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浜松の市街地に入って間もなくくぐる、遠州鉄道西鹿島線です。
新浜松から西鹿島までの17.8㎞を結び、浜松駅はJRと130mほど離れているため「新」があたまについています。
また、終着駅では天竜浜名湖鉄道(旧国鉄二俣線)に接続しています。
名古屋鉄道の資本が僅かに入っているものの、地場の企業です。

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車両は赤字に白のストライプで、関東なら京急線に似ているかな。
地元では、「えんてつ」とか「赤電」と呼ばれているそうです。
戦国時代の戦いで有名な三方ヶ原を通って、井伊家発祥の地といわれる井伊谷川を遡る奥山線という25.7㎞の路線が存在しましたが、モータリゼーションの隆盛とともに業績が悪化し、東京オリンピックの開かれた1964年に廃線になっています。
廃線跡の一部はサイクリングコースとなっています。

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沼津や静岡の中心部にもあった、彫刻付きの椅子。
寒い時期だと、ちょっと腰かける気にはなりません。
もう少し陽の当たる場所だったら、この子ともども良かったのにと思います。

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祭り用品の専門店。
「凧人」と書いて「カイト」と読むのだそうです。
子どもの頃、「ゲイラカイト」という輸入凧が爆発的に流行った時期がありました。
ゲイラ(“Gayla”)とは、会社の名前だったのに、英語を知らない子どもは「ゲリラカイト」と間違って呼んでおりました。
黒地に血走った黄色い目玉がついていて、ゲリラっぽかったんですけれどねぇ。

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国道としての東海道と姫街道が分岐する連尺交差点。
浜松城はこの角度でみると右手奥になります。
ここに2005年まで営業していたのが文泉堂書店。
映画館の浜松中央劇場と一緒のビルに入っていました。
大型書店と映画館ということは、ここが文化の中心だったわけです。
いまのショッピングモールに併設されたシネコンにはない、重厚さがあります。

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旅籠町バス停。
歩いたり、自転車でゆっくりと走ったりしていると、番地表示よりも、このようにバス停からその町の名を知ることも多いのです。
遠津淡海(とおつあわうみ=とおとうみ)の国の中心だった浜松宿は最盛期に本陣六、旅籠は九十四を数えたといいますから、まさにメガ宿場でした。

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旧東海道からは少し外れますが、JR浜松駅北口にあるモザイカルチャー(園芸アート)の出世大名家康君。
離れていると分かりにくいですが、身長4m、顔の直径は2.5mもあるそうです。
浜松のゆるキャラなのですが、家康は岡崎生まれです。
その岡崎市には、オカザえもん、オカザえんぬ、パンダ犬、味噌崎城と、家康が聞いたら怒りだしそうなふざけたゆるキャラしかいないのでした。
なお、出世大名家康君のちょんまげであるうなぎを撫でると、出世するらしいですよ。
本物の家康公の髷に触ろうものなら、即家臣に成敗されそうですが。


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旅籠町よりやや西にあり、菅原町交差点から見える、料亭旅館の呉竹荘(1948年創業)。
写真右側にみえる、黄色い建物とその奥の茶色いマンション風の建物です。
いまや静岡県内を中心にビジネスホテルを展開するグループ企業に発展しています。
一番奥に見える、いかにも昭和の大ホテルという佇まいの建物は、グランドホテル浜松です。
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同じく、雄踏(ゆうとう)街道と東海道が分岐する菅原町交差点の対面にある、首なし地蔵。
たしかに首がないのですが、正式には子育て地蔵というそうです。
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面白い色合いの病院。
まさか色分されている部分で外科と消化器科が分かれているわけでもないと思うのですが。

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チェーンの破断から半月ほど経った、暮れも押し迫ったある朝のこと。
やはり横須賀線に乗車しようと新川崎駅へ全く同じ時間にブロンプトンを走らせておりました。
これまたチェーントラブルと全く同じ場所でのことです。
先日チェーンが破断した歩道に乗り上げる場所の直前で、カラン、カラカラカラと音がして、外装ギアの手応えが消えました。
ああ、これは以前小湊鉄道沿線で遭遇した、外装2段ギアの故障です。
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振り返って後輪周りを見ると、外装ギアのシフターから伸びているワイヤー(正式には「ケーブル・アンカレッジ」といいます)先についている切替器(正式には「ウィングプレート」と呼ばれる部分)の下向きネジが落ちて、完全に脱落しています。
先日も20mと離れていない場所でチェーンが切れましたが、ここは何か呪いがかかった場所なのかと思いました。
そういえば、江戸時代にここから支流を遡った場所にある実家のある村は、水利権争議からこの辺りの村と揉めて、死者まで出たと聞いたことがあります。
「ナントカ村の祟りじゃぁ」という昔の流行語を思いだしてしまいましたよ。
「エ、エンドウ、オマエ、こういう時は十字を切った方がいいんじゃないか?」
「アホウ、そんなもん効くかいな」
むかし遠藤周作と三浦朱門が旅館の部屋で幽霊を見てしまったときの会話も。

