Bric-a-brac 〜我楽多工房〜

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monologue ものろ-ぐ

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義兄の旅立ち

長い間一人暮らしをしていた主人の兄が、

急遽、一昨日、生まれ育った自宅に戻って来ました。


仕事一途の義兄で、いつも忙しくしていました。

たまに帰ってきても、泊まらずに

その日のうちに自分のアパートに帰ったんですけどね、いつもは。




でも、

この二晩は、母屋の座敷で

義父母と水入らずで久しぶりに、ゆっくりした静かな夜を過ごしてます。

お昼間は反対に、、親戚や近所の方・幼なじみがたくさん訪ねてきてくれて、とても賑やかでした。



心通わせるこんな時間がもっと続けば、と願うのですが、

あいにく私達にはそんなに時間は残されていません。







昨日、義兄は白い旅装束に着替えました。

もちろん私たちもその準備を手伝いました。

今晩は旅の無事をみんなで祈り、明日はいよいよお別れ。

義兄はひとり、一月半にもわたる長い旅にでます。お線香の煙をたよりに。。。







でも、きっと義兄なら、難なく7つの関を越えて、六道の辻にも迷うことなく、

祖父母の待つ場所へたどり着いてくれるのではないかと思っています。

そして、久しぶりに再会した彼の祖父母に、きっとこう言われるでしょう。

      




         『  お前、来るのが早すぎるんちゃうか? 』   
   
         『 何ですぐに病院行っとかへんかったんや!』    と。
   


 

                あまりに突然の旅立ちに、

             私達も心の準備は全くできていません。

            手元のハンカチもなかなか乾いてはくれませんが、
          
          それでもなるべくは、皆で楽しかった思い出話に、花を咲かせ、

             明るい声で、義兄を送り出したいと思っています。

            
 
             暫くは私達も『 中陰和讃 』で守本尊にお願いをし、
 
             足元照らすロウソクと、道標のお線香絶やさずに、

           これから 百八坂峠や苦げんの川を越えなければいけない 

             義兄のサポートを出来るだけしてあげなくてはね。         


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       (リフォーム記事・もう追いつけそうにない清盛感想等、

              更新はまたまた遅れそうですが、

           私のペースでゆっくり進めます。来年にまわったとしても

             録画何度も見て、自分の言葉で書きたいので。やっぱり)

        

                 

Les cerisiers

           長い長い闘病生活でしたね・・・本当にお疲れ様でした。

               どうぞゆっくりと安らかに・・・・






         願わくば花の下で春死なむ そのきさらきの望月の頃


                
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いのちはめぐる

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先日、母娘ともにお世話になった恩師とお別れをしてきた。

家を越してから、なかなかお会いできる時間もなくて、

9月予定の記念大会の運営お手伝いで、再会できるかと楽しみにしていた矢先の急逝。


剣道は死ぬまで現役。その言葉をまさしく体現された先生だった。

入退院を繰り返しつつ、病と闘いつつも、亡くなられるつい10日前まで、

ご指導にいらっしゃってたときいた。 その精神力は‘お見事’というしかない。

剣道が大好きで、子ども達が大好きで、

病院のベッドの傍にはたくさんの弟子達の写真が飾ってあったとのこと。

優しさと厳しさと、おおらかさと、そして懐の深さを持ち合わせた先生だった。


病状が気になりつつも、元気なうちに何故もう少し早く会いに行けなかったのだろうかと・・

今さらながら悔やまれてならない。


竹刀を交わすことは、人と人、心と心のやりとりでもあって。

先生と稽古させていただいていた期間は、私にとってもとても思い出深く、

楽しさも苦しさも酸いも甘いも・・・・人生の勉強をもさせていただいた宝物のような期間でもある。

精神的に落ち込んだとき辛かったときでも、

稽古場での陽気で明るい先生にどれだけ私が救われたか・・・


病気のことは聞いていたので、いつか来る日だとは思っていたけれど、

まさかこんなに早くに訪れるとは思っていなかった。

いい年した大人だけど、葬儀から帰ってひとしきり泣いた。



稽古つけてくださってる先生の姿や声は、つい昨日のことのように思い出せる。

これでもかと必死で打ち込む私の竹刀の切先を、

まるで子どもと遊ぶが如く、くるりくるりと手首を返し、足で捌いて、

打ち込んだ分の倍返し、いや3倍以上の小手・面・胴を先生にいつもオミマイされてたっけ・・

昇段試験にもついてきてくださったな。。。

こうやって書いている今でも、想い出は尽きない。

        ‘先生、おつかれさま。

                本当にありがとうございました。’






お悔み事は続く、というが、

その数日後に、仲人をしてくれた親戚のおっちゃんがなくなられた。

お式以降、会える機会はそんなになかったけど、年賀状にはいつも一言添えて下っていた。

3年もの闘病生活だったそう。

息子さん、娘さん、たくさんの孫、ひ孫に見守られて旅立った。

       ‘おっちゃん、おつかれさま。

              ゆっくり休んでね。 どうもありがとう。’





でも、悲しい別ればかりではない。

嬉しいことも、ちゃんとある。  



私にも、はじめての≪姪っ子≫ができた。 母子ともに元気でホッとした。

東京の病院で生まれたのだけど(母が手伝いに行ってた)

来月頭には、里帰りするので、≪初の御目見得≫(←大奥?)がとっても楽しみ。
 
           両親からもらった名前を聞いて思い浮かぶ風景は、
 
               青い青い南の島と澄んだ海の中。         
                 
                 ‘お誕生、おめでとう’





