旅は道づれ つれづれ〜ル 〜お父さんは鐵ヲトコ〜

列車・鉄道模型が好き。旅が好き。バスケが好き。ゴルフが好き。故に車はVWGOLF。で、パソコンはMacなのだ。

旅行記

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長万部といえば ケータイ投稿記事

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かにめし!

これがうまいんだな!

1050円ナリ!

じつは、北海道にかにめし数あれど、遠軽のかにめしが意外にうまい。

北見方面に出かけるときはだいたい食す。

長万部のかにめしは、さすが老舗、全国区!

今日から技術・家庭科の研究会で函館入りします。

今、スーパー北斗の車内です。

今日は函館の駅前に宿泊して、午後からは役員会で、そのあと懇親会です。
明日、研究会の本番です。
この研究会は毎年のことなのですが、毎年会場が違って、去年は旭川で、今年は函館です。
函館ということで楽しみもあります。ボクにとっては函館は言わば故郷ですから、少し時間に余裕が出来たら、ブラぁっとしてこようとおもいます。

連絡船の資料集めが出来ればいいなと思っています。

函館駅に着いたら、まずいるか文庫に行って、あした帰る前に摩周丸によってみようと考えています。
が!どうなるかはわかりません。
なんせ「予定は未定であって確定ではない」のです、、、。

いま、伊達紋別を発車しました。

それにしても天気が悪うございます。

記憶の中の列車

そういえばボクは物心が付いた頃から列車がすぐ近くを走っていた。

生まれてまもなくは、滋賀の母方の祖父母宅で生活をしていた(つまり父はマスオさんだった)がこのころの記憶はほとんどない。

1歳かそこらで野洲町西町(現野洲市)のマンションに引っ越した。
野洲町と守山市の境目で、野洲川橋という大きな橋があって、子供心にその長い橋はよく覚えている。
兄の保育園の送り迎えの母親に手を引かれて、長い橋を渡る。
そこから野洲川橋梁を渡る列車を見ていたのを記憶している。
そのころは、113系や153系の水色の帯が美しい新快速、153系の急行やEF58の荷物列車が走っていたと思う。
いつも遊ぶときは野洲川の河原だった。
石ころを拾ったり積み上げたり、蛙を捕まえたり亀を捕まえたり、夏の暑いときには水遊びもした。

東海道線野洲川橋梁の守山方には貨物の引き込み線があった。
そのすぐ横に「たこ公園」があって、そこにもよく遊びに行った。
そこで遊んでいると、「センコー」の入れ替えディーゼルカーがタキやトラを連ねて公園の真横の貨物線を走っていく。
その運転手に手を振ると、いつもきまって「ピィッ!」とホイッスルをならしてくれた。

それから程なく、近江八幡市に引っ越す。父は別に転勤族だったわけではない。
独立して自営で仕事を始めたのだ。
その拠点に選んだのがいまの実家のある近江八幡市。
その決め方も鉄道がらみ。

函館から父方のばあちゃんが孫の顔を見に来た。(たぶんボクの生まれたときの話)
そのときにはまだ飛行機なんてものは一般的でなく、寝台列車と連絡船でやってきた。
そのころ「日本海」はまだ米原経由で湖西線は未開通だった。
京都にばあちゃんを送っていった父は、ばあちゃんのたくさんの荷物をのせるために「日本海」の車内へ、しかし運悪く寝台は車両中央。
1度で積みきれなかった荷物を取りに出ようとしたときに「日本海」は発車してしまった。
父とばあちゃんを乗せた「日本海」は一路東海道線をひた走り米原へ向かった。
京都駅に残されたばあちゃんの荷物。
父は早速車掌に掛け合って、とりあえず米原までの立席特急券を買ったらしい。
しかし残された荷物はどうしたのか。
機転の利く車掌だったらしく、「日本海」の後発の荷物列車にその荷物を載せるように指示してくれた。
結局父は米原でばあちゃんを見送ると下り列車に乗ってとんぼ返り。
荷物列車と特急では速度が違う。
近江八幡は荷物の扱いのある駅だった。
米原折り返しで丁度うまく荷物を受け取れるのがなにをかくそう「近江八幡」だったのだ。
そう父にとっては「近江八幡」は曰く付きの駅であり、ばぁちゃんとの思い出の駅なのだ。

父はことあるごとに「近江八幡」話をよく語る。

そんな父の思い出の地「近江八幡」に住むことになり、まさに目の前に国鉄(いまではJR)線路が走っているところに引っ越し、ボクにとっては「列車好きにはたまらない」環境。
これで列車好きにならずにいられるか!といったところ。
これでもかっ!といわんばかりに
もっと言えば、ボクの実家の団地の裏の田んぼ越しに1kmほどのところを新幹線が通っている。
結局ボクは毎日列車の音で目覚め、列車の音を子守歌にして眠りについていた。