それはともかく、くだんのネジの脱落は前回も冬だったような気がします。
もちろん、早朝で車が来ないのをいいことに、前回同様落ちたネジを探してみたものの、これまた前回同様、小さなネジが見つかるわけがないのでした。
レンチが無くても、ネジが嵌っていさえすれば押し歩きができますから。
(うーむ、次回からあのネジだけピンク色に塗りたくってやろうかと思いました)
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さて、上述の通りチェーン破断の時とは違い、今回は外れたケーブル部分がチェーンやタイヤスポークと干渉してしまい、押し歩きができません。
というか、こういう症状が出た途端に停止しないと、前述のケーブル部分をタイヤに巻き込んでしまい、樹脂部分を破損させてしまいます。
そうならずに済んだだけでもラッキーと言わねばなりません。
それにしても、前回同様こんな時間にどうしたものか…。
これは、たたんだ状態で曳いて歩くしかありません。
でも長い距離を曳き歩きすると、いつかのリアフレームの破断(https://blogs.yahoo.co.jp/brobura/40898660.html)を誘発しかねません。
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そこで、家まで帰るバスの停留所までおよそ1㎞強の道のりを、たたんだブロンプトンを持って(所々で曳いて)、腕をパンパン張らせながら帰りました。
おかげで、始発の下りバスに乗るという貴重な経験をさせていただきました。
これって、朝帰りと変わりません。
でも朝出朝帰りだからまぁいいか。
あとから考えたら、深夜料金帯は5時で終了しているのだから、タクシーで帰ればよかったわけですが、当然5時台の駅でもない半端な住宅街に、流しのタクシーなどいるはずもないのでした。
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これで2回目ですし、この下向きのネジの脱落防止をどうしたらよいか、今回ばかりは対策を考えざるを得ませんでした。

〇弛んでないか、まめに確認する。
以前は開いたブロンプトンをひっくり返さないと、この部分は確認できないと思い込んでおりましたが、そんなことはありません。
ブロンプトンをたたむ際の最初の動作、すなわちハンドルを切って後輪部分を振りこんだ際に、このウィングプレートの下側がひっくり返って上を向くので、弛んでいるかどうかは目視できます。
一日に何度もたたんだりひらいたりを繰り返す私の場合、たたむ際に必ずこのネジが緩んでいないかどうかをチェックするようになりました。
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〇お安く修理する
今回のように、ネジの脱落だけで済めばよいのですが、部品を破損させてしまうと、工賃とは別に下記の部品代がかかります。
BROMPTON Wing Plate Set ¥3,500
BROMPTON DR Cable Anchorage Set ¥1,800
これは、ローロ世田谷さんから教えていただいた方法ですが、単にネジが抜けて紛失しただけであれば、次のものをホームセンターで購入しましょう。
ステンボタンキャップ(六角穴付ボルト)M5×15㎜  2本で250円くらい
緩み止め(高硬度用) 量にもよりますが10mlで800円程度
緩み止めは、低硬度、中硬度、高硬度と接着の度合いによってランクがあるようですが、外すことはまずないので高硬度で構わないそうです。
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〇実際にはめてみる
3㎜の六角レンチを用意しましょう。
それも、柄が長いタイプのもの。
ブロンプトンを開いたまま、ハンドル、サドルを支点にして倒立させます。
このとき、変速(6段)のシフターは両方外に開いた状態(いちばん思いギア)にしてそっと逆立ちさせれば問題ありません。
そしてこの状態で柄の長いレンチがあれば、チェーンをテンショナーごと外さなくても、該当のボルトを締めることが可能です。
ボルトのネジ部分に緩み止めを塗ってから、締めてゆきます。
締めすぎると外装ギアが動かなくなってしまうので、片方の手でレンチを回しながら、もう片方の手でウィングプレートを動かして、抵抗なく動く範囲でボルトを締めます。
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結局、この脱落してしまったボルトは、最後まで締めあげることができないために、緩み止めを塗ってネジ山に振動が伝わっても、簡単には抜け落ちないようにしていたわけです。
脱落が冬に起きたのも、乾燥していることと関係があるのかもしれません。
しかし、これくらいの道具と部品であれば、旅に出るときにはタイヤのパンク修理セットと一緒に携行しても荷物にならないかもしれません。
私の場合、週5日は乗って7年で2回ですから、そう頻繁に起きることではありませんが、たったボルト一本で押し歩きもできなくなるので、本当に困ります。
でも、こうしてあり合わせの道具と部品でなおせる場合は、その場で何とかしてしまうことに越したことはありません。
外装ギア搭載車の方は、目視するだけでもずいぶん違うと思います。
トラブルも、転じて福となせば、それもまた楽しからずや。
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今回は写真と本文は関係ありません。
写真は、何年か前の春先に城ヶ島を散策したときのものです。
水仙がきれいに咲いていて富士山もきれいでした
先日、お蕎麦屋さんで早めの夕食を食べていたら、テレビを観ていた店主が「こんなニュースは聞きたくもない」と吐き捨てるように呟くのが聞こえました。
顔をあげると、子どもの虐待についての報道でした。
その家は、奥の座敷で小さい子が遊んでいる店だったから、なおさらでしょう。
しかし、弱い立場の人を虐めるという行為は、年齢や性別にかかわらず、誰もが行うことです。
私も、虐める立場、虐められる立場とどちらも経験した記憶があるからよく分かります。
こういうと、「いや、私は虐めに加担したことも、虐められたこともない」と反論する人がいますが、どうでしょう。
 
