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栢山入口交差点にあるデニーズ大井松田店を出て、再び元のコースに戻ります。
この道は、国道255号線の東側を並行している道です。
途中、御殿場線の踏切を渡るのですが、国道の方は当然に陸橋となっています。
また、その先で県道72号(おそらくは元の国道)を横断しますが、ここにもちゃんと横断歩道がついています。
おそらく自分が走っているのは、3代前の道なのでしょう。
そして、こちらの道で出会うのは、道祖神やお地蔵さん。
彼らがずーっと昔から佇んで往来を見守る道をゆくというのは、古からの旅人の列に加えてもらったような気分で、自転車で走っていると身が引き締まります。
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もうひとつ、野菜や果物の無人販売所もいくつか見かけました。
簾がおりていれば準備中で、あがっていると営業中ということかな。
いま、地方ではとくに外国人が入ってきて、こういうところの野菜を持って行ってしまうという話題をニュースで見ましたが、昔からそういう人はいて、地域の人でも平気で持ち去ってご近所におすそ分けとかしていたのだそうです。
だから、どこの国の人でも、どこの地域の人でも、作った人の苦労が分かる人と、全く考慮しない人の2種類しかいないというのが、本当のところではないでしょうか。
しかし、お金を払わずに持ち去る人は、せいぜい全体の1割なのだそうで、9割の人はちゃんと代金を払っているわけです。
自分が損害を被らなければ、人のものをかっぱらっても良いという人間は、マイノリティなのですよね。
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道は少しずつですが、緩やかな坂をのぼっている感じがします。
このまま県道72号線の旧道をゆくと、酒匂川の支流、小田急線に沿って渋沢方面から流れてくる川音(かわと)川を籠場橋で渡って松田町中心部へと入るわけですが、少し遠回りになってしまうため、東名高速道路が国道255号に接続している大井松田インターの手前で左へ折れ、相模金子駅の北で御殿場線を渡り、一本下流の文久橋を渡ります。
渡ったらすぐに左折して川音川の右岸をくだり、酒匂川との合流点に出たら右折して上流方面へと向かい、十文字橋で酒匂川を渡って、右岸にあるサイクリングコースを遡ってゆこうと考えていました。
ところが、河川敷をゆく自転車道路は、災害復旧工事中で通行止めになっているという情報を前もってつかんでおりました。
川沿いの自転車道って、大雨などでよく水没するものだから、通れないのは珍しいことではありません。
仕方なく、文久橋を直進し、小田急線の下をくぐってから左折してロマンス通り(?)という商店街に入り、御殿場線の線路と酒匂川の間に挟まれた路地をゆくことになりました。
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しかし、その路地も新松田駅の裏からおよそ2㎞で尽きてしまい、桜観音前という信号から国道246号線の車道左端を走る羽目になります。
桜観音の呼称は、前の国道の桜並木が見事だったからそう呼ばれるなったそうです。
今はお寺の境内に桜が残っているのみで、国道の拡幅工事の際に切られて残っておりません。
国道は、左に御殿場線の線路をみながら、その向こう酒匂川と右手の高松山の斜面の間をゆきます。
右手斜面上には東名高速道路が並走していますが、自転車の走れる道は国道246号線のみです。
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いや、正確にいうと東名高速道路をつくった際にできた側道があるのですが、もとは工事用道路のアップダウンが連続する道のため、自転車で走るのに向いているとはとてもいえません。
それに、こんなところまできて、高速を走る車の排ガスを浴びるのも癪です。
246号線からは、進行方向やや左手に、箱根外輪山の北端にあたる、矢倉岳や鳥手山が見えます。
それら箱根の山々と、丹沢山塊に挟まれた谷間を、御殿場線、国道246号線、東名高速道路が、御殿場方面へとのぼってゆくわけです。
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そうこうしているうちに、富士急バスのバス停をみつけました。
