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出発当日、仕事の2時間前に新宿へブロンプトンで走って行き、バスタ新宿を観察しました。
いつも走っている南口の対面からエレベーターで4階へ。
予約番号を言って運賃を支払い、チケットを受け取ったのですが、何だか飛行機のチェックインカウンターみたいです。
カウンターの前はこれまた椅子が並んで空港そっくり。
あまり大きくないけれど、コンビニとお土産屋さんがあります。
けれどもテナントの関係なのか、新宿中村屋さんの製品が見当たりません。
新宿土産といえば、カリーあられでしょう。
その代わり、羽田空港でもおなじみの御菓子が並んでいます。
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外へ出るとバスが時計回りに一周できるようになっており、その外側にそれぞれの方面へ分かれてバス停が並んでいます。
バス停へは、バスが横付けし、そのまま周回しながら階下へと下るようになっています。
そしてバスの進入路と退出路が別々に分かれています。
なるほど、現代のバスターミナルです。
昔は誘導員が笛をくわえて旗を振りながらバスがバックするのを手助けするのが一般的でした。
バスターミナルは新しくなっていますが、バスの方は如何に?
 
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その日は仕事を早めに切り上げて、14時半にバスタ新宿へ戻りました。
お手洗いを済ませたらやることもないので、1505分発の白馬行きバスが出るC7バス停前で待ちます。
このバス停は飯田や伊那、駒ケ根などの南信方面、松本、安曇野、白馬などの中信方面、佐久や小諸など長野県のどの地域へ行くバスもここからのようでした。
やがてお目当ての5509便安曇野・白馬行きのアルピコ交通バスが入ってくると、タブレット端末を持った係員が出札業務をはじめます。
確認が終わると荷物を積むのですが、ちゃんとトランクが安曇野〜信濃大町で下車する人と、白馬まで乗る人とに分離されていました。
私は信濃大町で下車するので、手前で降りる人のためのトランクの一番奥へブロンプトンを押し込みました。
もちろん、カバーもかぶせてあるので何も言われません。
 
