文化という言葉は大変範囲が広いので一概にいえませんが、その地域やそこに住む人たち固有の生活様式やその成果であり、特に哲学、芸術、科学、宗教などの精神的活動およびその所産と辞書では定義されています。
そこで、今回はリゾー地における芸術や文学について書いてみたいと思います。
 
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ヨーロッパの古いリゾートなど、劇場やコンサートホールがあって、ホテルなどにはその週から月の催し物案内のコピーが各部屋に配られて、オペラやクラッシックに気軽に接することができるようになっていました。
自分のような長くても3,4日しか滞在しない客でも、立見席であれば当日の鑑賞が可能でした。
ただ向こうに人たちは、最低でも1週間、普通はその倍は同じ街の同じ宿泊施設に滞在していますから、立見席なんて場所にはおらず、身なりをきちんとしてしかるべき仲間と連れ立って来ている様子でした。
 
それを見て思ったのですが、あの人たちは都市に住まって生活しているときでも、お芝居を観たり、コンサート鑑賞したりするために時間とお金を費やす習慣のある人たちなのだろうと思いました。
つまり、「せっかく休暇でリゾートに滞在しているのだから、(普段は出掛けない)クラッシックのコンサートでも聴きにゆくか」という態度で来ているわけではないのです。
(最初はそれでもいいと思いますが、それがきっかけで日常生活の中にコンサート鑑賞という習慣が定着しなければあとが続かないという意味です)
これが、昔流行し失敗した箱物行政の構造です。
地方のリゾート地にいくら立派な劇場やオペラハウス、音楽堂を建て、かつ素晴らしい公演を呼び寄せても、そこに通い続けるお客が存在せねばいずれ衰退してしまいます。
美術館など、時間的な拘束がゆるい芸術施設であれば、リピーターの獲得はやや容易なのでしょうけれど、前もってチケットを予約しなければならない催し物はそれだけ準備が必要な分観客の側にも心のゆとりが必要だと思います。
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それに、文学でも音楽でも、お芝居でも同じことですが、古典や名作と呼ばれるものは時代を経てそれだけ色々な人々に支持され、或いは批判されてきた分、文化的に背負っている背景が深くて重層的です。
ということは、読み手や聞き手、鑑賞する側にもそれなりの教養や感受性が求められるということで、そういう人が定期的に集まる場があれば、そこにまた文化が積み重なってゆくのだと思います。
しかし、日本の観光地にある文化施設は、昔の見世物小屋的な雰囲気から脱し切れていない気がします。
その猥雑さがよいという向きもありますけれど、私はそれが地方のテーマパークが続かない原因だと思っています。
 
なおインバウンドに日本旅行のリピーターとなってもらうという観点から考えると、催し物それ自体の歴史を積み重ねてゆくのか、中身の文化を伝統として積み重ねてゆくのかは、明確に区別しておいた方がよい気がします。
音楽は言葉が不要な分コンサート等万人に受け容れられ易いとは思いますが、日本の伝統音楽はともかく、外国由来の音楽はクラッシックであれジャズやロックであれ、国内の演奏、聴衆人口が多くないと内容を積み重ねるのは時間がかかると思います。
東京にあるリゾートと名のつく集客自慢の某テーマパークでも、そこに働く人たちの文化は集積されても、そこで遊ぶ人たちすなわち入場者側の文化は積み重ならないのと同じです。
そして演劇やお芝居ですが、日本の古典芸能や戯曲、雅楽であれば、それまでの歴史が長い分、演者が代わっても伝統は受け継がれ、場所と内容が結びつきやすいと思います。
福島県南会津の桧枝岐村には田舎歌舞伎の伝統がありますが、素人が演者なのに270年以上の伝統をもっています。
ただ、お芝居は言葉の問題があって、英語での解説が必要です。
ブロードウェイのミュージカルを見る前に、日本語の同じ題目を見ておいた方がよかったと思ったこと、私はあります。
 
