何年か前に柳沢峠から奥多摩駅へのポタリングでご紹介した花魁渕(おいらんんぶち)について、たまたま詳しく見る機会があったのでご報告します。
花魁渕とは、青梅街道の丹波山村から7.6㎞(標高差プラス266m)、柳沢峠からは8.9㎞(〃マイナス590m)の地点にある渕です。
ここで中世の武田氏の滅亡の際に、隠し金山である黒川金山の閉山にあたって宴を催し、断崖上に設けた吊舞台にて遊女を舞わせたうえで、機密保持のため舞台ごと遊女たちを渕へ沈めたという悲しい伝説が残る地です。 
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地図をよく見るとわかりますが、この地点は多摩川源流の柳沢川と一ノ瀬川がぶつかる出合いの直前に位置していて、両側から交互に山が迫るために川は不規則な蛇行を繰り返すという、地形的に複雑な場所なのです。
花魁渕の手前で柳沢川はほぼ180度のヘアピンを国道とともに折り返し、一ノ瀬川に合流する手前でほぼ直角に曲がります。
そして出合い直前に滝で高度を落とし、勢いを増した水勢が合流する一ノ瀬川をまるで遡るかのように直角に合流し、水量を増した川はさらに二度直角に進路を曲げた後、再び折り返すようにヘアピンするという状態で、こんなところで仮にラフティングをしたら、腕の一本や二本では済まないだろうなというほどの急流です。
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バブル華やかりしころ、行楽帰りなどに際して中央道や甲州街道(国道20号線)の大渋滞を避けて青梅街道を夕刻から夜半にかけて都心へ車を走らせるとき、ここは絶好の肝試しスポットでした。
カーブの外側に僅かな駐車スペースがあり、木製の供養塔の脇から川の方へゆくと、まるで高飛び込みの台のように、淵を除くスペースが崖に張り出していました。
ただ、夜に行っても宮沢賢治の童話みたいに、轟々と音はするものの、渕そのものは暗闇に沈んでまったく見えないのでした。
見えないものだから身を乗り出して覗こうとすると、後ろから「わッ」と脅されて肩を掴まれるというのもお約束でした。
(展望台が狭くて柵が低かったため、肩を押したら大変なことになります)
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そしてこの場所は心霊スポットとして、度々テレビに取り上げられていました。
よくあるパターンが、濡れた長い髪の女性にオイデオイデと手招きされ、気が付いたときは川に向ってジャンプを決め込んでいるという定番のパターン。
実際、花魁渕の前のヘアピンカーブはわき見運転する人が多くて、二輪車やマイカーの事故が多かったといいます。
あの慰霊塔だか供養塔だかは、この渕に沈められた遊女のためのものなのか、ここで事故って命を落としたライダーやドライバーのためなのか、わからないくらいの事故数だと噂が立っていました。
今年の夏に青梅街道を一晩中歩いて甲府まで行こうとした若者が、青梅あたりで地元の人に花魁渕の名を出され、全力で引き止められて諦めたという話を聞きました。
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しかし、花魁渕の前の青梅街道は、2011年秋に廃道となり、青梅街道は天狗棚橋と一之瀬高橋トンネルによって、渕を形成するように張り出した山をトンネルで迂回するようになりました。
上流側の入口は厳重に柵が設けられました。
その厳重さといったら、車やバイクだけでなく自転車や歩行者も通すまいというほどの高さと幅で、山側は崖の法面まで、川側はガードレールの向こうまでという念の入れようです。
但し、廃道になった旨は看板で説明されているのですが、不思議なことに「立入禁止」とはどこにも書いてありません。
下流側の入口については、柵はない代わりに新道から100mほど入った場所にあった、一ノ瀬川にかかる橋が取り外されています。
下は高さが6070mもあろうかというほどの垂直な崖で、ロープでもない限り降下できないし、川へ降りたところで水量が多くて流れも速いので、まず渡渉はできません。
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前にきたときは柵の中には入りませんでしたが、今回は柵自体が綻んでいたために、自転車を駐輪して花魁渕まで歩くことにしました。
中に入ってまず目に入るのは巨大なショベルカーです。
道路に対して斜めに停めて、アームを伸ばして道を塞ぐという、「この先入って欲しくない」ポーズをとっています。
その先は、旧道のうえに無駄に積み上げられた砂利です。
これは戦車やブルドーザーなど、キャタピラのついた乗り物でなければ通れません。
その砂利の山を越えると、旧道の路面が現れ、先に花魁渕であった場所が望めます。
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「〜であった」と書いたのは、かつてあった供養塔は撤去され、ここが花魁渕であった痕跡が、かなり念入りに拭い去られていたからです。
近寄って、上述の飛び込み台、じゃなかった覗き見台を認めて、ようやくここがかつて花魁渕と呼ばれていた場所だと確信がもてました。
大学生の頃、ふざけて台の上で高飛び込みのポーズで写真を撮ったのですが、心霊現象は何も現れなかったことを思いだしました。
川を覗いてみると、この地点で5段くらいの滝になっているのが分かりました。
これでは、落ちたら絶対に命はありません。
いや、命はないどころか、重機でもないと遺体を吊り上げることもできないほどの高さです。(つづく)
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山手線新駅名について

今日はかつて存在した行燈(提灯)殺しガード下の様子をご紹介しながら、新駅名について考えてみたいと思います。
突然ですが、日本と欧米の玄関の違いってわかりますか?