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車内へと足を踏み入れると、指定された座席は5列目のA席でした。
5列目を前方と呼ぶかどうかは微妙ですが、3列目と4列目は女性専用のシートになっており、最前列は乗務員用とかで、小さな熊のぬいぐるみが鎮座しておりました。
座席ですが、私が添乗員時代にお世話になっていた55人乗りスケルトンタイプよりは全席との間隔、すなわちシートピッチが格段に長くなっているように感じました。
子どもの頃の観光バスなんて、前席を倒すと胸に迫ってくるような感じで、こちらも倒さないと空間が確保できなかったものですが、あれに比べればはるかに良くなりました。
シートの横幅ですが、これも若干は広くなっているようです。
小さいけれど、フットレストまでついています。
ただ、縦の間隔よりは微妙に広くなっているという印象で、隣の席との間に可倒式のひじ掛けはあるものの、知らない人と夜行バスで隣り合わせたら、同性異性に関わらず落ち着かないだろうなと思いました。
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事実、バブルの頃のスキーバスでは隣が友だちでも、夜中に身体がビクッと動くたびに目を覚ました記憶があります。
若いからあれでもよかったし、翌朝から全力で滑っていたけれど、この歳になって同じようにできるかといわれれば疑問です。
このような事情から、3列独立シートが流行っているのだと思います。
なお、バスは出発時刻が中途半端にもかかわらず、通路を挟んで2×2の4列シートについて、一人旅の人は隣が空いていて、2人以上のグループは隣同士でというような感じで、最後列まで2席とも空いている場所はほとんどありませんでした。
私の隣も空いていましたが、途中のバス停から乗ってくる可能性もあります。
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このバスは1505分に新宿を出て、穂高には1901分、信濃大町には1936分、白馬には2013分に着きます。
向こうで夕食を取るにはぎりぎりの時間です。
途中サービスエリアで休息の際に食事をする時間が現実的にあるかどうかも、今回確認するつもりです。
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なお、新宿15時ちょうどのあずさ21号に乗ると、松本には1748分に到着し、大糸線に乗り継いで穂高1827分、信濃大町1853分、白馬には1940分とバスよりも45分から30分ほどしか早く着くことができません。
これは、松本から先の乗り継ぎが時間的に良くないことによります。
これで高速バスが新宿白馬間4,200円に対し、JRのあずさ利用は運賃5,400+指定席特急券2,900円の合計8,300円と倍近くしてしまうのですから、勝負にはなりません。
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仮に青春18きっぷの利用期間だったとして、1507分の中央特快に乗って鈍行を乗り継いだとして、穂高2045分、信濃大町2112分、白馬至っては乗り継ぎが悪くて2241分到着と、バスより安い2,370円でもどうかなという所要時間です。
だいたい、乗り継ぎを優先する条件なら新宿発1537分でも変わりません。
また、東京駅を1504分に出る北陸新幹線なら長野1649分着で白馬駅なら1820分(信濃大町行バスはありません)で、新幹線の運賃料金8,200円にバス代の1,800円が加わってちょうど1万円でバスより1時間20分早く着くということですから、こちらも微妙です。
そう考えると、大糸沿線へゆくのなら高速バスが俄然有利になってきます。
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さてバスタを専用の出口から出たバスは、左折して甲州街道を西へ向かい、走り出してから10分とかからずに初台のランプから首都高速にのります。
バブル期のツアーバスなんて、高速代を節約するためなのか調布や、ひどい場合は八王子まで下道を走ってゆきましたが、その点に関して路線バスは安心です。
さて、中央道三鷹、日野、八王子の各バス停に立ち寄りはしたものの、誰も乗車してきませんでした。
タブレット端末で確認しているのなら、無人のバス停は通過してもよさそうですが路線バスではそうも参りません。
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たとえば、予約なしでバス停に来て接近してくるバスに手を挙げたら高速バスには乗れるのでしょうか。
答えは、空席がある限り可能です。
ひっくり返せば、満席の場合は乗れません。
新宿白馬線の場合、バス発車時刻の10分前までネット予約は受け付けていますから、クレジットカードで決済するなり、付近のコンビニで支払うなりすれば、予約乗車は可能です。
けれども、その時間もないというケースでは、空席があれば乗せてもらえるのです。
この場合、途中のバス停からでもちゃんとトランクに荷物は入れてもらえます。
ブロンプトンで地方を走っていて、近くに鉄道駅はないけれど高速バスの停留所がある場合、この手が使えます。
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さて、自分が乗車した高速バスは夕陽を追いかけるように中央道を西へ走ります。
気分はユーミンの「中央フリーウェイ」です。
あ、でもあれはオープンカーでしたっけ(笑)
もちろん、マイカーで何度も走っている道でもあるのですが、自分で運転しなくていいのは楽です。
車の運転が楽しいという人の気持ちも分からないではないですが、最近は道路にイライラした方がたくさん走っていて、やれ煽られただの幅寄せされただのとトラブルが蔓延しているみたいに報道されています。
しかし、昔からああいうのはありました。
車を造っている人や売っている人はそんなこと絶対に言いませんが、自動車とかオートバイという乗り物は人の心を煽るような性質を持っているのではないかと思います。
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自由だといえば聞こえは良いですが、自分勝手な自己が前面に出てしまうような乗り物は、どうなのでしょう。
いまや自動運転化が喫緊の課題みたいに言われていますが、もっとずっと前から、こうなることは分かっていたような気がします。
もちろん、車が悪いのではなくてそれを運転する人の心の持ちようだとは思います。
けれども、現実に起きていることから出発し、どうしたら心穏やかに運転できるのかについての議論や書籍はまだまだ一般的ではありません。
選択肢の一つに、車を運転するのを諦めるという方法があると思うのですが、こうして高速バスに乗って車窓を眺めているというのは、ある面では自動運転の運転手体験と同じことです。
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その車窓ですが、バスはマイカーよりも車高が高いので、防音壁の向こうまで見えるはずだと思っていました。
しかしながら、八王子までの殆どの区間と、甲府盆地の西側の人口密集地は高い壁に阻まれて車窓は殆ど空しか見えず、それ以外の区間も下半分から三分の一程度が壁です。
鉄道の車窓とは比ぶべくもありません。
それに、駅も無く、インターチェンジにはさして特徴もない高速道路というものは、車窓の愉しみが殆どありません。
これならまだ、都内〜勝沼、甲府昭和〜小淵沢以外は中央道が開通しておらず、それ以外の区間はオール下道の国道で山梨長野県境の国界橋を渡り、諏訪湖畔を走って塩尻峠を越えた、かつてのスキーバスの車窓の方がよほど面白かったように感じます。
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高速バスに旅情が無いのは車窓がつまらないのが原因ではないでしょうか。
それに、自動運転機能が果たされるようになったところで、運転手は前を見続けていなければならないでしょうから、高速道路走行は余計に退屈なものになるような気がします。
そして、どうして高速道路の車窓はこうも単調でつまらないのでしょう。
新幹線と比べてもかなり落ちると思います。
それは道の使い方や、道と人との関係にあるのかもしれません。
ああ、俄然真面目な交通心理学系の本が読みたくなってきました。
(つづく)
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大弛峠からブロンプトンに跨り、柳平から焼山峠、乙女高原を経て水ヶ森林道を抜け、太良峠まで下ってまいりました。
ここから武田信玄の居城であった躑躅ヶ崎館のあった武田神社までおよそ10㎞。
甲府駅までも12km。
もう駅まで僅かだから楽勝だ!(といつものように足元が見えていません)
ここからの道幅は2車線分あり、ヘアピンが連続する下り坂ながら見通しが良いのでブロンプトンはオートバイ並みの速度でひらりひらりと下ってゆきます。
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オートバイと違って自転車はタイヤ音しかしないので、対向車の気配をより繊細に感じる事ができます。
もっとも、飛ばしすぎて転倒したら大変ですから、速度は原付スクーター程度までに抑えておきます。
(ヘルメット持ってきてコーナーを攻めることも可能ですが、ブロンプトンの趣旨からは外れるような気がして)
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ところが、太良峠からくだって最初の集落をすぎ、武田神社まであと5kmを切ったあたりで、道幅が突然狭まり、路面も簡易舗装のコンクリート仕様になって、小径車にとっては荒れた路面になってしまいました。
普通の峠道なら、麓に近づけば近づくほど道は良くなるものなのですが、ここは逆です。
急坂なうえに滑り止めの細かい溝が路面に彫ってあるため、乗り心地が最悪になり、これまでの快速から一転そろりそろりと下ってゆきます。
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これも信玄の軍用道路だったからかな、などと思っていたら、後輪が急にバタバタしだしました。
パンクです。
あちゃあ、やってしまいました。
何が楽勝だぁ・・・。
スマートフォンの地図で現在位置を確認すると、これから行こうとしている積翆寺(せきすいじ)温泉までは1㎞ちょっと、甲府へのバス停がある積翆寺までは1.8㎞、武田神社まで4.2kmという地点でした。
この頃はまだ山の中へチューブとパンク修理工具を持ってゆく習慣がありませんでしたから、これだけ街に近い場所でパンクしてくれたのがラッキーだったのかもしれません。
とにかくもう少しだからと、押し歩きで積翆寺温泉に辿りつきました。
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積翆寺温泉は、信玄の隠し湯と伝えられる温泉の中でも筆頭です。
なにしろ居城の裏手、要害山城の下にあるのですから。
太良峠から下って来ると、最初に古い木造で今は使われていない湯治場のような建物があらわれ、それを巻くようにして下ってゆくと、仲川という川の向こう、屋根上と玄関の両脇に大きな武田菱をいただいた要害という名前の旅館があらわれます。
「お、お屋形様!」と、心の中では大河ドラマの「風林火山」のテーマが回ってしまいました。
でも、旅館は鉄筋でお城(といっても近代の)を意識した建物です。
旅館要害へ入ってゆく橋の左手が、要害山城跡へと続く登山口となっており、城跡まで上り30分少々だそうです。
私は大弛峠でミニ登山をしてきましたから、今回は遠慮します。
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積翆寺温泉は、ここ要害とこの下にあって信玄が産湯を浸かったとされる井戸がある臨済宗妙心寺派の積翆寺から、西沢川という別の川を遡ったところにある古湯坊の2軒の旅館からなります。
ただし、両館とも2017年春には閉館してしまい、要害は福祉施設に、古湯坊は再建のさなかにあるといいます。
後で温泉に詳しいもう一つのブロンプトン旅ブログを綴っていらっしゃる方に伺ったら、「あそこはお湯が死んでいるから」とのこと。
そうなんですよね。
東日本大震災以降、お湯が枯れたり成分が変わってしまった温泉の話をあちことで聞きます。
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時刻は14時20分。
まだまだ時間に余裕があるので、700円を支払ってエレベーターで階下へ下り大浴場へ。
この時間ですから、先客は一人しかおりません。
改めてフロントにお断りして、自分独りになったあとに浴室内部の写真を撮らせていただきました。
脱衣所の説明書きによれば、明治の頃は、信玄公隠し湯の伝説のある、村の人たちが野良仕事帰りに入る共同浴場だったそうです。
あるとき、この家の幼児が火傷になって、膏薬を塗ってもちっとも治らなかったのに、この温泉を浴びせたら、たちまち効果が現れたため、この家の当主が広く病者の役に立てばとこの旅館を開いたそうです。
明治27年(1894年)1月の開業ということですから、創業からゆうに100年以上経っているわけです。
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泉質は単純泉とあってカッコ書きで低張性弱アルカリ性低温泉と記してあります。
源泉温度は25.6℃でぎりぎりです(温泉と呼べるのは25℃以上)
これは加熱してあるでしょう。
でも成分が薄いのを逆手にとれば、肌に優しく、また水分を通しやすくて湯あたりしにくい、疲れを取るにはもってこいのお湯ということにもなるのです。
中へ入ると内湯の湯船も大きく、カランにシャワーも十分で、露天風呂まであります。
さっそく身体を洗ってから露天へ。
 