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インバウンドという観点から見ると、文学はちょっと厳しいように思えます。
日本語会話が達者な旅行者は増えているものの、文章を読むとなると(漢字の問題もあって)かなり敷居が高くなりますから。
日本人にとっても、外国語について会話するのと読み書きするのでは格段にレベルが違うと思います。
アニメショップや漫画専門店、高尾山に行く外国人はたくさんいても、青梅にある吉川英治記念館へゆく外国人旅行者は殆どいませんよね。
吉川作品にみられるテンポが良くて韻を踏んだ文章って美しいと思うのです。
しかし、あのような長編小説は日本人ですら本を読み慣れないと完読するのは難しいと思います。
それでも、自分みたいに翻訳作業をしていると、日本語の漢字仮名交じり文をルーツに持つ和漢混交文は、アルファベットのような表音文字で著される文章や、表語文字だけの中国語とは違う、独特の魅力があるように思えてならないのです。
 
いま、日本語を母語としない外国人宿泊客の多く泊まるホテルでは、リゾートとしての対応で読書スペースを設けている施設が結構あります。
そういう場所に置いてある本は、英語の日本紀行やガイドブック、写真集や画集が中心です。
そこに、日本語の魅力を紹介するために、子ども向けの民話や絵本の名作を加えてみたらどうでしょう。
多摩の宿泊施設なら「雪女」(原作地は青梅です)とか、富士山麓なら「ダイダラボッチ」とか。
絵本だって誰もが知っている「泣いた赤鬼」(鬼=渡来人という説があるから外国人と無縁ではありません)、「かさじぞう」「百万回生きた猫」などを置き、夜に読み聞かせならぬ紙芝居や寸劇を従業員がやるというのはどうでしょう。
ああいう話は、大人が聞いても旅の土産話になりますし、自分も外国で触れた小話や民話って意外と頭に残っているものですから。
 
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次回は文化面のうち、遺跡や宗教について書こうと思います。

