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=== 地名の由来 === アイヌ語の地名が多い北海道において、岩見沢は数少ない和名の都市である。明治11年に幌内煤田を開採のため、開拓使は札幌〜幌内間の道路を開削に当たり、工事に従事する人たちのため、当市の北部、幾春別川の川辺に休泊所を設け、ここで浴(ゆあみ)して疲れをいやしたといわれている。 当時の人々にとって、この地は唯一の憩いの場所として、「浴澤」(ゆあみさわ)と称するようになり、これが転化して「岩見澤」(いわみざわ)と呼ばれるようになったといわれている。 === 岩見沢のおいたち === 明治15年11月13日、幌内媒田鉄道の幌内〜手宮間が全線開通した。 明治16年に公布された移住士族取扱規則により、この地に札幌県勧業派出所が設置。 明治17〜18年には、山口県・鳥取県ほか10県からの士族277戸、1,503人の集団移住により、開拓されはじめた。 明治17年10月6日、設村の告示により岩見澤(イワミザワ)村となり、戸長役場、郵便局も設けられた。 明治22年には、岩見澤・滝川・忠別太(現旭川)間、明治23年には岩見澤〜夕張間に道路が開通した。 明治24年に岩見澤〜歌志内間、同25年に岩見澤〜輪西(室蘭)間の鉄道が開通し、岩見澤駅が現在地に移転、陸上交通の要衝となる。 明治30年10月には空知支庁が設置。 同33年7月、1級町村制による岩見澤村となり、人口は12,518人となった。 同39年10月には町制を施行。 同41年には北海道では函館に次いで二番目に上水道が完成。
昭和18年、市制を施行。
同32年桂沢多目的ダムの完成によって、上水道拡張事業、都市計画が急進。同35年岩見澤〜新篠津を結ぶ岩見澤大橋が完成。 明治33年7月当時の岩見澤村より分村し、戸長役場を開設しました。
一方、栗沢町は、明治23年和歌山県の山田勢太郎氏が入植し、岡山農場をひらいた。
その後も岐阜、富山、香川、滋賀、徳島など各県から入植が続き、栗澤の開拓をした。地名をアイヌ語の「栗の多い澤」(ヤム・オ・ナイ)から栗澤とし、明治25年2月栗澤村が分村し、その後、明治30年2月戸長役場を開設した。
北村、栗沢町は、明治中期まで岩見澤村として一つの地域であった。
=== 市の人口 === 平成18年3月27日「新」岩見沢市(旧栗沢町、旧北村を合併)となる。 【平成19年7月31日現在】 人口 92,634人 (男 43,644人 女 48,990人) 世帯数 41,737世帯 上記、岩見沢市HPより 岩見沢と言えば、鉄道のマチである。 先日、新岩見沢駅駅舎が落成し、その構造材には古レールが利用されている。 岩見沢駅の北西、旧岩見沢機関区跡地の一角に岩見沢レールセンターがある。 北海道内のJR線レールの検修を行っている。 スーパーロングレール(青函トンネルの継ぎ目の無いレール)の技術など、全国的に見ても 非常に高い技術を持つJR北海道の中枢をなす施設がある。 |
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2007年09月13日
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「訪江」という言葉が正しいかどうかは知りませんが、 |

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