悠樹 由希の今日の出来事

まったり更新特撮、ネギま、ロボアニメ日記

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原作版デス種(笑)

ということで、原作版と名高いボンボン版ガンダムSEED DESTINY(漫画/高山瑞穂氏)です。

なぜ「原作版」か。


それはアニメ版と比べて優れている点が多すぎるからです。


本来、何かと何かを比べて片方を貶める行為は愚かな行為だと思います。

しかし、この漫画版と、アニメ版、元は同じ世界、同じ人物達の物語であるはず。
それなのに、こうも物語の完成度に差があるという事に、比べる意味があると思うのです。

面白い、面白くないは個人の差だとは思いますが、完成度についてですのでご容赦ください。



…これから私のする行為がホントに正しいかはわかりません。
純粋にSEED DESTINYが好きという方(いるんですかね?)には非常に嫌な文章でしょう。
そういう方は読まないでも結構です。

しかし、ただ傍観しているだけが正しいこととは私には思えません。
だから…書きます。



まず、漫画版はキチンとシンを主人公とし、シンが主人公のまま、シンの視点で語られます。
途中でキラ側の視点が入ったりは一切ありません。主人公寝取りもありません(笑)。
これだけでも一つの物語として筋が通っていると言えますが、
ぶっちゃけそれは個人的な願望も入ってしまうのであまり触れません。


EPISODE12「逃亡(アニメ題:アスラン脱走)」P18シンの台詞より。
「わかった…俺は議長を信じる…!」
「本当に戦争のない世界を創るために!アスラン・ザラ!俺はあんたを撃つ!!」
非常に重要な台詞です。

シンがアスランを撃つ理由がちゃんとわかる。

説明台詞すぎという方へ、アニメでは錯乱したまま叫んで刺して終わりでしたよね?
それで心情察しろったって無理ですよ。想像と言うか妄想するしかない。



EPISODE13「祖国」より
アスラン「オーブはおまえの祖国なんだぞ!!」
    「それを討つ事が何を意味するのかわかっているのか!?」

    「おまえにだって友のひとりやふたりいるはずだろう!?それを殺すのか!?おまえは!!」
    「戦争のない世界を創るためにと!」

    「目を覚ませシン!」
    「今この瞬間にもステラやおまえのような子供が生まれているんだぞ!!あそこで!!」
    
    「それを今作り出しているのはおまえ自身だ!」
    「思い出せシン!!おまえはいったい何をしたかったんだ!?」

素晴らしく重要な台詞です。
確かアニメでは「おまえがオーブを討ってはいけない!!」しか言わなかったので。
そんなんじゃシンじゃなくたってあんたは何を言ってるんだとしか思えないですよ。

それに対してこちらではちゃんと理由を言って説得している。
だからこそ迷うという事も生じるのです。


シン「俺だってちゃんと考えてこの道を選んだんだ!!〜以下略」

ちゃんとシン=主人公の心情が今回も語られています。
前話での決意も踏まえて書かれている台詞とはいえ。    

その後のキラさん降臨とかはどうでもいいですが、
デスティニーとフリーダムの共闘はかなり良い。
このシーンも実はかなり重要ではありますが詳しくは後ほど。

この他にも最初のドムトルーパーを見たルナマリアが「ザフトっぽい」とかいうのも巧い。
元々ザフト製のドムの開発経緯をなんとなく察せる。…無理あるか。



EPISODE14「閃光」より。
この話での重要点は、

・シンとの関係省いててもルナのインパルスの活躍がちゃんと残してある。
・ジブリールに止めをさすのがシンのデスティニー。

の2点。

少年向けならルナインパルスの活躍を省いてもいいとは思いますが、
漫画版を番組として考えれば、おそらくMSの見せ場をきちんと書いていて売り上げも…(笑)。

そして、ジブリールを倒すのがシンということで、主人公に活躍させている。
悪の大ボスを倒すという大きな活躍をした事で、最後に負ける事が決まっていても、
活躍したキャラとMSという印象を与える事ができる。

