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宮田線は、筑豊本線の勝野から分かれてわずか5.3kmの盲腸線。 貨物列車は全て直方から直通していて臨時貨物を含めて、当時では5往復が設定されていたが、そのうち4往復は中間駅の磯光までの運用で、筑前宮田まで入る運用はわずか1往復しかなかった。また磯光も筑前宮田も転車台は無かったので、下り列車は逆行運転だった。 写真は、筑前宮田発の貴重な正行運転の貨484レで、撮影場所は、筑前宮田構内を外れる5.0kmポスト付近。 六鉱(貝島炭鉱)からの石炭を満載したセラを牽き、住宅地に真っ黒な煙を上げながら走って行く。 カマはデフなしのすっきりした面立ちの49688。程よく磨き上げられていたが、どういう訳か正面プレートは煤けていて番号が読み取りにくかった。 すぐ先には、腕木信号機が見える。SLにはやはり腕木信号機が合う。 風が余りなく、煙がかなり上空まで立ち昇って行っていた。 撮影日は、1973年(S.48年)8月2日。カメラは、ミノルタSR-3で、フィルムは、Kodak PlusXだった。 49688 は、1929年(S.14年)4月4日に直方に配属され、この撮影をした後の1973年9月に一休扱い。同年10月5日付で行橋に移動し、活躍の場を田川線、後藤寺線に移した。翌年の1974年(S.49年)7月には一休となり、同12月6日付にて廃車となった。 |
宮田線のSL
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貝島炭鉱専用鉄道を撮影しに行った時、国鉄との接続駅である筑前宮田にて、列車編成と発車までの時間待ちをしていたカマを撮影したもの。列車番号は貨484レである。 当時、宮田線では、磯光発着の定期貨物運用が3往復と臨貨が1往復あったが、宮田まで入る運用はいずれも定期運用の貨485レとこの貨484レの1往復だけであった。 カマは直方区の49688でテンダー側のプレートは、形式入りプレートだった。 若干キャブの屋根もキャブ全体もがテンダー側に傾いているのがおもしろい。 貨車と連結した後は、出発待機のため、わずかに前進し定位置に停車していた。 煙突の周りはさすがに煤けてはいるが、全体的には良く磨かれていて綺麗な印象だった。 1976年(S.51)8月、最後の炭鉱が閉山したことにより宮田線も貨物輸送を失い、また宮田町の衰退とともに旅客輸送も減少、第1次、第2次廃止対象線を特例で免れていたが、1987年(S.62)には第3次廃止対象線になり、1989年(H.元年)12月23日限りで明治、大正、昭和、平成と4世代をひた走り続けた宮田線は廃止となった。 撮影日は、1973年(S.48年)8月2日。カメラは、ミノルタSR-3。フィルムは、Kodak-PlusX。
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