あなたは家族から意地悪をされた記憶はありませんか。
逆に誰も傷つけたことはないと自信をもって言えるでしょうか。
或いは学校でクラス全員がある子を虐めているとして、自分では傍観しているような態度をとっているつもりでも、実際はその被虐待児と距離をとっていたのではないでしょうか。
あの、「自分も同じように虐め(仲間外れ)の標的にされたらたまらない」という恐怖とその場にはびこる同調圧力は相当のものですから。
だいたい、手を差し伸べずに傍観していること自体が、既にいじめの構造に巻き込まれていますよね。
それでも、「自分の周囲で虐めは見たことも聞いたこともない」という人には、「そうですか。それはラッキーでしたね」と言う外ないのですが。
教育現場の統計では、虐める側の子どもの大半は、元虐められっ子というデータがあります。
かつて友だちや教師、親から虐められた経験が、虐める方に活きているとすれば、虐める・虐められるは本人と鏡像のような関係なのかもしれません。
 
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親が子を虐待する場合も同じだと思います。
大半の親は、子ども時代に同じように親から虐待を受けていたのではないでしょうか。
そこで、「力による支配」という人間関係に対する信念を受け入れてしまったのではないかと思います。
そうでなくても、どこかしらで「他人は力で支配できる」という考えをとりこんでしまったのだのではないかと思います。
自分は、私たち人間の殆どは、この宗教にも似た信念を捨て切れないと考えています。
力とは、腕力だけとは限りません。
お金、権力、言葉による暴力、徒党を組んでの圧力、国家権力による罰則など、他人や組織を自分の思い通りにするために、こうしたものを持ち出すことに、疑問を感じていない人が殆どではないでしょうか。
 
やっている方は、自分は選ばれた人間だとか、愛の鞭だとか、社会正義だとか、秩序の維持だともっともらしい理由を並べていますけれど、結局「自分の思い通りに他をコントロールしようとしている」ことに変わりがないと思います。
そうした人たちの決定的な盲は、自分もまた力による支配という信仰にとらわれていることへの自覚の無さです。
酷いケースだと、自分は正義のために敢えて暴力をふるっているのだなどというポーズをとります。
それなら、「自分も虐められた経験があって」と告白するほうがまだましな気がします。
(それでも八つ当たりしていることにはかわりありません)
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しかし、どのような言い訳をするにせよ、力による解決は何の効果も生みださないという事実は、完全に無視されたままです。
たとえば、何度実刑判決を受けても薬から足を洗えない薬物中毒者に対する世間の対応が良い例です。
薬物犯罪や性犯罪は再犯率が高いといいますが、それって刑務所に入ることが何の抑止力にもなっていないことの証左を突き付けているだけではありませんか。
クレプトマニア(=盗症・盗癖)などは、お金が無いという理由もなく、盗品には関心も無く、盗むという行為そのものにとらわれてしまっていて、それでも捕まると窃盗罪の法定刑は懲役刑しかなかったものだから、執行猶予判決を出してもまた繰り返して結局実刑となり、最終的に裁判所も煩雑になるし、矯正施設がパンクするからという理由で、2006年に刑法が改正されて罰金刑が加わったくらいですから。
前にそのことを専門の弁護士さんに話したところ、「いやぁ、検察官も裁判官も含めて、気付いている人はいますよ、でも実務に忙殺されてしまって…」とのお答えでした。
 