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とても早いお昼を食べた後、公園にブロンプトンで戻ってみたら、入口からしてすごいことになっていました。
入園券購入、トイレ、食事、遊園地の乗り物と、どこも人で溢れています。
自分が家族で来ていた頃はここまでの混雑ではありませんでした。
もともと広いうえに海辺という条件からポテンシャルを秘めた公園だとは思っていましたが、これほどまでにとは。
当然、レンタサイクルも順番待ちの列ができています。
自転車は小人用自転車のみが僅かに残っているだけですが、大人同伴でなければ走行できず、サイクリングコースは徒歩では入れませんので、事実上朝に借りた人が返却するのを待つしかありません。
貸し自転車の時間制限ですが、いちおう3時間ということになっているものの、30分単位で超過料金を支払えば延長可能なため、いつ戻ってくるか分からないのです。
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園内の移動手段はほかにシーサイドトレインという専用道路を走る列車状の車(一日500円)がありますが、この日は積み残しがでるほど混雑しているし、自転車よりも速度が遅いため、トレインを待つくらいなら歩いてしまった方が早いのです。
このため、自家用車に自転車を積載してくる人もけっこういます。
ただし、サイクリングコースは全長11kmとかなり長いので、自転車で渋滞しているということはありません。
なお、前述したとおり補助輪付きの自転車も走れる自転車専用道なので、ロードバイクの練習走行のようなスピードを出しての走行は危ないと思われます。
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念のためみはらしの丘へ行ってみましたが、朝8時の人出が序の口だったと思えるほどの混雑になっていました。
丘に登る人たちが列をなしていて、遠くから見るとまるで蟻の行列みたいです。
丘の下の広場では筑波名物「がまの油売り」の口上実演会をやっていました。
「さぁさぁお立ち会い…」ではじまるお馴染みの口上です。
印象的なのは次の部分です。
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『サテ お立会い、 このがまからこの油を取るには、山中(さんちゅう)深く分け入って捕らえ来ましたるこのがまをば、四面(しめん)鏡張りの箱の中にがまを放り込む。サァー がんま先生、己(おのれ)のみにくい姿が四方の鏡に映るからたまらない。
ハハァー 俺は何とみにくい奴なんだろうと、己のみにくい姿を見て、びっくり仰天、巨体より油汗をばタラーリ・タラリと流す。これを下の金網・鉄板に漉き取りまして、柳の小枝をもって 三七は二十一日の間、トローリトローリと煮たきしめ、赤い辰砂(しんしゃ)にヤシ油、テレメンテーナ、マンテイカ、かかる油をば ぐっと混ぜ合わせてこしらえたのが、お立会い、これ陣中膏はがまの油だ。』
三面鏡を覗いて必死にお化粧する女性を思い浮かべてしまうのは、どうにも自分だけでしょうか。
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みはらしの丘の混雑ぶりをみて、これ以上海浜公園に留まっても仕方がないと思い、南口から再び阿字ヶ浦駅へ向かいます。
少し向かい風が出てきたのでゆっくり走ったのですが、最寄りの南口から阿字ヶ浦駅まで18分かかりました。
JR勝田駅と阿字ヶ浦駅の間は湊線で27分かかりますから、やはり6時半にゲート前に行くには、勝田駅530分発に乗らないと間に合いません。
(次発は勝田605発→阿字ヶ浦632着)
ということは、勝田駅前のビジネスホテルに前泊したとしても、湊線を利用せずにブロンプトンで走ってしまった方が早いということになります。
なお前泊することだけを考えておくなら、阿字ヶ浦駅に近い民宿に泊まるのが有利です。
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今回はこれから湊線沿線をブロンプトンでぶらぶらしながら、勝田駅まで戻って特急に乗ってしまおうという計画です。
まずは阿字ヶ浦駅から坂を下って海水浴場へ。
けっこう広目の白砂の浜が広がっていますが、海浜公園の混雑ぶりが嘘のように、駐車場には車が1台しかなく、浜には私を入れて4人しかおりません。
考えてみると、公園から自転車なら片道15分もあれば到着するこのビーチも、歩いたら倍ちかくかかるでしょうし、車を公園の駐車場から出してしまったら、二度と戻れないわけですからみな公園内に留まらざるを得ません。
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なお、この海水浴場自体は大正に開かれたもので、もとは前浜と呼ばれていたのを、語呂が良いからという理由で「阿字ヶ浦」と命名したそうです。
阿字っていうからてっきり弘法大師が関係しているのかと思ったのですが、違いました。
昭和になって常陸那珂港が整備されると、砂が流出して浜がどんどん痩せていったそうです。
そこで茨城県は養浜工事をして沖合に堤防を設けたところ、砂の流出は鈍化したそうです。
なお、この際に造った堤防が東日本大震災の際には浜を津波から守りました。
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阿字ヶ浦から南へは坂を登って酒列磯前(さかつらいそざき)神社を回り込んでから、坂を下って磯崎海岸へと出ます。
酒列磯崎神社は創建が古く格式もあるのですが、この日は特急の時間があるのでパスします。
磯崎海岸は名前の通り磯ですが、転がっている石も白くて磯全体が明るく、海はとてもきれいです。
温泉はないけれど、海を見ながらボーッとしたいのなら、伊豆や房総よりもこちらの方が空いていてよいかもしれません。
ここも相変わらず人影はまばらでした。
磯より一段上がったところにベンチが並んでいて、読書などしたら気持ちよさそうです。
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そして背後の丘の上には磯崎灯台があります。
背が低くて丸みを帯びて可愛らしい灯台ですが、下から見上げるとその背後の住宅地が目に入らないせいか、とても見栄えが良く酒列磯前神社ともども映画のロケに使われそうな雰囲気です。
バス停があったので時刻表を見てみたら、一日一便平日のみでした。
灯台より内陸に750m入ったところに、湊線の磯崎駅があるのでそちらを利用すればよいのでしょうけれど。
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さらに南にブロンプトンを走らせてゆくと、だんだんと人家が増えてきました。
やがて左手海沿いに平磯海水浴場がみえてきます。
堤防に囲まれたこじんまりしたおそらく人口浜なのでしょうけれど、海水浴場の沖合にオレンジ色をした巨大なくじらの滑り台が浮いています。
あれは「大ちゃん」という名前がついているらしいです。
誰もいないビーチに、笑っているくじらが浮いているさまは、どことなくシュールではあります。
夏になると、子どもがよじ登っては滑ってと、あれで遊ぶのでしょう。
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鹿島灘というと、南部の銚子に近い方の海水浴場は黒砂の、それもわりと粒子が粗い浜が多かったように記憶しています。
二、三度海水浴に行ったことがあるのですが、相模湾や伊豆の方と違ってこちらの海は八月でも海水温が低く、唇が紫色になってしまって長くは入っていられません。
そこで浜にあがるのですが、今度は黒い砂が太陽に焼き付けられていて、足の裏がまるで石焼き芋のように焼かれてしまって日向に長時間立っていられないのです。
波も荒く、海に入ったら冷たく、浜にあがったら熱くて、パラソルやリクライニングのチェアでも持参しない限り、居場所がないのでした。
そこへゆくと、今見てきた阿字ヶ浦や平磯の海水浴場は、堤防に守られて砂を持ってきているとはいえ、のんびりできそうです。
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さらに南にむかってゆくと水産加工工場や冷蔵倉庫などが目立ってきます。
那珂湊漁港に入ってきているようです。
そのまま直進すると、飲食店や海産物店の立ち並ぶ那珂湊おさかな市場の前へ出たのですが、押し歩きもできないほどの人の波です。
早目のお昼で食べたスコーンが物足りなかったため、軽く何か口に入れてゆこうかと思ったのですが、とてもそんな雰囲気ではありませんでした。
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翻訳した本のこと