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いやぁ、こんな大きなお風呂を独り占めって、なんて贅沢なんだろう。
既に初夏ですから白く霞んでいますが、甲府盆地がすぐ下に見えて、日が沈んだ後は夜景が美しいと思います。
お風呂で疲れた足を思い切り伸ばしてストレッチしていたら、眠くなってきてしまいました。
外気は涼しくはありませんが、よーくお湯船に浸かって汗を出しきった後、冷水シャワーを浴びてから浴室を出ます。
今回は最初からお風呂に入るつもりでしたからセーム皮という、かさ張らない拭き取りタオルを持ってきましたが、要害さんの方でバスタオルを貸していただいたので不要だったかもしれません。
その分持ってこなければならなかったのは、チューブとパンク修理道具でした。
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脱衣室の扇風機にあたっていたら、登山、ブロンプトンでの走行、温泉と、身体の中の悪いものを水分と一緒に思いきり出した感で満たされてしまいました。
ああ、何か飲みたい。
こうして早朝にプチ登山をして、ブロンプトンで走りながら山を下り、温泉に浸かって汗を流した後に、ビールでもきゅっと一杯ひっかけて、あとは電車の中でひたすら船を漕いで帰ることができたら、理想の山行です。
ブロンプトンはパンクしているし、どうせだからそうしようかなぁと思ったのですが、まだ日も高いですし、腰に手を当てて牛乳で我慢しておきました。
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お風呂からあがってちょうど15時です。
さぁて、どうしたものよのぉ(場所が場所だけに自然に武士語)と、すっかり軽くなった体をフロントのソファにあずけながら、考えるのでした。
(つづく)
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これまで、色々な乗り物にブロンプトンを載せて旅に行きましたが、高速バスはありませんでした。
というか、敬遠していました。
なぜなら、総合予約サイトである高速バスネットの「よくある質問」のうち、「ご乗車にあたって」の項目には、次のような文章が明記されているからです。
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 (新宿南口の対面にある、バスタ新宿)