飲酒運転して検挙された結果の罰則や影響が怖いから、車の運転か飲酒のどちらかを永遠に断つというのであれば、それは一生飲まないでいようとか、車の運転はもうしないと誓っても、本心からやめたことにはならないと思います。
なぜなら、人間はうつろいやすいものだから。
あとで生活の条件が変わったり、飲酒運転の罰則がゆるい場所へ行って暮したりしたなら、その誓いを続けられるでしょうか。
そういう人が、同じ過ちを繰り返す時に言う言い訳は、決まっています。
「こんなことは自分だけじゃない、ほかの人もやっている」と。
結局、強制力による解決は、何の解決にもならないのです。
決して虐待行為を容認するものではありませんが、虐待した人を永遠に牢屋へぶち込めば、虐められた相手も救われて世の中が良くなるなどという、能天気な考えにも到底同意できません。
いじめっ子がいじめられっ子になったとて、役割を交代したにすぎませんから。
 
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では、どうしたらよいのでしょう。
私は、「以前は人を力で支配する生き方に縛られていて、(或いは人に力で支配される生き方に縛られていて)いまはその生き方を棄てている」という人の話を聞き続けるしかない気がしています。
例に出した依存症からの回復とよく似ているのですが、私たちの大半が無意識に陥りやすい「他人は金や権力で思い通りになる」という思い込みを無くすには、日々を新たにすることによって、その思いを棄てるしか方法は無いと思います。
自分のように、「お金さえあれば何でもできる」という価値観で世の中全体が動いていたバブル期を通り抜けてきた世代など、特にそうではないでしょうか。
「人間は、例外なく誰もが死までの時を、一日一日を猶予されて生き延びている存在だ」という意味の言葉を本で読んだことがあります。
死刑囚は平日の毎朝、刑務官の靴音に怯えるといいますが、私たちだって、就寝時に目を閉じたなら、翌朝に目を醒ます保証などどこにもありません。
ただ、来ないかもしれない明日を来るということにしているだけです。
だから、回復途上にあるアルコール依存症患者の言うように、「今日一日、力を行使する生き方を棄てる」という信仰にも似た気持ちを、日々新たにしてゆくしかないと思います。
 
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最後に、以前本ブログでご紹介した、ルイス・カンガス神父による「親の祈り」を再掲します。
自分たちがこのような祈りを毎日唱えられるような人間になるにはどうしたら良いのか、誰かをどうにかして自分の思い通りにしたいという感情が出るたびに、「子ども」を「相手」に、「大人」を「私」に変えて祈るようにしています。
 
神さま、もっとよい私にしてください。
 
子どもの言うことをよく聴いてやり、
心の疑問に親切に答え、
子どもをよく理解する私にしてください。
 
理由なく子どもの心を傷つけることのないようにお助け下さい。
 
子どもの失敗を笑ったりせず、子どもの小さい間違いには目を閉じて、
よいところをみさせてください。
よいところを心から誉めてやり、伸ばしてやることができますように。
 
大人の習慣や判断で、子どもをしばることのないように、
子どもが自分で判断し、自分で正しく行動してゆけるように、
導く知恵をお与えください。
 
感情的に叱るのではなく、正しく注意してやれますように。
道理にかなった希望はできるだけかなえてやり、
彼らのためにならないことは、やめさせることができますように。
どうか意地悪な気持ちを取り去ってください。
私がまちがったときには、きちんとあやまる勇気を与えてください。
 
いつも穏やかな広い心をお与えください。
子どもと一緒に成長させてください。
 
子どもも私も生かされて愛されていることを知り、
他の人々の祝福となることができますように。
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浪馬はお手伝いしているお寺のご住職から、以前「お寺に人を呼ぶにはどうすればよいか考えてくれる?」と言われておりました。
キリスト教の信者がそんなこと考えて良いのか?というご意見もいただきましたが、ちゃんと司祭の許可も取っているし、ほら、イエスさまだって人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。」(新共同訳 ルカによる福音書1631節)って言っているじゃないですか。
私なりのエキュメニズムです。
 
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(こんなに家の近くに牛舎があったとは)

