☆福chanのSL写真(関東以西編)☆

九州から関東まで、1972〜1974年を主体とした蒸気機関車の写真と撮影記です。

その他の保存SL

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尾道から次の宿泊地、星の綺麗な町で知られている美星町へ向かう途中、レンタカーのナビに従い山陽自動車道を笠岡で降りて県道48号で北上した時、突然道ばたに腕木信号機が見えた。
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しかも何気なく通過しようとしたときにチラッとSLが見え、慌ててUターンして、やや先に車を止め降りてみると、見事に駅舎と思える建物と保線小屋のようなものがあり、駅舎には「鉄道記念館 井笠鉄道株式会社」という立派な新しい看板が付いていた。
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駅舎には誰も居ず、待合室に当たる場所は鍵が掛かっていた。

駅舎の脇にはSLと客車と貨車が屋根付きの場所に保存されていたが、道路際はフェンスがあり、ここにも鍵が掛かっていた。全く知識がない状態での出会いだったため、興奮気味だったが残念ながら外側からしか見ることが出来なかった。

半ば諦めてながらしばらくの間、恐る恐る回りを観察していたら、車輌の裏手から人が出てきたので、話をすると、この場所は1971年4月1日をもって廃線となった井笠鉄道本線の新山駅で、現在は井笠鉄道の鉄道記念館であることを教えてくれ、また駅舎(待合室)も開けてくれた。そして保存されている車輌について聞くと、自由に撮影したりしていいとフェンスの鍵も開けてくれた。許可を貰えたので安心して心置きなく撮影をすることができた。
1968年(S.43年)秋に行われた福井国体の時のお召し牽引機であり、小浜線のSLお別れ列車を牽引したC58 171が小浜市の中央児童公園に静態保存されている。


1973年春、友人ら3人と小浜〜山陰を旅行した際に、泊まった宿から駅に向かうときに、たまたま見つけたのがこのカマだった。
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はっきりとは覚えていないのだが、たぶん乗車する列車の時間が迫っていたので、ささっと撮影して駅に向かったような気がする。そのため人=友人=が入らない写真は撮っていなかった。今思うと、ちょっと残念だった。

有名な「やまてつ」さんのHPによると2006年の撮影時には、「煙室扉ハンドルが紛失しているのが残念です。以前は煙室扉が鎖で開かないようになっておりましたが、溶接でとめられていました。」とある。

私が撮影したのは、それよりも30年も前で、まだ保存されて1年半ほどの時だったので、プレート類にも盗難防止の枠などは取り付けられていない、原形に近い状態と思われる。
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乗務員扉は鎖で留められてはいたが、ガラス類も残っていた。

説明の看板もとても綺麗だった。
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撮影日は、1973年(S.48年)3月4日。カメラは、ミノルタSR-3。フィルムは、Konipan-SS。



C58 171 は、1939年(S.14年)9月27日に汽車会社にて誕生。製造番号はNo.1805。
新製配置は、1939年9月27日に名古屋局。
1941年(S.16年)4月1日現在では金沢区。
1949年(S.24年)4月1日現在では敦賀区。
1971年(S.46年)4月1日現在では敦賀第一機関区。

1971年9月25日には小浜線で「SLさよなら列車」牽引。
1971年10月20日付にて廃車、同時に保存扱いとなった。
JR熱海駅前広場に鎮座しているのが、1907年(M.40)から1923年(T.12)まで熱海-小田原間を結んでいた熱海鉄道のSL、7号機である。
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現在、東海道線の普通列車が25分で運行されているが、当時は160分も掛かったという。
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熱海鉄道は、現在の東海道本線が開業する前、小田原と熱海の間を結んでいた軽便鉄道線で、当初は、国鉄国府津駅前から小田原町(現、小田原市)内まで小田原馬車鉄道(1900年に路面電車化し、1920年廃止)という馬車鉄道が開通していたため、それと連絡する形で鉄道線として建設しようとしたが資金不足のため、人車軌道に規格を落として豆相人車鉄道を設立して1895年から1900年にかけて漸次開通させた。

のちの1907年に営業面から社名を熱海鉄道と改め、SL牽引の軽便鉄道に切り替えた。しかし営業が不振であったため大日本軌道に買収されたが、国鉄が丹那トンネルを開通させ1922年に現東海道線の小田原-真鶴間が「熱海線」として開業したため、並行区間を廃止して残りの区間で営業したが、翌1923年の関東大震災により壊滅的な打撃を受け、そのまま廃止となってしまった。

このカマは、長さが3360mm、高さ2140mm、幅1390mmで重量は3.6t、速度は9.7km/hと自転車の半分くらいほどの速度しか無くて超遅かった。
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軽便鉄道が廃止されたあとは、小型な故に各地の鉄道建設現場で活躍し、最後には国鉄鷹取工場内で教習用(標本車)として展示されていた。これを熱海市が払い下げをお願いし、鷹取工場にて1969年(S.44)に軽便時代の姿に修復をして熱海駅前に展示された。
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1976年(S.51)には、梅小路のC62 1とともに鉄道準記念物に指定された。
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◎準鉄道記念物は、地方的にみて歴史的文化価値の高いもの(将来鉄道記念物になりうるもの)を支社において指定するもので、1963年に制定された。鉄道記念物に比べて、ローカル色が強いのが特徴であるが、管理者、保守責任者、管理責任者が置かれ、長く保存するための体制がしかれているのは、鉄道記念物と同様である。