田舎のバス停って時刻表を写真に撮っておくと、いざというときに役立ちます。
よく見ると、このまま国道を西へ向かって山北駅を過ぎ、丹沢湖まで行くバスは朝と午後から夕方にかけて、平日6便、週末10便、その差の平日便は殆どが山北駅止まりです。
また、伊豆箱根鉄道の大雄山駅を経由してアサヒビールの工場へ行く便は、10時から16時までの1時間に一便ずつというのが見て取れました。
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昔は丹沢湖から犬越路というトンネルを越えると、丹沢の裏側、道志川沿いの月夜野という集落へ抜けることができたのですが、かなり以前から隧道の先の神之川林道があちこちで崩落して、廃道同然になっているので、四輪もオートバイも通行不能です。
自転車なら担いでしまえば何とかなるとは思うのですが、まだ通行止めになるまえにトンネルや裏側の林道を走った時には、ほかでは感じることのなかった胸騒にくわえ、悪寒までしたので近寄る気がありません。
丹沢湖って人造湖で、南側手前の三保ダムを中心に、左から時計回りに世附、河内、玄倉と三方向へ谷が分かれているのですが、どの谷間も妙に暗くて陰鬱な感じがします。
左の世附林道に入れば、明神峠で尾根筋に出て右折すれば、富士山と山中湖を眼下に見下ろす三国峠へ出られるのですが、こちらの林道は私が子どもの頃にラリーカーの転落死亡事故があって以来、ずっと開かずの林道ときいています。
そんなことを考えていたら、脇を1時間に1本の富士急バスが追い抜いてゆきました。
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あまり国道を走りたくないので、東山北駅の手前で酒匂川の方へ左折し、県立山北高等学校の前を過ぎて、支流の尺里川にそって上流方面に向かいます。
ん、しゃくりがわ?
いえいえ、正確には「ひさりがわ」です。
この川をのぼってゆくと山北町の東端の向原という集落が、山の頂上付近に開けています。
衛星写真で見ると、山中の鉱山のようにみえるのですが、ここは戦後に海外から引き揚げてきた人たちが入植した場所なのだそうです。
神奈川県内にもそんな場所があったとは。
なお、向原集落から舗装路の峠を越えると、松田町の寄(やどりぎ)という集落へ下ることができます。
そこからさらに下ると、渋沢や松田方面に戻ることが可能です。
表丹沢の中津川に面した山間の郷で、キャンプ場などがあるので、さらに東の水無川とともに、小田急線沿線の学校がオリエンテーリングとか林間学校などでよく利用する場所です。
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しばらく川沿いをゆくと、御殿場線と国道の下をくぐって、旧246号線の県道76号線に出ます。
酒匂川右岸の自転車道をのぼって新大口橋を渡った場合、この辺りで合流します。
陸橋下には地元の小学生が、この地域の昔話を絵にしています。
線守稲荷というのは、明治に鉄道が敷かれたころ、機関車の通行を妨害したキツネの話です。
この手の話は信州にもあって、開発によって住処を追われた動物や昆虫たちの抵抗は、スタジオジブリの映画にも描かれました。
線守稲荷については、廃線跡のトンネル上にあって、道路からは行きにくい場所にあるという噂なので、この先で検証しようと思っています。
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県道に出たら尺里川を渡り、造り酒屋や元紡績機械工場の前を通って西へ向かいます。
途中から、線路寄りの旧道に入ると、山北駅に向かってまっすぐなゆるい坂道をのぼってゆきます。
途中、街道沿いによくあるような蔵つきの家があったりして、ここが昔の東海道本線沿いの街であったことを思い起こさせます。
そして9時ちょっと前に山北駅到着です。
朝ご飯を食べ終わって出たのが8時前だったので、曽我からここまで、約1時間でした。
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次回はさらにJR線沿いに酒匂川を遡り、谷峨を抜けて駿河小山方面を目指します。
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書店内の赤ちゃん

ある日曜日のこと、ショッピングモール内の書店で、在庫確認端末をいじっておりました。
欲しい本が在庫として問屋さんにあれば、取り寄せてもらえるのです。