それにしても、はてさて、お寺に人を呼ぶにはどうしたらよいか…。
お寺って抹香臭いんだよなぁ…教会もだけれど(笑)
普通に考えると、現実に人が集まっているお寺へ行ってその魅力を探ることが一番でしょう。
自分のように何かしらの義理を感じて教会やお寺へ通う人というのは少数派で、大半の人は、それが何かは分からないけれど、あの寺社にゆくと妙に気分が晴れるとして、そこへ行くのでしょうから。
その人たちの中から、その人なりのご本尊への信仰が芽生え、私はこのお寺を生涯支えよう、そしてこのお寺で眠ろうという人が現れてくるというのが本来の寺院の姿のような気がします。
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(このお店、子どもの頃バスに広告出していたなぁ)
 
実際、家の跡継ぎがおらず、あるいはいても遠方に生活基盤があって、戻ってくるあてが無いゆえに墓仕舞いする人や、地域の共同体意識が希薄化するどころか、人がいなくなって共同体を組めない事態に陥っているのを見るにつけ、葬式仏教といわれてきた日本の寺院は、仏さまの哲学や、お祖師さまの言いたかったことを、今を生きる人たちが分かるように伝える努力をしてゆかねばならないのではないかなと、仏教学を正式に学んだこともない素人の私でも、生意気なことを承知のうえで思うのです。
それに本を読んでいると、仏教哲学って西洋哲学に負けず劣らず斬新だし、けっこう現代でも通用すると思うのです。
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(おっ、めがね橋)
 
人の集まるお寺というと、深夜に初詣で行った成田山新勝寺、川崎大師でお馴染みの平間寺、そして高尾山の薬王院を思い浮かべます。
あれ、全部真言宗智山派だ。
距離のことを考えると、成田は都心から遠いし、川崎大師は近すぎるし、何かの記事で自転車のご祈祷もやってくれると書いていた高尾山に行こうと思いました。
小学生の頃、高尾山と尾根続きの小仏峠や景信山、陣馬山などへハイキングに行っていたので、高尾山は何度も訪れたことがあります。
下りの場合、薬王院まで来ると「ああ、もうすぐ電車の駅だ」と安堵したものです。
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(なんぼ低いところが得意でも、ここは物理的に無理)
 
そんなわけで、朝にミサを終えた12月のある日曜日、家の近くからブロンプトンで高尾山へ向かうことにしました。
川沿いをゆくのなら多摩川を聖蹟桜ヶ丘のやや上流までさかのぼり、そこから浅川沿いに八王子の北へ出て、支流の南浅川に沿って上流を目指せば、高尾山口に到着するはずです。
しかし、このルートは地図を見ればわかる通り、八王子の市街地を大きく北に迂回蛇行するルートをとっていて、回り道になります。
それに前回の向かい風対策ではありませんが、12月のこの時期に多摩川や浅川を西に向かって遡るということは、偏西風に正面から対向する形になり、午後になれば風も冷たくてどんどん体力を奪われることになります。
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(ああ、山は遠し)
 
次に考えたのは、通勤同様、電車の線路沿いにゆくことです。
高尾山に電車でゆくならJR中央線か京王線です。
浅川に近い中央線はともかく、京王線も、長沼あたりまでは多摩川〜浅川の左岸河岸段丘下を走るのですが、北野からの高尾線は八王子台地を掘割で進むという体裁をとっています。
地形とともに、鉄道路線ルートを検討するというのは、挫折したりアクシデントに見舞われたときに備えてという意味に加え、鉄道敷設は運行経費にかかる動力費用を抑える為、極力坂道の無いルートを選んでいるからです。
土木工学が発達し、工事も機械化された最近の新線敷設では、トンネルや橋りょうを多用して地形の制約を受けないよう造りますが、昔はそうはゆかなかったみたいです。
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(多摩モノレールということは、高幡不動です)

ちなみに京王高尾線が建設されたのは、北野駅から山田駅までが昭和61931)年、山田駅から高尾山口駅間は昭和421967)年に開業しています。
もとは大正天皇(現在は昭和天皇も眠る武蔵野御陵)の御陵へゆくための、御陵線だったのです。
昭和の初めは鉄道を敷くほどに、天皇のお墓にお参りする人が多かったということなのでしょう。
それほどに天皇陛下が崇敬を受けていたということはと考えたら、戦前の国家神道に関する本を読みたくなってきました。
ちなみに、武蔵野御陵に葬られたのは大正天皇以降で、京都の明治天皇は伏見桃山御陵です。
ちゃんとお戻りになっていたのですね。
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(浅川と湯殿川の出合)
 
