|
先日のアリヤ新年会で話したこと。 おざなりもデザイナーYさんも長い付き合いだから、話は公私にわたる。 みんなそれなりに年をとってきているから、以前とは環境も変わっていたりはする。 Yさんは現在、両親の介護のためほぼ実家暮らしになった。 市外なので、行ったり来たりも時間がかかる。 それでもアリヤには参加してくれると言う。 実家で作業ができるようにネット環境も整えました。 そう言ってくれて、とても安心した。 実は、アリヤ別冊は作れるんだろうか・・・という不安があった。 理由はいくつかあるが、そのひとつにYさんのことがあった。 両親が同時に病気になり、その介護をせざるを得なくなったとの話を聞いたとき、 もうアリヤは無理かもと思っていた。 Yさんが無理なら他のデザイナーを探せるかというと、それはもう絶望的だ。 知り合いのデザイナーはたくさんいる。 けれどもアリヤに参加してくれる人はまず、いないだろう。 ただデザインができればいい話じゃないからだ。 そこにはお互いの信頼関係が必要だ。 仕事としてはもちろんだけれど、それを越えた信頼関係が必要なのだ。 それはライターにもカメラマンにも言えて、だから、おざなりだし、だからH氏なのだ。 私を含めた4人のうち、誰か一人でも欠けたら、もうアリヤは発行できない。 というか、しないだろう。 ビートルズがひとり欠けたらビートルズじゃなくなるように。 比べるレベルが違うだろ。笑 いやいや、同じなのだ。そう、同じなのだよ。 モノを作るとき、一番大事なのはキャスティングなのだ。 そこが変わると、違うものになる。 それ以外にも、資金のことや諸々、作れないかも的な要素はたんまりある。 私は、別冊宣言をしながらも、ずっとずっと迷っていた。 でも、あるとき、ふと、気づいたのだ。 これはまさに、アリヤを創刊しようとしたころと同じ状況じゃないかと。 私が私である理由を探した、あの日。 おざなりと二人して、見えない明日を探した、あの日。 壊れかけていた私たちを支えたのは、あきらめることじゃなく。 それは、目の前の扉を開けることだった。 そう、だから、作るのだ。 明日は生きているとは限らないから、今日、今、作るのだ。 やりたいことは、「やる」人だけが手に入れられる。 別冊への道に、私は本気で降り立った。 あの時と同じ、崖っぷちに立って。 ※写真は障害者施設のチョコケーキ。最近のおやつ。
|
ariya
[ リスト | 詳細 ]
福祉情報マガジン「ariya」の立ち上げから現在まで。
|
遅かりし、だけどアリヤの新年会をする。 昨年、アリヤの忘年会に出席できなかったデザイナーYさんと、どうしても会っておきたかったので。 忘年会はおざなりと二人、新年会はYさんを加えて三人という、 なんともこぢんまりし過ぎた会ではあるが、それも私たちらしいだろ。 カメラマンH氏が拗ねますよ。 と、おざなりが言うも、ここは女三人がいいよねと。 H氏が入っても、どうってことなさそうですけどね。 と、おざなりがすまして毒を吐く(つまりH氏は男にカウントされていないと。笑)。 この日はうちの近所にあるフィリピン料理屋。 初体験である。 私は食については保守的なので「食べることができるか」ちょっと恐々。 そこの前を通るたびに一回入ってみたかったけど、 絶対、おざなりと一緒じゃないとダメだと思い(おざなりは何でもパクパク食べる) 今回行ってみることにした。食べられなかった時の保険として(ひどい!!)。 カウンターにはフィリピン女性がひとり。美人さん。にこやかで感じがいい。 メニューは写真入りコピー付きで丁寧に表現されているけど、味がまったく想像できず。 しかもたくさんメニューがある。ので、おススメを聞く。初めてなので・・・と。 勧められた何品かを頼む。 その前に、まずは乾杯。 おざなりはフィリピンのビール。味は軽めだと言っていた。私とYさんは例のごとくウーロン茶(こればっかり!) 出てきた料理はこちら。 ※(写真手前の赤い縁の皿)チキン・アドボ チキンとポテトを醤油と酢で煮込んだもの。フィリピンのおふくろの味だとか。 甘酢みたいな味だけど、酢は控えめでやさしい味。おいしい。