先ほどのデスティニーとフリーダムの共闘もこういう印象を与える事に重要な役割を果たしています。



EPISODE15「明日」(最終話)。
まず、最初のフリーダムとジャスティスの活躍も
キラ達の内情を描かなくても、これだけ強さとかっこよさを表現できるんです。

そしてその後のシンの台詞。

「アスラン…!あんたが言っている事もわかる…」
「だがレイや議長が悪だとも思えない!!」
「どっちが正しいかなんて俺にはわからない…」
「だから俺はあんたを倒す!!仲間を守るために!!」

この台詞最も重要です。シンがちゃんと目的を持って戦っているという事がハッキリわかる。
アニメでは心情を語らず、ただ錯乱しているまま戦ってやられたっつー印象なので。
それが狙いかもしれないけど、そんなの主人公の役目じゃない。

主人公の役目はその人物の視点を通して物語を語るということにあるのですから。

え?キラが主人公?お忘れではないですか?
「3人の主人公を通して物語を描こうとした」と言ったのは誰ですか?


その後のレイVSキラとシンVSアスラン戦に関してはアニメ版の方が優れている点もある。

レイVSキラはすごくあっさり済まされてしまうので、レイの「俺はクルーゼ」発言が生きていない。
レイがクローンだという描写も無いので。

シンVSアスランに関してはその中身は圧倒的にボンボン版のが優れていますが(後述)、一つ、
ルナマリアがいないことが残念。
少年誌であるし、ルナマリアに関して全く描いてないので当然と言えば当然ですが。
いた方が話は盛り上がる。…昼メロ的にですけど。

…あと、アニメでこの時シンがルナ毎アスランを倒そうとしたと
曲解しているおバカさんがいるようですが、あれはどう見てもシンは止めようとしています。
よく批判する側に曲解しているという輩がいますが、
どちらが「シン嫌い」という色眼鏡で曲解しているかよくわかりますね。
…あんま今回の話と関係ないですね、すみません。


そして、クライマックスのシンVSアスラン。
まず、ここでの描写はデスティニー好きにはたまらない。
シンの「これがデスティニーの力だ!!」とか。
光の翼もちゃんと活かしているし。
…まあ、この辺は趣味なんで流してください(笑)。

でも、これって重要なことじゃないでしょうか。
スポンサーがいる以上商品を売らなきゃいけない。
あえて、福田さんはしなかったのかもしれないですけど、
それってプロとしては最低じゃないでしょうか。
商品も売って、物語も完成させるのがプロだと…私は思います。

これって響鬼のプロデューサー騒動にも言えるような気がしますが…。
ここでは関係ないので略。


そして内容。
アスランの「おまえが守ろうとしているものがわかっているのか!?」の問いに、
シンは「戦争の無い世界を創るための力だ!」と答えるシン。
それをアスランは「強制された平和で人は幸せになれるのか!?」と否定する。
シンは疑問を投げかける、「あんたらの理想で戦争を止められるのか?」と。
そして続ける、「戦争のない世界以上に幸せな世界などない」と。

激しい戦いの後、シンはアスランに何故全力を出さないのか問う。彼の実力を知っているから。
アスランは答える、「おまえは昔の俺に似ている」と、「過去にとらわれて戦った先には何もない」と。
だがシンは「俺はこの道を選んだ。なら行くしかないじゃないか!」
「あんたが正しいって言うなら、俺に勝って見せろ!!」と戦いを続ける。

…そして、シンが勝利を確信した瞬間、アスランが真の実力を発揮し、
シンはその翼をもがれ、墜ちて行く…。
「アスラン…あんたやっぱ強いや…」と言いながら。


…もうこの展開を熱いと言わずしてなんというのか。
最後のシンの台詞なんか特に、漢の物語ですな。

…物語としても優れているとしか言えません。

シンはちゃんと意思を持って戦っている。主人公として、自分の視点を持ちながら。
そして、ラクス一味の戦いで平和が来るのか?という、問いをちゃんと投げかけている。
アニメの描写ではキラ達=勝者が正義にしか見えない。
疑問を持つものが必要で、その役目を担うのはシンであるべきなのにその描写が無い。
これは先ほどの福田さんの発言「3人の視点」から考えれば必要なこと。