話を行程に戻します。
それなら、八王子市街や南浅川を回らずに一本南の湯殿川をさかのぼり、町田街道にぶつかったあたりから、たしか最近開通したトンネルをくぐると、高尾山のやや奥の中央道と圏央道が接続するジャンクション付近に出るから、そちらを通った方が近道になると考えました。
ということで、是政橋付近までは、以前ルートラボで作成した南武線沿線の小道をゆき、そこから多摩川左岸〜浅川〜湯殿川と川沿いを走ることに決めました。
時刻は11時過ぎ。
早めのお昼を済ませてからの出発です。
高尾山まで走るとなると出発が遅すぎるのですが、今日は朝一で教会まで走っているし、帰りは電車だし、万が一辿りつけなくても途中から電車で引き返せばいいやと、家を出ました。
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(左が兵衛川、右が湯殿川)
 
実際走ってみると、よく晴れてはいるものの、すごい向かい風です。
それでも南武線沿線の用水路沿いなどを走っている時は余裕でした。
滅多に来ない場所をこうしてブロンプトンで走るのもなかなか良い経験だなんて。
しかし、多摩川サイクリングコースに出てみると、風は強いは、山は遠くに見えるはで、本当に高尾山まで辿りつけるのか怪しくなってまいりました。
高幡不動駅前に着いたのは14時くらい。
冬の14時といったら、もう夕方がすぐそこです。
たしかここのお不動も真言宗だったし、ここでお茶を濁して帰ろうか…とも思ったのですが、行動停止は16時と決めているから、行けるところまで行ってみようと先を急ぎます。
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(山は近くなってきたけれども、家は建てこんでいます)
 
浅川を遡ると、ますます風は冷たく、そして強く前から吹きつけます。
でも、自転車って漕いでいるからオートバイと違って汗をかきます。
これで小休止したらいっぺんで風邪をひきそうなので、だんだん正面に見える山が近付くのみとめつつ、上流方向へと向かいます。
京王線の長沼駅付近で浅川からその支流である湯殿川に入ったのが1420分、さらに横浜線の片倉駅付近で兵衛川を左に分け、通称「まちかい」と呼ばれる町田街道との交点まで来ると、時計は15時を指しています。
ああ、ここ大学の頃水泳の試合で来ました。
このあたりは、大学銀座とよばれるほど、都内から色々な大学が移転してきているのです。
ここまで、川沿いながら谷はどんどん狭くなり、それにともなって道の傾斜も少しずつ急になって、高度を上げている実感がしていました。
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(ガーン、これだから車社会は嫌だ)
 
そして最近開通したばかりの八王子南バイパスとの交差点まで来たら、思いきり「歩行者・自転車通行禁止」の看板が目に飛び込んで参りました。
「そんなぁ〜ここまで来て」
しかし、この道が自転車通行禁止なのは、あらかじめネットで調べればすぐに分かるはずなのでした。
仕方なく八王子台地を越えて、高尾駅裏に出て、線路沿いを高尾山口方面に。
途中、いかにもブロンプトンで入って行きたくなる線路下の煉瓦トンネルを見かけ、甲州街道へショートカットできないかと思ったのですが、大昔の親水公園のような場所で行き止まりなのでした。
そしてやっとの思いで高尾山下のケーブルカー乗り場に辿りつきました。
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(それに比べてこちらのトンネルの趣の深さよ)
 
時刻は1540分。
山の裾にはもう日は届かず完全に影になり、夜の気配すら漂いはじめています。
日曜日ながら、もう大半のお客さんは下山して京王線の高尾山口駅へ向かってゆきます。
ケーブルカーはこの日1730分まで運行しているとのことでしたが、山頂駅と薬王院の往復をマラソンしたとしても、参拝していられる時間は20分以内と思われます。
仕方なく高尾山口駅前でブロンプトンをたたみ、新宿行きの始発電車に乗って、居眠りを決め込むことにしました。
車内が暖かいのでよく眠れることこのうえありません。
完全に意識を失った状態で明大前まで戻り、元気になったのでそこからブロンプトンで再び走り、二子玉川近くでカレーをやけ食いしてこの日の輪行を切り上げたのでした。
あとで調べたら、自転車の祈祷とお祓いは、国道20号線沿いにある自動車祈祷殿で行っていて、最終の交通安全祈願は16時からなので、じゅうぶん間に合ったのに何もせずに帰ってきてしまったことを知りました。
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(やっと着きました)
 