『荷物スペース(トランク等)は限られておりますので、大きな荷物はお断りする場合がございます。
最近、大きなお荷物をお持ちのお客様が多くなり、 お持ちになられたお荷物を積み込むことができなくなる状況が発生しております。
お持ちのお荷物については、最小限にしていただきますようお願いいたします。
※お客様お一人様1個(長さの総和が1m以内、重さが10Kg、容積が0.027㎥以内)に限らせていただきます。
スキー板・スノーボード・自転車(折りたたみ含む)・貴重品・壊れやすいもの・危険物等はお断り致します。』
20191月現在 原文ママ)
 
ブロンプトンの場合、箱に詰めたところで長さの総和は60+58+30㎝=148㎝以上でアウトだし、0.027㎥って27,000㎤ですから、60×58×30104,400㎤で、こちらも完全にアウト。
というか、長さ総和が100㎝以内、容積0.027㎥ってどんな小ささかわかっている?文責者さん、という雰囲気です。
この程度の大きさの荷物であれば、迷うことなく車内に持ち込みますわ。
さらにダメ押しで「折りたたみを含む自転車はお断り」って書いてあります。
子どものころからバスでスキーに行っていた身としては、スキー板までダメということは、もう「バスには荷物を持って乗るな」と言われているのと同じことです。
いくら他の交通機関より安いからって、これはやりすぎだと思います。
これじゃぁ地方のバス停に利用者専用駐車場を設けたところで、「マイカーからバスに乗り換えるときに、小さな手荷物以外は車に置いて乗ってね」と言われているのと同じことです。
 
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(自転車で信号待ちをしていると、ひっきりなしにバスが出入りしてゆきます)

文章がこうなった原因も知っています。
全車両というわけではありませんが、高速バスの中にはトランクの無い車両、あっても使えない車両があるからです。
今は衰退して見かけなくなりましたが、一時期流行った二階建てバス。
あれは有効スペースをぎりぎりまで車内空間として使っているため、トランクルームが無いのです。
それに、大きな声では言えませんが、重心が高くて転倒し易く、大変危険な車両でもあります。
都内観光のはとバスならいざ知らず、あれで山岳路線を含んで走る高速バスに乗るなんて、ちょっとご遠慮させていただきたいレベルです。
実際、1985年に中央道の長い下り坂で二階建ての観光いバスが転落し、乗客3名が死亡、57名が重傷、運転手さんは行方不明になったうえ自殺していたという痛ましい事故がありました。
二階建てバスが生産中止になったのは、スペースが狭くて乗り心地が悪いのに加え、安全性に問題があったからだといわれています。
 
また、二階建てでなくても、特に長距離を走る高速バスの場合、トランクルームを交代運転手のベッドルームにしている車両があります。
近年多発したツアーバス事故を受けて規制が強化され、400㎞以上の路線バスは交代要員をのせて走らなくてはなりません。
その要員のための仮眠室が、従来トランクルームとして使われていたスペースに設けられている車両があるのです。
安全運行のなめにといいながら、あの場所にシートベルトもせずに乗務員を寝かせて、万が一衝突事故に遭ったら、無事ではない気がするのですが、そこはなぜかスルーです。
なお、トラックも同じですが、大型バスの場合フル乗車と空車では、バスの挙動が全然違うのだそうです。
団体添乗業務中、フル乗車で荷物も多いと、「ブレーキが効かないのなんのって…」と打ち合わせの際に運転手さんから耳打ちされたときには、正直ゾッとしましたよ。
 
