☆福chanのSL写真(関東以西編)☆

九州から関東まで、1972〜1974年を主体とした蒸気機関車の写真と撮影記です。

南九州の機関区のSL

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 --- ★ 撮影日と掲載日が同日のシリーズ ★ ---

前夜、門司港始発の急客501レ「みやざき」に乗車。

夏場の「みやざき」は、茶色塗色のスユニ、オハニに青色塗色のオロ、オハネフ、ナハネ2輌とナハ3輌にナハフの計10輌編成の堂々とした急行客車列車だった。牽引機は大分区の日立S.42年製のED76 11で、C55やC57牽引のを見たかった、と思ったりした。

翌朝、高鍋、佐土原で計4本を撮影した後、4101レ「高千穂」で宮崎入り。

ここで合宿のメンバー2名と一旦分かれて単独行動となった。約1時間後の日南線普通列車に乗車するまでの間、ホームから見える宮崎機関区に出入りするカマを撮影した。

その一番撮りやすい場所に止まっていたのがこのカマ。
イメージ 1


形式的写真。これはいわゆる2位側なので、日本では反対側の1位側から見ないと形式写真にはならないらしい。ヨーロッパ、例えばドイツとか、スイス、オーストリアだったらこちら側が正式側となる。
イメージ 2
門デフ(K−9形、C57、四次型としては唯一の装備車)と回転式火粉止器の付いていないすっきりした煙突、奥行きの浅い前灯など南のカマらしい。

少々アップしたもの。
イメージ 3
キャブ回りにかなりの歪みが感じられる。


撮影日は、1972年(S.47)8月17日。カメラは、ミノルタSR-3。フィルムは、Kodak-PlusX。
1970年代に入った頃の日豊本線では、南延岡、宮崎、鹿児島の3カ所に機関区があり、共によく磨かれた綺麗なカマが多いことで有名だった。

日豊本線上のカマの種類はそれほど多くは無いが、それでもC55、C57、D51と国内ではすでにこの地域でしか見られなかったC61が集結していた。また、ローカル線用の8620、C12、および入換用としてC50も活躍していた。

さらに所属は上記3ヶ所ではないが、都城には志布志線用のC58、宮崎には日南線用のC11の姿も見られた。(その意味では姿が見られなかったのは、九州地区としては、9600、D50、D60の3形式だけだった)

画像は拡大して見ることが出来ます
写真は、宮崎機関区に帰区するC57 39である。
イメージ 1


イメージ 2


イメージ 3


宮崎機関区にはC57の2ケタ番号機が多く配属されていた。画面の左からC57 65、C57 39、C57 89。
イメージ 4



撮影日は、1974年(S.49)3月14日。カメラは、ミノルタSR−Tsuper。フィルムは、TriXである。
前夜、小倉発、西鹿児島行の季節臨時夜行急行の9111レ「かいもん52号」に乗車。
ハザ(座席指定)だったと思うが(正確には覚えていない)、その乗車した車輌が寝台車オハネ12の次に連結されたスハフ12だったため、ディーゼルエンジン=電源車=の御陰でうるさくて、良く眠れなかった。

列車は、球磨川の増水により水位計が壊れたため、保線員が直接現場で調査中ということで、有佐に40分臨時停車。しかし西鹿児島には定刻 05:55に到着。

西鹿児島に来たのは、鹿児島機関区を訪問するのが主目的だったが、流石に6時から入場するわけには行かず、時間合わせを考慮して、隼人まで行き、朝の下り貨1597レを撮りに行くことにした。

夜行列車の中での睡眠時間が不足=有佐の発車は知らず、西鹿児島に到着するまでは完全に眠っていたが=していたので、終着で降ろされても少々朦朧としたまま、40分後に発車した日豊本線の客824レに乗車。

隼人では40分ほど待って1597レの到着を撮り、7分後に発車するシーンを撮影して、また30分ほど待って客1521レに乗車。
鹿児島に着いたのは09:28。程よい時間だったので、その足で機関区を訪問した。

機関区には、C57が5両(39、72、127、169、175)とC50が1両(36)と8620が1両(68649=一休扱い)の姿が見られた。

このうちC57 169は、隼人で撮影した貨1597レを牽引してきたカマだった。

画像は拡大して見ることができます
169号機は、機関区を訪問した直後は、巨大な給炭設備の脇にある点検のためのピットのところで、休憩していた。
イメージ 1


しばらくすると、給炭設備のある場所を離れ、今度は給水設備のあるところに引き出され、そこでしばし駐まっていた=機関士たちは下車していて誰もそばには居なかった。
イメージ 2



撮影日は、1973年(S.48)7月28日。
カメラは、1枚目がマミヤC330。フィルムは、PlusX。2枚目が、ミノルタSR−Tsuperで、フィルムは、TriXである。
当時、吉松区のC56は、山野線の貨物運用と吉松の入換運用を行っていた。

山野線の運用は、昼間1往復の貨物列車だけだったので、早朝および夜間では、吉松構内で入換作業を行う姿が見られた。

吉松は鉄道により発達した町で、駅から30秒のほんの目の前に温泉宿があり、SL撮影の先輩に教えられてからは、よく利用していた。鉄道の方(早朝出発の列車の機関士さんや車掌さんなど)も多くが利用していたので、深夜の入館もOKだったし、また早朝に起こしてもらえるなど便宜も図ってもらえ重宝していた。

吉松は、山の中の盆地のような地形だったので、夜は相当暗く機関庫内のほそぼそとした光では撮影が厳しかった。また3月といえど夜は気温が下がり寒く、長時間の露光をしなければならない夜間撮影は相当厳しいものがあった。

画像は拡大して見ることができます
しかし、もう間もなくSLが無くなるという時期だったのと、ちょうどこの日は、夜も快晴で星も綺麗だったので、構内の照明灯に期待をして夜間撮影に挑戦した。
イメージ 1


夕方忙しく働いていたC56が、なんとかライトの当たっているところで休憩をしていたので撮影することが出来た。
イメージ 2



撮影日は、1974年(S.49)3月18日。カメラは、マミヤC330。フィルムは、TriX。
都城の機関支区で休むC58の姿。
 
イメージ 1


この260号機は、志布志に来る前は、紀伊田辺機関区に所属していた。記録によると志布志へ転属になったのは、この年の10月1日となっているため、この写真を撮影した時は、転属予定で紀伊田辺からの借用になっていたのかも知れない。(経緯等は不明である。)川崎車輌、1941年製。


撮影日は、1973年(S.48)7月28日。カメラは、マミヤC330。フィルムはTriX。

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