    亡くなった恩師には、たくさんの仲間達、諸先生方との再会をプレゼントしてもらった。

             すっかり大きくなった子ども達。

    みんなキラキラと見違えるくらい立派な青年、壮年になっていた。

      懐かしいたくさんの親御さんたちとも近況を報告しあえて嬉しかった。

           
    
 

             また、 親戚のおっちゃんのお孫さんの中に、
       
       今、日本にいっぱい元気をくれている某チームに所属している‘撫子’がいたり。

      (今はまだ、入ったばかりのタマゴちゃんですが、今後の活躍がとても楽しみ) 

       

                 
             
               
               逝く命あれば、生まれ来る命もある。

                たくさんの別れと出会い。

                                    
           そこには 身を切るような悲しさや、辛さもあるだろう。

           ‘人としてこの世に生まれ出たこと’への驚きと不安で

             赤ちゃんも大きな声で泣くのかもしれない。


             
  
           ‘生きること自体が苦しみ’と釈尊(ブッダ)は説いたけど、 

        ≪その中に楽しみや喜びや幸福がある≫・・・という深い深い言葉。

           
      
         この世に授かった自分の命、借りている身体、とわかってはいるけれど、

     生が叶わなかった方々に申し訳ないくらいの ≪煩悩≫のカタマリのような私。

         だけど。。。。

      小さなことにも幸せと喜びと感謝の心を、探しつつ見つけつつ

     出来る限り 前を向いて、笑顔で、 自分の生き方を模索しながら歩いていきたいと、

       今ふたたび‘いのち’について思惟する機会が持てた、この2週間。

    
              
前記事を書いた後、

なるべく偏った見方はしたくないと思いつつ、

いろいろ私なりに原発のことを調べてみている。   ・・・・・のだが。。。




もしかして‘レオナルド・ダヴィンチ’もいつもこんな感じだったのかな。。。

1つのことを調べるとそこにまた10の疑問も沸いてきてしまうのだけど、

私の脳ミソでは処理仕切れない。。。




でも少しわかった。


原子力の専門家ほど、‘生物と放射能は相容れない’ものである、と

原発に危惧し反対しておられる方のほうが多い。


専門家がいくら助言をしても、

聞く耳を持たない(だけでなくそれを潰しにかかる)のが政治家と企業側・・という図式の記事が

やはり一番多くの意見であるようにみられた。



その昔、某新聞社の大物が、原発導入の立役者でもあったために、

その会社を筆頭にして、マスコミによる情報操作(安全神話やクリーンなイメージ等)も

大掛かりに行われてきたのだという。




★「浜岡原発を考える会静岡ネットワーク」の内藤新吾さんが説明してくれる

 『世界で一番危険な浜岡原発』

 牧師となって赴任した名古屋で原発被曝労働を繰り返した野宿生活者との出会いがあり、

  以後十数年、原発問題に取り組まれている方。


  2009年のものですが、説明が本当にわかりすくて、

   まるで今回の福島原発の予言を聞いているようです。










★前記事でもUPしたスペインの新聞記事

  そこに出てきた取材者が登場。。NHK製作するも、上からの圧力がかかった為

   日本では放送できずにイギリスの放送局が買い取り英国内で放送。








再度UP! 


  原子力発電所の現場で20数年働かれていた方(故人)が書かれたもの。

  福島原発などの技術管理や、

  上記動画にでてくるような‘被曝労働者管理’などされていた立場の方の手記です。







★慶応大学の教授藤田祐幸氏の講演。『始まりの始まり』

 震災直後の、2011年 3月 26日に長崎で行われたもの。(1時間40分)

 この記事のタイトルはこの講演から拝借しました。






★京都大学原子炉実験所助教の小出裕章氏『隠される原子力』 (こちらも 約1時間40分)

  この講演最初の方は、上記の 藤田祐幸教授と被る話が多いが、

  ‘40min’頃のあたりから、人体に関する影響の話がある。






 
今になってやっとレベル7を認めた保安院。

チェルノブイリという悲劇がありながら・・・

何故日本は原発を作り続けようとするのだろう・・???



稼動してようと廃炉にしようとも、

どちらもそれを維持していくだけだけでも‘莫大な税金を投入しなくてはいけない’

雇用や失業に関わる問題も出てくる。

でも‘たくさんの人の命を切り売りにしなくてはいけない’・・・

‘天災をこうむっての災害だった場合、法律上、電力会社の免責はなし’

そんな事業があっていいのだろうか・・・・。

根本から事業の見直しが必要だとおもう。

 

追記:(今、この時期でも 某知事は‘原発容認派’と言った。
    それは「その行政が‘某電力会社の大株主’だから」でもあることと関係がないとはいえない。
     現時点でもすでに莫大な損失だとおもう。
    一個人としての気持ちははかりかねるが、
    それでもやはり‘お金’がそういう立場をつくらざるを得ないのかとも思う。)

  
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負けないで!

衝撃が多くてなかなか言葉に出来ません。

17年前の記憶がまざまざと蘇ってきます。

身をきるような寒さに加え、容赦なく冷たい海水まで・・・

如何ばかりか。。。






ブログ友さんは無事だった。

今、職員さんとして一生懸命サポートをしておられる。頑張れ!

東京のブログ友さんも、妹夫婦たちも無事が確認できた。

でも・・・・






今は何も考えられないかもしれない。

でも絶望だけはしないで。

こういうとき人は支えあうことができるから! 

負けないで、負けないで・・・!



そして私たちは同情のかわりに、でき得る限りの適切な支援の手を・・・!

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