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(いちばん近い入口はここなのですが、いまいちわかりにくいのでした)

まぁこんなわけで、いくら安くて早くなったとはいえ、鉄道に比べて事故遭遇率が遥かに高く、旅情も無く、かつ大荷物はお断りの高速バスは、スキーアルバイトの往き帰りに窮屈な思いをした記憶も含め、「此方から願い下げです」状態だったのでした。
けれども、これまでブロンプトンをつれての旅で取り上げてきた白馬などへ行く場合、並行する在来線(中央線・大糸線)について、時間的メリットが殆どないうえに運賃料金も新幹線を使うのと大差なく「ならば北陸新幹線で長野まで出て」と考えても、そこから信濃大町や白馬へはアルピコ交通の特急バスに乗らねばならず、結局大型バスに乗るのは変わらないのです。
ならば新宿から信濃大町、白馬へゆくバスに乗った方が、お財布にもやさしく、乗り換えの無い分楽ちんです。
 
なお、アルピコ交通のホームページには、「夜行高速バスはトランク容量が小さいため、スキー、スノボなど大型荷物の持ち込みはお断りしています。(事前に宅配便等でお送りいただくことをお勧めします)」と明記されています。
つまり、昼行バスであれば問題が無いわけです。
なお、スキーシーズンなどにはスキースノボ専用のゲレンデ直行バスがアルピコ交通内でも高速夜行バスとは別に運行されており、そちらはもちろんスキーやスノボのトランク積み込みはOKです。
(「高速バスネット」は、各会社の規則によりますとか、大型荷物OK路線と制限路線をきちんと分けて掲載すればよいのにと思います。)
JRバスの中には、有料で折りたたみ自転車をトランクに載せてくれる路線もあるわけですから。
頭から押しなべてお断りにしてしまうとは、何のためのネットなのか。
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(このエレベータで4階までゆけば、バスタです)
 
さて、いよいよ高速バスを予約です。
アルピコ交通の場合、予約サイトはJRバス系の「高速バスネット」ではなく、京王電鉄バス系列の「ハイウェイバス・ドットコム」でした。
これは、新宿白馬線がアルピコ交通と京王電鉄バスの共同運行だからと思われます。
同じ東京と長野県内を結ぶ高速バスを運行する会社でも、長野電鉄は直接予約ですし、JRバスなら「高速バスネット」千曲バスは「発車オーライネット」とそれぞれ予約サイトが違います。
「ハイウェイバス・ドットコム」では、大きな荷物についての案内が「高速バスネット」とはずいぶん違います。
 
『自転車・スキー板・楽器等の大きな荷物は、各運行会社ごとに取り決めがございます。床下トランクをご用意しておりますが、大きさによってはお断りすることもございますので、事前に各運行会社にお問い合わせ下さい。なお、お乗せできる場合でも、物損等の補償はいたしませんので、あらかじめご了承下さい。』
 
念のため予約に先立ってアルピコ交通に電話をしてみました。
折りたたみ自転車は、たたんでカバーを掛けた状態であれば、繁忙期でない限り大丈夫でしょうとのことでした。
ということで、「ハイウェイバス・ドットコム」から新宿白馬線15時発の便を、乗車前日に予約してみました。
名前や連絡先のほかに、性別や席は前の方が良いのか、後ろの方が良いのか、窓側希望か通路側希望かなどを細かく訊いてきましたので、前の方の窓側を希望してみました。
前の方が休憩のたびにざわつくし、最前列は特に危ないのは知っていますが、旅の乗り物に乗って景色が見えないのは、自分にとっては魅力半減どころか苦痛なのでした。
本を読むにしても、景色を背景にしないと酔いやすいですし。
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しかし、バス会社によって予約サイトが異なり、大きな荷物についての規制がそれぞれ異なるのというのは面倒です。
まるでふた昔前の航空会社の予約システム(CRS)のようです。
私が旅行会社にいたころはCRS全盛の時代で、それぞれの端末によって操作方が少しずつ違うし、手数料も取られるので面倒でした。
さて、運賃の支払いですが、クレジットカード決済やコンビニ支払いもできるけれど、あえて出発当日にバスタ新宿での支払いを選びました。
支払期限はあるものの、出発当日の朝に行ってバスタの様子を観察したかったからです。
ふだんバスタ新宿の前をよくブロンプトンで通っているのに、一度も足を運んだことがありませんでしたので。
さて、ブロンプトンをつれての高速バスの旅はどうなることやら。
(つづく)

