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じわーっと、じとーっとした小雨模様。 近くのスーパーで「ぼた餅」を見つけ、ああ彼岸なのだと気づく。 墓参りもせずに、仕事だけをして過ごす親不孝者。 昨日、探し物をしていたら、貴重品を入れたバッグから写真が出てきた。 母が亡くなる半年ほど前に行った家族旅行。 今でもちゃんと見ることができない。 母が亡くなってもう14年、父が逝って今年で4年。 どれだけ時が経てば、これを受け入れられるのだろう。 父の道具を撮ったものが、まだある。 これはピンセット。先が微妙に違う。 何に使うのかわからないものが入った引き出し。 円い小さな穴がいっぱい空いたものは、時計のネジを作るものらしい。 こんな部品から作っていたことに、驚く。小さな刷毛も見える。 子どものころから、父からよく時計や万年筆をもらった。 いちばん最初にもらったのは、小学校5年のとき。 小さな円い金色で「swiss」の英文字が入り、赤い布製の細いバンドがついていた。 「三丁目の夕日」の時代だから、小学生で時計など持っている者がいない時代。 恥ずかしくて誰にも見せず、引き出しの奥に。 ほとんどしないまま、どこへいったかわからなくなった。 今、思い出すとあれは相当かわいくて、とっておくべきだったと少し後悔。 父はいつも、なんてことなく「ほら」と言って、まるで飴玉かなにかくれるように、 時計や万年筆をくれたから、その価値に気づくこともなく。 どこのブランドとか、いくらしたとか、全く言わない人であった。 父の遺品は多くはないけれど、それ相応のこだわりがあったのだろう。 もらったもの、遺したものを見ていると、そう思う。 黙ってニコニコしている父のそばでは、いつもチクタク時計の音がする。 私は今日もネジを巻いて、その日の音に聞き入ってみるのだ。
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時計の音が聞こえる
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これはドライバー。 父の時計作りの道具である。 全長コーヒースプーンくらい。 全部は写しきれず、まだ引き出しの中に残っている。 ネジ式で、先は付け替えられるようになっている。 これも一本として同じものはないのだろう。 その確認ができないくらい、微妙に太さや形が違う。 長い金属の筒を開けると、先の鋭利な、針のようなものが入っていた。 後ろに写っているのはヤスリ。 しかし、この針のようなものは、何に使うのか全くわからず。 こんな道具を使う仕事は、それこそ神経質でないとできないだろう。 私の父は、いつも自分のものはきちんと整理していた。 季節の衣替えさえ、自分でしていた。 高齢になってから、病気を持っていたので、おびただしい数の薬を飲んでいた。 大学病院に入院したとき、行きつけの病院の薬を看護師さんに渡していたが、 それを見た看護師さんが、びっくりしていた。 これ、ご自分で!? と。 それはきちんと一日分ずつ区分され、毎日飲むもの、朝飲むもの、夜だけ・・・ などのように、分かりやすく整理されていたかららしい。 私たちが何度聞いても、その数の多さと複雑さに閉口していたにもかかわらず。 齢90にして細かいことができる。というのは、やっぱり職業が影響しているのだろうか。 私たちが子どもの頃の父は、意味もなく恐かった。 無口であったためか、日常の会話もほとんどしたことがなく。 私がネイちゃんを産んだとき、あやしている姿を見て、ものすごく驚いた記憶がある。 父の違う一面を、そのとき始めて知った気がした。 いつも遠くから「お前が幸せならそれでいい」と、黙って見ていたのだと、 そう気付いたのは、自分が親になって何年も経ってからだ。 此の世も黙って、ひとりで逝った。 最期のときは誰も間に合わず。 人様に迷惑をかけるな。と、いつも言っていたとおりに。 90年の父の人生。 その生涯を3年前の10月2日、静かに閉じた。 その日も今日と同じ、朝からカラリと高い青空が広がっていた。
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私の両親は見合い結婚である。 |
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「これはキミが持っとくべきだろう」 |
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父の道具、今回は「ヤスリ」の引き出し。 全部、ヤスリ。 丸い小さな金属の筒の中も、ヤスリ。 前の家のとき、この引き出しは、お座敷の床の間の横にある、 板張りの廊下の隅に置かれていた。 腰から下が硝子張りになった障子の半分は、いつも閉められていて、 その硝子越しに、父の引き出しが見える。 私がお産で帰省したとき、ずっとこの部屋で寝ていて、 横を向けばいつもこの引き出しが見えた。 見るとはなしに目に入ってくるこの引き出しの中を、 いつかちゃんと見てみたいと思っていた。 そうして、父にモノ作りのことを聞いてみようと思っていた。 そう思ってはいたけれど、それは実行できずに終わった。 いつもある、と思っていた父との時間。 いつまでもいる、と思っていた父の存在。 奇跡は起こらず、時は当たり前に容赦なく、過ぎてゆくのだ。 そばにころりと転がっている日常は、ただ転がっているわけじゃない。 どんな風景もすべて、見る側のもの。 残念な思いは、自分が放っておいたことの、かけら。 引き出しの中のヤスリたちは、磨く道具としての役割を、もう果たすことなく。 それは、うっすらと錆びを身にまとっていた。
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