日本の肉じゃが的なものかな。 ※(写真左端)ライン 芋の葉をココナッツミルクと香辛料で煮込んだもの。 これはライスがついていて、カレーのようにして食べる。 ココナッツミルクがまろやかで、これもとてもおいしい〜。グリーンカレーの辛さを控えたような味。 ※(写真右奥)パンシット・カントン エッグヌードルを野菜、豚肉、シーフードを煮込んだスープにからめてある。 台湾の焼きそばに似た味。旨味があって、うーんおいしい! ※ルピアンシャンハイ ひき肉とニンジンの春巻き。甘いサワーソースでいただく。 人差し指くらいの小さな揚げ春巻き。豚ミンチが入っていて、うまし!! ※デザート、サピン・サピン もち米を3層に重ねてある。あっさりした甘さで、もちもちしていて、おいしいよ〜。 ※これもデザート。名前がメニューになく、聞いたけど・・・忘れた〜〜〜 ぷつぷつ入りのもち米。サピン・サピンと似た味。ぺろりと完食! というわけで、どれもほんとうにおいしくて。不安がる必要はまったくなかった。 店の感じも私たちの好きな、適度にざーっとしてて(笑)リラックスできたし。 今度はH氏もつれて来よう〜。 三人の話は別冊のことを中心に、現況報告。 みんなそれぞれいろいろあるにはあるけど、とにかく作るよ!と。 その辺の話は、また改めて。 今日のところはフィリピンに酔いしれておこう。 異国の地でがんばる外国の人たちは、ほんとうにすごいなあと思うんだもの。 この難しい日本語をマスターして。習慣や慣習も理解して。 たとえば、自分が外国で日本料理屋をすると思ったら、ね、とても大変だろうなと。 加えて、アメリカで日本食レストランを開業した、もとスタイリストのY氏のことを思い出す。 彼とは昔、一緒に仕事をしていて、すごくがんばっていい仕事をしてくれた、誠実な人だ。 渡米したころは、言葉の勉強と住まいの確保と学業とで、泣きが入っていたもの。 その後、NYに居を移した時は、その生活と食の連載を寄稿してもらっていた。 今はどうしているか知らないけれど、多分、がんばっているんだろうなと思う。 ああ、会いたいなあ・・・
|
|
※障害者施設のパウンドケーキ2種。ここのは絶品! 特にガトーショコラはうまし!! 昨日の手袋から「豆腐〜」を思い出し、さらに「アリヤ」を思い出し。 で、アリヤの書庫を、久しぶりに読んでみた。 「豆腐〜」をファン限定に設定したとき(なんか恥ずかしくなって、今さら。笑)、 どうやら間違ってこの「アリヤ」書庫もファン限定にしてしまったらしく、そのままにしようかとも思ったけど、そこはまあ公開してもいいかと。今さらだし(笑)。 実のところ、過去を遡って読むのは得意じゃない。 というより、まったくの苦手だ。 だいたい過ぎたことには興味がなく、今日の真っただ中と明日のことしか頭になくて。 ので、何にしても過去記事を読むというのはほとんどない。自分が仕事でやったものも含め。 どう言うか、それはもうほとんど他人の顔をしているし、なのに、むずむずと恥ずかしくなるのだもの。 なのに、なのに、なぜ私はアリヤの過去記事を読む気になったのか。 現在、別冊制作の途中・・・というか、まだほとんど始まってもいなくて、このままではまずいぞと。 寒さでモチベも上がらず(寒さのせいにしている)、今、色々と迷いの淵にもいて。 どう言うか、今までのようなことは飽きたし、だからと言って強烈に「これだ!」的なものも見つからず、ちょっと停滞している、気分が。 しかし、読んでいくうちに胸の奥からこみ上げてくるものがあった。 コメント欄の、ファンの人たちの熱い声援が、もう、もう。 ああ、私たちはなんて幸せだったんだろうと。 わかってはいたけれど、夢中で走っていたので、今のように冷静にそれを感じていたのかはわからない。 ここでいっきにモチベが上がった。 それこそ今さらだけど、変わらずここで応援してくださっているみなさん、本当にありがとう。 別冊、きっときっと、いいものを作ります。 自分の気に入ったものを作ります。 鋼鉄ババロア号、錆びも落とさずポンコツもそのままに、正直だけを荷台に乗せて走ります! 武器はそれだけしかないけど、いいよね!?