まず思い浮かぶのは、あちらの玄関は靴を脱ぐ必要がないので、三和土がありません。
三和土といっても読めない人もいらっしゃるでしょうね。
「たたき」と読みます。
玄関を入ったところで靴を脱ぐスペースです。
昔の玄関は引き戸が当たり前だったのですが、ドアになって問題が起こりました。
欧米の家と同様に内開き、つまり家の中から見て手前に引くタイプのドアを取り付けると、三和土に並んだ靴が思いきり開閉の邪魔になるのです。
そして火災の多い日本では、家の中から飛び出す際に内開きでは不利となり、外開きが当たり前になりました。
トイレのドアが外開きなのは、中で人が倒れた場合に救出に入れなくなるからという理由と同じです。
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ところが、欧米の家の玄関ドアは内開きが普通です。
これは外開きだと訪問客は一歩下がって待たねばならず、内開きの方が招き入れやすいのとともに、外敵が侵入しようとしてきたらドアを押し返すなり、ドアの内側に重いものを置いて開かないようにして侵入を防ぐというメリットがあるからだそうです。
簡単にいえば、日本式の外開きは家人を中心に、欧米式の外開きは家に来る人を中心に考えられているとでもいいましょうか。
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同じ日本でも、時代劇に出て来る城門や奉行所の門は内開きです。
これは、欧米と同じ防衛上の事情らしいです。
「攻城三倍の原則」すなわち、城攻めには守備兵力の3倍の兵力が必要という原則がありまして、中世以降の日本のお城は籠城戦に備えてつくられています。
内開きの方が寄せ手に対して防衛力を発揮します。
また城門を外開きにしてしまうと、攻城側がこれを見越して門の外に土塁などを築いて門扉を開かないようにして、少数の兵でこれを封鎖してしまった場合、守備兵は門を開けて外に出ることもかなわず、城に閉じ込められたも同然となり、遊兵と化してしまいます。
同様に、包囲軍が引き揚げるときに追撃戦に討って出ようにも、門が開かないように工作されてしまえば不可能です。
 
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お城やお屋敷などはこうした事情で内開きの門をそなえていましたが、寺院の山門は外開きです。
では、宿場の見附などの門はどうだったのでしょうか。
昔の絵をみますと、道の両脇から石垣などで防塁を築き、番所を備えていますが、木戸を設けている宿場はありません。
江戸時代になると交通量も増加して、戸を備えると却って邪魔になったからでしょうか。
しかし、それが横開きでも門扉タイプでも、どちらに向かって開く戸だったにせよ、防衛上の事情でつくられたものであって、決して欧米の家のように訪問者を歓迎する意味が含まれている入口ではなかったことは事実です。
それは、今話題になっている高輪大木戸跡に一度でも足を運んでみればすぐに分かります。
あそこは港南側がすべて海で、東海道は山が海まで迫るわずかな浜辺に続いていました。
泉岳寺はその海へ落ち込む山の中腹に建っていたのです。
いま関東地方で同じような場所といえば、横須賀の防衛大学下の走水あたりか、熱海ビーチラインを想像していただければよいと思います。
こういう場所は守り易く攻めにくい地点の典型ですから。
 
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ああ、それなのに「高輪ゲートウェイ」とは。
英語のゲートと日本語の玄関は上述の通り意味が同じではありません。
さらに、「古来より江戸の玄関口として賑わいをみせた地であり」って、それは品川宿(いまの京急北品川駅付近)のことじゃないですか。
この場所に賑わいをみせるほどのスペースはなかったはずですよ。
だれか識者に相談しなかったのでしょうか。
かつての史跡を持ち出すなら、高輪大木戸駅でよかったはずです。
候補の中には、「JR泉岳寺」とか、かつての都電と同じ「泉岳寺前」だってあったと思います。
どうしても片仮名を入れたいなら「東京サウスゲート」にしたらよいでしょう。
そういう名前の構想の一部なわけだし。
高輪大木戸のことを「どうせ昔木戸は樫のような堅い木でつくったのだろう」と、オヤジのダジャレよろしく「高輪OAK-KIDO」にするくらい「高輪」と「ゲートウェイ」をくっつけるのはおかしいと思います。

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なお、行燈殺しをくぐって品川駅まで行った人は分かると思いますが、港南側には芝浦水処理センターという汚水処理場がありまして、線路際の道はかなり臭いのです。