前に怪我をして寝ている間に、自分たちが翻訳した本がある場所で紹介されているのに気が付きました。
匿名という約束で翻訳をしたので内容は明かせませんが、ひとの一生の課題について書かれている本だけに、丁寧に訳されていてその分野全体を理解するのにも役立つと評価されているのを聞くにつけ、心から「よかったなぁ」という感想をもちました。
努力や費やした時間が報われたからというよりも、受け入れられて広がっていっているという事実の方に、自分の仕事は間違っていなかったのだと大変勇気づけられました。
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(写真と本文は関係ありません)
 
原書は、タイトルによってその内容が誤解されることが多いのです。
私も翻訳している最中は「いかがわしい内容の本に関わっている」と陰口をたたかれ、その本を所持しているだけで嫌味をいわれたものです。
また内容を読みもせず、批判したり軽蔑したりする人たちが後をたちませんでした。
とある街の市議会の議員によって政敵の攻撃材料に利用され、心の底から怒りを感じたこともありました。
「あらゆる情報をはばむ障壁であり、あらゆる論争の反証となり、そして人間を永遠に無知にとどめておく力を持った原理がある。それは調べもしないで頭から軽蔑することである」というハーバート・スペンサーの言葉を借りるまでもなく、わたしは頭から理解する気もないのに、分かったようなふりをして他者を批判する人たちが嫌いでした。
 
自分の問題を認め、紆余曲折はありながらもそれに向き合おうと努力している人間と、自分には関係ないと、自己を省みることもなく他人の粗探しに奔走する人間。
どちらの人間に勇気があり、あるいはどちらの人間が偽善に満ちていて卑怯なのかは明白です。
今思うと、あの人たちは魂や内心の問題と、実際の社会や日常生活における問題との区別できず、ただ自分の都合良いように、他人の問題を利用していただけなのだと思います。
そういう人はインテリとかリーダーを自称し、その一方で世間体を気にする小心な人間の中にたくさんいました。
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しかし、かくいう自分もむかしはみなと同じ反応をしていたことに、すぐに気がついたのです。
自分もまた、その不完全な人間のひとりであったと。
そう思ったら、肩の力が抜けました。
わたしはそこで気が付いたがゆえに、聖書の中にあるキリストの残した言葉の本当の意味に触れることができましたし、それ以外にも、様々な聖人や哲学者と顔をつき合わせて対話することが可能になりました。
知性が神性に昇華する場所は、聖堂や礼拝堂でも、大学の研究室とか図書館でもなくて、実は自分が一番見たくない、自分の内なる薄暗い所にあったのだと知りました。
 
仏教には、狂暴な象に追いかけられて井戸に逃げ込んだ男の話があります。
井戸の中に垂れ下がる藤蔓にぶら下がり、足元にある4つの突起にたいし交互につま先を引っ掛けて何とか落ちずに留まっている彼の口元には蜂の巣があり、その蜜を舐めることで男は恐怖を忘れることができるのでした。
しかし、彼の掴まる蔓の根元を、白と黒の二匹の鼠がかじりつつあり、つま先を載せた突起は毒蛇、井戸の奥には大蛇が大口を開けて待ち構えているというもので、象は不可抗力、井戸は安住の場所、藤蔓は余命、蜂蜜は煩悩、二匹の鼠は昼夜を象徴とする時間、四匹の毒蛇は病苦、大蛇は死を表しています。
「甘い蜜の話」とか「黒白二鼠の譬え」といわれるこの話は、譬喩経(ひゆきょう)のなかで説かれているそうです。
人生の実相など、このたとえ話のようなもので、蜜を舐めながら大蛇の口に吸い込まれてゆく死は珍しくもないのではないでしょうか。
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そして振り返ってみると、名誉や金や家族など守るものが多い人間ほど、自分の本当の姿や実情を認めたくないものだというのも、頷けるようになりました。
そう理解するようになったら、自己中心的な生き方を改める気のない人たちを責める気分も失せてゆきました。
そんな他人の問題に首を突っ込むよりも、自己の問題に向き合い続けるほうがよほど重要なことに思えます。
 