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44.石薬師宿

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石薬師宿の入口、北の地蔵堂(34.909132, 136.550247)の前から旧東海道を続けます。
この地蔵は延命地蔵と呼ばれる、江戸時代に建立されたもので、旅の安全、家内安全を祈願するものという説明がついています。
宿場を出てゆく人には道中の無事を、入ってくる人には厄介除けみたいな存在なのかもしれません。
そこから国道1号線を左に分けた旧東海道は、まっすぐに坂をのぼってゆきます。
緩くはありませんが、道幅も広く、ブロンプトンで登れないほどの急坂でもありません。
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(宿場への坂を登る)

坂の中間より上あたりから、両側に家が立ち並び宿場に入ったことがわかります。
地蔵堂から460mほどで、右側に大木神社(34.906106, 136.546317)の入口を認めます。
この神社、もともとはより東の宿場のはずれ(JR河野=こうの駅方面)、高富城址付近にあったものが、この場所へ移ってきたそうです。
高富城といっても、戦国時代の土塁と館だけの砦のようなもので、城主片岡将監則高は、天正131585)年に徳川家康・織田信雄連合軍と羽柴秀吉が小牧長久手で戦った際、その前哨戦で羽柴方の武将に攻め込まれて討ち死にしています。
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(大木神社入口)
 
大木神社入口から100m先の右側の連格子が新しい家が、小澤本陣跡(34.904421, 136.548056)となります。
この家は明治に建て替えられたものだそうです。
この本陣の周りには背の高い松の木が生えていたので、「松本陣」とも呼ばれていました。
江戸時代中期には国学者の萱生由章(かよう よりふみ1717-1776)が、この家から出ています。
由章は伊賀上野城代の藤堂元甫(とうどう げんぽ1683-1762)に請われて「三国地誌」の執筆に関わっています。
「三国地誌」とは、江戸幕府が編集した国内地誌の一部で、伊勢、志摩、伊賀の三国の地誌をまとめたもので、全112巻にも及んだといいます。
島崎藤村の「夜明け前」の例を出すまでもなく、宿場の長である本陣の家は、その土地の文化の担い手でもあったわけです。
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(小澤本陣跡)

なお、石薬師宿は、お隣の四日市宿に比べて規模も人手もぐっと小さな宿場でした。
これは、四日市との間に日永の追分があって、伊勢参宮道の方へ人が流れてしまっていたことと無関係ではないと思われます。
膝栗毛の弥次喜多もそうでしたが、上方へ行くのにお伊勢さんをスルーしてゆくというのは、あの時代には罰当たりくらいの感覚だったのかもしれません。
対して京方からくる伊勢参りの参詣者たちは、東海道47番目の宿場である関宿の東の追分から伊勢別街道に入りますから、石薬師、庄野、亀山の三宿は、城下町である亀山は別としても、必然的にエアポケットのような状態に陥っていたと思います。
江戸後期の1815年には、業績不振によって幕府に対して宿場人足の半減を願い出て許可されています。
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(天野修一記念館)
 
人通りの少ない宿場が客を呼び寄せるために使う手段は、今も昔も大して変わりがありません。
艶本の「旅枕五十三次」によれば、石薬師宿は数少ない飯盛り女(=幕府公認で人数制限のある遊女、すなわち公娼)よりも、招婦(手招きする女性=おじゃれ、すなわち私娼)が人数も多くて美人もたくさんいて、彼女たちは情が深いなんてことが書いてあるそうです。
やれやれ、人を呼び寄せるのになりふり構わずといったところでしょうか。
まぁ、今の世の中もご当地アイドルだのイケメンを前面に押し立てて客寄せする手法は、大差ないような気がします。
文化と風俗は、切っても切れない関係なのかもしれません。
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(石薬師文庫)
 
さて、本陣跡と同じく道路右側、お隣が天野修一記念館(34.904122, 136.547815)です。
天野修一さんってどこかで聞いたような気がします。
そうだ、戦前からタイムレコーダーを発明、制作しているアマノの創業者です。
私はタイムカードのある事業所に勤務したことは殆どないのですが、たしかその世界では有名です。
本社が東急東横線の大倉山駅と菊名駅の間にあって、むかしは“AMANO”の字が車窓から見えました。
最初の特許は23歳の時にとった「A式綴紙器」だそうですが、綴紙器って何のことかと思って調べたらホッチキスだそうです。
タイムカードとホチキスということは、打刻機械に関して特許を多数持っているということなのでしょうか。
今ではかなりの田舎なのに、国学者の家のお隣は、明治の発明家の家とは、やはり街道沿いに住む人たちは、人との出会いや情報量が違うのでしょうね。
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(佐佐木信綱生家と記念館)
 
天野修一記念館の隣は自治会館、石薬師小学校校門を挟んで、石薬師文庫(34.903592, 136.547697)というおそらくは昭和のはじめ木造平屋建てがあります。
正面には佐佐木信綱が自らの閲覧所を寄贈したと説明があり、彼の歌が二句石碑になっています。
 