ブルートレインとは縁が遠かった。
通過する時間帯が悪く、いつも深夜。
一番遅く通過する「さくら」東京行きでも午前5時20分頃。
いつもブルートレインを夢見ていた。

実際に列車に乗った記憶があるのは、小学校2年生の夏に帰省で近江八幡から乗った急行「比叡」。
153系の低運転台だったのはいまでも忘れない。大きなヘッドマークが誇らしげで「すごい!」と思った記憶がある。
確か「草津」「大津」「京都」の順で停まったと思う。

京都で降りて、485系特急「白鳥」で青森まで。
このときも、帰省時期のど真ん中で、自由席は満席。
父は「なぁに、新潟からはぐっと減るから」とじっと立っていた。
持ち込んだクーラーボックスには大量の麦茶と当時は出はじめのポカリスエットをギンギンに凍らせて。
さすがに富山で空きはじめ、家族で座れた。
白新線経由なので、新潟で方向転換したときにはばあちゃんちに着けないのではと思ってベソをかいた。
青森には深夜着。

青函連絡船「大雪丸」に乗る。
「この船を下りたら、おばさんが迎えに着て待っている。」
そう思うと、記憶にない前回の帰省と違ってわくわくして、深夜の連絡船の中を兄と一緒に探検しまくっていた。

函館駅に着くとおじさんとおばさんが待っていた。
「北の国から」の草太兄ちゃん(岩城滉一)が布部で黒板家を迎えたように。
そのシーンはいまでも忘れられない。
いまでも、函館駅に着くとそのときを思い出して、おじさんとおばさんを捜す自分がいる。

接続のキハ82系の「おおぞら」が走り出す。
ちょうど函館のばあちゃんちに向かうときに追い越される。
「これに乗ると釧路に行けるんだなぁ」と思った。

小学5年生の時の北紀行は寝台特急「日本海」だった。
初めてのブルートレインに夜も眠れず、秋田での機関車交換の時には、行方不明で車掌と兄が必死になって探していた。
そして青函連絡船「羊蹄丸」初めて連絡船を意識した旅だった。


ボクの記憶にはたくさんの列車と青函連絡船がいる。
きっとその線路や、列車にいろんな思いを馳せる人がいる。
いま北海道という土地で、実家からは離れてしまったけれども、いつも忘れられない鉄路が心にはある。
いまでは飛行機の利用が多くなってしまったけれど、いつか娘と一緒に同じように旅がしたい。

ベソをかくほど長い列車旅。

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正月帰省計画

お正月の帰省チケット予約完了です。
このお正月は元旦に始発列車で帰省開始です。
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しかも!

Marine-Air 神戸空港 初上陸!

です!
神戸空港からポートライナーで三ノ宮へ
三ノ宮からは新快速で乗り換えなしで実家まで一直線!

いやはや!今から帰省が楽しみですわぃ・・・

Centrair中部国際空港経由も企画しましたが
カミさんの

乗り換え多いから無理だわ

のひと言にあえなく撃沈
今回は神戸空港で関西中心空港制覇をたくらんでいます。

ところで、実家から新幹線利用して東京ー札幌間の有効な移動方法は
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やっぱり「北斗星」

ではないかと考えています。
空路利用:新幹線で東京に出る→(泊)→羽田に出る→空路→新千歳空港→快速エアポート→札幌
鉄道利用:新幹線で東京に出る→山手線で上野→北斗星(泊)→札幌
やっぱり寝ながら移動しているのがポイント高し!
到着時間も結局午前中には札幌入りできますしね・・・
こんど、カミさんに提案してみるデス。

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立待岬から函館山を裏側から。津軽海峡をのぞむ

16日
朝からいい天気でした。
兄の奥さんは北海道自体が初めてだったので、午前中は観光いたしましょうということで、函館市内のドライブ。
修学旅行のお決まりの観光コースですが・・・

まず、トラピスチヌ修道院へ。
兄は商売柄か性格的にか声が大きい。ところかまわずボクに話しかけるのだが、さすがのボクでもすこし引く。
なので、トラピスチヌ修道院へ行く途中で「門から入ったら、しゃべったらあかんねんで」といっておいた。
効果てきめん!「ここはしゃべってええんか?」「いやぁ、すごいなぁ・・・」と小声で訪ねてくる。
「小さい声やったらしゃべってええねんで」「あっ、すんません・・・」いつもの調子が完全に狂ってしまって、不完全燃焼の兄・・・奥さんもすこし気まずそうでしたが・・・
一通り見終わって、駐車場前でソフトクリームをごちそうしました。
「なんか濃いな〜、チーズケーキ見たいやわ」奥さんも北海道のソフトクリームに大満足です。