駅前広場には足湯があり、その足湯の正面(南側)に間欠泉と並ぶようにしてカマが置かれている。
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しかし、カマの回りには岩や植生の他、間欠泉のための施設が隣接しているため、撮影には少々困難が伴う。この日は、ちょうどその施設で掃除のおばちゃんが昼食を採っていて、荷物がキャブに置いてあった。一瞬迷ったが、おばちゃんに声をかけて荷物を片付けてもらい、施設の入り口を閉めてもらって撮影した。
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それにしても面白いフォルムのカマであった。
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◎なお、豆相人車鉄道の足跡を訪ねた記事が以下にあります。ご興味ある方はどうぞ。
 http://www.toy-train.com/sb/sb.cgi?cid=27


撮影日は、2010年3月5日。カメラは、LUMIX G-1。Lensは、G VARIO HD 14-140mm。
2009年のGW寸前、長野市内へ日帰りの仕事に行った。この仕事は今年4月初めに決まっていたのだが、出発の寸前に以前中央西線を走っていたD51 549が長野市内に保存されていることを偶然知った。

一部の画像を除き、拡大して見ることができます
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その保存されている場所が、長野市立後町(ごちょうと読む)小学校という情報が判ったとき、すぐネットでその小学校を検索してみると、長野駅から善光寺へ向かう参道のほぼ真ん中ぐらいで、しかも参道からすぐの場所であることが判った。距離は駅から約1kmほどである。

購入していた新幹線での長野駅到着時間は12:50。仕事先での集合時間は14:15だから、昼食を抜けば、撮影することは可能だった。それで前夜、急遽デジタル一眼レフを準備しカバンに入れた。

長野には定刻到着。善光寺への参道は前にも歩いたことがあるので、行き方はわかるからと一旦は歩き始めたが、前日の天気予想より暑くなっていたことと、少しでも時間の余裕が欲しかったので、駅に戻りタクシーに乗車。

D51は小学校の体育館の南側にある、ということだったので、タクシーもそこへ付けて貰ったが、さすがに体育館脇の門には鍵がかかっていた。そこで学校の事務所に行き、許可を貰ってD51のところへ。

イメージ 12長野市立後町小学校は、明治6年8月に長野県教員講習所付属小学校として設立され、明治8年8月には町立長野学校となった。その後尋常小学校、高等小学校、国民学校などを経て昭和25年4月に長野市立後町小学校となった。今年で創立134年となる歴史のある小学校である。

カマは、間違いなくD51 549で、体育館とプールの間に鎮座していた。
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屋根は無く、その意味では吹きさらしではあるが状態は極めて良く、キチンと手入れされていることが伺えた。
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キャブへは見学のための階段が付けられていたが、入口にはしっかり鍵が掛けられていて、最近は開けられた形跡がなかった。
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そのため、キャブ内もキチンとしている様子が伺えたが足場がなかったので、内部は正確にはわからなかった。

この場所に設置されたのは、小学校のホームページによれば1973年(S.48)の11月ということなので、国鉄の記録簿にある1973年11月27日に保管、とされた日に設置されたものと思われる。
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屋外設置の保存機としては極めて保存状態が良く、是非このまま良い状態で後世まで残していただきたいと切に思った。
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なお、このカマがこの小学校に保存されることになった経緯は不明である。


撮影日は、2009年4月30日。カメラは、オリンパスE-3。レンズは、Zuiko Digital 12-60mm F2.8-4。
高岡古城公園の南東、市民体育館前に静態保存されている、C11 217。
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公園内の動物園に行くために寄った駐車場脇で、たまたま見つけた。

機関車の横に立てられた経緯表示を読むと、製造は昭和16年7月で、昭和36年末までは多治見機関区または名古屋機関区に所属し、昭和37年より昭和43年7月まで七尾機関区に配置されていたという。その後、昭和43年8月より富山第一機関区高岡支区に所属し、城端線及び氷見線で活躍。昭和44年9月に用途廃止となった。
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高岡市が国鉄から譲り受け、この古城公園にて静態保存をしているものである。

市民体育館の駐車場に面した南側に、屋根付きで保存されていて、外観はかなり整備されているが、駐車場の木立の際にあるため、影を求めて駐車する車に阻まれ、撮影上はあまりいい条件ではない。
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イメージ 7運転席へは特設の階段で行けるようにはなっているが、ドアには鍵が掛けられたままで中には入れない。締め切っている関係で保存状態はいい方であるが、少々錆びがでているところも見受けられた。

当方がSLの撮影を本格的に始めたのは昭和46年以降のため、このこのC11 217には遭遇していなく、また帰宅してから、昭和45年ころからの資料等を調べて作った自作のSL移動調査簿にも記載がない車輌であった。

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