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嵐随一のアクター、二宮和也の舞台「見知らぬ乗客」に行ってきた。 この「見知らぬ乗客(Strangers on a Train)」という作品は、パトリシア・ハイスミスによる小説が原作であり、1951年にヒッチコックが映画化したという。 映画化するに当たっては、小説からかなりデフォルメした内容となっているらしく、そういった意味でもかなり脚色して形を変えていかないと映画には向かなかったのではないかと、主演の二宮和也(以下全て敬称略)も述べている。 残念ながら私は、元々映画も、原作ですらも目にしたことはなかったのだけれど、さすがに「太陽がいっぱい」の原作者だと知ると、なるほど、この作品も確かに「太陽がいっぱい」に通ずる、いい意味でも悪い意味でもあちこちにあざとさが見え隠れするアンモラルな匂いがプンプンする、テンポのいいサスペンスだった。 このテンポのよさを舞台にもたらしたのは、チャールズ・ブルーノを演じる主演の二宮和也、そしてチャーリーがどこか心の奥底で執着を見せるガイ・ヘインズを演じる内田滋の掛け合い。 こんなに長くこねくり回したような台詞を、ポンポンとキャッチボール、いや、卓球のラリーのように続けていく舞台の彼らを観ているうちに、何だか催眠術にかかっているかのようにどっぷり引き込まれてしまったのである。 内田滋という役者は初めて知ることが出来たのだが、非常に正統派な、品のある役者でこの役にぴったりはまっていた。 プロフィールを調べていくと、蜷川幸雄の舞台にも出演をしているらしく、派手ではないけれども、色が強すぎず、かと言って主張がないわけでもなく、これしか例が挙げられないのが私の引き出しの少なさの悲しいところなのだけれど、大和田獏のような雰囲気を醸し出している役者さんであった。 そしてところどころでいい味を出して引き締めるのがさすがの秋吉久美子がチャーリーのお母さんを演じ、パク・ソヒはきな臭い何かを感じ取って調査を進める探偵を演じる。 これらの舞台俳優の中に混じって遜色がないどころかキラリ光る演技をしていたのが二宮和也。 突出して上手いわけでもないし、 個性が際立っているわけでもなく、 じゃぁ何? って聞かれても上手く説明は出来ないのだけれど、 感覚で感じるオーラが漂っているのだ。 贔屓目。。。? と何度も自問するのだけれど、贔屓目でもなく彼の立つ舞台の周りは色が少し違う。 かと言ってアイドルの匂いは消えていて、役者さんとしてのオーラがちゃんとあって、でも、その色がちょっと違うのだ。 クリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」では人生に執着する西郷昇陸軍一等兵 を淡々と、でも泥臭く演じ、 一方でテレビのバレエティーでは毒舌で鋭く切り込む。 コンサートではアイドルばりばりのオーラで私たちを夢中にさせるのに 今日の舞台ではそんな正のオーラはどこにもないのにでもやっぱり二宮和也を感じる。 昂ぶる感情と狂気に向かって一直線なところをしっかり演じ、「本当は本人もちょっとこんな狂気を持っているんじゃないか?」と錯覚させられるようなところもあった。 終盤で、彼が演じてきたドラマのある役と演技がダブって見えてしまったところがあっただが、それを除けば全編を通してなかなか良かったと思う。 正直ストーリーはしんどい。 何がしんどいって。。。。。重い、重すぎる。 きっと映画を見ていたとしてもこの作品はそんなに好きにはならなかったかもしれない。 舞台を観ても結局は作品そのものにはあまり感情移入できなかったから。 でも、二宮和也の演技が評判だけではないのだと近くで感じることが出来たのは本当によかった。 手放しで絶賛、までには至らないにせよ、腕組みをしてうんうんと満足して頷くほどに感銘を受けた。 そしてもう一つ、 嵐というグループがアイドルでありながら、色々な分野で実力を見せる人たちの集まりだというのはさすがにファンであるから認知していたものの、その実力は伊達ではないことを認識した夜であった。 そして、贔屓目でもなんでもなく、彼は評判に違わずいい役者だと思い知った夜。 そう言えば、前方に演出家のロバート・アッカーマンがいて食い入るように舞台を見つめていた。 開演前に周りをキョロキョロしながら退屈そうにしていたので話しかけようかな、とも思ったけれどジャニーズの掟(よくわからないけど色々あるらしいのだ)に触れてはいけない!と思い我慢したが、彼はジャニーズの一員である二宮君の出演する舞台を手がけただけであるからして、やはり色々聞けることは聞いてもよかったのかな、と今にして思う。 やはり意外と疲れてしまったようで、帰ったら途端にぐったりしてしまい、いつの間にか「NEWS ZERO」「宿題君」を見ながらソファーで転寝 zzzzzzzzz
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