この新駅決定を揶揄して余興でつくられた新駅名候補に「芝浦下水処理場前」があったのは、そのことを知っている人だと思いました。
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三重県の名前の由来ともなった、杖衝坂上にある血塚社(34.917138,136.579233)の前から京に向かって旅します。
540mほど旧街道を進むと、右手から坂をのぼってきた現代の東海道、国道1号線と合流します(34.914947, 136.573879)
国道の向こう、ゴルフ練習場越しに、鈴鹿山系の山々が見えます。
一番目立つのは、向かって右側がストンと落ちている御在所岳です。
あの山の山頂付近には、三重県唯一のスキー場があるといいます。
面積は小さいですが、最大斜度が30度といいますから、結構手ごわいのかもしれません。
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山の斜面を知らない人は、30度というと三角定規から想像して緩やかだと思いがちですが、実際に初心者としてゲレンデに立ってみると、25度を超える斜面はスキーにしろ、スノボにしろ、立っていられません。
それまでふかふかでやわらかく見えた雪が、いきなりカチカチの氷でできた板みたいにみえて、いちどひっくり返ったら下まで止まらないのではないかという恐怖を感じます。
山の上にあるスキー場は、風の通り道であり、立木が伐採されていることもあって、雪面が凍っているケースが殆どです。
また、あまり雪が降らない地域のスキー場は、スノーマシンと呼ばれる人工降雪機を使って雪を造るわけですが、この雪が時間がたつとカチカチの蒼氷になるのです。
滑っている方からすると、そちらの方がスピードは出るので面白いのですが、慣れていない人がその上に立つと転んで頭をカチ割るのではないかなんて考えてしまうのです。
でも、実際に頭から転んで打ち所が悪いと大変なことになりますから、危険なことには変わりありません。
あそこのスキー場なら伊勢湾が見えるのだろうな、などと思いながら、合流した国道1号線をゆきます。
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振り返ると、国道1号線の杖衝坂を上から観る形になります。
上下合わせて4車線の車道は広々として旧道の坂よりははるかに緩やかでしょうけれど、そのぶん坂は長くなっています。
それに、信号が少ないせいか、車がかなりのスピードで流れています。
また、両側に歩道がついていますが、えらく狭くて自転車のすれ違いも走ったままではできなさそうです。
景色といえば、両側面とも掘割になっているので、左右には殆ど見通しは効きません。
こんなことろで自転車が走ることを想定していないのかもしれないですが、東海道をゆくのに自転車で国道を走るなんて、つまらなくて危険なばかりの旅になるだろうなと想像します。
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国道脇の歩道をゆくと、トラックなどプロドライバー相手の食堂が神社を挟んで2軒並んでいます。
両方とも「采女」という名前を冠しています。
内部川の南岸のこの一帯を采女町といい、よみは「うねめ」です。
采女とは、天皇やその家族の身の回りの世話をする女官のことで、飛鳥時代から地方の豪族は臣従の印として自分の娘を采女として朝廷に差し出す慣習がありました。
体のいい人質ですが、天皇のおぼえめでたくお手つきなどされて子が産まれれば、その地方豪族は一躍朝廷の親戚になるわけですから、差し出す側にもメリットがあったのでしょう。
古事記には、雄略天皇が欅の大木の下で宴を催していたところ、三重郡出身の采女が盃に木の葉が入っているのに気付かずに酒を注ぎ、天皇の逆鱗に触れて殺されそうになった(その程度のことで怒る方もどうかとは思いますが)ものの、即興で歌を詠んでそれが秀逸だったから許されて命拾いをしたという記述があります。
「三重采女」で検索すると出てくるとは思いますが、欅の葉をどろどろした塩水をかき混ぜて生成した国造り伝説の話にひっかけて歌っています。
たしかに、古事記にはそういう記述があり、一定の教養がないとこの歌をとっさにつくることはできないと思われます。
この采女がこのあたりの出身ではないかといわれています。
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ここは国道よりおよそ500m南に、伊勢国国分寺跡(34.909466, 136.563805)もあり、この地方をおさめる豪族の根拠地であったでしょうから、この話の主人公も、ひょっとしたらこの近所の出なのかもしれません。
それにしても、盃に葉が浮いたくらいで命をかけなければならないとは、人質としての采女生活も楽ではありません。