それにしても、この端末、操作が面倒なうえに、漢字変換がものすごく鈍いのです。
使っている人は分かると思うのですが、大概第一変換はのけ反るような漢字を出してきます。
と、書店奥からギャーという赤ん坊の泣き声が聞こえてきました。
まだお昼になったばかりで、店内はわりと空いていたのですが、みると1歳になるかならないかの子どもを抱いた父親が、泣きわめく子どもを抱いています。
子どもだから仕方ないかと思い、気にも留めずに端末に向っていたのですが、赤ん坊の泣き声はずっと続き、いっこうに泣き止む気配がありません。
みれば、そばでスマホをいじっていた母親は、ベビーカーを押しながら父親に近寄り、あやすわけでもなく、泣き喚く子どもをそのままにして話し込んでいます。
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赤の他人が見ても、子どもは何かを伝えたくて体をよじりながら泣いているのです。
原因が、おしめが濡れている(最近の紙おむつは濡れても一向に不快にはならないらしいですが)のか、お腹がすいたのか、喉が渇いたのか、単にお父さんに抱かれていたくないのか、その中身まではわかりませんが、とにかく「何とかしてくれ」と、両親に向って全身で訴えているわけです。
これはどの育児書にでも書いてあることですが、このように泣いて自分の欲求を伝え、それを親が満たしてくれるということで、赤ん坊は対人コミュニケーションの第一歩を踏み出すわけです。
もし、泣いて意思を示しているのに周囲の大人が無反応を続けると、赤ん坊は泣いても要求が通らないことを学習してしまい、しまいには泣かなくなってしまうのだそうです。
それは大人の側からみたら「しつけ」ともとれるのですが、子どもの成長にとってはかなりのダメージになります。
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私は泣き喚く赤ん坊は自然だと思っています。
だから、いくら暑かったり他に理由があったりして大人がイライラしていたとしても、大抵の場所においては子どもを泣かせるなと文句を言う方がおかしいと思います。
そういう人は、自然のなかで、たとえば朝にセミの鳴き声や鳥のさえずりとか、夜に川のせせらぎがうるさいと文句を言っている人と同じで、ひょっとしたら自分の方に何らかの問題があるのではないかと疑った方が良いのかもしれません。
(コンサート中とか、試合中のテニスコートとか、静粛を要求される場面は別ですよ)
赤ちゃんは、泣く以外に自分の欲求を伝えて満たしてもらうことはできません。
いや、正確にいえば言語で伝えることができないので、他に手段を持っていないのです。
だからこそ、「あーどうしたのかな」と言って、大人がケアする必要があるわけです。
それを、スマホに熱中したり、笑って大人同士で談笑したりして、子どもが書店内で泣くに任せているというのは、どうなんだろうと感じてしまいました。
少なくとも、どうしたのかなと、子どもと向き合ってあげた方が良いし、他のお客さんに迷惑だから通路に出るとか、モール内にあるベビールームへ行くとかした方がもっと良いのではないでしょうか。
もちろん、書店を出たところでモールの中ですから、声が響いてしまうのは致し方ありません。
でも、子どもの能力をあまり低く見積もってはいけないと思うのです。
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いくら言葉の喋れない乳児であっても、周囲を観察する力は驚くほどあります。
公共の場所で、自分が泣き喚くことによって、両親が店から出なくてはならなくなったということくらいは、状況を理解できるのです。
それ以前に、両親が自分をどこかへ連れて行って、しかるべきケアをしてもらったという経験が、親子の愛情交流のベースになるはずですし、もう少し大きくなってゆくと、自分の泣き声が周囲の迷惑になっているのだなと感じ取ることが、社会性の萌芽につながってゆきます。
昔はこういう役割を担う人は、両親とは限りませんでした。
それこそ、通りがかりの見知らぬ他人が、「あら、どうしたの」と赤ちゃんに声をかけても不審には思われませんでした。
今では「声かけ事案」なんていわれかねないから、自分を含め誰もが知らんふりです。
「みんなで子育て」なんて掛け声だけで、こうして子どもを観察するだけで怪しまれる時代ですから。
私も教育学を学んでいなかったら、「ああ、子どもが泣いているな」くらいで、あとは意識を切ったのかもしれません。