こうして自分たちが翻訳した本を読んで頂ける人の輪が少しずつ広がって、その盲を開くのに微力ながらでもお手伝いできたことは、感謝に絶えないほどの素晴らしい機会を一度きりしかない人生に与えられたのだと思います。
たとえ名前が残らなくても、後に続く人たちが同じ問題を自分のこととして共有し、その本が読み継がれてゆくかぎり、最初に翻訳に取り組んだ人たちがいたのだと感じてもらえるだけで、これほど愉快かつ光栄なことはないと思っています。
いつかもっとよい訳のできる人が現れたなら、もっともっとよい本にしていって欲しい、そして同じく人生に課題を与えられて難儀している人の行く先を、わずかながらでも照らしてくれたらいいといまは思っています。
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まだ入園者が少ないうちに広い公園内を自転車でひと通り巡ったあと、公園の東側にある海浜公園口へ向かいます。
前回、公園にある4つのゲートそれぞれにレンタサイクルのステーションがある旨を説明しました。
そのうち海浜口は車の駐車スペースが他のゲートに比べてやや小さいため、入園者が一番少なく、レンタサイクルがすべて貸し出されて出払ってしまうのがいちばん遅いはずです。
(台数も他3か所のステーションのうちもっとも台数が少ないと思われますが)
ところが、9時を回ったばかりというのに大人用の自転車はすべて返却まち。
小人用自転車と、子ども載せ自転車がわずかに残っているだけです。
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なお、関東にある国営公園のうち、昭和記念公園、武蔵丘陵森林公園のサイクリングコースが補助輪付き自転車の走行を禁止しているのに対し、ひたち海浜公園のサイクリングコースは保護者同伴の条件はあるものの、規制していません。
レンタサイクルの小人用にも補助輪付きのタイプがあります。
子どもに自転車の乗り方や交通・走行マナーを教えるには、とても条件のよい公園だと思います。
子どもの事故を心配して、頭から子どもが自転車に乗るのを禁止する親御さんがいますが、こういう場所できちんとした乗り方を教え、そののち近所で乗るときには危険な箇所がどんな場所か親子で確認しあってから、自転車走行を許すというのはどうでしょう。
自分は同じように事故リスクのあるマイカーを好き勝手に運転しながら、子どもには「危ないから自転車に乗ってはダメ」というのは矛盾していると思います。
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さて、入園券を保持している限り、当日の再入園は可能ですからいったん海浜口を出て、坂を下って海へ向かいます。
国営公園の拡張計画では、この下にある浜辺も公園として整備される予定になっておりますが、どんな塩梅になっているか見てみたかったのです。
海沿いの県道に出ると、たしかに目の前には白砂の海岸が広がっています。
ここは鹿島灘の北側にあたります。
ところが、道と浜の間には二重にフェンスが張られて浜に立ち入ることはできません。
右手をみると阿字ヶ浦海岸の向こうに磯崎とよばれる岬がみえます。
あの向こうに回り込むと那珂川の河口があり、その左岸が那珂湊、右岸は大洗です。
那珂湊までは海沿いの道を8.5㎞の道のりですから自転車でゆっくり走っても40分ほどです。
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左手に目をやると、茨城港常陸那珂港区の向こうに東京電力常陸那珂火力発電所の煙突が見えます。
あの発電所は石炭を燃料にしていて、その向こうにある原発同様に東日本大震災のときは津波の被害を受けているのですが、話題にもなりませんでした。
その向こうに見えるガントリークレーンは、茨城港日立港区でしょう。
茨城港は、那珂湊港区も日立港区もRORO船の定期航路が多く、自動車の輸出入量が愛知県の豊橋港に並んで多く、やはり東日本大震災の時、ここで某ドイツ車が大量に津波に押し流されておりました。
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なお、正面の海岸は岩場もなくて見た目は穏やかな渚です。
ただ、「公園予定地」の表示はありましたが、同様に「水遊び、入浜禁止。沖へ流れる海流があります」という立札もありました。
どうも強力な離岸流が発生するようです。
自分も子どもの頃に鎌倉の海で巻き込まれた経験があるのですが、背後から大波に飲み込まれた途端、水中でくるくると体が回転し、数秒後に海面から顔を出すと遥か沖合にいることに気が付きました。
まるで細長いチューブの中を大量の水とともに流された感じです。
慌てて戻ろうとするのですが、いくら泳いでも岸が遠いままです。
(離岸流に巻き込まれた場合は、最初は岸と並行に泳いでから戻るようにしないと流れに逆らったままになります)
泳げるとか、泳げないとか関係ありません。
あれは本当に怖いですよ。
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それからひたちなか海浜鉄道の阿字ヶ浦駅に向かいました。
