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何となく調べてみました。 覚えているものと忘れているものがあって、間違っているかもしれません。 かつて北海道は産炭地を多く抱え、また僻地への交通手段として一大鉄道王国として名を馳せました。 小学校2年生の時に函館駅のキヨスクで父に「北海道の駅名」という小さな本を買ってもらいました。 その本には駅名の由来が細かく載っていて、アイヌ語地名からの地名や、路線が細かく記されていたと記憶しています。 きっと実家の子供の頃のボクの宝物入れにあると思います。確か連絡船のスタンプと函館駅のスタンプが押してあるはずですが、 その本で北海道の路線と駅名はほとんど覚えていました。 その記憶をたどって、いまの記憶と混ぜ合わせて・・・ 函館本線 函館−国縫−長万部−倶知安−札幌−岩見沢−砂川−滝川−深川−旭川 (上砂川支線)砂川−上砂川 (美唄支線)美唄−南美唄 室蘭本線 長万部−伊達紋別−東室蘭−苫小牧−沼ノ端−追分−志文−岩見沢 (支線)東室蘭−室蘭 日高本線 苫小牧−鵡川−様似 根室本線 滝川−芦別−富良野−新得−帯広−池田−白糠−釧路−東釧路−厚岸−厚床−根室 釧網本線 網走−知床斜里(斜里)−標茶−東釧路−(釧路) 留萌本線 深川−石狩沼田−留萌−増毛 宗谷本線 旭川−新旭川−名寄−美深−音威子府−幌延−南稚内−稚内 石北本線 (旭川)−新旭川−上川−遠軽−北見−美幌−網走 江差線 (函館)−五稜郭−上磯−木古内−江差 海峡線 木古内−(吉岡海底−(青函トンネル)ー竜飛海底)−中小国−(蟹田) 石勝線 南千歳−追分−新夕張−トマム−新得 (夕張支線)新夕張−夕張 富良野線 富良野−美瑛−旭川 千歳線 (苫小牧)−沼ノ端−南千歳−白石−(札幌) 札沼線(一部廃) (札幌)−桑園−あいの里教育大−石狩当別−北海道医療大学−石狩月形−浦臼−新十津川 (廃止区間)新十津川−雨龍−碧水−石狩沼田 名寄本線(廃) 名寄−興部−渚滑−中湧別−遠軽 松前線(廃) 木古内−渡島福島−松前 瀬棚線(廃) 国縫−今金−瀬棚 岩内線(廃) 小沢−岩内 胆振線(廃) 伊達紋別−京極−倶知安 歌志内線(廃) 砂川−歌志内 手宮線(廃) 南小樽−(色内仮乗降場(駅))−手宮 幌内線(廃) 岩見沢−三笠−幾春別 万字線(廃) 志文−美流渡−万字炭山 深名線(廃) 深川−多度志−幌加内−添牛内−朱鞠内−北母子里−名寄 羽幌線(廃) 留萠(留萌)−古丹別−羽幌−遠別−天塩−幌延 天北線(廃) 音威子府−中頓別−浜頓別−南稚内 興浜北線(廃) 浜頓別−北見枝幸 興浜南線(廃) 興部−雄武 渚滑線(廃) 渚滑−北見滝ノ上 相生線(廃) 美幌−津別−北見相生 池北線(廃) 池田−足寄−陸別−置戸−訓子府−北見 根北線(廃) 斜里(知床斜里)−越川 夕張線(廃)(一部石勝線に編入) 紅葉山(新夕張)−登川 富内線(廃) 鵡川−穂別−富内−日高町 広尾線(廃) 帯広−(愛国−幸福)−中札内−大樹−広尾 標津線(廃) 標茶−中標津−根室標津 (支線)中標津−別海−厚床 士幌線(廃) 帯広−上士幌−糠平−十勝三股 白糠線(廃) 白糠−北進 美幸線(廃) 美深−仁宇布 湧網線(廃) 中湧別−佐呂間−浜佐呂間−常呂−網走 番外! 青函連絡航路(廃) 函館−青森 記憶と調べられるだけでこれだけありました。(もっとあったかもです。) また、道内の私鉄も道央圏を中心に会社線や専用線の線路を持っていました。 次回は列車について記憶の旅に出て調べてみましょうかね・・・
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一番下の写真は深名線の第三雨龍川橋梁ですね。この橋梁は代替バスからみてもかなり印象的でした。
2006/12/4(月) 午後 7:26
幌加内の温泉に行く途中にありますよね。この近辺は廃線跡がけっこうありますよね。
2006/12/4(月) 午後 9:50
北海道には「カムイコタン」とアイヌ語で名の付くところがあります。「神の住むところ」という意味ですが、旭川市の「神居古潭」も同じように切り立った断崖絶壁の流れの渦を巻くような川の付近に多く名付けられています。この第三雨竜川橋梁のかかるところも「カムイコタン」といわれるところです。鉄橋の架設工事の際には殉職者を出しています。北海道の厳しい鉄道敷設の様子がよく分かる貴重な場所だと思います。
2006/12/5(火) 午前 6:35
ほんと見事に廃止されてますね…。僕が子供の頃は国鉄=高い=赤字というイメージがつきまってましたね〜。 乗り物等には、その時代、時代の役目があるんですね。
2006/12/6(水) 午前 8:57
そうですね。もともと北海道は未開の大地で、どうしても交通網の整備が必要だったんでしょうね。過酷な条件下で、安定した交通と林産資源や石炭輸送のルートを確保するために鉄道の敷設は欠かせない国策だったのでしょう。しかし炭坑の衰退による労働者の減少で、僻地路線は採算が合わなくなり赤字に転落してしまった。また、道路交通網が発達し鉄道による物流の必要性が薄れたのが大きな原因でしょう。事実、12・3年前ボクが北海道に赴任した頃は、国道でも1車線未舗装の道路が結構ありましたからね、、、。時代の流れですね。
2006/12/6(水) 午前 9:08
こんなことを聞いたことがあります。深名線はもともと「軍事路線」という話。深名線は長大ローカル線でしたが、元々は北方防衛のための軍事物資輸送路線だったそうです。太平洋戦争末期のソビエト参戦がちかずいていた頃、日本は敗色濃厚ではあったもののサハリン(樺太)からのソビエト侵攻に備えて、名寄に軍の拠点を置きました。そのための物資輸送のために大型の貨物機関車(9600,D52,D60)が入線できるように規格が幹線並みだったそうです。
2006/12/6(水) 午前 11:52
現在の時刻表で北海道の路線図を見るのが辛いです・・・。
2006/12/7(木) 午後 11:47
エルやんさん>>ほんとです。寂しい限り・・・。
2006/12/8(金) 午前 6:16
この度は小生のブログにお気に入り登録を頂戴し、ありがとうございました。宮脇俊三氏の「時刻表2万キロ」「最長片道切符の旅」を読みましたが、氏が旅した昭和50年前後は、国鉄の路線網が最も発達していた頃のようで、特に北海道には多くの盲腸線が残っていました。文庫本に添えられた路線図と、現在の路線図を見比べると、この30年間に、北海道でいかに多くの路線が廃線に追い込まれたのか・・・と認識させられました。
2006/12/14(木) 午前 1:54