ふるさとの 鈴鹿の嶺呂(ねろ)の 秋の雲
あふぎつつ思ふ 父とありし日を
 
傾けて バイクを駆れる 群れが行く
鈴鹿の山は 父祖のふるさと
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(浄福寺)
 
そういえば、宿場の入口からここにくるまで、たくさんの歌碑をみかけました。
佐佐木信綱って、私はてっきり鎌倉時代の武将(それは佐々木信綱)のことかとばかり思って、あまり気に留めなかったのですが、「夏は来ぬ」の作詞をした明治から昭和にかけての歌人(1872-1963)の方でした。
二句目なんてバイクが峠を攻めている情景を歌っていますが、佐佐木信綱が没したのは1963年で、ホンダが鈴鹿市に工場を立ち上げたのが1960年、有名な鈴鹿サーキットを開設したのが1962年ですから、最晩年の歌なのかもしれません。
文庫のお隣が信綱の生家で、その更にお隣が佐佐木信綱記念館になっています。
信綱は万葉集の基礎資料の発掘、編纂にも熱心で、お墓は谷中霊園にあります。
石薬師文庫はきちんと地域の図書館の役割も果たしており、伊勢国学に関する書籍の蔵書が充実しているそうです。
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(瑠璃光橋)
 
子どもの頃、「夏は絹」(冬は木綿〜)だとばかり勘違いしていましたが、これがカ行変格活用の未然形であると知ったのは、高校生になってからなのでした。
それに、夏といっても旧暦の4月を歌っているから初夏の始めまる手前だということも、ずっと後になって知りました。
歌自体は小学生の頃に習ったにもかかわらずです。
 
そんなことを思って記念館の先の石薬師小学校南信号(34.902859, 136.547598)を渡り、今度は左側にある真宗高田派の浄福寺(34.902619, 136.548073)山門前をみると、ここにも信綱の歌が。
 
いきいきと 目をかがやかし 幸綱が
高らかに歌ふ チューリップのうた
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(瑠璃光橋から鈴鹿市中心部方面を望む)
 
境内に保育園があるからこの歌なのかもしれませんが、幸綱さんはお子さんの名前ですね。
「チューリップのうた」は誰もが知っている歌ですが、あれが3番まで歌える人は滅多におりません。
ためしにその辺りで幼児教育に携わっている人に歌ってもらい、「そのあとは?」と訊いてごらんなさい。
それに、1番と23番では著作権の帰属先が違うのもミソなのですよ。
国語って、簡単なようで意外と難しいのですわ、阿弥陀如来様などと内心で笑いながら旧東海道を進むと、道は下りになり、掘割状になった国道1号線の上を瑠璃光橋という名の陸橋で渡ります(34.898994, 136.548304)。
渡った先、旧道と国道に挟まれて森になっているのが、宿場の名前の由来でもある、石薬師寺(34.898545, 136.548637 真言宗東寺派)でした。
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(石薬師寺山門)
 
東海道に五十三宿ありといえども、お寺の名前がそのまま宿場名になっているのはここだけです。
東京都品川区に品川寺というのがありますが、あれは地名が先でここのようにご本尊の愛称が宿場名なんて他にはありませんから。
寺の縁起によると、726年に修験僧の泰澄が森の中で出会った巨石を、薬師如来が姿を現したものと悟り草庵を設けたのが開創で、およそ90年後の812年に弘法大師が爪で薬師如来像を刻んで開眼したことで、嵯峨天皇をはじめ多くの人の信仰を集めたということです。
平安から室町にかけて多くの堂塔を有して荘厳をきわめたこのお寺も、戦国時代に入ると兵火に焼かれ、半日で焼失してしまい、江戸期のはじめに今の鈴鹿市役所付近にある神戸城主、一柳氏によって再興されたということです。
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(石薬師寺境内)
 
山門から境内に入って右に折れると、本堂への参道が続いていますが、そこに3段の階段があります。
ここで躓かないようにと、参勤交代の大名が角取りを行ったと伝わる階段です。
たしかに、無病息災を祈るお薬師様の眼前で、転んで怪我をしたら「なんだかなぁ」になってしまいますから、細やかな心遣いです。
ところで、薬師如来は薬壺を持っていらっしゃるのが特徴です。
いわゆる医の神さまですね。
真言は「オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカ」で意味は「仏さまに帰依します。早く(願いが)成就しますように」ということですから、病からの治癒を願う人にとっては、「この苦しみから早く癒されますように」という風に解せます。
人間は病にかかると健康な時は実は与えられていたのだと気付き、謙虚になることがあります。
しかし、心の病など自分が病気に罹っていることすら認識できなければ、神仏にすがることもなければ、謙虚になる機会すらありません。
そういう意味で、病も含めて等身大の自己を見つめることのできない人たちは、可哀相な人たちということになります。
元気なときには神社やお寺に祈願に行くことを「迷信だ」と馬鹿にしていた人が認知症に陥ったとしたら本当に救い難いことだと、熱心にお参りをする年長者を見ていて思います。
 