ひたちなか海浜鉄道湊線は、勝田駅と阿字ヶ浦駅間14.3㎞を結ぶ第三セクターのローカル線です。
もとは茨城交通の鉄道路線ですが、2008年に同社は鉄道事業から撤退しています。
地元では「湊線」の愛称で呼ばれているように、利用旅客の殆どは那珂湊から勝田間に集中しており、そこから先の阿字ヶ浦までは夏季の海水浴客以外観光客の利用は見込めませんでした。
地元の利用客が自家用車を運転できない交通弱者に限られてしまうというのは、地方鉄道共通の悩みです。
そのため、ここ阿字ヶ浦駅でも銚子電鉄のぬれ煎餅を販売したり、日本全国から旧国鉄の古色蒼然たる気動車をかき集めて映画のロケーションに使用してもらったりと、涙ぐましい努力を続けています。
ただ、海浜公園口から阿字ヶ浦駅まで直線で2.4㎞、最寄りの南口からはわずか1.4㎞で、海浜公園の利用客増加に伴い、阿字ヶ浦駅から公園前までの延伸計画が持ち上がっているそうです。
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時刻表をみると、1時間に一本ないし二本です。
目立つのは、平日は朝の4時台に勝田行きの上り列車があることです。
これに乗って勝田駅でJR常磐線の普通列車に乗り換えると、朝の7時半には上野に到着します。
関東のJRのなかでも常磐線勝田駅始発の上り列車はかなり早起きの部類です。
一番列車はやはり4時台からあって、これを利用すれば品川に7時前に到着します。
常磐線の水戸から都心までの足を考えた場合、並行する新幹線もありませんし、高速バスとの競争も激しいでしょう。
ただ、同じ条件にある山梨県甲府から中央線で都心に出る場合、一番列車に乗っても新宿も東京も8時過ぎに到着するのとは事情がだいぶ違うと思います。
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そんなこんなしていると、時刻は9時半になりました。
あわてて海浜公園の周辺道路へ戻り、そこから1㎞西にある総合運動公園を抜けて西端の縁にあるラ・タブール・ドゥ・イズミ(http://scone-tea.com/)へ向かいます。
10時の開店にあわせてお店へ飛び込んで、早いお昼を食べてしまおうという目論見です。
午前10時に昼食なんて早すぎると思うかもしれませんが、3時起きしている身には遅いくらいです。
海浜公園の中には食事場所が少なく、混雑するようになってから露天なども出るようになりましたが、節約と健康のためにお弁当をつくって持ってくる家族が殆どです。
周辺のショッピングモールまで行って食事をするという手段もありますが、車を駐車場から出してしまうと二度と戻れなくなってしまうので、徒歩で往復するのは(いちばん近いゲートからでも片道800m)現実的ではありません。
そこへゆくと、自転車なら5㎞圏内なら時間もかけずに往復できますし、駐輪の心配もありません。
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ラ・タブール・ドゥ・イズミさんを選んだのは、このお店がスコーンと紅茶の専門店だからです。
単純に英国製自転車で食べに行くなら、やはり英国がモティーフの飲食店かなと思った次第です。
でも、実際行ってみたら英国風というよりは、フランス風でした。
名前もフランス語だし、ある程度予想はしていたのですが。
早速お店に入ると、さすがに10時の開店と同時に入ったため、お土産として紅茶やスコーンを買っている人はいても、食べる人はほとんどいません。
スコーンは高カロリーと聞いていたので、野菜中心の季節のプレートを注文し、食べ放題の4種(メイプル、プレーン、きなこ、よもぎ)のスコーンをいただきます。
しかし、スコーンってそんなに数が食べられないと思っていたら、ジャムも4種類あり、これで4×416種類の組み合わせが楽しめるということになっています。
自分としては、スコーンはアフタヌーン・ティーにいただくおやつであって、食べる時間もちぐはぐな感じでしたが、若い時のようにガツガツ食べる習慣はとうに失せているので、ちょうど良かったのかもしれません。
お店の雰囲気は若い女性が好みそうな感じで、オジサンが場違いなのはもちろんのこと、家族連れも大人数だとちょっと辛いかなという雰囲気でした。
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腹ごしらえが済んだら、また海浜公園に戻ります。
途中臨時駐車場の前を通りました。
時刻は11時ちょっと前です。
どうやら常設の駐車場はどこも満車となり、警備員が高速の出口からこの臨時駐車場へ誘導しているようでした。
この臨時駐車場は、正確にいうと総合運動公園の臨時駐車場であって海浜公園のそれではないのですが、車を置いた人たちはみな海浜公園に向っています。
連休の海浜公園はどんなことになっているのだろう?
自転車で彼らを追い抜きながら、怖いもの見たさで公園に戻ると…。(つづく)
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旧東海道の旅で渡る川の長さ、Best 3です。