大きな会社でも、役員クラスの秘書は容姿が端麗だけでなく、頭も切れて気が利かないと務まらないとは聞いていましたが、同じようなものでしょうか。
そういう立場の人とお知り合いになるべく、用をつくってたびたび本社詣出している人の話をきいたことがありますが、社長秘書とお知り合いになれば、ひょっとしたら社長ともお知り合いになれるということだったのでしょうか。
役員の人たちも、そこまで悠長ではない気がするのですが。
 
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さて国道1号線に出てから1.25kmすすみ、国分町交差点(34.914692, 136.560308)で旧道は左へ分かれます。
その間は倉庫やら車のディーラーの立ち並ぶつまらない歩道をゆきます。
食堂があると前述しましたが、もしこのあたりで11時近くなっていたら、店が開いている限り、お昼を食べてしまいましょう。
というのも、この先石薬師宿、庄野宿と旧東海道沿いには殆ど食事がとれる店がありません。
10㎞以上先の、関西本線の井田川駅近くまでゆかないと、食事にはありつけません。
歩いている時は、宿場近くまでゆけば何かあるだろうとたかをくくって進み、石薬師宿にも庄野宿にも商店が見当たらず、キャラメルひとつ手に入れることが出来ずにお腹が減って倒れそうになりました。
旧東海道も三重県まで来ると、かなり人口が少ない地域をゆくことになりますので、覚悟が必要です。
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国分町交差点から国道より左にそれた旧東海道は、畑の中に住宅が点在する道をゆきます。
杖衝坂を登りきってからここまで、下り坂もなく、ずっと台地の上をゆくという感じです。
それが下り坂にかかってゆくと、860mさきの木田町大谷信号(34.911398, 136.551760)で国道1号線に復帰します。
およそ100mさきの自由ヶ丘交差点(34.910582, 136.551044)で国道を横断して右側にゆきたいものの、あいにく両交差点には横断歩道がひとつもありません。
そのための補償なのか、手前の木田町大谷信号には横断地下道が設けられています。
旧東海道を歩く人のためなのか、それともこのあたりの通学路事情でそうなっているのか、よくわかりませんが、駅も何もないところの国道にぽつんと人用の地下道があると、少し気味悪く感じます。
横断歩道よりもはるかに安全なのでしょうけれど。
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さて、国道を渡って自由ヶ丘と名付けられたいかにも戦後に造成された住宅地を右に見ながら国道をゆくわけですが、三重県で自由ヶ丘にお目にかかるとは思いませんでした。
家の方では、自由ヶ丘といえばナボナの亀谷万年堂、洋菓子店のモンブランなど、お洒落な街として有名です。
あちらは自由ヶ丘学園から名前をとっています。
自由ヶ丘学園は自由主義教育を標榜して昭和のはじめに手塚岸衛によって創立された学校です。
自由主義教育というのは、大正デモクラシーといわれる時代に子どもの関心や情動を中心により自由な教育を創造しようという教育運動でした。
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たとえば、海軍兵学校の井上成美校長の批判した、永野修身校長時代のダルトン(ドルトンとも)・プランなどがそれにあたります。
生徒は自分の興味をもとに、それぞれの教科について問題を解いたり先生に質問したりするために用意されたカードを、どこまでやるのか教師と契約(コントラクト)を結び、それに沿って自習します。
所期の学習要領を終えたら、教師からポイントをもらえ、このポイントによって教師はどの生徒が何についてどこまで学習をすすめたかひと目でわかるというものです。
いわゆる大勢の生徒が黒板に向かって教師の話を聴きながらひたすらノートを取る方式の対極にあるような教育方法です。
自分の好きな科目はどんどん伸ばしてゆくことが出来る半面、苦手な部分は後手に回ることや、全員がそれぞれのトピックについて自習しているため、生徒同士が教え合って理解してゆく過程が期待できないなどのデメリットも指摘されてきました。
現在は自由なプログラムも、固定化されたプログラムも、どちらも学びには必要だと理解されているのではないでしょうか。
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ところで、こちらの自由ヶ丘には「名物とんてき創業30年」の大きな看板がかかっています。
お店の名前は來來憲さん(34.911688, 136.549467)
歩いてここまできたとき、お昼を食べていなかったこともあって、立ち寄ろうかどうか散々迷いました。