そんなことを考えている間にも、目の前の親は自分たちに夢中で、赤ん坊とのコミュニケーションを積極的にとろうとする様子がいっこうにみられないのでした。
「たまたまだといいけれど」と思いながら、端末操作を中断して、書店から退散しました。
あの場所が書店ではなく図書館だったら、いや、レストランだったらどうするのだろう?などと考えながら。
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今本編で登場している関の小万の墓があるという賢養院(豊橋市関屋町184番地)。
旧東海道の西惣門から50mほど東にあります。
2説あるうち、小万が浜松で仇を討ち、吉田宿にある小間物屋の女将に納まったという話の方ですね。
これは推測なのですが、複数の似た話が合わさって、現在の言い伝えになっているのではないでしょうか。
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豊橋の南詰よりやや下流にある旧吉田大橋の碑
これも本編で説明しましたが、鎌倉時代、豊川に架けられた橋は今橋と呼ばれていました。
江戸時代に吉田大橋になり、明治以降今の豊橋という名前になりました。
さらに時代がくだって、昭和になると上流側の国道1号線に、現在の吉田大橋が架けられました。
ということで、豊橋の名前は吉田の方がなじみ深いのだと思われます。
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温故知新書という国語辞典があったのをご存知でしょうか。
室町後期、いろは順が一般的な時代に、なんと50音順で並んでいて、最古の五十音順辞典と呼ばれています。
昨日の読書感想ではありませんが、「故きを温める」にしても、知らない事柄には謙虚に接し、知っているからといって、自分の持ち物のように勘違いして奢り高ぶらないという、センスがいるんだよなぁと思うのでした。

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薬物依存症者は、テレビに映る白い粉状の物体を見ただけで、フラッシュバックを起こすといいますが、アルコール依存症者は酒の看板を見たらどうなるのでしょう?
もちろん、お酒が悪いわけではありませんが、このようにビンが傾いていると、いかにも液体を注ぐ音が聞こえてきそうです。
そんなこと言ったら、摂食障害の人が食べ物のコマーシャル見たらどうなんだとか、きりがなくなるのは分かっているのですが、大変な時代だなと。
 
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豊橋は意外に海が近い(豊川河口まで5㎞程度)ので、新鮮な魚が手に入る街なのです。

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 新幹線の車窓からみると、いつも水量の多い印象を受ける豊川放水路。
つくられたのは意外に新しく、1965年だそうです。
豊川は河川法での正式な読みは「とよがわ」と濁ります。
いっぽう、豊橋の上流部にあり、お稲荷さんで有名な豊川市は、「とよかわ」と濁りません。
豊川の源流は同じ愛知県内の設楽町と、それほど山奥深いわけではないのに天竜川や大井川と比べて流水量が多い気がします。

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飯田線は、もとは豊川鉄道という私鉄だったため、豊橋に付近は駅間距離が短く、駅も多いのです。
また、豊橋から長野県の岡谷まで直通する列車は少ないものの、豊橋〜豊川間はローカル線とは思えないほど、列車の本数は多いのです。
写真は旧東海道にいちばん近い小坂井駅です。
夕方の退勤時間帯に豊橋方面の上り列車に乗ったため、列車はガラガラでした。
 
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旧東海道沿いにあった古民家カフェ。
以前、ここはお寺が授産施設を営んでいたようなので、こういう施設には、時間があればぜひ立ち寄ってゆきたいものです。
 
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こちらは普通の喫茶店。
モーニングサービスの旗が見えます。
モーニングサービス発祥の地は、愛知県の中で一宮市と豊橋市の2説があるそうです。
いずれにしても、朝に座ってしっかり食べたい人には嬉しいサービスです。