3位:大井川 河川長168㎞ 流域面積1,280
ここで島田宿と金谷宿に挟まれた、あの越すに越されぬ大井川の登場です。
もうここまでくると、大井川、木曽川、天竜川しか残っていないわけですが、大井川はそのうちでは一番短いだろうと想像がつきます。
なぜなら、木曽川の木曽谷や天竜川の伊那谷に比べて、南アルプスの赤石山脈と白根山脈に狭まれた大井川の谷は、明らかに短いですから。
谷を走る鉄道、すなわち中央西線、飯田線、大井川鉄道の長さを想像してもらえれば分かると思います。
とはいっても168㎞もあります。
源流は静岡、長野、山梨の三県境付近にある間ノ岳(あいのだけ=標高3189.5m)。
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(大井川 金谷側)
大井川鉄道の終点のさらに上流にある畑薙湖から、赤石湖を経て二軒小屋まで続く大井川源流に沿った東俣林道(延長27.3㎞)は、秘境林道として有名で、マウンテンバイクを持っていたらぜひ挑戦したい道です。
一般車も通れるには通れますが、許可制だったと思います。
だいたい、南アルプスって登山者も中央アルプスや北アルプスに比べたらぐっと少ないらしいです。
交通の便が悪いことで、日帰りができない山が多いからということです。
今でこそ市やミネラルウォーターの名前になっていますが、自分が子どもの頃は、山の怪談は南アルプスでのものがいちばん恐ろしいのでした。
いわく、一晩中テントを叩く音に加え、人の足音がテントを周回するとか、前をゆく錫杖をついた修行僧に道を尋ねようと肩を触ったら、肩甲骨をボロリと落として振り向いた彼はミイラだったとか…。
きっと単独行が多かったからそんな話ばかりになってしまったのでしょう。
こんどリニア新幹線が下を貫通し、非常口が設けられるらしいのですが、冬季に外に出たら間違いなく遭難するような山奥ですよ。
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(牧之原台地上からみる大井川)
 