しかし、來來憲さんは国道から70mほど入ったところにあり、歩いているとそのロスさえ惜しいような気がしてきて、前述の通り、すぐ先にある石薬師宿の中には食事が出来るところが無くてもコンビニくらいはあるんだろうと思って通過してしまったのです。
ところが、石薬師宿はおろか、隣の庄野宿まで行ってもコンビニはおろか自販機もほとんど見当たりません。
日がどんどん傾いて、昼食にありつけなかったわたしは相当ひもじい思いをしました。
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あとで調べたら、とんてきは四日市の名物で、まさにこの來來憲さんが発祥の店だったのです。
(本店は四日市市中心部から湯の山温泉方面へ少しのぼった場所にあります)
とんてきって、豚のステーキの意味ですよね。
地元では肉に切り込みを入れてソテーした姿が野球のグローブに似ているところから、グローブという呼称もあるそうです。
ポークソテーとの違いは、ソースが洋風か和風か、こちらはとんかつ同様にキャベツが大量につけ合わせとしてお皿に盛ってあるそうです。
そうと知っていたら食べるのでした。
いつか食べ物の仇をとりに立ち寄りたいと思っています。
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自由ヶ丘交差点をそのまま西へ向かうと、浪瀬川という細い川をわたり、国道はのぼりにかかります。
その坂の基部に、斜め右に分岐している細い路地の坂が、旧東海道です。
その分岐点に北町の地蔵堂(34.909132, 136.550247)が建っており、ここが石薬師宿の入口になります。
次回はこの地蔵堂から石薬師宿の中へ入ってゆきたいと思います。
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旧東海道ルート図(近鉄四日市駅入口〜井田川駅前)
https://yahoo.jp/LNBqWD

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先日、港区の高輪台付近をブロンプトンで走っていたら、後ろから追い抜きざまに、“NiceBike!”と声をかけられました。
暗くてよくわかりませんでしたが、おそらくは英語がネィティブの方でしょう。
咄嗟のことだったので、“Thank you”としか返せませんでした。
同じようなことが祖師ヶ谷大蔵の商店街でもありました。
信号待ちの際に「そのブロンプトン、いいですね」と日本語で後ろから聞こえてきたので、振り返ると、あきらかに日本人ではない親子がニコニコしていました。
そういえば、長野の白馬で面識のあったアメリカ人の英語の先生も、日本語しか話さなかったので、場所によって相手によって話す言葉を変えているのでしょう。
私なんかも、旅行へ行ったときに、非英語圏でもその国の首都では英語を話し、田舎に行ったら「地球の歩き方―旅の外国語会話編」を片手に現地語で意思疎通をはかろうとしていました。
日本もそうですが、教育制度がしっかりしている国であれば、田舎へ行ったから英語が通じなくなるということはないにもかかわらずです。
あれは、普段から外国語で話している人の多い地域と、少ない地域でコミュニケーションの雰囲気が変わるということなのでしょう。
そういえば、京都は東京などよりも前から、英語表記や英語案内が多かった気がします。
 
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さて、日本人は褒めるのも下手なら褒められるのも下手といいます。
確かに全く面識のない人にいきなり話しかける文化はありません。
相手がたまたま女性だったら、下心があるんじゃないかなんて痛くもない腹を探られるのも御免ですし。
若いころ、外国のスキー場で独りスキーをしていて、“Do you enjoy skiing?(スキーを楽しんでいるかい)と、いきなりリフトで隣り合ったおじさんから話しかけられ、“Yes, indeed”(ええ、とても)と返しながら、自分は明らかに困惑の表情をしていたとおもいます。
でも、日本にいてもお店へ入ったときなど、「その自転車いいですね」とほめてくれる人はけっこういらっしゃいます。
こういう時、私なら「ええ、とても便利ですよ」と応えています。
ファッションとして乗っているのではなく、実用的に使っていますから。
では、同じようなニュアンスで“Nice bike”と英語で褒められたら、どう答えればよいでしょう。
普通に考えれば“Yes, this is really useful.”とか、“I always use this.”になるでしょう。
前者が「重宝」のニュアンスが入り、後者はいつもですから、「愛用(常用)しています」という感じでしょうか。