朝というと、忙しい、時間が無いというイメージからゆったりできないように思われがちですが、実は精読を要する古典や哲学書を読むのに、最適な時間だったりします。
焦って先へ先へと読まないよう、参照文献や巻末の資料を引きながら読むのは、夜より朝の方が向いていると思います。
夜寝る前は、小説や随筆など、あまり肩に力を入れなくても読める本の方が、私は読みやすく感じます。
難し本だと、読んだまま電気も消さずに寝入ってしまいますから。
 
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最初見たときは、コインランドリーの乾燥機でも製造しているのかと思いました。
しかし、実際は丸太の自動乾燥機なのでした。
といっても、全然イメージが浮かびません。

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 その向こう、三河湾に沈む夕陽のシルエットになっていて、2つのピークをもつなだらかな丘は、御津(みと)山といい、北麓(旧東海道からみると、手前右)に大恩寺という大寺があります。
このお寺の大旦那は、6㎞東の牛久保にあった豪族、牧野氏です。
この家が、徳川譜代大名となり、越後長岡藩に転封されて明治維新の際、西軍(官軍)に激しく抵抗しました。
世にいう北越戦争で、家老河合継之助が守ろうとした主家は、こんなところ出身だったのです。
そういえば司馬遼太郎の小説『峠』で読みましたが、長岡藩において、殆どの藩士以下の下級武士は越後の言葉(「〜でや」)を話していたのに対し、殿様と一部門閥家老は出自の三河言葉を使っていたといいます。
大恩寺は明治になるまで、牧野氏に手厚く庇護されていました。
大恩寺から山を挟んで南側には、JR東海道線の愛知御津駅があります。

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 国道によって、旧東海道が寸断されている区間を、あえて田んぼのあぜ道や、電車の線路わきを通って抜けてみました。
国府(こう)駅の近くで、名鉄本線と豊川線に囲まれた田んぼを走ったのですが、曇天にもかかわらず、田を青々と染める稲の穂と、その向こうをゆく赤くて短い電車のコントラストが見事でした。
背後の背の低い丘陵を背にして、駅の名前通り、三河国の国府と国分寺がおかれていたそうです。

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 工場のパイプラインが旧東海道の上をまたいでいるって、私が知っている限りはここと滋賀県内にもう一か所だけです。
ゆっくり走ろうと交通安全の標語が掛かっているのは、この道が通勤時間帯に抜け道として利用されるからでしょう。
上下4車線の立派な国道1号線が並走しているのですが、こちらはほとんど信号機がないですし、ネズミ捕りもまずやっていませんからね。

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権威のありようについては、キリストご本人が福音書のなかで同じような発言しています。
「自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。」(マタイ18:4)
「あなた方の中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。」(ルカ22:26)
後の言葉は、最後の晩餐の場面で弟子たちの間で誰が一番偉いかについて争っているときに、キリストの口から出た言葉で、その後に「自分が給仕する者である」と言って、ヨハネによる福音書では弟子たちの足まで洗って困惑させています。
しかし、私はこのお話が昔話や教会の教えの中だけにとどまるものではないと思うのです。
司祭とか信者だけへの教義ではなく、人間として大切なことが指摘されている気がします。
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たとえば、子どもを教育するときに、どこに権威をもって導いてゆけばよいと思いますか。
親だからとして懲戒権を振りかざす前に、人間を超えた存在の前には、教えるものも教えられるものもみな平等であるというベースが無かったら、ただ自分の方が物知りだから、地位や能力があるから、金を稼いでいるのだから、という理屈だけに権威を求めたなら、教えられた者もまた、次の世代に同じ価値観を強化して受け継いでゆくことになりはしないでしょうか。
