|
ここ何年か真夏になると鮎釣りしたいなーと思っていた。
今年こそと毎年思いながら、気が付くと短い鮎釣りのシーズンは過ぎていってしまう。
ようやく今年は一度だけ竿を出すことができた。思い返すと25年ぶりだったと思う。
鮎釣りの経験はその年の1シーズンだけだが。
幼少のころから父親に連れられて渓流、湖にとあちこち出かけたが、父の本職は鮎。
シーズンになるとそわそわしだして、仕事前の早朝に良く出かけていた。
でも、その鮎釣りだけは子供時分には連れて行ってもらえなかった。
あとから考えれば子供には危険だし、そうできるものでもないだろう。親としては当たり前のことだと思う。
そのうちに私も中学生にもなると当然親に付いて行かなくなる。釣りも友人たちと
へら釣りのまねごとをしたりしていた。
それを見た父に「ヘラなんて年寄りのする釣りだ」と小言を言われてはカチンときて
ますます父に嫌悪感を抱くようになっていった。
高校生にもなると、家にも寄りつかなくなりますます父とは疎遠になっていった。
それが高3の夏休みだったと思う。父が突然私用の鮎竿とタイツを買ってきて、
「鮎釣り行かねーか!利根で良いのが釣れるんだよ!」と興奮気味に行って来た。
父と話すのでさえ久しぶりだったのに、いきなりそんなこと言われて面喰ってしまったが、当時の私は地元の企業に就職が決まっていて、また大人がする様なことは
もう経験済みで、すっかり大人びた気分でいたもので、たまには親父と遊んでやってもいいか位の気持ちでそのまま川まで付いて行った。
川に付くと一通り手ほどきしてもらい二人で川に入った。久しぶりの父と二人の釣りだった。しかし父はこちらを気にしながらもどんどん瀬に入って行ってしまった。
正直川に入るのも怖かったし、竿は長くて重たいし、おとりを変えようにも、
鼻管なんて通らねーし正直つまんなかった。父もでかいニゴイを掛けただけだった。
そんな私の顔色を見てか、「明日は渡良瀬行かねーか?あっちならお前でも釣れるぞ」と来た。私もなんだか不完全燃焼だったので言われたままに付いて行った。
渡良瀬に来ると利根とは違って釣り人多く頻繁に竿が曲がっている。
これには私も興奮を覚えた。川幅も狭く流れも緩く利根のような恐怖感はなかった。
見よう見まねで釣り始めるとすぐにそのときは来た。
鮎なんてと思っていたけども、そのアタリは強烈だった!ガツン!と来ると竿は大きく湾曲し糸がなった。当然引き抜きなんて出来ないし、慎重に魚を寄せ天井糸をつかみ魚をタモですくった。うれしかった。何人か上に入っていた父の方を見ると、
見たことない笑顔で私を見ていた。
その後も数匹釣れたと思う。さすがに疲れて岸に上がり石の上に座っていると、
父も上がってきた。私の横に座りベストの胸ポケットから煙草をだし一本咥えるもライターがなかったのか、「おい火ねーか?」といってきた。ライターを渡すと旨そうに煙を吐き出した。どさくさにまぎれ私も煙草に火をつけた。それまで何度か、喫煙や飲酒に注意されていたが、その時は何も言わなかった。
「おい、あそこの瀬の頭に居る奴見てみろよ、あーやっておとり流すんだよ」とか、なんだかんだ言いながら、二人で煙草をふかした。
その日はそのまま納竿し自宅へ帰った。母が塩焼きにしてくれた。
「おい、お前も呑め」とビールを注いでくれた。
自分で釣った鮎の塩焼きとビールは最高だった。
そのシーズンはその後も何度も釣りにでかけた。いつも家に帰っては塩焼きとビールだった。
翌年就職して車を乗るようになるとバスフィッシングに夢中になりあちこち出かけるようになった。
「バスなんか釣ってねーでよぉー。。」と何度か言われたと思う。
それから20数年、夏になると鮎釣りしたいなと思うようになった。
父も鮎釣りはもうさすがに年でやってはいなかったが、まだ元気なうちに一度また
教えて貰いたいなと思っていたが、忙しかったり、照れくさかったりで言い出せないままだった。
そんなことしてるうちにとうとう、この春父は逝ってしまった。病が分かったときにはもう遅かった。。
遺品の整理をしていると、当時の鮎竿はまだあった。自分の竿と私の竿。
駆り立てられるように釣りにでた。。
正直竿はミシミシ言っていたが当時を思い出しながら竿をだした。
どうしたら釣れるか全く分からなかったが、なんとか小型がぽつぽつ釣れた。
塩焼きには少し小さかったが実家に持って帰り母に塩焼きにしてもらった。
一番大きなものを仏壇に供え、また母と食べた。もちろんビールも。
あの時と同じでうまかった。。。
|
全体表示




