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以前にも触れたことがありますが 戦争真っ只中の頃
母の女学校時代の親友、Aさんの母上が止むを得ない用事で遠方の
親戚に行くに際して、ひとりっこのAさんを残して行くのが心配で、
「その間 お宅のお嬢さんを(母の事です、念のため)
貸していただきたい。 2人で留守番して貰えれば私も安心です。」と
母の実家に頼みにいらした事があったそうです。
大義名分で親の許可がおりて、母は意気揚々、Aさん宅に数日間泊まりに行きましたが、
そーゆー時に限って大空襲、Aさんチは焼けチまった。
2人の女学生は 「あれが ホントに火事場の馬鹿力なんでしょうけど...」
「ミシンまで背負って火の中を(母の家に向かって)逃げた。」
「井戸があると水を被って逃げた….」そうです。
「(絶対にここが死に場だと思った)途中の防空壕の中で
将来、アタシタチちゃんと結婚できて、子供が生まれて
それが男の子と女の子だったら結婚させましょう〜。そーしたら
私達いつまでも仲良しでいられるわ!」と誓い合ったそうです。
母の話しを聞くと、戦争一色に青春を塗りつぶされていた若人達に
それなりの微笑ましい戦時下の青春の日々があったらしいと思わせる事が
多々あるのでちょっと救われます。
さてさてさてさて….
Aさんは静岡に嫁ぎ、母とAさんとは、ほとんど同時に子育て開始。
子育てが終了すると親の介護。親を送ると今度は亭主。
勿論その間時間はたっぷりあったのでしょうが、両方とも古い人間なので
『夫を置いて私だけ遠方の友達に会いに行く』なんて才覚は全く持ち合わせていませんでした。
Aさんの方が先にご主人の介護をはじめ、母がそれに続き、
母が父を看取って半年ほどでAさんもご主人を看取られました。
こうして「会いたいわね」「死ぬまでに又会えるかしら」と、電話で語り合っていた
(今年82歳の)ばぁさん2人はなにものにも束縛されず、
再会できる身の上になりましたが、すでに2人とも “夢の中でさえ”
ミシンを背負って焼夷弾降る夜の街は走れないご高齢です。
「いいよ。さ来週(注:私は来週帰国することにしました)
アタシが静岡まで連れてったるわ〜。」私は名乗りでました。
母は喜んで朗報を即座にAさんに知らせたら〜 あらららら….
母からのメールの返信そのまま:
『Aさんは神経痛でヤットコ家の中を這って移動している状態で、、、
(何にも出来ない)折角の朗報なれど、、、
もうすこし動けるようになるまで、、、と、、、悲しい叫び!
だから、、、そうね、そうねって遠慮した次第です。
イタイイタイの姿を見るのも切ないし、
遠くから行った我々にオアイソ出来ないのも辛かろうと思うよ。
デンワで話が出来るしお互い想像しながら、、、
近況報告してた方が若さを保てるかも?と、、、私は結論した。』
私にはイタリアミラノ郊外に住む親友がいます。
彼女は7月6日から2週間の帰国予定で、『どう?日にちが合わないかしら?』と
メールが来ました。 “万障お繰り合わせ”の父の1周忌が
6月22−23日に決まったのは随分以前のことなので
『ダメだわ 30日には帰ってこなくちゃいかん』とあっさり
彼女には返信を送りましたが、 この度の母とAさんのと一件から
日本をはさんで 右と左に住んでる我らは
「また会えるかしら?」今度は前もって日にちをあわせようと、思いました。
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お母さんの年代では、お互いを思いやる心があります。
会いたいとなったらどうにかして会いたいと思ってしまう私は、
心を打たれました。
お父さんの1周忌ですか、早いですね・・・
2009/6/15(月) 午前 1:16
マダム同様私も折角会えるなら行ってしまいます。
顔を見て お茶一杯もご馳走になりゃいいでしょーと思いますが
そんな気の毒なことできない…って言います。
そのへんの心理よぉわかりません。
2009/6/16(火) 午前 7:14 [ ドラゴン ]