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亭主が日本でどこの野球チームを贔屓にしていたのか知りませんが
結婚した当初から彼は熱心なニューヨークヤンキースのファンでした。
当時まだ初々しかった私は、彼に連れられて地下鉄で結構スタジアムに通いました。
日本のスタジアムの“内野席”で野球を観たことの無い私は
ヤンキースタジアムに初めて入ったときの胸に迫った感動を
生まれて初めて海を見たときと同じようにはっきりと覚えています。
階段を昇ってスタジアムが目の前に広がると同時に真っ青な空も開け
内野はマッ茶色で それをグルッと緑の芝生の外野が囲んでいて
球場の美しさをより際立たせていました。おまけに内野スタンドが
選手の目線と同じ位に低いので、新聞に“ド”アップの顔写真の出ている選手が
手を伸ばせば届くような距離に見えるンです。別世界が広がっていました。
レジー.ジャクソンを中心にヤンキースが飛ぶ鳥を落とす勢いだった時代の話しです。
その後、順不同にサーマン.マンソンが飛行機事故で死に、
レジー.ジャクソン、キャットフィッシュ.ハンター、バッキー.デント、ルー.ピネラ、
グレイグ.ネトルス、などなど黄金時代を支えた選手達が次々に去り、
私も「やなこった」とか「なんが悲しゅうてアタシまで一緒に行かにゃならんの」って
言葉を覚えました。2台目のテレビも買いました。
私が観ないってことが原因でもないのでしょうがヤンキースにも暗黒時代が続きました。
亭主は?と言えば、贔屓の選手が去ろうとも新しいヒーローを見つけて
熱心なヤンキースファンって事実は決して変わりませんでした。
彼は「試合を観てるンだから結果はわかってるでしょうに!」と呆れる私を尻目に
勝ち試合の翌朝は脱兎の如く新聞を買いに走り、更には月刊誌や年鑑誌まで買って
「勉強もそのぐらい熱心にやってたら人生変わってたろうね」と私に
憎まれ口を叩かれるほど、記録まで暗記していました。(勿論現在も続いています)
ヤンキースファンであることに関して彼を茶化すと
「俺が誠実な人間だからこそ オマエも30年も捨てられずにいるんだ」と必ず
言われます。
『大騒ぎ 松井が決めて師走かな』2002年の暮れ家族句会で私が作った俳句です。
2003年 松井が本拠地開幕戦でホームランを撃ったときから
私は『ヤンキースファン』として返り咲きました。
TVチャンネルを野球に合わせる私を見たり、友人と昨日の結果を話している私に気づくと
亭主は「フンッ 俄かファンが」とか「デレクとかA-Rodとか馴れ馴れしく呼ぶな」
と、最初のころ眉をしかめていましたが、解説を求められると鼻をヒクヒク動かして
知識をひけらかすことが出来るので (多分)自分より下っ端同志の出現は
気分が良かったのでしょう。
このたびワールドシリーズ優勝に貢献した秀喜と
再契約しなかったヤンキースを私は再び見限りました、
ヤンキースを見限ったと言え、エンジェルスの応援をする気は
サラッサラありません。
「フンッ〜」そのヒトコトで野球そのものと決別ってことです。
亭主はと言えば…淡々と「彼(松井)の膝のためにはカリフォルニアが絶対良いよ」と、
コメントを出しただけで「オッ、ニック.ジョンソンが戻ってくる」など
新しい選手に思いを馳せている気配です。
お蔭様で アタシも来年も捨てられないでしょう〜 有難いこってす。
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笑いながら読ませてもらいましたよ。ドラゴンさんの文章大好き!
ご亭主さま、そんなにヤンキーズファンだったのですか。
このようなファンに支えられてチームモハッスルするのでしょうね。
大阪の人口の大部分が阪神好きと似ているのかしら?地元だからかな?
2009/12/22(火) 午前 2:00
亭主ですが、1956年にヤンキースが日本にきたンだそうです。
その試合を父上に見に連れてってもらったそうで、それ以来って言うから半世紀以上の筋金入りファンです。誰が好きってわけじゃなく
チームが好きって ほんと大阪の阪神ファンに良く似てます。
2009/12/22(火) 午前 7:55 [ ドラゴン ]