☆福chanのSL写真(関東以西編)☆

九州から関東まで、1972〜1974年を主体とした蒸気機関車の写真と撮影記です。

唐津線のSL

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 --- ★ 撮影日と掲載日が同日のシリーズ ★ ---

1972年8月九州撮影旅行の最終日。初日と同じ唐津線で撮影。

場所は、唐津湾に注ぐ松浦川と最も接近する鬼塚駅付近。最初に重連の貨1791レを撮影。1791レの写真は、以下にあります。
http://blogs.yahoo.co.jp/br1216er/5482187.html

鬼塚では、最も北側(唐津寄り)で松浦川越しに名城唐津城と線路を絡められるポイントがある。ただし、晴天であることと、線路=列車と絡めるためには画角が60度ほどの35mm位のレンズが必要であり、逆にそれ以上広角の28mmとか24mmだと車輌が小さくなってしまうという兼ね合いが難しいところでもあった。

その点で1791レの場合は、城とのツーショットはできたが、重連の本務機が民家に隠れてしまったので、次の列車である上りの貨1790レで正面向きのカマと唐津城との絡みを狙うことにした。

結果は確かに正面向きではあったが、足回りが写らない、中途半端な感じになってしまったのと、モノクロなのでカマの後方の樹木とカマのトーンが同じようになって、埋もれてしまったのが残念だった。
イメージ 1


小さな踏切を越えると川の土手を走る形になるので足回りまで綺麗に見えるが、08:45という時間なのでカマの正面には光が当たらないのがちょっと寂しい。
イメージ 2


カマは、当時西唐津機関区所属の9600に多かった門デフ(K-7)装備で、ランボードの白線と共に、小型の前照灯、化粧煙突と、なかなか雰囲気の良いカマだった。
イメージ 3


鬼塚のホームに差し掛かったところ、少々ブレてしまいました。
イメージ 4


ここから先は民家に隠れて対岸からは列車が見えなくなります。橋の根元に直接踏切のある珍しい特異な場所でした。
イメージ 5
順光なのでカマの機番がはっきりと読めます。


撮影日は、1972年(S.47年)8月23日。カメラは、ミノルタSR-3。フィルムは、Kodak-TriX。
唐津の友人宅より出発し、唐津線のハイライトともいえる笹原峠をめざした。

天気は雨時々曇りであまりいい状態ではなかったが、西唐津-唐津間の菜畑から線路沿いにロケハンをしながら、客727レ、貨8781レ、そして貨1792レを撮影し、鬼塚から厳木まで732Dで移動。

途中で追い越してきた1792レを峠で捉えようと、厳木駅前からはバスで笹原踏切バス停で下車。しかしながら雨が降ってきていて状態が良くなく、結局、厳木バイパスから俯瞰するように1792レを撮影。

次に多久側から登ってくるのが本命の貨1793レだが、厳木側ではすでにサミットを越えて下りと成ってしまうため、折角の後補機付の爆煙が期待できない。そのため時間が余りなかったのだが笹原トンネルの多久側に行くことにした。

幸いなことに笹原トンネルは複線用の開口断面が大きなトンネルで、しかも線路が片側に寄せて敷設されていて、さらに真っ直ぐであるため、列車間であればトンネル歩行も難がないトンネルだった。

足早に通り抜けた多久側は曇よりしていたが雨は降っていなかった。ただ、線路が真っ直ぐなため撮影のための足場の確保が難しく探している内に、多久からは発車の汽笛がこだまして聞こえてきていた。

なんとか線路際の土手に張り付いてカメラセットを追える頃には、遙か遠くに煙が見え始めていた。と、同時に空がどんどん暗くなり、カマの姿が見えた頃には強い雨になってしまった。

後補機が確認できるところまで引きつけてシャッターを切った。
イメージ 1
ブローニー判は望遠レンズではないので、目視では確認できたが、写るかは心配だった。現像後ネガをルーペで拡大して見ると、なんとかそれらしく写っていた。(かなりトリミングしているが、中判の強みできっちりと解像できている)

