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今この感激を、私は一体どうしたら表すことができるのーっ!? 正直言って、まさかこれほどまでに胸が打ち震えるほどの感激を得ようとは思っていませんでした。 そこそこには満足は出来ると信じていたものの、あぁ、デヴィーアの歌を今日この耳で聴けたとは何という幸せ。オペラと出会えていてよかった! まずはロッシーニ。
正直今回は本当に知らない曲が多かったのですが、デヴィーアの歌唱にとにかくもうぐいぐい引き込まれていくのです。今まで画像でしか知らなかった彼女なのですが、生の舞台で観る彼女の演技というか、歌唱にのった演技とでも言いますか、その凄まじさをこれからまざまざと見せ付けられることになるのです。
何が美しいって本当にリリックが美しいだけでなく、当たり前なんだけれど彼女のイタリア語のなんとまぁ美しいこと。イタリア人だからというだけでこれが当たり前と言ってしまえばそれまでなんだろうけれど、彼女の発音は本当に滑らかで語尾まで本当に丁寧。 発音が上品なのです。 パンフレットの歌詞を引用させていただくと、 「いいえ、死は私には恐ろしいものではないわ。愛のために、愛する人のために死ぬのだから、あの人もいつか、この心が誠実だったとわかってくれるでしょう。」 うーん、まさに彼女の歌唱はこの言葉を、例え聴いただけで意味はわからなくとも、本当に切々と心に訴えかけてくる何かを感じずにはおれないのです。 そして間をおいて
まだ4曲目ですよ。 私に死ねとでも?????? なにこれ?この曲知りません!聴いたことなんてありません! なのになぜこんなに心が揺さぶられちゃうのさ!!!!!! そう、もうこの時点で私の昇天がそう遠くないことを悟ったのでした。 今日は果たして生きて帰れるのだろうか、と。 でも昇天しても後悔はないと、今ここでこのデヴィーアの素晴しい歌唱を聞きながらポックリ逝ったとしたらそれはそれで幸せかもしれない、、、、なんて思う間はもちろんあるはずもなく、ただただ聴き入るのみ。 もう一度ブラボーの嵐に見送られたデヴィーアが再度登場すると、今までの歌の雰囲気とは一変。 次はグノーです。
でも、それはほんの一瞬でまた切々と且つ淡々と
知らない曲ばかりでよくもまぁ、これほどまでに一切退屈することなく、そして、よくもまぁ、これほどまでにどっぷり入り込んでしまうとは。 自分自身が一番驚いております、ハイ。
涙を溜めている場合じゃないのです! 私はこの耳でもっともっとデヴィーアを聴かなくては。そしてこの目にデヴィーアの歌う姿を焼き付けておかねばならないのです。 切々と歌うその歌唱は凄まじいとか素晴しいとか、そんな稚拙な表現すらもうなんでもかんでも許せてしまうほど、どんな装飾を飾った言葉でも表現できないほどの芸術が確かにそこには存在しているのだと、はっきりと悟ったその瞬間でした。 夫君が亡くなったときに、このまま歌わなくなるのではないかとヤキモキさせたデヴィーアではありましたが、今ここで、もう一度歌に戻ってきてくれたデヴィーアに大声でありがとう!なのです。 ここで一幕は終わり休憩へ。 長らくご対面を夢見ていたお方と初対面。 ところが私たちときたら初対面のご挨拶もそこそこに、いきなりかなりのテンションと興奮で、小鼻を満々に膨らましあいながら、なんと素晴しいデヴィーアすごいわすごいわ素晴しいもうだめー!と一気にまくし立てあったのでした。 やはり良かったと思ったのは、これほどまでの感動を分かち合うことができたと言うこと。 本当に有難うございました。 もしこの感動に独り耐えねばならなかったとしたら、私の箍はきっとどこかで外れて、猛獣のようにうおーっ!と吠えていたかもしれない、そんな興奮だったのでした。 さて、今までお読みになった方はさぞかし私がデヴィーアを昔から知っていて好きだと思ったらそれは大間違い。オペラ・デビューから間もなく満三年、というオペラ歴の短い私にデヴィーアを、いやいや、そもそもオペラの道に導いてくれたのは何を隠そう(全く隠していないが)、NYのヤンキーMadokakip。 彼女のブログを通じて本日ようやくご対面することが出来た私たちは、デヴィーアの最高のサポーターであるMadokakipがこのために無理を押してでも帰ってこなかったことを本当に悔やみまくったのでした。 もし彼女が帰ってきてこのリサイタルに一緒に行っていたとしたら、彼女こそ間違いなく一幕の「祈り」で既に昇天していたに違いなかったのですから。 興奮で早口でお喋りにしたにもかかわらず、幕間はあっという間に終わり、それぞれの席へ。 お互いに帰りはお待ちせずにここでお別れしましょう、楽しかったです、と対面を喜び合って各々の席へ。 そしてレポは久し振りに上限文字数におさまりきらず、後半篇へ続くのです。
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