これはすごく恐ろしいことだと思います。
いじめやハラスメント、虐待の根っこは、こういうところにある気がしてなりません。
もっとも、信仰を持ち合わせていない人は、何を権威にしたらよいのでしょうね。
私は、この本のタイトルではありませんが、先人の積み重ねた遺産ではないかと思います。
数学の教師なら、これまで数学者が連綿と開いてきた数学について、畏れをもって学び、それを忠実に次世代へ伝えてゆくことを職責だと考えればよいのではないでしょうか。
過去の学問に対し、深い敬意をもって学ぶ先生なら、自分に権威付けしなくても自分の学んだ素晴らしい内容を、子どもに熱意をもって伝えられると思うのです。
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私は何も弱い立場の者に対していたずらに畏まれとなどと言っているのではありません。
ただ、神の前によき道具であろうとする姿勢と、人に対して教え諭す態度とは、決して矛盾するものではないと思うのです。
そのために、自己中心的な生き方を、人間を超えたもの中心の生き方に改める必要があると、自分を振り返って痛感しているのです。
あ、キリスト教における価値の顛倒について書いていたら、ついつい脱線してしまいました。
このほかにも、後半の随筆「ルターと近代思想」の中で、キリスト教でいう原罪を題材に、ルターの考え方を神と人間の立場の倒置であると指摘していて、とても興味深く読みました。
即ち、それまでは神を中心としてすべての宗教問題が回っていたのに、ルターは自我を中心として神が廻るようになってしまったのだと、これが近代思潮の主流になっていると指摘しているのです。
この点は、プロテスタンティズムが近代個人主義を基にした資本主義と結びつきやすいのに対し、カトリシズムは第一次産業と結びつきやすい原因だと思います。
チェコが工業国でプロテスタント、お隣のポーランドが農業国でカトリックという関係や、北米はプロテスタントが優勢で、南米はカトリック中心の社会というのもそんな要因もあるのかもしれません。
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話を戻して人間の原罪についてです。
たしかに、ルターは「救いは信仰にある」と言ってはいますが、その信仰とはただひたすらに自己の確信であるというならば、確信に疑念が生じることで揺らいだなら、神から救われなくなる結果に陥ります。
これは一面他力主義に見えるものの、他面純自力主義ではないかというのです。
要するに、カトリックとプロテスタントでは人間と神の間の矢印が逆向きということを云っているのでしょう。
さらに、われわれが罪を犯さずにはいられない存在でありながら、にもかかわらず義とされるというのでは、罪と救いという相容れないものを理論の擬制でごまかしているのではないか、凡人に欲が起ることそれ自体が罪なのではなく、彼が欲に負けることが罪であるはずなのにと、反論しています。
先日ブログ7周年の文章の中に出てきた、「僕たちキャソリックはね、必要以上に自分を叩いたりしないの」という言葉は、自我を中心にして欲や罪について考えるのではなく、神の光によってそれらを外から照らしてもらった方が良いと、言い換えることができるのかもしれません。
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なお、ここで著者は「個性」と「人格」の違いを強調していました。
個性とは、個々人の差異や区別に関する事柄であり、これに対して人格は理性と意志との問題であるのに、この二つを混同していることが、近代思潮の混乱の原因だというのです。
確かに教育の世界では、「個性を伸ばす教育」とか「個性豊かな人間を創る」「ひとり一人の個性を尊重する」などと言う言葉が並ぶ一方で、「人格を高めるには」とか「人格者を目指す教育」などという言葉は全く語られません。
泥棒にだって個性はあるでしょうが、盗みをする人が人格者であるはずはありません。
いっぽう、聖職と呼ばれる職業に就いていても、人格に欠ける人間は存在し得ますが、下足番やホームレスだからといって、人格者で無いとは言い切れません。
では、個性を伸ばすのではなく、人格を高めるにはどうしたらよいのでしょうか。
「意志の自由を有する人間が目的を認識し、それに向って進むほど人格は高まってく」
「われわれの意志が善と真理に向って動くときに絶対性があらわれる。
ここで、真理の客観性が問題になってくる。」