|
|
このブログを始めたきっかけは、『ariya』の創刊だった。 あれから10年が経とうとしている。 ただただ夢中で創刊を目指していたときが、すでに懐かしい。 1年もつのか。 3号まで続けばいいほうだろう。 いや、1号もまともに出せるのか。 風が運んでくる業界の噂は、幸いにも当時の私の耳には届かなかった。 なぜなら、周りの雑音に耳を貸す余裕など、まったくなかったから。 その日暮らしの困窮したなかで、利益も考えず本をつくるなど無謀にもほどがある。 のだけれど、成功とか失敗とか、儲かるとか損するとか、それがどーした。 つくりたいからつくる。 そのシンプルさは、つくりたくなくなったらつくらない。 ということでもある。 現在、26号を制作中だけれど、この号をもって定期発行を休止することに決めた。 なぜ? と、あちこちで質問を受ける。 理由はたくさんあって、説明できない・・・と言うより話すのが面倒なのだ。 どのみち、正確には伝わらない(ということを、よーく知っているから)。 飽きっぽい自分が、ここまで飽きずにやってこられたことに、自分で驚く。 このブログで知り合った人たちには、たくさんお世話になった。 執筆の協力をしてくれた人もいたし、紀伊国屋に走ってくれた人もいた。 さらに、ずっと定期購読を続けてくれている人もいる。 嬉しかったときは一緒に喜んでくれたし、 何より、めげそうなとき、私はブログのファンの人たちにずいぶん救われた。 長い間、放っておいたこのブログを再開しようと思ったのは、 そういう人たちに黙って去るわけにはいかないと思ったからだ。 いや、読んでくれようとくれまいと、そんなことはどっちでもいい。 私の人生の、ほんの短い間でも共有した時間があること。 何億という人々の、さらにその何倍かの情報が飛び交う中で、巡り合った人たち。 その人たちに心からお礼が言いたかったのだ。 ほんとうにありがとう。 26号、1冊入魂!で、つくります!!
|
|
このブログの日付を見れば、1か月以上もほったらかして。 何がどうしてそんなだったのか、理由はわかっている。 ざわざわと心が落ち着かない日々を送っていたからだ。 今日訪れてみれば閉鎖した人も何人かいて、それはそれで何となく寂しい。 始まりがあれば終わりもあるのは当然のこと。 が、しかし。 終わりがあるのだろうか、いや、むしろ、始まりがあるのだろうか、とさえ思えた東北取材。 そう、アリヤ21号では、東北の取材を入れたのだ。やっとの思いで。 取材期間中、太陽が顔を出したのはつかの間で、東北の天気はずっと雲が低かった。 岩手にほぼ近い気仙沼から南三陸、石巻から東松島へと走った海岸線の風景は、一生忘れない。 2年半経った今だからこそ、それはなおのこと強烈でもある。 防潮堤の高さを示す標識は天を見上げ 何も、ない。 誰も、いない。 まだ何も、始まっちゃいない。 福島の、放射線量の数値が高い地域にも行く。 「わざわざ来ない方がいい」と言われたけれど、そこに住んでいる人がいるのだもの。 そこでは、多くの人が知らされていない“事実”を聞く。 やっぱり、この国はいったいどうなっているのだと思う。 帰って来てから、普通の顔して、知らん顔して歩くのが、とてもとてもしんどかった。 今、自分の身に起こる悲しい出来事のどんなことも、 東北に住む人たちの悲しみを越えることはないのだと思う。 原発は、そういうことだ。 それでも、東北で出会った人々は限りなく優しく、静かで。 時が経つほどに、やりきれなさがつのる。 この現実から目をそむけたい衝動に駆られるけれど、けれど、けれど・・・ じっと、うずくまっているわけにはいかない。 歴史を変えてきたのは他でもない、ひとりひとりの小さな人間たちだったはずだから。 悠々と空ゆくカモメを見つけた、気仙沼の朝。
|


