものは全くなく、しかも回りに店や自販機もナイ。また、この築堤への登攀は結構大変で、何度も行き来しようとは思いたくない。従って、なんらかの準備をしてゆかないと、辛い思いをすることに・・・ 撮影日は、1973年(S.48年)7月27日。 カメラは、5枚目以降がマミヤC330。その他は、ミノルタSR−1s。
フィルムは、ともに Kodak-PlusX。 |
日田彦山線のSL
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西添田に到着した貨1491レは、程なく入換作業を開始。 時間はタップリあるのに、珍しく突放(連結したまま解放レバーを引き、そのまま押して行って、ある程度速度が出たところで機関車だけブレーキをかけることにより、貨車は惰性で機関車から離れて走行して行く入換の方法)による入換作業を行っていた。 1491レで到着した貨車セラの全4輌を切り放したあとは、一番東側の側線に停車していた貨車をさらに奥へ押し込み、さらに隣の空いてる線を通り、前方へ進む。 東側後方のボタ山がとても良い雰囲気。 駅舎に近い1番線も使って貨車を組替る。 雲の形が秋の風情。 貨1492レ用に入換、編成が完了し、3番線に入って発車時間まで待機する。 セラが10輌のなかなか堂々とした編成になっていた。 昔の栄華が偲ばれる西添田(九州鉄道として1903年(M.36年)に川崎(=現、豊前川崎)-添田間開業したとき添田駅とされたが、1942年(S.17年)8月1日に西添田駅に改称された)構内。 この時期では撮影効率だけで考えると、後藤寺線や田川線を狙った方が数多く撮影が可能だったが、平日であったこともあり他の撮影者も居ない、広い雰囲気の良い構内で、カマの中で一番好きな9600とともにのんびりと1時間半ほどを過ごせたのは、一ファンとしてすばらしい体験だったと今でも思っている。 撮影日は、1974年(S.49年)9月20日。カメラは、ミノルタSR-1sとSR-3。フィルムは、共にKodak-TriX。
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1974年9月の筑豊地区SL撮影初日。 田川線勾金、後藤寺線中元寺川の次に向かったのが日田彦山線の西添田。 当時、日田彦山線のD51の運用は全てDD51に交代していて、わずかに9600の運用があるのみとなっていた。金辺峠の山越え区間を走るのは、後藤寺を早朝04:13に発車して東小倉06:15着の貨5764レと門司操を20:01に発車する貨5779レの次位補機(本務機はDD51)の2本のみ。いずれも早朝と夜間のため撮影は殆ど無理だった。 他には、貨5779レを香春で引継ぐ形の貨5799レが同じ夜間帯で後藤寺までの区間運転があったが、これも撮影は難しい。 撮影可能時間帯に走るのは、貨1791レ-貨1792レの後藤寺-豊前川崎間のショート運用と、田川線引継の貨1491レ-貨1494レが後藤寺-添田間を走るのみだった。 それで3ケ所目の撮影ポイントとして西添田を選んだ。選定理由は、炭鉱閉山後も駅東側にボタ山があり、筑豊らしい風景が撮れることと入換等で貨物列車が20分ほど停まるスジからだった。 狙いは、14時すぎに西添田に来る貨1491レ。 後藤寺線起行で時刻変更の貨591レを撮影したあと、徒歩で後藤寺に戻り、駅前の常宿に大きい荷物を置かせて貰って身軽となって駅へ。ただ、この約1時間は下り列車が無く、やむなく13:49発の703D(あさぎり)で添田まで行って下車。添田-西添田間は駅距離で1.2kmなので、徒歩早足で西添田へ向かった。 西添田駅に着いたときには、すでに駅長がホームに向かっているときだったので、そのままホームで撮影させて貰った。 カマは豊前川崎で確認していた、午前中に勾金で出会った79657だった。 添田には転車台がないため、下り列車は逆行運転である。 この9月時点では、79657は西日本地区の9600のラストナンバーで、公式側は、配管や機器が複雑に絡まっているように感じられ興味を惹いた。 架線が見られないため、空が広く、単にホームに停まっているだけなのに、とても雰囲気が良かった。 このあと駅長が、この列車は添田には行かず、ここ止まりであることと、戻りの列車番号は貨1492レとなり、発車は本来、添田発の貨1494レが西添田を発車する16:50であることを教えてくれた。ただし、駅の黒板をのぞき見したところ、1492レは時変と記入されていたが、正確な事は確認できなかった。 撮影日は、1974年(S.49年)9月20日。カメラは、ミノルタSR-1s。フィルムは、Kodak-TriX。
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--- ★ 撮影日と掲載日が同日のシリーズ ★ --- お盆真っ直中。本来、貨物列車のはずの5768レは、この日、香春からの貨物はなく、単機だった。 924号機は、当時門司区の所属機で、門デフK-9タイプを装着していた。 撮影当時は、門デフの詳細については知らず、そのため、この時の写真では肝心の先端部分を撮影していなかった。 このデフの脇には、「ボイラー小倉工場製 昭和33年3月」という銘板が付いていた。 香春からの貨物は無かったのだが、日本セメントの専用線での入換作業はあったらしく、係員2名を載せて勢いよく日本セメントのヤードへ向かう姿が見られた。 低感度のフィルムを使用していたので、追撮りに挑戦。もう少し下の方まで見えると門デフの特徴が良くわかるのだが、それは残念だった。しかし追撮り自体はうまく行ったと思う。 この日、とても暑く、また前側は完全逆光となるため未撮影。 撮影日は、1972年(S.47年)8月15日。カメラは、ミノルタSR-3。フィルムは、Kodak PlusX。 なお、門デフに関する資料は、関 祟博さんの「門鉄デフ物語」を使用しました。
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丁度到着した貨1893レは、ここ香春が終点である。 1893レが到着すると入れ替わりに門司繰行の貨5768レが出発してゆく。到着した1893レのカマは、5768レが発車するとすぐ後退する。 カマの前には2名の作業員が乗り込んでいた。 一旦本線上に引き上げた後、隣接された日本セメントの専用線を走り、ホキ(貨車)を迎えに行く。 しばし待っていると、ホキを繋いで逆行運転で戻ってきた。 香春構内に戻ってきたカマは、今牽いてきた貨車の編成換え(入換)作業を行い、急行列車4402Dの到着のため、待機する。 その後、転車台にて方向を転向し、給水塔を行って出発時間まで休憩をしていた。 撮影日は、1972年(S.47年)8月15日。カメラは、ミノルタSR-1s。フィルムは、Kodak-PlusX。
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