本務機が踏切に近づいて来たとき、なんと地元の方の軽トラがにょっきり!
イメージ 2
猛烈なドラフト音に遮られ怒鳴っても聞こえないし、万事休す。もう少し配慮してくれたらな-、と思ったが、生活道なので仕方がない・・・。

このあと35mm判に切り替えて撮影するはずだったのだが、足下が雨で滑り、体勢を立て直している内に、前側は通過してしまった。
イメージ 3


GW中であったが荷は重かったらしく、絶気することなくトンネルに突っ込んでいった。
イメージ 4
複線式のトンネルの様子がよく分かる。右奥には出口も見える。
イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7


貨車両数はかなり多く、後方には力行中の後補機の姿。
イメージ 8

イメージ 9


後補機が間もなくトンネルへ。本務機の煙がトンネルから吹き出ている。
イメージ 10


煙除けのためか後補機の窓はしっかり閉じていた。
イメージ 11
テンダーのナンバープレートは形式入で格好良い。

撮影後は、煙の残るトンネルは通らず、国道203号線に出て約40分雨の中を歩いて厳木駅まで戻った。


撮影日は、1973年(S.48)5月2日。カメラは、1枚目、2枚目、9枚目がマミヤC330。その他がミノルタSR-3。フィルムは、両方ともKodak-TriX。
1973年夏、九州SL撮影の最終撮影列車が唐津線の笹原峠を行く貨1793レだった。

1793レは、後補機の付く予定の列車だったが、この日は本務機だけの運行だった。
イメージ 1


カマは、1972年(S.47)10月2日に門司区から転属した69608で、転属時は標準デフを装備していたが、1973年8月の中間A検査の時に、79624が装備していた門デフ(K-7)を譲受けていた。改造は西唐津区で行われた。


撮影日は、1973年(S.48)8月4日。カメラは、ミノルタSR-3。フィルムは、Kodak-TriX。
撮影日と掲載日が同日のシリーズから。

九州を離れる日の朝、友人宅の目の前(菜畑)を走る貨8781レを撮影した。
イメージ 1


唐津線の線路は駅を出ると、ほぼ西北西に進路をとり、菜畑付近でゆるく右に曲がりながら、北北西に方向を変え、そのため下り列車は逆光となってしまう。
イメージ 2


カマを真っ黒に落とさないように、柔らかい階調を持つフィルムで、気をつけて露光をかけ、さらに軟調現像を行って、目標通りの仕上りになった。
イメージ 3


勾配はないが、カーブがきついためか、結構煙も多く絵になった。このコマが1973年GW最後のSL撮影だった。
イメージ 4



撮影日は、1973年(S.48)5月6日。カメラは、ミノルタSR-3。フィルムは、Konipan-SSS。
 --- ★ 撮影日と掲載日が同日のシリーズ ★ ---

この日は友人の家族と一緒に有田の「陶器市」に向かっていた。途中、客727レをどこかで撮影したいとお父上にお願いして、時間を見計らって、鬼塚-唐津間の踏切に寄ってもらった。

この辺りの線路は、ほぼ北北西に直線区間となっていて、この季節ではお昼頃には完全に逆光となってしまうが、727レは10:30過ぎの通過時間だったので、まだ左(東側)からの光だったので助かった。
イメージ 1
折しも距離標(キロポスト)のところだったので、場所の特定が楽だった。踏切の右側に停まっている車は、友人と家族が乗っている車だったが、一緒に写ってしまったのはご愛敬である。

カメラを片付け始めて、ふと気がついて手持ちでシャッターを切ったのがこの写真。
イメージ 2
当時は線路の両側とも水田が拡がっていたが、きっと今では、こんなのどかな風景は、『夢の跡』なんだろうなと思う。


撮影日は、1973年(S.48)5月5日。カメラは、マミヤC330。フィルムは、Kodak-PlusXだった。

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