アスランの説得も筋が通っていて説得になっている。
アニメではただ「やめろ」連呼でしたし。

そして、自分の過去に照らし合わせて、かつて自分が別の道へ進めたように、
シンを救おうとするアスラン。
アニメではあえてしなかったのか、出来なかったのかは知りませんが、その描写も無くただ撃墜。

この戦いをクライマックスに持ってくるなら、
どちらの描写が優れているかなんて一目でわかるでしょう。

…少し主観が入りました、スミマセン。
でも全体を見ても漫画版の描写の方が自然な流れであり、
エンターテイメントとして言うならば格段に優れていると言わざるを得ないでしょう。

そしてその後のシンの台詞に
「なら〜しかないじゃないか」というアスランの決め台詞(笑)を持ってきたのも巧い。
シンが昔のアスランに似ているという事がきちんと現れているように思えますし。

また、漫画版でのアスランは最後までちゃんとシンと向き合って説得しているんです。
倒したのは話が通じなくなり最後の最後で仕方なくです。

基本的にアニメでは説得と言いながらキラもアスランも最後は会話を打ち切って、
撃墜して、黙らせてしまうんです。
セイバーをフリーダムが落とした時とか。
これでは、「会話には意味が無い、心で理解する」ではなく、「会話が無駄」としか映らない。
…アニメでは最後のシンは錯乱してるだけで会話が通じないようになってましたが、
それって物語として、「語る」と言うことを放棄していると言うことでは?


…ラスト、シンはステラに「明日」という言葉をもらい、一人、自分の道を明日へと進んでいく。

これが、それぞれの道を行くと言うことではないでしょうか。



…こうして、物語は、あくまでシン視点の物語として完結します。
これが、本来主人公として設定された者の役目ではないでしょうか。
そして、本編でやるべきことなんです。後から言い訳のようにするべきことじゃない。



・・・まあ、漫画のが後に完結したんだからどうとでも出来るってこともありますが。


以上です。

漫画版は「説明多すぎで想像性がない」とか言われるかもしれませんが、
アニメに説明が足りないだけって事がこの文章読んでわかりませんかね?


…私はプロではありません。
ホントにわかってる方から見たら間違ってるかもしれませんし、甘いのかもしれません。

しかし、素人の私ですらこのくらいの事は考えられます。

そして考えてみてください。

漫画は15ヶ月あったとはいえ、毎月40ページほどの内容です。
一方アニメは毎週25分弱、一年間もあったのにこのくらいの事も描けないんですよ?



どっちが優れているかは一目瞭然ではないでしょうか?





コミックスの最後に、高山瑞穂氏のあとがきが載っています。
そしてシンへの労いの言葉も。

シンが好きという方、アニメに絶望した方は一読することをお勧めします。

…毎度読みづらくてすみません。

閉じる コメント(2)

はじめまして。ボンボン版種運命の存在はネットで初めて知り、本来なら原作アニメが書かなければいけなかった一種の「不始末」を処理した処か、説得力のある描写や構成で原作アニメ以上の完成度に高めたのは大変評価出来、ボンボン版こそ真の原作と言わせる出来映えは、00年代後半にサンライズ&角川書店が展開したコードギアスコミカライズ版の、特にナイトメア・オブ・ナナリーを思いだしました。「主人公が三人」と主張するなら、原作アニメもせめてシン対アスランは互角の戦いにしたり、ラクス派が勝利するもかなりの被害を受けるラストにすべきでした。また、原作でのシンの被害やボンボン版での活躍がその後ゲーム等の他メディアでのシン救済・優遇の基を築いたと言っても過言ではありません。 追伸 ナイトメア・オブ・ナナリーも原作アニメを大胆に脚色し、原作と逆のテーマを模索し昇華した事は称賛しています。

2011/6/9(木) 午後 6:59 [ hto*egr*shi ]

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>…あと、アニメでこの時シンがルナ毎アスランを倒そうとしたと曲解しているおバカさんがいるようですが、

少なくとも割って入ってきたルナパルスに対してはお気の毒ながらそのまま攻撃しようとしてたから。(ほぼ錯乱状態でしたが)
他人をバカ呼ばわりする前に自分がシンを擁護したいだけにバカなこと書かないようにね、おバカさん。

2019/1/10(木) 午後 1:12 [ レイル ]


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