やはり自分勝手な真理に向わないためにも、自我をいったんは捨てて、もっと大いなるものが指し示す真理に向って歩を進めることでしか、人格は育たないと思われます。
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その他小話の中には、神山復生病院の院長として職務にあたっているさいの、患者さんとのエピソードがありました。
また、岩下先生のお勧めの本が紹介されていて、チェーンリーディングに役立つのでした。
その感想は、また改めて。

読みやすさ:★★☆☆☆
本の専門性:★★★☆☆
読んでみたくなった本:
『キリストにならいて』トマス・ア・ケンピス著 大沢章・呉茂一訳 岩波文庫(青804-1)
『正統とは何か』ギルバート・キース・チェスタトン著 安西徹雄訳 春秋社
『浄福なる生への導き』ヨハン・ゴットリープ フィヒテ著 高橋亘・堀井泰明訳 平凡社ライブラリー
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』マックス・ウェーバー著 大塚久雄訳 岩波文庫(白209-3)
訪ねてみたくなった場所:
真生会館会館(東京・信濃町)
神山復生病院(静岡・御殿場市)
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『信仰の遺産』岩下壮一著 岩波文庫(青N115-1)
著者の岩下壮一(1889-1940)先生は、戦前のカトリック司祭で哲学者です。
東京大学哲学科を(首席で)卒業後、一時教師をしたあとにカトリックの司祭となり、亡くなる少し前まで御殿場市にある日本で最古のハンセン氏病療養所である神山復生病院の6代目院長をされていました。
以前ミュージカル「泣かないで」(原作:遠藤周作著『わたしが・棄てた・女』)において、主人公が行き着いた病院のモデルが、この神山副生病院です。
以前、カトリックの洗礼を受けた際にこれくらいは読まなければと、同じ著者の『カトリックの信仰』を読んだのですが、量もさることながら文章が難しくて、他の本と併読しながらでしたが読み始めてから読了するまでに10カ月も要してしまいました。
そのとき、写真で見る岩下先生はすごく優しそうなのに、書いている内容はこんなに過激なのかと思うほどに、京都学派といわれる人たちや、プロテスタント教会、とくに内村鑑三に代表される無教会派の人たちに対する反駁が凄かったのです。
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私もキリスト教との出会いはカトリックではなくプロテスタントでしたから、読んでいてかなり辛かったのですが、著者の生きた時代を考えれば致し方なかったのかなと思い直しました。
戦前、とくに太平洋戦争に向って日本が突き進んでいる際に、他宗教、とくに同じキリスト教であるプロテスタント教会からのカトリック迫害は、かなりの圧力だったといいますから。
和辻哲郎による西洋哲学と日本的思想の融合にも、西洋哲学の本質に欠けるところがあるとして、かなり批判的でした。
(因みに岩下壮一と和辻哲郎は大学の同じ学科で同級生です)
もっとも、岩下先生のプロテスタント批判は、宗教改革後のプロテスタンティズムにおけるイエス・キリストのとらえ方と聖書理解に焦点をあてていましたし、京都学派への反論も、西洋哲学溶け込んだキリスト教神学は、歴史を共有しない日本人にとって、深い研究なしに、表面上だけで斟酌できるほど単純ではないとして、かなり的を射ていると読んでいて感じました。
できればプロテスタント側、京都学派側の再反論があれば読んでみたいと思ったくらいですし、プラトニズムからアウグスティヌス、トマス・アクィナスへと続くキリスト教神学を読むのなら、同様にアリストテレスにはじまるスコラ哲学についても古典から読まないとまずいかもと思った次第です。
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そして、この『信仰の遺産』も文章は平易ではなく、聖書や参照文献も引きながら半年かかって読み終えました。
文庫の内容は15の論文と6つのエッセイ、小編をひとつの文庫本にまとめています。
論文の方は、最初がキリストへの信仰について、教会の位置づけ、教権や教義、司祭職と秘跡、成義についてと、一般的な事がらから専門的な中身へと、内容が徐々に深化してゆくように並べています。
「成義」なんて言葉を出されても、普通の人は分かりませんよね。