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なお、食事場所が全くないと前に書いた石薬師宿ですが、旧東海道沿いには本当にコンビニひとつ見当たりません。
前述した石薬師小学校前信号を左折して国道1号線を渡った先にあるお蕎麦屋さんか、信号の次の路地を右折していった先にある料理屋さんの2軒だけ(営業していれば旧東海道からでものぼり旗が並んでいるのが分かります)ですが、歩いている人にとってはこの数百メートルの往復でさえも、辛いかもしれません。
けれども、ここで昼食を逃すと、この先はもっと店舗など全くない道が続きます。
四日市を朝発ってこの付近でお昼を迎えた方は、無理してでも食事を済ませておきましょう。
 
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旧東海道ルート図(近鉄)四日市駅入口〜井田川駅前

次回は石薬師寺の前から庄野宿を目指します。

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先日のことです。
ブロンプトンを脇に電車の座席に座って本を読んでいました。
ふと目をあげて外の景色を眺めた途端に、胸がムカムカして嘔吐感が沸き上がりました。
子どものころから電車にだけは酔ったことのない私は、疑問を感じながら本を鞄にしまって、流れる景色の遠くの方を眺めていたのですが、不快感が増すばかりで一向におさまりません。
まずいなと思い、空いていたのに立ち上がって吊皮を掴もうとしたら、腕が異様に重いのです。
二の腕から手のひらまで、鉛にでもなってしまったかと思うほどの重さです。
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「乗り物酔いの際は吊革につかまって眼を閉じ、一本足で立ってバランスをとってみる」と確か小学校のときに読んだ本に書いてあったので実践してみました。
吊皮のある乗り物といったら電車かバスですが、バス酔いでこうした格好を取ってみたことはあっても、電車でははじめてです。
座っている人から見たら、急に奇妙なことをはじめたと思われて当然でしょう。
意外にバランスとるが難しく、ムカムカする胸と併せて不快倍増じゃないかと思っていたら、今度は腰から下が二日酔いみたいに痺れてきました。
 
なんじゃぁ、エコノミー症候群じゃあるまいしと思っていたら、今度は痺れた下半身のお尻に危機が迫っているのを感じます。
やや、やばいと不自然な歩き方で今度は車両を移動して、最後尾のトイレへ移動しました。
するとそこには、長蛇の列が待っておりまして…と、まるでサスペンス(笑)映画のように、手に汗握る展開になって参りました。
私は吊革につかまりながらもお尻に力を入れ、顔では百面相をしており、傍目にはとてもまともな乗客ではなかったと思います。
もちろん、トイレに入ると嘔吐よりも先に激しい下痢に襲われました。
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これは食べ物に違いない、昨日食べた何かにあたったんだとその時は思いました。
原因を探ろうにも体の方が言うことをきいてくれず、次に乗り換えた電車はトイレがついておらず、私は今にもお尻を浮かせようという格好でロングシートに腰かけ、正面に座った人の顔を見ながら目を三角にしたりしかめてみたり、自分でもわかるほどそうとう怪しい表情になってしまいました。
お尻だけでなく、上の口からも出そうで、何度も生唾を飲み込んでは耐えるという、まるで二日酔いのオジサンの通勤のような状態です。
 
最寄駅からブロンプトンに乗ろうにも、今度はサドルのうえにお尻を載せられません。
仕方なしに、わざとサドルの位置を下げ、冷や汗をかきながらオール立ち漕ぎで帰ります。
ほうほうの体で帰宅してトイレへ駆け込むと、米のとぎ汁のような水便が出るばかり。
てっきり貝毒にでもあたったかと思っていましたが、翌日医者に行ったら「多分ノロでしょう」とのことでした。
45日は激しい下痢や嘔吐が続き、最低1週間は便や吐瀉物からノロウィルスが出るから注意するようにいわれました。
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今の時期、分かっていても不特定多数の人が使うトイレや洗面所を利用しないわけにはゆきません。
だとしたら、手洗いとうがいを念入りにするしかありません。
私の場合、不眠で疲れていたのと慣れない集団生活に、自転車の整備によってできたひび割れが痛くて手洗いを怠ったのが原因のようです。
普段自転車に乗っていたから、混雑した電車内でマスクをしていなかったのも迂闊だったかもしれません。
なお、急におかしくなった病ですが、治るのも急で、医者の言いつけ通り食事をせずにスポーツドリンクだけ飲んで寝ていたら、5日目の朝には嘘のようにケロッと治りました。
インフルエンザも含め、ここ2カ月くらいはウィルスが猛威を振るいますので、みなさんもご注意ください。

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