でも、後ろから追い抜きざまに声をかけられて、咄嗟にポンポン英語が出てくるほど、英語に慣れ親しんでいるわけではありません。
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単純にほめられて感謝の気持ちを表すなら、“It’s an honor.”“I`m flattered.(光栄です)とか、” I’m glad to hear that.”(それを聞いてうれしく思います)と応えればよいでしょう。
ただし、”flatter”という動詞には、「お世辞を言う」という意味が入ります。
「まぁ、(褒めるのが)お上手だこと」という、多少冗談めかした雰囲気が入ってくるので、まったく初対面の相手には使わない方がよいかもしれません。
なお、同じようなケースで、日本語では謙譲の美徳というか、「とんでもございません」や「そんなに大したことないですよ」という表現がありますが、日本を知らない外国人に英語に翻訳して返したところで通じません。
 ヘタをすると、「単純に褒めたのに、その自意識過剰な態度はなんだ」と思われてしまいます。
イギリス英語には“No, not at all”(いえ、そんなことありません)という返答があるといいますが、これは単にほめられた時よりも、何かこちらがボランティアで親切にしてあげて、感謝されたときに改まって言う言葉で、そうちょくちょく使うことはないようです。
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また、相手の自転車を褒めて返すという手もあります。
この場合、一番簡単なのが“You too.
これは、”Have a nice day.”と言ったときにネィティブの人が返してくるパターンですが、自分の持ち物を褒められた場合は、相手もよい自転車に乗っていることを確認したうえで言わないと、おかしなことになってしまいます。
たとえば、よく使いこまれている、という意味で相手の自転車を褒める場合は、“Yourbike is pretty well broken in.”みたいに“break in”とか“well use”を使ってモノそのものをほめるか、ファッションと同じように、“It`s really suits you.”と返すことも考えられます。しかし、ちゃんと相手の自転車の状態を見てからでないと、仮にまったく整備されていない自転車だったりしたら嫌味になってしまいますから注意しなければなりません。
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こう考えると、英語に代表される外国語って使い慣れていないと急に口からは出てきません。
海外へ定期的に行ったり来たりの生活でもなければ、よほど意識的に外国語を話す場面を自分で設定しなければ、コミュニケーションはおぼつかないと思います。
でも、それって日本語でも同じで、普段から無口な人に突然もっと密に相手と会話をしてくださいって言っても、「何を話していいかわかりません」となってしまいます。
旅行先でも、気軽に物事を尋ねることができる人や、初対面の人と会話を楽しめる人がいる一方で、そういうのは苦手という人もいます。
自分の経験からすると、相手の言っていること、主張することをじっと聞いてみるのが第一歩かなと思います。
読書なんかも多分にそういうとことがあって、自分の考えとは違っても、あるいは読みにくい文章だと思っても、辛抱して読み続けるとだんだん著者の言いたいことや、要点がわかってくるということがあります。
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最近、そういう行為が苦手な人が多いのか、「要点や結論だけを言ってくれ」とか、原作を読まずに「まとめサイト」だけ見るとか、要領よく時間を節約しているといえば聞こえはいいけれど、実はただ面倒くさがっているだけじゃないかなと感じることも多くなっています。
(緊急を要する場合は別ですよ)
そういう感覚では、旅に出ても目的を達しさえすれば、経過や経路などはどうでも良いわけで、そんな人とゆく旅路はえらくつまらないものになるだろうと自分では想像してしまいます。
スマホが普及して、コミュニケーションが密になったと思いこみ、実は情報伝達って時間がかかって面倒なものだという基本を自分は忘れないようにしたいと思います。
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高校生のころ、何度か原付で柳沢峠を越えましたが、峠の多摩川源流側へと下ってゆくと、最初に人家が現れるのは落合という集落で、峠から3.7㎞ほどくだった場所でした。
柳沢峠には売店がありますが、朝夕は閉まっています。
