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夜明けからサンドイッチをつくる。
昨日は、ネイちゃん、ガリくんと三人で買物に行って疲れて夕飯もとらずねてしまったので、夜明け前に目が覚めた。 ガリくんは適当に(納豆ごはんで)朝食を済ませたみたいだったので、お昼用にサンドイッチくらいならと。あとはリンゴね、足りない分は何か買ってね、と早朝の会話。まだ薬を飲んでいるので、朝食の自分用も作る。 朝は小さな雨が降っていて、ガリくんは自転車をやめて歩きで出勤。雨はやっぱり哀しくなる。 私も早く回復しなくちゃ。今日はさっさと仕事にかかって、栄養たっぷりの夕飯を用意しよう。 |
私流ごはん
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毎日の食事、食にまつわるあれこれ。
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季節外れだけど、今年の夏の家ランチをアップしておこう。 時間があったので、せっせと作っていた。 ●いろいろ少しずつのワンプレートランチ/鶏むね肉の焼いたもの、リンゴと生ハム、茹で卵、マッシュカボチャ、アボカド、ズッキーニ、ナス、プチトマト、ブロッコリー、紫キャベツ、サニーレタス。パンは2種 ●ぶっかけそうめん/茹でた鶏、きゅうり、アゲを甘辛く煮たもの、ワカメ、オクラ、炒り卵 ●エジプト塩とオリーブオイルを混ぜて和えたそうめん/バジル、プチトマト、ズッキーニ ●サンドイッチ3種/アボカド+サーモン、茹で卵+パセリ、ベーコン+きゅうり |
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今回のアジア飯は北京のパスタ「ころころ北京パスタ(チャオゴッダァ)」。 ちょっと珍しいパスタは『幼婷(アーティ)さんの北京的点心』に載っているもの。 もう20年くらい使っているお気に入りの料理本。 餃子の皮もこのレシピでずっと作っている。 これは小さなサイコロ状のパスタで、古くから北京に伝わる麺料理とか。 麺を捏ねて2回寝かせて、サイコロ状に切って茹でて炒める。 具はありもので。この日は、ピーマン、しめじ、エンドウ豆。 味付けはレシピ通り、塩と醤油だけ。 モチモチ、素朴な味でうまし! アーティさんのこの本が気に入っている理由は、本場ながら一般家庭の料理であること。 彼女が育った町の、家の、母の、味であること。 昔の北京の食の様子が、コラムとしても入っていて読んでいて楽しい。 レシピもわかりやすいし、普段着ながらひと味違うものが載っている。 カバーの折り返し部分に小さく この本は、天安門事件の年に亡くなった母親に捧げるオマージュでもある。 と、記されている。 母の料理は世界共通の、きゅんとする料理だ。 |
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この夏、はまったアジア飯。つくったものを保存。 ●グリーンカレー(タイ) ●カオマンガイ(タイ) ・雑穀米 ・生野菜は自家製エジプト塩をかけて食べる ●ガパオライス(タイ) ・ニンジンのマリネとウリのピクルス、赤キャベツとプチトマトにはエジプト塩 ●トムヤムクンヌードル(タイ) ・ライムを搾って食べる ●魯肉飯ルーローハン(台湾)
・スープ(鶏ガラスープに、ワカメ、ズッキーニの刻んだもの) ・焼き厚揚げ(自家製塩レモンの刻んだもので食べる) ・ピーマンソテー(エジプト塩をふりかける) |
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午前3時を回ったころ、雨音で目が覚める。 私はゴソゴソと起きだしてお弁当の準備をする。 昨年の夏ごろからガリくんが新しい職場に就いて、 お昼はお弁当がいいということで作るようになった。 私の仕事が詰まっているときは勘弁してもらって、それでもできるだけ作るようにしている。 子どもたちが学生のころは昼も夜もなく働いていたから、すべては実家の母親任せで、 このお弁当なるものをほとんど作ったことがない。 それは母として、やり残してきたことのひとつだ。 やり残してきたことは、痛みとなって、私の胸の底に沈殿している。 すまなさそうに頼むガリくんをよそに、私はここぞとばかりに嬉々としてお弁当を作る。 神様はそうやって、いくつかの「つじつま合わせ」の場面をくれるのだから。 チャンスは逃すな。 自分の心の浄化のために。 だからガリくん、申し訳なさそうにすることはないんだよ。 自分のことしか考えてない母の性格は、よう知っとるだろうが。(笑) その、私がある編集部で昼も夜もなく働いていたころ。 母が毎日、お弁当を作ってくれた。 外食ばかりじゃカラダに悪いし、何より経済的に大変だからと。 それは2段のお弁当箱に、何種類ものおかずがびっしり詰められていて、 毎朝、2階の私の部屋まで母がわざわざ持ってきてくれていた。 真夜中にしか帰ってこない娘を心配していたのかもしれないなと、思ってはいたけれど、 なにしろ忙しい朝の支度時間なので、「ありがと」と短く言うくらいが関の山で。 そうした何の気にも留めなかったお弁当の日々から、変化が見え始めたときがある。 だんだんとおかずの種類が減り、 ひどいときは昨晩の残り物が2種類くらいしか入っていなかったりもした。 加えて、いつも「おはよう」と部屋まで持ってきてくれていたお弁当が、 階段の一番下に置かれるようになった。 それでも忙しさのあまり、大して気にも留めなかった。 そうしたある日。 姉から聞かされたのだ。 母のカラダの具合がよくない、と。 そのころすでに、母は末期の子宮癌に侵されていた。 それからほどなくして入院が決まり、私たちは余命6カ月の宣告を受けた。 どうして気づかなかったのか。 なぜ、気づいてあげられなかったのか。 明らかにヘンだったではないか。 私は忙しさにかまけて、そのサインを見逃した自分を責めた。 カラダの辛さを押してもなお、娘のためにと作り続けてくれたお弁当。 それはいま、私のちっぽけな自責の念をも吹き飛ばして、 時が経つほどに、母の深い想いを伝えてくれている。 私もガリくんのお弁当を作る。 実は左手の肘の関節が痛くて、フライパンが持ち上げられない。 けれど、それがどうした。 ね、お母さん。 今日は、なぜか涙があふれて止まらなかった。 だからガリくん、塩加減はいつもより濃い目かもしれないけれど、許しておくれ。 ※真夜中の薄暗い光でのお弁当は、まずそうだ。
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