☆福chanのSL写真(関東以西編)☆

九州から関東まで、1972〜1974年を主体とした蒸気機関車の写真と撮影記です。

宮田線のSL

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宮田線は、筑豊本線の勝野から分かれてわずか5.3kmの盲腸線。

貨物列車は全て直方から直通していて臨時貨物を含めて、当時では5往復が設定されていたが、そのうち4往復は中間駅の磯光までの運用で、筑前宮田まで入る運用はわずか1往復しかなかった。また磯光も筑前宮田も転車台は無かったので、下り列車は逆行運転だった。

写真は、筑前宮田発の貴重な正行運転の貨484レで、撮影場所は、筑前宮田構内を外れる5.0kmポスト付近。
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六鉱(貝島炭鉱)からの石炭を満載したセラを牽き、住宅地に真っ黒な煙を上げながら走って行く。
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カマはデフなしのすっきりした面立ちの49688。程よく磨き上げられていたが、どういう訳か正面プレートは煤けていて番号が読み取りにくかった。
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すぐ先には、腕木信号機が見える。SLにはやはり腕木信号機が合う。
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風が余りなく、煙がかなり上空まで立ち昇って行っていた。
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撮影日は、1973年(S.48年)8月2日。カメラは、ミノルタSR-3で、フィルムは、Kodak PlusXだった。



49688 は、1929年(S.14年)4月4日に直方に配属され、この撮影をした後の1973年9月に一休扱い。同年10月5日付で行橋に移動し、活躍の場を田川線、後藤寺線に移した。翌年の1974年(S.49年)7月には一休となり、同12月6日付にて廃車となった。
貝島炭鉱専用鉄道を撮影しに行った時、国鉄との接続駅である筑前宮田にて、列車編成と発車までの時間待ちをしていたカマを撮影したもの。列車番号は貨484レである。

当時、宮田線では、磯光発着の定期貨物運用が3往復と臨貨が1往復あったが、宮田まで入る運用はいずれも定期運用の貨485レとこの貨484レの1往復だけであった。

画像は全て大きくして見ることができます

カマは直方区の49688でテンダー側のプレートは、形式入りプレートだった。
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入換作業が終了して、出発用の貨物車両の先頭に連結するべく後進をしているところである。

若干キャブの屋根もキャブ全体もがテンダー側に傾いているのがおもしろい。
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貨車と連結した後は、出発待機のため、わずかに前進し定位置に停車していた。
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煙突の周りはさすがに煤けてはいるが、全体的には良く磨かれていて綺麗な印象だった。
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1976年(S.51)8月、最後の炭鉱が閉山したことにより宮田線も貨物輸送を失い、また宮田町の衰退とともに旅客輸送も減少、第1次、第2次廃止対象線を特例で免れていたが、1987年(S.62)には第3次廃止対象線になり、1989年(H.元年)12月23日限りで明治、大正、昭和、平成と4世代をひた走り続けた宮田線は廃止となった。

撮影日は、1973年(S.48年)8月2日。カメラは、ミノルタSR-3。フィルムは、Kodak-PlusX。

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