続いて、五稜郭へ。
新しくなった五稜郭タワーから五稜郭を見下ろしました。
さすがにここでは兄も大喜び!「へぇ〜、すごいなぁ。」を連発!
まめ知識をふんだんに取り入れたボクの説明に、周りにいた人から「これはどうなんですか?」と訪ねられてしまい、ちょっとガイド気取りも困りものだということで、すこし自粛・・・。
展望1階に、ガラスの床があって、そこの上で兄もさすがに「びびるわ〜」とのこと。
そんなこんなで、”新”五稜郭タワーを満喫しました。

つづいて、立待岬へ
細い一本道を進むと、石川啄木の一族のお墓があります。
啄木の説明もそれなりにできてしまうボクなので、兄は「お前はなんでそんなことまで知っとんねん!」と、少々の驚きと感心とヲタク染みていることに車の中は大爆笑でした。
函館山は明治から終戦まで、旧日本軍の要塞でした。
あちこちに軍事施設の跡が残っていて、かつては一般人は足を踏み入れることができなかった山です。
立待岬はその東の端にあたり、津軽海峡を往来する艦船の見張りをする場所だったと聞きました。
また、函館山の裏側がよく見えるので、函館山が実は岩山であることが、山肌から見て取れます。
よく見ると下の方に大きな洞窟のようなものが見えますが、軍の弾薬庫だった洞穴だそうです。
岩山が故に、防空壕としての性能はぴか一だったようです。
父の話では、子どもの頃、函館山防空壕に行ってよく遊んだらしいです。
そんな説明をしながら、兄夫婦とボクの家族で、立待岬名物「ツブ串」「ホタテ串」を食べ、おまけに「あげいも」まで食べてしまいました。
するとここで父からの電話「回転寿しを食べにこーい!」
招集でーす!我が家は父親は絶対なのです。

ここで、お昼に回転寿しを・・・函館に行ったら是非回転寿し「函太郎」へ
叔母さんのおすすめです。
最近流行の2プライスではなく、きちんとしたものにはきちんとした金額がついている回転寿しですが、なんせ大人気なのです。ネタは最高です。是非函太郎へ行ってみてください。
このお寿司には兄夫婦も大満足でした。でもボクは、たくさん食べられないので「キンキのあらのお吸い物」をいただき、トロとホタテとエンガワとウニでストーップ!

そのあとは、両親も交えて元町観光へ。ボクは1人でソフトクリームを・・・
ハリストス正教会、聖ヨハネ教会、旧函館区公会堂、八幡坂(チャーミーグリーンの坂道)などを散策し、金森倉庫群でお買い物。ここでもまたソフトクリームを・・・そこから墓参りに。

そしていよいよ、卆寿のお祝いの開催地である大沼へ向かいます。
大沼へ向かう途中には北海道内でも有名な「山川牧場」があります。
我が家きっての牛乳好きの兄としては「牛乳飲む!」と言って聞かないので、仕方なく寄りました。
またそこで、ボクはソフト・・・(←食べ過ぎ?!)

そこからは、10分ほどで東大沼温泉「ホテル白樺」に到着です。
ホテル白樺には夏の陸上の合宿で「セガサミー」の長距離部が宿泊していました。
私の住む深川も、夏の陸上合宿では少々名の売れた町ですので、次回は是非深川に!
ちなみに深川には「SB食品」「早稲田大学」などの有名どころがやってきます。
なので、どっかで見たことある顔がお正月に箱根駅伝やニューイヤー駅伝で走っていたりします。
ついでに、「ホクレンチャレンジディスタンス」という日本陸連公認のレースが毎年あって、結構有名どころがレースに参加しています。
もっといえば「コニカミノルタ」もボクの教え子のうちの旅館に宿泊していたりします。
あのワイナイナ選手が夏には普通にスーパーで買い物をする姿が見られます。
夏は深川は陸上の町になります。
あっ、そうそう。うちの学校は、練習のスタート地点にしているチームが多く、普通に学校に有名選手が「トイレ貸してください」といって入ってきます。でも顔があまりわからないので、サインをもらおうにも・・・

おっと!話を戻しますが、ここで卒寿のお祝いの宴会があるのです!
その様子は、次回!

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