でもまぁいいか。
今回は高尾山までブロンプトンで走りとおしたわけだし、次回は電車で行ってやろうと考えるのでした。
ブロンプトンで走って楽しいのは、今回のように見通しが甘くて最終目的地まで手が届かなくても、武蔵小杉から高尾まで走りとおして妙な達成感があることと、まだ続きは別の機会に来ればいいやと思えることです。
これって、観光地や旅行会社が頭を悩ませる、「リピーターをどうやって増やすか」という問題に対するヒントがあるような気がします。
バブルの頃までは、目的地に何度行っても飽きない、その都度目新しい施設(TDLとかUSJを想像してもらえれば分かりやすいと思います)を持ってくるかということで、その施設も色々な催し物を行ったり、リニューアルを定期的に繰り返したりと、努力もお金もかかることをやっていました。
けれど、腹六分目とか、八分目でやめておいて、お楽しみは後日にとっておくとか、その手があったかという理解です。
実際、旧東海道の旅も続きものだから、毎回次回を楽しみにしている点では変わりません。
ということで、次回、大垂水峠と自転車祈祷の旅へと続くのでした。
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(あの金の像はいったい何?→答えは次回以降に)

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向かい風対策

冬から春にかけは風が強い日が多いですよね。
自転車に乗って追い風なら良いのですが、向かい風だと止まってしまうのではないかと思うほどに影響を受けます。
アクセルを開ければびゅーんと加速する、オートバイや自動車がうらめしい。
でも、あちらは自分の身体を動かして使うという行為をスポイルしているから、おあいこかなと思い直します。
これまでもご紹介してきた通り、電車に載せるという前提であれば、関東地方においては、冬は北風、夏は南風が主流なので、冬であれば北へ向かって電車で移動し、そこから電車で戻ってくるか、たとえば海までというように南へ向かって自転車で走って、そこから電車で戻ってくれば良いわけです。
夏はその真逆をやればいいわけです。
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けれども通勤とか通学の場合はそうは参りません。
たとえ家と駅の間であろうとも、朝に追い風なら夕には向かい風、逆に朝に向かい風なら夕べは追い風になります。
潔く、片道を電車やバスに乗って移動するという手もありますが、天気も良くて時間も大差ないのにわざわざお金を払って乗るというのも、せっかくの運動の機会を逃しているような気分になります。
それに、冬の電車やバスって車内が暖かくて、特に帰路の場合眠くなることこのうえないのです。
座って居眠りすること自体は悪くないのですが、それで家に帰ってから眠れなくなり、睡眠のサイクルを崩してしまうと、戻すのがたいへんです。
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そんなわけで、今日は向かい風を自転車で走る工夫について書いてみたいと思います。
これらはすべてやむを得ない場合のしんどい向かい風対策であって、風が気にならないのなら全く関係ありません。

1.幹線道路は走らない(→路地をつなげて走る)
特に都心から近郊にかけては幹線道路のような幅広の道は避けるようにします。
両側を防火帯のようにビルの壁が続く幹線道路は、風の通り道になっていることが多いのです。
歩道は凹凸が多く、意外に狭くて人も歩いていますし、車道に出たら今度は向かい風と側を追い抜いてゆく車の風圧でまっすぐ走れず、交通量の多い時は特に危険です。
また、信号のタイミングも自転車の速度には全く合っていないので、ストレスになることが多いと思います。
その点、住宅街の路地であれば適度に曲がっているうえ道が狭く、家や軒塀が風を防いでくれます。
旧街道とまでゆかなくても、昔から利用されていたような道をつなげると、かなり長い距離をスムーズに走れます。
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2.川の土手や河川敷は走らない
吹きさらしの多摩川や荒川などの大河川はもちろんのこと、神田川や目黒川などの比較的川幅の狭い、両側に遊歩道があって並木の植えてあるような川沿いの道は、谷が広めに開けていると向かい風が強い場合が多々あります。
また、川は上流部でもない限り、他の道に比べて直線が多く(特に人工的に造られた用水など)ずっと向かい風に悩まされる場合が多いように感じます。
風と地形の関係について詳しくはありませんが、谷間を吹く風はいちばん低い川のあたりに集中するのではないでしょうか。
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3.はけの道を利用する
これは地形が読める人向けの対策ではありますが、川沿いを走るよりも、はけの道と呼ばれる丘や山の麓を崖線に沿って走る方がよほど風よけになります。
特に北風の強い日に、台地に川が東西に流れていることの多い都内を、同じように東西に移動する場合、南斜面の麓を走ると、谷の逆側にある北斜面下のはけの道よりも、斜面が急な分風よけになります。
(なぜ都内の谷で北斜面よりも南斜面の方が急になるのかは、東横線シリーズの中目黒あたりで推論しました)
何度もあれこれと道を変えて走っていると、不思議と風の吹かない道と、いつも風が強い場所(峠の頂上に多い)が見分けられるようになるものです。
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(関東ではありませんが、典型的なはけの道です)