2位:天竜川 河川長213㎞ 流域面積5,050
河川長も200㎞を越える川は貫禄が違ってきます。
旧東海道の橋の長さこそ大井川に負けましたが、河川長はこちらの方が45㎞も長いのです(日本第9位)。
源流は諏訪湖の南、釜口水門(岡谷市)ですが、諏訪湖やそこへ流れ込む川も含めたらもっと長くなります。
特徴としては、上流部の伊那谷が広やかなのに、その南の天竜峡付近からの中流部がくびれていて、狭い急峻な地形になり、愛知県新城市に入って鳳来峡、湯谷温泉を通過したあたりから再び平野部に出てくるという、流路の地形が変化に富んでいるさまは、飯田線に乗って車窓を観察しているとよくわかります。
もっとも上諏訪から豊橋まで216.3㎞を鈍行で7時間(つまり平均時速は30/hちょっと。飛行機に乗ったら成田からシンガポールまで行ってしまいます)もかかる飯田線に乗車して、ひたすら天竜川を観察してみるなんて酔狂な人はいないでしょうけれど。
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(天竜川 磐田側)

旧東海道の旅では、洪水対策に取り組んだ金原明善が登場しましたが、南アルプスと中央アルプスに挟まれた谷間を流れる天竜川は、上流の伊那谷でも下流域の遠江でも、暴れ天竜と呼ばれたその名に違わず、その歴史は洪水対策の歴史そのものだったそうです。
災害対策と水力発電を兼ねて、ダムが多いことも特徴で、平成になっても水害は収まらず、脱ダム宣言をしたり、災害にあってこれを撤回したりと対策に苦慮しています。
急流ということは流砂によって堆砂する土砂も相当量にのぼるわけで、そこへたくさんのダムがあるわけですから、浚渫事業や流砂促進のための施設整備も休みなく行っているようです。
旧東海道の新天竜川橋付近では両岸も広く山は遠くにしか見えませんので、そこまでの苦労は実感できませんが、いちど飯田線にブロンプトンをつれて行ってみたいものです。
(テレビだか雑誌だかの企画で、飯田線とブロンプトンを競争させるという話題があったと思います)
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(新新天竜川橋)
 
1位:木曽川 河川長229㎞ 流域面積5,275
そして旧東海道で渡る川のうち、その長さが堂々第1位は木曽川なのでした。
日本の河川長ランキングでも、最上川と並んでの第7位です。
木曽川の源流は長野県の塩尻市に近い鉢盛山(標高2,446m)です。
上流部の木祖村で塩尻方面から鳥居峠を越えてきた中山道、中央西線と合流し、木曽福島の下流で御嶽山から流れてきた王滝川をあわせ、以降は中津川付近までほぼ中央本線に沿って南下します。
恵那峡付近から西へ流れ、岐阜県の可児市で濃尾平野に出ると、犬山城下をさらに西流し、笠松付近から南下してその下流で長良川、揖斐川と併流します。
佐屋街道の続きで渡河するときは、尾張大橋が愛知・三重の県境になっているため、ほぼ合流している長良・揖斐の両河川より印象に残ります。
この木曽川について、(長良川も同じような傾向がありますが)なぜ濃尾平野に出てからまっすぐ南へ向かって伊勢湾に注ぐのではなく、いったん西へ向かってから南下しているのか疑問でした。
ひょっとして北端の犬山城に象徴されるような尾張丘陵が邪魔をしているからかなと思っていました。
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(木曽川 尾張側)

調べると、濃尾平野というのは濃尾傾斜運動と呼ばれる造盆地運動によって、西に連なる養老山系側に傾斜しているのだそうです。
造盆地運動というのは、地質学でいう沈降運動のことで、沈降とは隆起の反対、つまりお椀の底が深くなるイメージの運動です。
平野が形成するにあたっては、河川が土砂を運んで堆積するだけでは足りず、この造盆地運動というのが必須なのだそうです。
たとえば、東京のある関東平野は中央部が沈降し、周辺の丘陵部が逆に隆起することで形成されていて、これを関東造盆地運動と呼びます。
濃尾傾斜運動は、濃尾平野自体が数百万年前より西に向かって年間0.5㎜程度傾いていて、平野の西端に走る養老―伊勢湾断層を境に、その向こうの養老山地は逆に隆起しているのだそうです。
だから、濃尾平野に出た木曽川はそのまま南下せず西の低い方へ向かって流れてゆくわけです。
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(尾張大橋西詰)

濃尾平野というと、政治経済の中心である名古屋市にどうしても目がゆきがちですが、名古屋市内は自転車で走ると北部や東部は特に平ではないということを実感できます。
平野として木曽三川の土砂がもっとも堆積している土地は、むしろ西の岐阜県側ということになります。
そしてこの傾きによって南西端の三川が伊勢湾に注ぐ辺りは、もっとも水害に悩まされるというのも納得がゆくのでした。
こんな風に、河川から地理や地質を考えてみるのも、またロマンがあって面白いものです。
こんなことを考えていたら、濃尾平野をブロンプトンで走り回り、犬山城址や稲葉山城址に登って高いところから河川を眺めてみたいと思うのでした。(おわり)
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