また、峠は掘割になっていて、とりたてて広い展望が得られるわけではないことは、前回書いた通りです。
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今回ご紹介するはまやらわさんは、柳沢峠から3㎞奥多摩方面へ下った場所、落合集落の間にあります。
こんなところに鉱泉宿があったかなと思っていたのですが、もとは炭焼き小屋だったそうで納得しました。
奥多摩湖よりさらに源流に近い丹波山(たばやま)村や小菅村は、行政区分でいうと山梨県甲州市になりますが、付近の山々のほとんどは東京都の水源涵養林に指定されていて、勝手な開発ができません。
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昔は国道411号線から分岐する枝葉の林道それぞれにバイクで乗り入れることができたのですが、今はがっちり柵がかかって、門柱にはしっかり監視カメラがついており、バイクはおろか自転車ですら入れません。
昔の自分みたいにお昼寝するなら問題ないでしょうけれど、いまは不法投棄やレイブのようなイベントを勝手に開く人たちもいて、山を汚されたくないというのが理由のようです。
もっとも宿のご主人によると、この付近の山は防火帯として植林と天然林の間に帯状の空き地が何キロにもわたって続いており、山の稜線側からマウンテンバイクで下る遊びをひそかにやっている人もいるそうです。
確かにグーグルアースで観察すると、それらしき帯が幾筋も走っています。
これなら、以前ちょっと触れた、ダウンヒル専用自転車ベルグメンヒなどを持ち込んだら面白そうです。
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で、この旅館はまやらわさん、源流の宿らしく名水で磨いたわらび餅が名物なのです。
柳沢峠から下ってくると、ついつい立ち寄って食べてしまいます。
秋も深まるこの時期、高地ゆえに相当の寒さですが、だるまストーブに薪が燃えて、独特の風情が漂います。
煙にいぶされていると、都会では見られなくなった焚火に当たっていた昔を思い出しました。
わらび餅の方は、白糖、黒糖によもぎ、柚子、季節商品の巨峰まで種類が豊富です。
甘さ控えめの白糖に、濃厚な黒糖と、これから奥多摩駅まで36㎞、途中多少の登りもあるので、力餅としていただくと良いかもしれません。
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(愛想を振りまくのが上手だし、宿の犬としては合格です)
 
お宿には今年の夏に来た黒毛の甲斐犬がいます。
まだ小さくて遊びたい盛りなのか、お客さんを見ると「遊んでくれぇ〜」とばかりにまとわりついてきます。
けれども一切吠えません。
20分くらいいましたがワンともスンともいわず、ドックブーマーと呼ばれる咥えて遊ぶおもちゃがシクシク音をたてるばかり。
甲斐犬(「かいいぬ」と読んでしまうと「飼い犬」と同音なので、「かいけん」と呼ばれています)は山梨県が原産の狩猟犬で、この犬は南アルプス市の保存会からきた、由緒正しい純血種の雌なのだとか。
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そういえば、飛びかかり方がどことなく猟犬らしい。
もう同じ甲斐犬とおぼしき雄の子犬が一匹いましたが、あちらは純血種ではないそうで、隔離するのだとか。
「お前さん、箱入り娘にしては、動きがあまりにもお転婆すぎやしないか」といいながら、犬嫌いの私でも、なんだかんだで相手をしてしまいます。
猟犬は成犬になるにつれ、用心深くて飼い主にしか懐かないというから、遊んでおくのなら子犬である今のうちだけかもしれません。
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(わたしは獲物ではありませぬ)
 
このはまやらわさん、宿泊は12食つきで10,000円からですが、これからの季節は公共交通機関がない以上車でしか行けないかもしれません。
奥多摩駅から丹波山までバスに乗り、そこから自走するという手もないわけではありませんが、ヒルクライムに相当なれている方でないと、きびしいと思われます。
宿の方によると、諦めて引き返してしまう方も結構いるらしいです。
ただ、奥多摩湖側からここまで登ってきたなら、あと約3キロで峠です。
甲州市側は、塩山駅まで一気呵成に下れますので、ここで引き返してしまったなら、本当にもったいないと思います。
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(ひえぇ、犬に対してはトラウマがあるのに…可愛いし、吠えないから許す)

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