「義を成す」といえば、勘の良い人ならああ、ローマ人への手紙の中に「義人なし、一人だになし」(文語訳聖書、新共同訳では「正しいものはいない。一人もいない」)という言葉があったなと思いだす程度です。
「自分は正しい、間違ってない」という主張ばかりしている人には、耳を塞ぎたくなる言葉ですがね(笑)
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なかでも昭和14年に著された「カトリックの宗教的態度」において、著者は以下のようなことを述べています。
人間の自我が絶対的なものでない以上、人間的な自律とは相対的で条件付きの状態にとどまるものであり、神の子(キリスト)の自由とは違う。
また、際限なくゴールを定めない探求は、人間の真理への要求を麻痺させはしても、決して満足に至らしめることはない。
既にどれほどの人が絶望の断崖から荒海に身を投げたことだろう。
そして、誰しもが純人間的な権威の前に、喜んで身を屈するものではない。
人間に対し道徳的服従を求めうるものは、ただ人間を超えた、神的なものに限られる。
啓示をも神学をも有し得なかった権威が、神話を必要とするのはそのためだ。
よろこんで道徳的服従を捧げることのできる世界観を有するカトリック者は、自己の幸福と責任とを思わねばならない。
(一部現代文に変えています)
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この時代の国家神道に対する皮肉は脇によせて、超人間的な存在、すなわち神さまを外部にいただくことで、人間は自己が権威にならずに済むし、むしろ神の権威のもとでこそ、却って自律的な自由を享受しうるという、逆説的な説明になっています。
これ、今の情報化社会において、働くにしても学問するにしても、大事だと思います。
人間を超えた存在に対して責任を負うにしても、信じられるものが何もないと愚痴をこぼしている人よりは、どんなに気が楽だろうと思うのです。
2019年の今年は、秋にローマ法王の来日が予定されているでしょう。
前のヨハネ・パウロ2世の来日の時、私は高校生でもちろんカトリック信者ではありませんでしたが、あの時の世間一般の俄かミーハーのような歓迎ぶりに、内心辟易していました。
今度もまた、まるで有名人が来日するようなフィーバーが無ければいいけれどと、危惧している私にとって、次の文章は教皇や教会の権威とは何かについて、すっきりとした説明を与えてくれています。
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「カトリック者は、学者や雄弁家の膝下に座して教えを聴くものではない。
ペトロの教座を占むる教皇が、大神学者たると否とを問わず、唯彼が使徒伝来の教義を説くの故にのみ、彼に聴くのであって、その個人的才幹如何の如きは、純信仰問題に関しては全然無関係なのである。」
今度は原文のまま転載しましたが、文語調が難しいですよね(笑)
このあとに「教会における説教についても同じ」として、岩下先生はカトリック教会のミサで説かれる教えは新しい教えではなく、二千年近く前から続く旧(ふる)い教えであり、それはすなわち客観的な神の啓示であって、説教者の主観的な体験などではないといいます。
つまり、説教者(司祭)は神の教えを忠実に伝達する機関に過ぎず、できるだけ純粋にそれを信徒に伝えようとする点において、職責に忠実であり得るわけです。
カトリックにおける権威とは、神の威光を笠に着るのではなく、ただ神の道具としてよき道具であり続けようと努力することなのでしょう。
私が洗礼を受けたとき、十字軍の血に塗れた歴史や、最近の司祭による不正蓄財や性的虐待を例に挙げてカトリックを非難する人がおりましたが、良い道具があれば悪い道具もあるわけで、司祭がキリストの教えに背いたからとて、その事実がキリストの教えや神の権威を何ら傷つけるものでないと私個人は考えています。
弟子の過ちは師の責任って、人間同士の師弟関係の話ですから。
そんな理屈で神仏にケチをつける人に限って、他に完全無欠なものなどどこにもないという無神論か、認識することは不可能であるという不可知論しか代案を用意できないものです。
自分が持ち合わせたこともないのに、他人の持ち物を批判したり非難したりするのは、愚かなことだと思うのです。
(ちょっと長いので明日につづきます)
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