4.闘わない(風にゆだねる)
これが一番肝心な点かもしれません。
よく向かい風に抗うように、スタンディング(立ち漕ぎ)で走ってゆく自転車を見かけますが、立ったら余計に風の抵抗を受けますし、長い距離を走る際にはそう続くものではありません。
向かい風には抵抗しないのが一番です。
逆らうのをやめた途端に、不思議と風と仲良くなったような気になり、向かい風も弱まった感覚を覚えることがよくあります。
すると「いつまでこの風は続くのか」と恨み節になっていた心が、「この風もいずれは収まるだろう」と余裕を持てるようになります。

あまりにひどいようなら、道を変えてしまうというのも一つの方法です。
以前お話したように、ブロンプトンならいくらでも違う経路を導き出すことが可能ですから。
たとえば、私は東横線に沿って帰るのですが、同じ東急の目黒線方面や田園都市線方面に走っても、多少は遠回りになるものの、30分以内の誤差にて帰宅できます。
それに、少しだけ方角を変えるだけで、向かい風も随分と楽になるものです。
それに、道を変えると様々な発見があります。
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信仰があれば、「風まかせ」ではなくその対象に委ねるという考え方ができます。
「この向かい風も主が与え給う恵みにはかわりない」なんて。
試練ではなく、恩寵ですよ。
これ、人生で物事が思い通りに運ばないとき、妨害を受けていると感じるときによく祈る内容と同じです。
皆さんがよくご存じの「アメージング・グレース」だって、命拾いしたことではなく、嵐に遭ったことが恩寵なのですから。
「まかせる」で思いだした讃美歌がもう一つあります。
お題は「主に任せよ」だったかな。

『主に任せよ 汝(な)が身を 主はよろこび 助けまさん
忍びて春を待て 雪は解けて花は咲かん 
嵐にも闇にも ただ任せよ 汝(な)が身を

主にまかせよ、汝(な)が身を 主はよろこび たすけまさん。
なやみは つよくとも みめぐみには 勝つを得じ。
まことなる 主の手に ただまかせよ、汝が身を。』
原詩
Harre, meine Seele, harre des Herrn!  Alles Ihm befehle, hilft Er doch so gern.
Sei unverzagt! Bald der Morgen tagt, 
 und ein neuer Frühling folgt dem Winter nach.
In allen Stürmen, in aller Not  wird Er dich beschirmen, der treue Gott!

Harre, meine Seele, harre des Herrn!  Alles ihm befehle, hilft er doch so gern. 
Wenn alles bricht, Gott verlässt uns nicht; 
 größer als der Helfer ist die Not ja nicht.
Ewige Treue, Retter in Not,  rett auch unsre Seele, du treuer Gott!

今回調べて分かったのですが、原詩には日本語に訳されていない3番が存在します。
辞書を首っ引きで調べたのですが、ドイツ語の文法基礎を学んでいない私には、歯が立ちませんでした。
この歌は中学の頃に知りましたが、プロテスタントの教会ではよくお葬式で歌われるそうです。
讃美歌だと291番、聖歌だと新聖歌298番になりますが、カトリック教会では聞いたことがありません。
原曲はドイツ語で“Harre, meine Seele”といいます。
ドイツ語はほぼローマ字読みで構わないので「ハーレ マイネ ズィーレ」で通じます。

日本語の歌詞はドイツ語の原詩ほぼ沿っています。
作詞はドイツ人のヨハン・フリードリッヒ・レーダー(Johann Friedrich Raeder 1815-1872)
彼はもと商社マンで独立して貿易業を営んでいるときに、染料(藍染)の取引でリスクを負い、業績が急降下します。
あと一歩のところで破産を免れた際に、この詩は誕生したといいます。
作曲はスイス人のアンリ・アブラハム・セザール・マラン(Henri Abraham César Malan 1787-1864)
彼も当初はビジネスマン志望でしたが、20代前半で牧師になっています。
「忍びて春を待て 雪はとけて花は咲かん」のあたりが、いかにもスイスらしい雰囲気です。
この季節にはぴったりの歌なのですが、例によって、日本語で歌うと聴かれたら恥ずかしいので、いい加減な発音ながら原詩で歌ってペダルを漕いでいます。
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